第89話 やっと辿り着いた今日
「では頼朋さん、あとはまあ任せてください。数日中に処理は完了させます」
「お願いします先生。本日はご足労ありがとうございました」
俺の目の前で、大人2人が言葉を交わし合っている。
これが大人の社会ってやつなんだな……
さっきまでの牝豚の醜態なんて無かったことみたいに、にこやかに。穏やかに。
頭を下げ合って、別れて行った。
「さて」
去っていく弁護士先生の背中を見送った後。
父さんは黒い高級そうな革鞄からクリアファイルを取り出して。
そこからA4の紙を数枚取り出して来た。
えっと
……俺がそれに目をやると
内容理解の前に教えられた。
「キミの学校の近所で、良さげな物件を数件探しておいた。そこから選ぶのをおすすめする」
A4の紙には物件の外観写真、名前、住所、間取り、家賃が印刷されている。
えっと
「どこに住むかは俺が自分で……」
俺の中では、親権が父さんに移動した後に物件を探して、そこに速やかに入居する。
そういう予定になっていた。
内心、新しいことをはじめることを楽しみにしていたのに……
だけど
「どのみち不動産業者さんの言いなりになるしかないだろ? キミは経験が無いんだから」
……ド正論。
その通りだ。
基礎知識が無い以上、俺は不動産屋さんの言いなりにならざるを得ない面がある。
だったら、父さんが選んでくれた物件から選ぶのと内容的に大差ない。
……聞いた話だけど、不良物件を押し付けて来る悪徳不動産業者ってのもいるそうだし。
俺がそれに引っ掛かった場合、俺はその真贋を見抜く力は無いから無防備……
だったら、少なくとも俺を嵌める気が無い父さんの紹介する物件を選んだ方が安全だよな……
だから
俺はその数枚の紙を真剣に見た。
その内容からどれがいいかを真剣に検討する。
そんな俺に父さんは
「物件情報って、公表されているものが全てでは無いんだ。周辺住民に誰がいるかとか、犯罪発生率がどうとかは不動産屋はまず教えてはくれない」
そんなことを言って来た。
……俺のためにそこまで調べてくれたのか。
だったら、なおさらここから選ばないとな。
で、そして。
父さんの顔を潰すわけにはいかないから、模範的な住人にならなきゃな。
そして俺はマンションを選んだ。
ワンルームマンションだ。
学校から少し遠いが許容範囲。
父さんは満足そうに頷き
「ここにするんだな。ワンルームは掃除が楽で良いぞ」
そんなことを。
経験者の言葉だ……
そして続けて、今後の話をされた。
俺の住まいだけど、これまでの牝豚の家はもう住むのは辛いだろうから即日出た方が良いと言われた。
さらに続けて。
俺の選んだ物件は即日入居は出来ないから、入居可能になるまで、父さんが予約しておいたビジネスホテルに仮住まいしてくれと言われた。
そのためのお金を封筒で渡される。
……10万円入っていた。
こんなに要らなくね?
最悪、ネットカフェに泊ってもいいって思ってたくらいなのに。
まぁ。
まず家に帰って、持ち出さないといけないものを鞄に入れないと。
教科書だとか、ノートだとか。
……それ、牝豚のヤツが先回りして全破壊も考えられるな。
なにしろ子供の財布から金を抜くようなヤツだし。
その場合は教科書を買い直す必要があるわけか……
ハァ、ウザ……
重い気持ちで帰宅すると、誰もいなかった。
牝豚のヤツ、ウサ晴らしで呑みにでも行ってるのかね?
不幸中の幸い。助かった。
俺は自室に飛び込んで、さっさか持ち出さないといけないものを鞄に詰める。
教科書……ノート……
そして着替え。
全てが終わるころには結構な大荷物になっていた。
まぁ、クラス戦士持ちの俺には重くは無いけどさぁ。
荷物抱えるのは嬉しくは無いのさ。
そして俺は、駅前にあるビジネスホテルに向かった。
受付でお姉さんに大荷物をじろじろ見られたが「親権変更に関するゴタゴタです」と正直に言ったらそれ以上追求はされなかった。
ただ、気の毒そうに見られた。
案内された部屋は8帖くらいの広さで。
書き物が出来るだけの机と、ベッドと。
テレビと冷蔵庫。
……多分、一般的なビジネスホテルの部屋だね。
「あー」
俺は荷物を放り出し、ベッドに横になる。
やっと解放された。
自分の家が手に入るのはもう少し先だけど、長かった。
迷宮探索者という職業の実態を知って、ずっと目指してきた今日。
それにやっと辿り着いたんだ。
嬉しい……
ホッと息を突く。
すると
ブーン、ブーンと
書き机の上に放り出していた俺のスマホが振動した。
……霧生かな?
霧生には今日、親権変更の話し合いがあるって言っていたから。
首尾の確認だろうか……?
何気なくスマホを手に取り、その名を確認……
したとき。
俺の気持ちが落ち込んだ。
吐き気が込み上げて来る。
スマホに表示されていた文字は「パラサ伊藤」
母親と書くのが忌まわしく、色々考えてつけた発信者名。
……ようは牝豚だ。