八十話:龍殺しのルシアと呼ばれて出世する?そんな面倒は勘弁してくれ
懺悔室というものは、どこの教会でも狭いらしい。
宿場町の教会に設けられたそれも、椅子へ腰を下ろせば膝の先に木の壁がある。正面は細かな格子の入った仕切りで塞がれ、向こう側に座る相手の顔は見えない。
少し待っていると人の気配を感じる。そして衣擦れの音が止まった。これでベアトリスと木の仕切りを挟んで二人きりだ。
「こうして話すのも久しぶりだな。俺が俺としていられる唯一の場所――それがこの懺悔室だ」
公の場では、俺はラザル派の聖人候補のルシアだ。
少女の身体で生きることになった異世界からやってきた男。俺について知っているのは、この世界では仕切りの向こうにいるベアトリスだけだ。
「……そうですね。私にとってもあなたとの出会いの中で、特に印象深い場所であると言えます。そして……あなたも私へ話したいことがあるのですね。懺悔室を選ぶほどの」
「あるさ。さっきの会議で、大人の男として意見を聞かれた覚えはないからな」
「やはり、自分の真実を話すのは怖いことなのですか?」
「当たり前だ。話せるわけないだろ」
スラムの教会で真実を話したのは、あの時の俺の心が疲弊していたからだ。
でも今は違う。元の俺に戻るのは不可能かもしれないが、少しはまともな方向に戻ってきたという自覚がある。
「狂人の戯言を真実として受け入れてくれたあんたには感謝してはいる。だが、だからこそ俺の心を知るのはあんただけに留めておきたい」
「いいでしょう。確かあなたと私は精神面だけなら同年代ということでしたね? この場においては友人のように話をしようではありませんか」
友人……ね。まあ、そういう関係も有りと言えば有りかもな。
なら、遠慮する必要はない。
「では友人であるベアトリスに尋ねようか。まさかこの俺が聖人候補になるだけではなく、聖人そのものに手が届く存在になるとは思いもしなかった。龍殺しのルシアやら、聖女だなんだって呼ばれていたからな。こうなることも、あんたの思惑通りか?」
「期待はしていました。……ですが、まさかここまで早くその可能性が生まれるとは想定外ではあります」
「戦争の影響だな。そうでなければアウレリオでほぼ決まりだったはずだ」
「はい。マテオ派の思惑を崩し、ラザル派の候補生が聖人選定へ進める可能性が高まったことだけを見れば、最良に近い結果です。戦火が広がっている事実を除けば、ですが」
ラザル派にとっては利益で、国家そのものにとっては死活問題。
帳簿に書かれた黒字と、流れる血の量は同じ紙の上に並ばない。ベアトリスが喜んでいるように思えないのは、自分の目で戦場を見てきたからだろう。
「ふん。こっちは面倒を押しつけられて、実に不愉快だけどな。だが、あんたはマテオ派のバルタザール院長と手紙で連絡を取り合っていたんだろ? となると、マテオ派の中にも俺を推す連中がいるってことになる。そっちはどうなんだ?」
「表向きには反対を示すでしょう。ですが、あなたの聖法術に強い関心があるという点では、マテオ派全体でおおむね一致していると聞いています」
「俺を聖人にしなくとも使い道があるってことだな。手元へ置きたい奴もいるだろうさ」
「戦時においては手札は多ければ多いほどいい。マテオ派はその点については判断を誤ることはないでしょう」
「つまり、俺は連中にとって出る杭ではなくなった?」
「教会組織である以上に我々が根差すのは土地です。つまり、国家を第一に考えた行動を強制される存在と言えます」
この世界の宗教観では国家がどこまで行っても上だからな。損得勘定が得意なマテオ派ともなればなおさらだろうさ。
しかし、宗教や信仰と言えば俺に付いた二つ名だ。今後はさらに無視できない要素になるんじゃないのか?
「派閥間闘争にも関係すると思うが、龍殺しの聖人――クラウディウス。あんたは知っているか?」
「ええ。まさか、あなたに龍殺しの二つ名が付くとは、一番に予想外だったのはこちらですね」
「足跡を辿る者は、いつか足跡の主へ近づく。院長からはそう言われたよ。聖人になることを望んでいなくても、俺はもうその道を歩き始めていたらしい。で、この隠された聖人についてどこまで知っているんだ?」
仕切りの向こうで、ベアトリスが座り直す音がした――すぐには答えが返ってこない。
どうやらラザル派の聖導師にも特別な聖人であるようだ。バルタザール院長は、ベアトリスが最高秘匿へ触れる道を選ばなかったと言っていた。だが、実際にはどこまで知っている?
