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三話

 カトリーヌ・ヴァロアが教会の訓戒室より解放されたのは二週間後のことであった。

 真っ暗な部屋で一日一度の食事が運ばれるがその内容は木の実に具のない汁物だけであり、不浄は部屋の隅に開いた小さな穴に向かって行った。


 その生活は伯爵令嬢として生きてきたカトリーヌには耐え難いことであった。初めの三日目までは怒りに悶えた。五日目からは飢えと渇きをはっきり意識し、七日目からは暗さと寂しさから発狂した。

 しかし十二日目からは落ち着き、覚えている聖句を唱え真っ暗闇の空間でなんとか自我を保とうと試みた。


 その様子を伝え聞いた司祭は喜んだ。わずか十二日で自我を保つよう自らを制御するのは見込みがあるように思えたからだ。

 

 そこからさらに二日ほど様子を見て、解放することに決めた。訓戒室から出てきたカトリーヌは頬が痩け、目玉が飛び出さんばかりに前に出て異様な輝きを持ち、体は二週間入浴をしてないので非常に臭かった。


 「まずは湯浴みをさせなさい。終わったら私の部屋に来させるように、お願いしますね」


 修道女に告げて、司祭はそそくさとカトリーヌから離れた。


 一時間ほどして、教皇庁から送られてきた聖女候補の証である聖衣を身に纏ったカトリーヌが司祭の部屋を訪ねてきた。


 「まずは食事にしましょう」


 司祭が言うと異様な輝きを放つ瞳をさらに光らせカトリーヌは首を縦に振った。肉食獣が獲物を前にしたような眼光の鋭さであった。


 テーブルに並んだ食事を見てカトリーヌは明らかに不満そうであった。

 なぜなら司祭はパンとジャガイモや人参等がたっぷりと入ったシチューでカトリーヌは訓戒室に居たときと変わらない木の実と汁物だけであったからだ。


 「あの、わたくしもパンとシチューをいただきたいのですが……」


 カトリーヌが控え目にそう言っても司祭は首を横に振り、「これも修行です。嫌ならば……」とそこまで聞くとカトリーヌは大慌てで木の実を食べ汁物を啜った。


 「これからの予定ですが、カトリーヌ様」


 「はい……」


 力なくカトリーヌは応じる。せっかくまともな食事を取れると思っていたのに訓戒室と変わらぬ食事を出されたことの落胆がまだ尾を引いていた。


 「明日には私とともに霊山ユングフラウへと旅立ちます。そこで二千日の山籠りをするのです。私も三ヶ月に一度は様子見に行きますので心配しなくていいですよ」


 「あ、明日でございますか、あの……わたくし、訓戒室で体を痛めてしまいまして……」


 言葉を重ねる度に司祭の目は冷たくなりカトリーヌは首を亀のように窄める。

 これがあのカトリーヌかと諸人が見ると仰天するであろう。この二週間の監禁はカトリーヌの人格的な角をすっかり取り除いてしまったようだ。


 「わ、わかりました」


 司祭がなにも言わずにじっと視線を送るだけでカトリーヌは了承し項垂れ、味の薄いスープを一口啜った。


 翌日、本当に司祭が旅立つ気だと知りカトリーヌは心底絶望した。

 教会を出て北を目指す途中、カトリーヌはこのままいっそのこと逃げ出してしまおうかと考えた。

 司祭は年老いているし訓戒室で鈍りきった体でも十分逃げ出せると思った……しかし司祭とカトリーヌの後ろに二人の屈強な兵士がぴったりと着いてきているのにカトリーヌは気が付いた。


 カトリーヌが逃げるとあの兵士が猟犬のように飛びかかってくるのは目に見えている。

 カトリーヌはそこでなぜ、わたくしに分かるように尾行しているのかしらと疑問に思った。兵士たちはわたくしを捕まえたいはずであり、そのためには姿を見せないことのほうが都合が良いはずだ。

 司祭の顔をそっと覗き見る。司祭も兵士には気付いているはずなのになにも言わない。そこになにか作為的なものをカトリーヌは感じた。


 霊山ユングフラウへは険しい道のりであった。荒野のような土地を進み、まだ夏だというのに寒風が吹き、空は常に濁ったように曇っている。

 鴉がその濁った空に漂い、まるで屍肉を求めているかのように鳴いている。

 

