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【第77話前編:新人わちゃわちゃ、とプロなんとかX】

【Scene 1:血縁の盾と、黄金のシフト】


 事務所「青豆腐」の静謐な空間。 智子がPCのモニターから目を離さず、保健所への本提出書類に淡々と角印を下ろしている横で、佐藤は応接テーブルに向かい合う裕子さんと香織さんにコーヒーを勧めた。


「急に呼び立ててすまない。単刀直入に言うが、今の5名に加えて、さらに6名、香織さんたちの親族のツテで人間を引っ張ってきてほしい」

 佐藤の言葉に、香織さんが少しだけ目を丸くした。

「追加で6名、ですか。作業が増えるんですか?」


「ああ。今までの毬作りに加えて、新しい爪とぎのレーザー刻印と梱包ラインが立ち上がる。だが、心配はいらない。労働負荷に不公平が出ないよう、全員がクリーンな毬づくりと工場を交互に回す『完全平等ローテーション』にする」

 佐藤は視線を上げ、空間に向かって声をかけた。


「ヴェル、モニターに新しいシフトのシミュレーションを出してくれ」

『了解したわ、マスター』

 壁面の大型モニターに、緻密に計算された11名分のシフト表が展開される。


「時給は変わらず1,900円。11名体制で回せば、1人あたりの出勤は月に8日か9日、1日4時間で済む。月収にして約6万円だ。これなら扶養枠の103万にも絶対に引っかからない。どうだ香織さん、あの集落の親族網にこの条件で声をかけて、断る人間がいるか?」


 香織さんはモニターの数字を見つめ、小さく息を呑んでから力強く頷いた。

「……いません。親族に声をかければ一瞬で埋まります。むしろ、私が選別しないと希望者が殺到して揉めるレベルです」

「人選は任せる。口が堅くて、真面目に軽作業をこなせる人間だけを揃えてくれ」


 佐藤は次に、隣で静かに話を聞いていた裕子さんに視線を移した。

「裕子さんには、引き続きこの11名のマネジメントを頼みたい。人数は倍になるが、出勤日数がこれだけ緩ければ、急な欠勤のカバーも今まで以上に回りやすいはずだ」

「ええ、お任せください。私がしっかり手綱を握りますから」


 裕子さんは頼もしく微笑み、香織さんの方へ視線を向けた。

「香織さん、今日の午後から早速、親族のグループLINEでリストアップを始めましょうか。こんなに良い条件、他には絶対ありませんからね」

「はい、裕子さん。すぐに手配します」


「あと、猫アレルギー無い方で頼む」

 佐藤が最後に付け加えると、香織さんはふふっと笑い、「もちろんです」と頷いた。

 リパルテンツァの心臓部を支える無敵のパート部隊が、この静かな事務所での数分の会話によって、確固たる陣容として完成した。



【Scene 2:感情なき打設と、九人の現場】


 外の苗プラント建設現場を支配しているのは、建設現場特有の荒々しさではなく、計算し尽くされた静謐な熱気だった。

 通常の生コン打設といえば、生コン車が吐き出す「生き物」を相手に、職人が怒号を飛ばし、一瞬の遅れを罵声で埋める戦場だ。しかし、リパルテンツァの現場にはそれがない。


 プロである牧野さん、米田さん、藤田さんの三人は、阿吽の呼吸で生コンを均していく。その傍らでは、北脇さんが床暖房用の配管を血管のように這わせ、ヘッダーを組み上げていく。その無駄のない動きは、完璧に制御された機械のようだ。

 彼らの手足となって動くのが、昨日合流したばかりの五人の新人たちだ。


 現場責任者の牧野さんは、自らもコテを振るいながら、首元のマイクに未来のタスクを静かに、だが明確に吹き込んでいく。


「ヴェル、次工程の予約だ。C区画の均しに、優斗さんと森田さんを回してくれ。一輪車は二台体制。舞さんは使用済みの道具を一度全て回収。七海さんと千尋さんは、北脇さんの資材の整理に回してくれ」


