表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
85/110

【第77話後編:新人わちゃわちゃ、とプロなんとかX】

【Scene 3:百九万円の即決と、納屋の静かなるDIY】


 40坪の納屋の片隅。そこに置かれた八畳のコンテナ事務所「青豆腐」の中は、外の喧騒を遮断した静謐な空間だった。

 智子がデスクで保健所への提出書類に淡々と角印を下ろしていく中、佐藤はメインモニターの決済画面を最終確認していた。


「ヴェル、見積もりの最終チェックだ。事務所の電力ラインから引く鉄柱の親機が1台。水門操作用のソーラーパネルとバッテリーを備えた子機が5台。それから、例の土壌調査用LoRa通信タッパーファンネルが24基。……これで間違いなしか?」


『ええ。追加の滴下用酸素供給剤と、スポット用の錠剤5万円分を合わせて、合計109万円。決済権限を確認したわ。あの中身の透けるタッパーが、この広大なプラントの神経網になるのね。実にマスターらしい合理性だわ』


 佐藤が画面をスライドさせると、109万円の決済完了通知が静かに跳ねた。これで苗プラントの生命維持装置とも言える、精密な水管理・土壌モニタリングシステムの構築に王手がかかった。

「決済、終わったわね。お疲れ様」


  智子が書類を整えて顔を上げる。佐藤は立ち上がり、「よし」と短く応じてコンテナのドアを開けた。

 一歩外へ出ると、40坪の納屋のひんやりとした空気が肌を打つ。コンテナの外側、広々としたコンクリートの床には、日曜日に組み上げたばかりの1800幅のアルミフレームが3台鎮座していた。


「智子、悪いがこの乾燥棚の仕上げを手伝ってくれ。今日中にやっておかないと、明日の爪とぎライン稼働に間に合わない。レーザー刻印直後の製品はVOC(揮発性有機化合物)の臭いが残る。この棚でしっかり抜かないと、鼻の利く猫たちには出せないからな」


「なるほど、これが噂の『臭い抜き』の要ね」

  智子もコンテナを出て、佐藤の作業をサポートし始めた。


 佐藤がロール状の厚手ビニールを広げ、智子が反対側を正確に保持して、巨大なフレームを隙間なく覆っていく。智子がタッカーでビニールを固定する間に、佐藤は最上段に大風量のサーキュレーターを設置して下向きに風を送り、最下段(床面付近)の吸い込みダクトを既存の排気設備へと接続した。


「智子、ちょっと相談なんだが」

  作業の手を止めず、佐藤が切り出した。

「今の農業チームだが、現場を仕切る米山さん夫婦は71歳だ。そこに20代の新人組が合流している。だが、今のままだとあいだの世代が完全に抜けているんだ。現場の感覚が、あまりに極端すぎてな」


 智子がタッカーを置いた。

「確かにそうね。米山さんたちの熟練の技と、新人たちの若さ。その橋渡しができる、中間の世代がいた方がいいかもしれないわ」


「そうだろう。だから、ハローワークへ行ってくる。新人たちや北脇さんの時と同じだ。リパルテンツァの『高給特別枠』をもう一度切って、中堅層を一本釣りできる条件を確定させてくる」

「すでにハローワークでも『あそこは特別だ』って噂になってるものね。統括官なら、こちらの意図を汲んで良い人材を回してくれるはずよ」


「管、接続完了だ。ヴェル、排気ファンのテスト稼働」

『了解。VOCセンサー連動開始。排気圧、正常。乾燥BOXの密閉率は98%をマーク。完璧な仕事ね。これで明日から、完全に無臭の最高級爪とぎを出荷できるわよ』

 広大な納屋の空間に、ビニールの中で回るサーキュレーターの静かな低音が響き始める。


「よし、これで乾燥工程も自動化できる。智子、助かった。後は事務所を頼む」

  佐藤が上着を手に取る。

「ええ、任せて。交渉、頑張ってきてね」

 智子の声を背に、佐藤は納屋を後にした。 次は、海帆市の労働市場という盤面で、中堅層という「欠けた駒」を手に入れるためのハローワーク統括官との直接交渉だ。



【Scene 4:ハローワークの化かし合いと、統括官の沈黙】


 海帆市ハローワーク。 求職者の喧騒を通り抜け、佐藤は奥にある統括官室のドアを叩いた。

「リパルテンツァの佐藤です。統括官、お忙しいところ恐縮です」

「佐藤社長、お待ちしておりました」


 デスクで顔を上げた統括官は、眼鏡を外してデスクへ置いた。その動作には表に出せない職務上の重圧と、佐藤への確かな敬意が滲んでいる。

「佐藤社長。昨日、JAの稲葉常務が血相を変えてここへ来ましてね。息子さんが御社に入社した件で、1時間近くも油を絞られました。ハローワークが裏で変な誘導をしたんじゃないのか、と。正直、参りましたよ」