「私の知る限りでは……ラザル派中枢において特別な聖人として扱われています。いえ、ラザル派だけではありません。セラフィナ教会の中枢にとっても、と言い換えるべきでしょう」
「そんな特別な存在なのに、俺にその二つ名を付けることを許している……何かあると考えるほうが自然だよな」
竜哭峠の麓の町だったらその場でのローカルなものだ。これは自然発生しただけと見ていいだろう。
でも、この町では違う。本気で統制をかければ龍殺しの名を封じることもできるはず。しかし、それをしていない。
「はい。加えて、子龍を生かしたまま持ち帰ったことも、何かしらの影響を生むでしょう」
「俺は反対したんだけどな。だが、結局はすぐに殺さず、後方へ送る方を選んだ……」
「現時点では処分を保留し、上へ判断を仰いでいる段階です。私も詳しくは知りません。ただ、アークドラゴンの子をどう扱うかとなれば、簡単には決められない」
「ラザル派の中枢……いや、セラフィナ教会の中枢か?」
「おそらくは……判断が下るまで、子龍は教会と軍の双方で監視されます。唯一子龍が心を許しているであろうリネットもまた、重要な扱いを受けることでしょう」
「子龍一頭で、ずいぶん大事になったな……」
やはりあの場で殺しておいたほうが良かったんじゃないのか?
……いや、リネットが猛烈な反対をして、それも無理か。自分が治癒で治そうとした存在に入れ込む性格だからな。
「懸念はあります。ですが、アークドラゴンの討伐といい、あなたにとって名誉であることに変わりはありません」
「名誉だって? 俺がいつそんなものを望んだよ。名誉なんていらないね。龍殺しのルシアと呼ばれて出世する? そんな面倒は勘弁してくれ」
忌々しく啖呵を切ってやれば、仕切りの向こうからかすかな笑い声が漏れた。
「あん? 何がおかしいんだ?」
「いえ。やはり、あなたは変わらないと思っただけです。スラムで話した時のまま」
「人間が、たかが一年とちょっと程度で変わるかよ。しかも俺は大人の男だぜ? 心が擦れることはあるが、土台はすでに固まっているさ」
「ええ、知っています。ですから、大人の男としてのあなたに期待することが今後は増えるわけです」
「ずいぶんと都合がよろしいことで。教導院に送り出す時に大人の男として俺を扱っていたか?」
「子供として扱われたいのですか?」
「冗談じゃない」
即答してやるが、今度は笑われなかった。
つまり、これからは本当の意味で俺という人間に期待するということだろう。
これを喜んでいいのか悪いのか、それは分からない。だが……どのみち訊かなければならないことがある。
「龍殺しの名と、それをもたらした武力となれば……やはり戦争か?」
今度の沈黙は、今までで一番長かった。
「……私が任地を一時離れてでも戻ってきたのは、あなたの力を借りる必要があると思ったからです」
「フェンリスカはそれほどの相手なのか?」
「フェンリスカ王国はどこかおかしい……押し返せば退くのに、決して機動を緩めることなく、場合によっては威力偵察も辞さない構えのようです。紛争が発生した領土ではなく、国境のほとんどにおいて機を伺い、こちらがどう動くかを測っているように見える。今はまだ膠着状態が続いていますが、いつその均衡が崩れてもおかしくありません」
睨み合いからの弱点探し。戦域が横へ横へと広がっていく。
それだけ聞けばやる気は満々だな。
「ってことは、全力の戦争か。通常戦力だけじゃなく、聖法術を使える人間まで前へ出しての殺し合い」
「……残念ながら、それを前提にしなければならないということです」
俺が最初にこの懺悔室を使った頃、恐れていたのはこの世界を何も知らないことだった。
でも今は、知っているからこそ恐怖を感じる。戦争において抑止力として使われていた聖人が、純粋な戦力として駆り出される未来だ。
鬼札は強力だから持て余す。しかし、その鬼札が乱発される世界はどうなってしまうのか?
「龍殺しのルシアという称号に意味を求める。その先にあるのは抑止力なのか、それとも……」
ベアトリスは答えない。
だが、答えないことが答えとも言えた。
最初に懺悔室を使った時は言いたいことが言えてスッキリしたもんだ。
でも今はどうだ? 未来における不安を増やしただけで、何も解決されていない。
そして教会の中にいるからこそ、改めて俺は自分に問う――俺がこの世界にやってきた意味は何なんだ? これから本格化する戦争に参加するためなのか?
もし神様がいるなら教えてほしいもんだ。俺という存在。ルシアという人間の意味について。
まあ、そんなことを教えてくれる奴が存在するなんて、まるで思っちゃいないがな。
――俺にできるのは、ルシアという人生を駆け抜けることだけだ。




