第四節 寺岡の大冒険Ⅲ
これは、恐怖の精神病棟に入院してしまった成人男性、寺岡と利用者kの二人の、地獄の入院生活のお話である。
「kさん、チェスしませんか?」
「?」
只々平淡で、時間を永遠と持て余すだけの、不毛な時間――、入院生活。そんなどこまでも遠く続く湖畔に、一石が投じられた。
「どうしました、寺岡さん?」
寺岡と利用者kは、毎朝挨拶を交わすくらいには顔見知りの仲になっていた。
「チェスは、貴族の遊びなんです。奥が深いんですよ?」
「いや、まだやると言ったわけでは……」
「楽しいんですよ? kさん、頭も良くなります。貴族の遊びなんで……」
「!?(貴族……?)」
利用者kは良くない考えが浮かんでしまった。
コイツ、ただの一般市民、高給取りでもなければ今や精神病棟入院中のパンピー中のパンピーよりも身分が下の癖に、貴族……だと? お高く留まってんな。
そんな文字列が、利用者kの頭でぐるぐると回っていた。
「貴族の……」
寺岡が少し勘付いている様なそぶりを見せたので、利用者kはハッとし、焦りつつも早足で返答を返した。
「あっ、ああ。寺岡さん、ちょっと今日は頭が回りそうにないので、調子が良い時に、また」
「そうですか……」
寺岡は貴族の遊びができないと来て、肩を落とす。1,2秒、目線を下に向けたのだが、持ち前のポジティヴな性格と切り替えの良さで、直ぐに視線を利用者kの両目に向け直し、口を開いた。
「では、お話をしましょう」
「!?」
「ワタシが、ネパールで捕まった話……」
「!?」
「あれは……ワタシが、30代の頃――」
――
寺岡はネパールを旅していた。
天高く、聳え立つ雄大なヒマラヤ山脈――、それをいつでも眺められる自然豊かな国。そこを寺岡は一人、歩いていた。
何故ネパールに――?
その理由は今となっては、他の誰にも当の本人にも知る由もない。
「色鮮やかな家屋だぁ……」
自然だけではなく、人々が作って来た文化にも、寺岡は目を奪われていた。
人んちの外壁に使われているレンガ、それが好みだったってだけで、寺岡は手を伸ばし、指先でその感触を確かめていた。
現地の住人に、言葉は通じるのか――? 誤解を招いた時、それを解くコトはできるのか――?
そんな不安を、微塵に感じていない寺岡は、見るもの、触れるもの全てが愛おしかった。この世に産まれたばかりの赤ん坊の様に世界を楽しんでいた。
「! あれは――」
寺岡がふと、目を引く建物を見つけた。
「宮殿……?」
それは傍目から見たら王族が住むかの様な建築物だった。誰もが身構え、遠慮してしまう程の物々しい雰囲気の建物であったが、寺岡は……。
「綺麗だなぁ……よし、入ろう」
入った。
「へぇー、庭はこんな色を……」
敷地内に不法侵入し、今にも他人の所有物をペタペタと物色してしまいそうな寺岡のもとに――、
「के गर्दै छौ? (何をしている?)
「!?」
警備員が来て、寺岡を捕まえた。
――
「その後、3日間拘束されました。あれは恐ろしかった……」
寺岡の思い出話をそっと聴いていた利用者kは、俯き、フルフルと震えていた。そして、口を開く。
「お前が悪い!!!!」