「それは災難でしたね。ですが統括官。優斗さんが常務の息子だということは、あなたの立場のデータなら最初から分かっていたはずだ。それを私に黙っていたのは、あなたの方でしょう」

 佐藤の静かな指摘に、統括官は一瞬だけ言葉を呑み、力なく視線を落とした。


「否定はしません。余計な先入観を与えたくなかった、というのは建前で。正直に言えば、彼のような優秀な若手がこの地域に見切りをつけて外へ流れるのを防ぎたかった。御社の規律なら、彼を繋ぎ止められると思ったのです。まさか常務があれほど激昂するとは計算違いでしたが」


「その結果、私のところに優秀な若手が来た。貸しにしておきましょう。さて、今日はその埋め合わせというわけではありませんが、新たな相談です」

 佐藤は無言で、用意してきた求人票のドラフトをテーブルに置いた。 統括官がそれを手に取り、記載された数字をなぞる。彼の指が止まった。


「30代から40代、農業経験者、1名。月給、32万。相変わらず、容赦のない数字だ。地域相場を塗り替えることに、微塵も躊躇いがない」

 統括官は求人票を凝視したまま、自らに言い聞かせるように続けた。


「32万。20代に25万、匠に時給4000円。その間を埋める中堅にこの額を出す。リパルテンツァの賃金体系には一点の曇りもない。ですが、これは非公開の特別枠だ。他所には絶対に漏らせない、劇薬の隠し玉だ」


「ええ。だからこそ、統括官。あなたの腹三寸で決めてもらいたい。私は単なる作業員が欲しいわけじゃない。AIヴェルの論理を理解し、71歳の米山さん夫婦の職人技を翻訳して、20代の優斗たちに降ろせる、現場のハブになれる人間が欲しい。そのための32万です」


 佐藤は椅子に深く腰掛け、窓の外を見やった。

「統括官。昔は100円だったコカ・コーラが150円になり、ガソリンも電気代も上がった2026年だ。この32万という数字は、決して高給じゃない。40代の男が家族を守り、プロとして規律を維持して働くための、最低限のガソリン代だ。これ以下で人を買い叩くのは、経営じゃなく搾取ですよ。うちは35万以下の人間は半年ごとに昇給させて、速攻でそのラインまで引き上げる。それがリパルテンツァの普通の姿です」


 統括官は求人票を置き、腕を組んで深く目を閉じた。

「分かりました。この条件の重みを、私が責任を持って精査しましょう。常務の件の貸し、これで返させてください。人選については、私が直接面談して、その規律に耐えうる人間を判断します。ただし、万が一漏れた時は、社長が直接筋を通してくださいね」


 統括官は赤いペンを握り、32万という数字を力強く囲った。 その顔には、面倒事に巻き込まれた覚悟と、この劇薬が停滞した地域を揺り動かすことへの、密かな期待が混じっていた。

「助かります。では、良い報せを待っています」


 佐藤が立ち上がると、統括官は居住まいを正し、規律ある動作で送り出した。 ハローワークを出ると、2026年の澄んだ空気が広がっていた。 苗プラント、自動化システム、そして盤石な組織図。 リパルテンツァという巨大なシステムが、いよいよ真の完成へと動き始めていた。



【Scene 5:魂の研磨と12名の美女軍団】


 事務所。 今日分の仕事を終えた健治が、三人の部下を連れてひょっこりと顔を出した。

「佐藤、今日の仕事が終わったから顔を出しに来たぞ。明日からは何をするんだ」

「健治、ちょうどよかった。二つの大きな柱となる役割を頼みたいんだ」 「一つは牧野のフォローと、この新しい事業の爪とぎの基礎準備だ。B級木材のカットやヤスリ、それから角を丸める面取りだな」


「それと後々は、美女十二名に対する作業指導だ。くくっ」

「美女十二名だと!おい、何を企んでいるんだ。いきなりそんな大人数を動かすのかよ」

「まずは既存メンバー含めた十二名体制にする。明日からはまず、皆がその腕でリパルテンツァの品質基準を固めてほしいんだ」


「皆の仕事がそのまま十二人の教科書になる」

 佐藤はそう言うと、ニヤリと笑って指を鳴らした。


「またこれかよ!」

「来るぞ、心の準備しとけ!」


 部下たちが騒ぐ中、事務所の巨大モニターが漆黒に染まる。

 ドォン!