 数日歩き通して、目的の場所へと辿り着いた。

 霊山ユングフラウは高い山であった。少しも霊験あらたかな感じはしない、むしろ魔王の居城のように禍々しくカトリーヌには感じられた。

 その麓には森が広がりまるで魔王の城を守る城壁のような印象をカトリーヌに与えた。


 「ようやっと着きましたな。やはり老骨に長旅は堪えますな」


 司祭はやれやれと首をひねると懐から白いなにかの骨で作られたような笛を取り出すと高らかに吹いた。

 冷たい空気を裂くような鋭い音がする。なにをしているのだろうとカトリーヌが思っていると遠くの方から声が聞こえてきた。


 「おぉ〜い! おぉ〜い!」


 声がどんどん近づいてくるに従い、地面が揺れる。山の麓に広がる森の背の高い木々から顔が飛び出した。

 その容貌は髪がぼうぼうに伸び、髭が顔全体を覆っている。鼻の穴がまるで洞窟のように大きく、目は血のように赤い。


 「ひぃっ」


 思わずカトリーヌは悲鳴をあげる。それも無理のないことであった。森から飛び出した顔の位置はカトリーヌが見上げるほど高く、その顔の大きさはカトリーヌが両手を広げたよりも大きかった。とんでもない巨人であった。このような生き物はカトリーヌは見たことも聞いたこともなかった。

 司祭は特に驚いた様子もなく、「やぁ久しぶり」などと手を振っている。


 「また預かり人かぁ?」


 巨人がそう言うと司祭は頷く。二人が親しげなやりとりをしていることにカトリーヌは驚く、そしてどうやら自分をこの巨人に預けようとしていると気付くと恐怖でがちがちと震えて歯が鳴った


 「そうだ! これより二千日預かってもらいたい」


 「はぁ、それは構わないんけども……」


 そう言って巨人はカトリーヌに目を向ける。カトリーヌははっきりと巨人に怯えてる姿を見せているが巨人はそのようなことは気にしてないようだ。まるでいつものことと言わんばかりの態度であった。


 「こげな、若いおなごさ二千日もこんな山奥にしまうなんて可哀想ではなかか?」


 その言葉にカトリーヌはうっと喉が鳴る。久しくそんな労りの言葉を聞いてなかったのだ。

 そして自らがこの化け物のような巨人にすら哀れに思われる境遇であると改めて思い知らされた。


 「いや、良いんだ。本人が希望していることなんだ。よろしく頼むよ」


 司祭がそう言うと巨人は「はぁ」とも「うん」ともつかない返事をすると全身を森から出しこちらに近づいてきた。

 巨人は上半身は裸で下半身には腰巻きだけを身に着けている。なにかの動物の毛皮を合わせてつくったように見える。この巨人に衣服を繕う知性があることにさらにカトリーヌは驚いた。


 「ちっさいものたちの考えることはわからん」


 そうぼやきながら巨人は屈んで手のひらをカトリーヌに突きだし「ほれ、乗れ」と言った。


 たまらずカトリーヌは躊躇して司祭の顔を見るが司祭は頷くだけである。

 身振りにこそ表してないがさっさと行けとも感じられる態度だ。


 まさか自分はこの巨人の生贄にされるのではないか。聖女修行などと騙されたのではないかとカトリーヌの脳裏に疑念が過る。それを察したかのように巨人は口を開く。


 「はぁ。オラはちっさいのたちは食わね。これから住む場所に案内するから手のひら乗ってくんろ。なんで毎回オラがこの説明しねぇといかんの? 来る前に言って聞かせてくんろ」


 やれやれと呆れるように巨人はため息をつき、前半はカトリーヌに、後半は司祭に向かって言う。

 

 「彼がこれからの生活の面倒をみてくれます。私もたまに様子を見に来ます。聖女になるために頑張ってください」


 投げやりな司祭の言葉に背中を押されるようにしてカトリーヌは巨人の手のひらに乗った。巨人の手のひらの中はとても臭かった。


 「よいっしょっと」


 巨人が立ち上がると当然カトリーヌの視線も高くなる。恐ろしいくらい高くなる。カトリーヌは一生懸命巨人の指に捕まる。

 

 そんなカトリーヌを巨人は見て「なんでこんななんもない山で二千日も……わかんねな」と言いながら歩を進め、森の中に分け入っていく。


 

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