『了解。全てのタスクをキューに登録完了。新人たちのバイタル、及び位置情報に基づき、最適なディスパッチを開始します』

 ヴェルの冷徹な演算が、新人たちの挙動をミリ単位で解析していく。


 そして、重い一輪車を押していた優斗さんが、指定の場所で生コンを空け、ふぅ、と一瞬だけ腰を伸ばしたその刹那に、私の声が届く。


『優斗さん、お疲れ様です。そのまま一輪車をC区画へ回してください。入れ違いで森田さんが合流します。森田さん、合流地点まであと三メートルです。減速せずに一輪車を差し込んでください。はい、完璧です』


 優斗さんは驚いたように目を見開いた。自分が次に何をすべきか考える余地もなく、最適なルートとタイミングが耳から流れ込んでくる。

 作業の手を止める暇はない。だが、そこには「早くしろ!」という理不尽な重圧は存在しない。ただ、進べき道を誰よりも優しくナビゲートされているような、奇妙な全能感だけがあった。


『牧野さん。タスクの予約リストが空きました』

 不意に、ヴェルの鋭い声が牧野さんのインカムを叩く。

『あなたは作業員ではなく、現場監督です。ご自身の手を動かす快感に耽溺しないでください。新人たちの次の五分間が、あなたの思考停止によって空転しかかっています。もっと先読みして、私に予約を投げなさい』


 牧野さんは一瞬、苦笑いを浮かべたが、すぐに真剣な表情に戻り、マイクへ未来を綴る。

「……厳しいな。了解だ。ヴェル、次は――」


 洗浄エリアでは、舞さんが私の指示通り、汚れが固まる前のコテを迷いなく洗い流している。

 その横で、七海さんと千尋さんが、北脇さんの手元に必要な継手を整理していた。

「はい、北脇さん! 次はこれですよね!」


 七海さんが、泥にまみれた顔でニカっと弾けるような笑顔を向け、絶妙なタイミングで継手を差し出す。現場の空気が、その明るさで一瞬だけ和らぐ。

「……ええ。ありがとうございます。助かります」


 北脇さんも、思わず口元を緩めて継手を受け取った。その横で、千尋さんも静かに、だが正確に次の資材を準備している。

 JA常務の息子である優斗さんは、再び重い一輪車を押し出しながら、心の底から戦慄していた。


 誰も怒鳴っていない。誰も焦っていない。なのに、現場全体の進捗は、これまでに見てきたどのベテラン現場よりも、圧倒的に速い。

 実作業の一つ一つは新人ゆえに拙い。しかし、その「作業と作業の間のロス」が、システムによって完全に消し去られているのだ。


 その時、全員のスマートウォッチが、皮膚を叩くように強く振動した。

『稼働開始から四十五分が経過しました。休憩まで残り五分です。生コンの均し状況を調整し、キリの良いポイントで停止準備に入ってください』


 生コンという時間制限のある資材を相手に、この「五分前の猶予」は福音だ。

 牧野さんたちが、インカム越しに私やヴェルと連携し、最後の均し区画をミリ単位で調整していく。

 そして五分後。最後のアラートが、心地よいリズムで鳴り響いた。


『五十分経過。これより十分間の完全休憩に入ります。全員、直ちに作業を停止してください』


 そのアナウンスが響いた瞬間、牧野さんたちは、まるで魔法が解けたかのようにピタリとコテを置いた。

「よし、ここまで。皆、よく動いてくれた。休憩にしよう」

 牧野さんがインカムを切り、スポーツドリンクのボトルを掲げて、肩で息をする五人に声をかける。


 事務所では今頃、佐藤社長がさらなる「血縁の盾」を盤石にしているはずだ。

 感情を排した徹底的な効率化と、絶対的な規律。総勢九名が入り乱れる現場は、過酷な土木作業でありながら、どこか研ぎ澄まれたスポーツの後のような、爽やかな静寂に包まれていた。


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