 腹の底に響くような重厚な太鼓の音が一つ。

 続いて、ズズン、ズズン、ズズン、ズズン、チャッ! ズズン、ズズン、ズズン、ズズン、チャッ! 力強いリズムが刻まれ始め、バイオリンの弦が激しく震え、挑戦者たちの主題歌が爆音で溢れ出した。


 画面には、健治の顔がクローズアップされる。

『木と共に生きる男。ありふれた材を猫の安らぎへと変える、現場の総帥』


 直後、彼がB級木材をコンマ数ミリの精度で一刀両断するスローモーション。 続いて、乾燥させた材を真空タンクへ沈め、マタタビ精製液を芯まで含浸させる工程が映し出される。


『一切のバリを許さぬ、断裁の処刑人』

『精確な研磨が、至高の手触りを約束する、表面の魔術師』

『微細な曲線が、猫の命を守る、角の守護神』


 映像は、サンダーで板の角を美しく丸めていく手元を映した後、再び漆黒へ。 そこに血のように熱い紅色の文字が浮かび上がる。


『彼らが削り出す、優しさの曲線は』

『数多の愛猫を、抗えぬ熱狂の渦へと誘い』

『野性を呼び覚まし、至高の満足へと陥れる』


 画面がフェードアウトすると、部下の一人が叫んだ。

「これ二回目だけどさ、やっぱり自分の仕事がこう映ると、やってやろうって気になるな!」

「爪とぎバージョンもヤベえな!あの角を丸める俺の手元、名職人っぽくて最高だ!」


 部下たちは互いの肩を叩き合い、照れ隠しに笑いながらもモニターを食い入るように見つめている。 その横で、ヴェルダンディが佐藤にだけ聞こえる音量で呟く。


『マスター。学習能力が高いですね。彼らがやってること、相変わらず板を切って液に浸してるだけなんですけど』

「黙ってろ。二回目でもその気にさせるのが俺の仕事だ」


 健治はニヤリと笑い、佐藤に視線を戻した。

「さあ皆、映画の第二章だ。世界に恥じない爪とぎ、作ってやろうじゃないか」

「で、佐藤。木の扱いは佐藤より俺の方が上だが、この製品のこだわりはどこだ」

 佐藤は試作品の板を手に取り、その角の曲線を健治に見せた。


「この角取りだ。ヤスリの番手、力加減、そしてこのRの角度」

「寸法はヴェルが指示するが、猫が触れた時の安らぎを出すのは健治、君の感覚だ。これを美女十二名のパートに規律として落とし込めるのは、健治たちしかいない」


 健治は板を受け取り、親指の腹でその角を確かめた。

「なるほどな。ただの板じゃない、猫の安らぎを決める曲線か」 「分かったよ。俺たちがリパルテンツァの基準を作ってやる。恩に着るぜ、佐藤。期待以上の仕事で返させてもらう」


 佐藤と健治は、澄んだ空気の中で、鋼のような固い握手を交わした。 これで、リパルテンツァのものづくりを支える、強固な現場のハブが動き出した。



【第77話:収支報告】

【前回の資産:7,198,020円】

収入なし:0円】

【支出:1,157,500円】

 苗プラント生命維持システム(LoRa親機・子機・土壌センサー24基・酸素供給剤):1,090,000円

 まり海外配送料(45個分):67,500円

【現在の資産(メイン口座):6,040,520円】

【納税・社保引等金(聖域):1,472,000円】

【税金防衛額(節税成功分):2,823,975円】

【個人資産(佐藤):11,100,000円】

【牧野氏の債権残高:14,811,800円】

【第77話:完】

【偉人の言葉】 「百の言葉より、一つの行動。そして一つの行動には、一円の狂いもない裏付けが必要だ。」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