363.お腹を満たす、その先へ
しばしの沈黙のあと――
「……なるほど」
ぽつりと、シルヴィア様が呟いた。
そして、ふふ……っと小さく笑ったあと、まっすぐに私を見つめる。
「領民に――
『お腹いっぱいにご飯を食べてほしい。それも、ただお腹を満たすだけでなく、美味しいものを食べてほしい』」
先ほど私が口にした言葉を、ゆっくりとなぞるように繰り返す。
「その“希望”は、すでに叶えられはじめているのですね」
その一言で、場の空気が変わった。
先ほどまでの“難しい”という重さが、静かに揺らいでいく。
私は、その変化を感じ取りながら口を開いた。
「すぐに全部を変えるのは、難しいです」
正直に、そう告げる。
「でも――少しずつなら、変えていけます」
視線を巡らせる。
共にクリスディアの発展に尽力してくれたミランダお姉様とリズ。
そして、オリバーたちが、静かに、けれど力強く頷いてくれた。
いろんなことがあった。
大変なことも、辛いこともあった。
でも、その度に――
皆でどうすればいいかを考え、知恵を出し合い、何度も話し合って。
ひとつずつ、乗り越えてきた。
「だから――」
自然と、言葉が続く。
「今できていることを、少しずつ広げていきたいのです」
今はまだ、領民全員をお腹いっぱいにすることはできていない。
でも、それを“特別”ではないものにしたい。
お腹いっぱいに食べることが、みんなの“当たり前”になるように。
そして――
「一つでも多く、“美味しい”って思える日を増やしたい。
毎日じゃなくてもいいから――誕生日や特別な日には、好きなものを食べられるようにしたいのです」
言い終えたあと――
ほんの一瞬、静けさが戻る。
けれどそれは、先ほどまでの重たい沈黙とは違っていた。
「……素敵ですわね」
シルヴィア様が、やわらかな声でそう言った。
その瞳には、もう迷いはなかった。
「お腹を満たすだけでなく、“美味しい”と感じることを大切にする――」
ゆっくりと言葉を噛みしめるように続ける。
「それは、贅沢ではなく……人としての豊かさ、なのかもしれませんわね」
小さく微笑む。
「私も――そうありたいと思います」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
すると――
「……本当に、ティアナ様はすごいですわね」
ヴィオレッタ様が、くすりと笑った。
「まさか食事ひとつで、ここまで考えていらしたなんて……」
その言葉にフレイヤ様も優しく頷く。
「美味しいものがあると、それだけで元気になれますものね!」
「……確かに」
小さく呟いたのは、ヴェルドさんだった。
「腹が満たされるだけじゃなくて……満足するってのは、また別だよな」
テリルさんが勢いよく頷く。
「さっきのフレンチトーストとか、昨日のおにぎりがまさにそうじゃないっすか!
ただ食べるだけじゃなくて――めちゃくちゃ幸せになったっす!」
場に、ふっと笑いが広がる。
その空気を見て、私は小さく息をついた。
――私の思いは、伝わったようだ。
「ティアナ様」
ヴィオレッタ様が、私の名を呼んだ。
その声音は、先ほどまでよりもほんの少しだけ強い。
「差し支えなければ――
リュミエール商会の店員に、どのような教育をなさっているのか、ご教授いただけませんか?」
「――え?」
思わぬ問いかけに、思考が一瞬止まる。
ご教授、って……。
そんな大層なものではない。
あれは――
「……いえ、その」
思わず言葉を濁す。
「私が特別なことをした、というわけではなくて……」
ネロくんの姿が、脳裏に浮かぶ。
誰よりも真剣に話を聞き、何度も失敗しながら、それでも諦めずに学び続けた、あの姿。
そして――
そんな彼に、貴族への対応を教えてくれたリズとミランダお姉様。
接客に関することを指導してくれたエレーネさんとシエルさん。
さらに――
ひとりでは辛かったであろうその学びを、ステラやルトくんと共に積み重ねてきた。
だから――
ネロくんがこうして評価されるようになったのは、
彼自身の努力と、周りのみんなの支えが形になったものなのだ。




