第五節 寺岡の大冒険Ⅳ
これは、恐怖の精神病棟に入院してしまった成人男性、寺岡と利用者kの二人の、地獄の入院生活のお話である。
カラッと良く乾いた空気が、清々しく朝を告げる――。
そんな陽気な日に、利用者kは病棟のデイルームに足を伸ばしていた。
「kさん……」
ふと気付けば、寺岡が座っていた。利用者kは何の気なしに彼に対し言葉を返す。
「! どうしましたか、寺岡さん?」
寺岡はその手に、直方体の紙箱を持って、首の角度を変えながら言葉を投げかけてきた。
「将棋、しませんか――?」
「!……」
「……?」
「良いですね!」
かくして、寺岡VS.利用者kの世紀の一局が始まりを告げた。
初心者・利用者kは考える。
(俺は、指し方さえ覚えてはいるものの、勝ち方というか、詰み方というのか? そういったセオリー、定石一切の類はまるで分らん。しかし……)
ちらりと、寺岡の方を見る。
(相手は、ネパールで不法侵入を犯し豚箱に両足突っ込んだアホ(笑)。これは……! この病院のボードゲームで勝利を上げる、好機……!! 楽勝やろ)
利用者kはかつてこの病院の他の棟(東棟とか西棟とか)で、他の患者と一局指し、ものの見事という言葉が正にお似合いなほど、コテンパンにされていたのだった。
(回想)
「何を考えているんですか、kさん?」
「え?」
利用者kは暇つぶしにと、始めた将棋において、覚えたての戦法を試している真っ最中だった。そのお粗末な指し筋を、KDさんは容赦なくバッサリと切り捨てる。
「穴熊でその位置に飛車を置くのは、何がしたいのか分からない。アナタのやっている将棋は、ただ指しているだけで、考えが無い!!」
「あっ……(そ、そんなぁ……KDさん!?)」
(回想終了)
(フフフ……今回こそは、フフフ……)
「それは、悪手ですよ……?」
「!?」
利用者k、その心の綻びを突くのは寺岡の一指し――。
「後ろに銀が居ます……」
パチン――と、駒が指された。
「角をもらいますね……」
「!!(コイツ……!?)」
寺岡の、知られざる実力が白日の下、明るみになる……!!
「おっと、桂馬がここに来てはワタシの思う壺です」
「歩で守らないのですか? では……」
「角が効いているのを、気付かなかったのですか?」
次々と利用者kの持ち駒は奪われていき――、
「王手」
「……!」
「……?」
「……」
「逃げないといけませんよ(笑)」
「! ――」
利用者kは、必死に玉を相手駒から遠ざけてみせるが――、
「詰み――、ですね?」
「参りました……」
利用者kは恥ずかしさで声が上ずる。そう――、恥ずかし過ぎて顔真っ赤になっていた。
(こんなワケ分からんおっさんに……負けた……?)
「ありがとうございました、kさん。将棋盤、ナースステーションに返してきますね」
寺岡は立ち上がり、使っていた盤を進んで片付ける大人の余裕すら見せてきた。利用者kは意気消沈した上にぐうの音も出ない程の完敗、敗者の烙印を押された気分になった。
「あっ、そうそう」
「!」
振り向き様、寺岡は思い出したようにそっと口を開いた。
「ワタシ、東大の大学院で下から3番目でしたので……」
寺岡は一言、漏らすと去っていった。
「普通にすごいけど、ちょっとすごくない!!!!」
利用者kは、独り吠えていたという。




