39 土手道の上、二人傘を分け合って
「そんで、今度はどうした?」と、光史燈弥は隣を歩く塚森仄香に問いかける。
「どうもしませんよ。」と、塚森は少し拗ねた様子で応じる。
とん、とんっと歩くたびに肩が触れ合う様な距離で、一つの傘の中で身を寄せ合う様に、二人で河沿いの土手を歩く。
「また香苗さんになんか言われたんじゃねぇの?」
「そういうんじゃありません。」
光史が着ていた雨具は、先ほど刀川に押し付けてしまった。
小雨とはいえ、それなりの勢いで降り出した雨。
しばらく打たれていれば十分に濡れる。
だと言うのに、彼女は雨具一つ持っておらず、その上走って帰るなどと風の子もかくやと言う様な事をいい出すもので、光史は彼女が何か言うより早く雨具を頭からおっ被せて塚森の傘に入れてもらいさっさとその場を立ち去ったのだった。
「どうでも良いんですけど、どうして刀川さんと一緒だったんですか?」
「いや、写真撮ってたらあいつがなんか走ってきてさ。」
彼の答えに、塚森は「ヘェ〜」と口にしつつも、声の調子は全く納得いっていない様子だった。
「なんだ、気になるのか?」と、彼は意地悪げに笑って見せる。
「……別に。」と外方を向く塚森。
くつくつ笑いながら、光史はそんな彼女の頭をポンポンと叩く。
「子供扱いしないでください……。」と不満を口にしつつも、彼女は彼の手を払いのける様子はない。
コホンとわざとらしい咳をして、塚森は光史の追求を誤魔化した。
「……進路のことで少し、母様ともめました。」とあからさまに話題を変える。
「まあ、親としちゃあ気になるんだろうなぁ。」と、光史。
些か困った様な表情を見せる。
何を言ってやるべきか、などと考えているのかもしれない。
彼女が話題を変えたことについて、特に触れるつもりはないらしい。
「燈弥も、変えたほうが良いって思いますか? 志望校……。」
「それは、お前が何したいか次第じゃないか?」
「むぅ……。」
「したいことがあるからそこを選んだんだろ?」
「そうですけど……。」
「お前が悩んで、お前が決めたことなんだろ?」
「それは勿論、そうです。」
「なら、それがお前の正解なんだと思うよ。」
「それは、その通りなのだと思います……。」
そう言いつつも、彼女は不満げに見えた。
彼から、もっと明確な指針を貰いたかったのだろう。
今、進路を変えないと言えば彼はそれを肯定するだろう。
そして、進路を変えると言っても彼はそれを肯定するだろう。
彼女の選択を認めている様であり、また彼女が何を選んでも興味がないと言っている様でもある。
それが彼女には寂しく感ぜられた。
「燈弥はどうするんですか?」
「そうね……。まあ、成り行きまかせかな。」
「またいい加減な……。」
「人事を尽くして天命を待つ。最後はなんだって成り行き任せさ。」
「人事のところを教えてくださいよ。」
「手を伸ばして届きそうな範囲を見定めていきましょう、てところかね。」
「街を出る気はないのですか?」
「機会があれば、そうだね。遠くに行きたいね。」
「遠くですか。」
「うむ。全然、見たことのない様な場所へ行って見たいね。」
「ところで、刀川さんとは何を話していたのですか?」
「うん、まあ、色々。最近夜犬がうるさいとかそんな話。」
「そうですか……。」
そうしてまた話に詰まる。
もっと踏み込んで訊くべきか?
それは追求がましく思われるだろうか?
そんなことを思ってか、彼女は「いい写真、撮れました?」と、また話題を変えた。
彼はというと、「まあ、ボチボチ」と、その転換に興味がないのか、ごく普通に返事をする。
「同じものばかり撮って、退屈になりません?」と、塚森。
言われて彼は首をひねり、「これは水守の婆様の受け売りなんだが……」と前置きを一つ。
「同じ空というのは、一つとしてないのだそうだ。」と語り出す。
「雲の具合、日の差し方……。それは毎日違うんだ。類似や近似はあっても、同一はない。同じ種類の雲があっても、それが全く同じ形をして、同じ組み合わせで同じ場所にあることなんてない。そしてそれが、刻一刻と色味を変えて、二度と同じ姿を見せることはない。空が違うなら、光も違う。物を照らす光が違うなら、物の表情が違う。一つの花の陰影は、その瞬間その場所にしか存在しない。同じ陰影は決して現れない。」
そこまで語ったところで、「あー」と何やら唸る。
話の結末が行方不明になった様だ。
「……だから、同じ物を同じに撮ることというのは、厳密には不可能なんだ。」と、ひとまず彼はそんな言葉を結論にして話を締めくくる。
「燈弥には、それが見分けられると、そういうことですか?」
「いんや。正直、同じ様にしか見えんよ。」と、彼は肩をすくめて見せた。
「でも、その違いを見分けられる様になりたいとは思う。」
「……そうですか。」
また暫し沈黙。
傘を打つ雨音ばかりが耳を打つ。
「ところで、その、燈弥……。」
おずおずと、とても言いづらそうな様子で沈黙を破る塚森。
なんの気負いもない調子で、「うん?」と応じる光史。
「その……刀川さんのこと、どう思ってます?」
「脳筋戦闘種族かと思ったら意外とまともに神経通ってるみたいだった。」
「……どうしたら脳筋戦闘種族なんていう印象が出てくるんですか。」
「いやほら、あいつ剣道部じゃん。」
「偏見がひどくありません?」
「いやぁ、だって毎日の様に叫びながらガンガン竹刀で打ち合ってるんだよ? 戦闘種族じゃん。」
「偏見ですよ。」
「そういえば二年になってからあいつ部活行ってないみたいだったけど、剣道部辞めたの?」
「なんで刀川さんが部活に行ってないこと知ってるんですか?」
「最近、仄香が一緒に帰ってんじゃん。一年の時刀川がお前と一緒に帰るとかなかっただろ? あいつ部活だったから。」
「そうですね……。そうですか……。」
塚森は彼の言葉をゆっくりと検証して、一先ず納得した様子であった。
「まあ、何かしら思うところがあるのでしょう。」
「ふむ。つまり知らぬと。」
「……ええ、理由は、存じ上げないです。」
「そっか。」
「……呆れました?」
「なんで?」
「だって、友達の事、よく知らないから……。」
「友達だろうと親友だろうと、家族だろうと恋人だろうと、知らんことは知らんし、わからんことはわからん。そういうもんだろ。」
「……そうですね。」
そんな風に話しているうちに、二人は対岸に渡る橋のたもとまでたどり着く。
橋を渡りきれば塚森の家はすぐそこで、彼とはその手前で別れ、彼は雨の中独り帰るのだろう。
彼は雨具を刀川に渡してしまった。
「ねえ、燈弥……。」
「なんぞ?」
「刀川さんのこと、好きだったりとか、します?」
「ん〜? 一般人類程度には好きだと思うよ。」
「刀川さんを、特別に好きになったりとか、します?」
「どうだろうなぁ……。まあ、多分、ないんじゃないかな。」
「そうですか……。」
そう言って、彼女は俯き、安心した様に微笑むのだった。