王道悪役令嬢は、蹴りを入れる
「でも、やっぱ“いい子”よね」
「誰が“いい子”?」
私の独り言に返ってきた声は、聞き覚えのあるものだった。
「セ、セイロン・・・様」
ーー出たよ。出ちゃったよ、狼候補その4。
「マドレーヌ。お前、1年の発表会出ないのな」
“発表会”って、いや、その通りなんですけど、何だかお遊戯会みたいだから、あえて“舞台発表”と私、形容しておりましたのに。
「ええ、私、色々と忙しくて。できれば皆様とご一緒したかったんですけど」
「ふーん」
「セイロン様はご出演されるんですのね。その格好、よくお似合いですわ」
「そっかー? なんか、すげぇスースーすんだけど」
彼が着ているのは、どう見ても浴衣だ。この世界にこんなものがあったとは。
「親父が、東の国?で仕入れてきたやつでさ。役にぴったりだから、宣伝もかねて着てけって五月蠅くてさ」
「役にぴったり・・・。宣伝兼ねて・・・。」
さすが豪商の父親。商魂たくましい。
てか、シフォンがあんな妖精みたいな衣装で、セイロンが浴衣ってどんな舞台発表だよ。
考えてみたら、内容、全然知らないよ、私。
しかし、これもまた眼福だなぁ。
三十路フィルターが発動する。
鍛えぬかれた体躯を持つ、セイロンの浴衣姿。しっかりとした体幹、捲り上げられた袖からはしなやかな筋肉のついた腕、鎖骨なんぞ、妙に眩しいではないか。
思わず緩みそうになる頬を引き締める。私は、侯爵令嬢。うん、侯爵令嬢。
でもって只今、絶賛、狼に追われる羊さん役。あら、いやだ。図らずも私にも配役があったのね。嬉しくないけど。
「さっき、キャンディーヌさんが走って行かれましたが、発表のお時間、もうじきなのでは?」
「ん? ああ、まぁそうだな」
そのわりには、妙にゆっくりしてるな。いや、これは“ゆっくり”と言うより“もじもじ”?
サッと嫌な予感が走る。
「あの、さ、マドレーヌ、俺さ」
「な、な、なんでしょうでございましょう?」
思わずおかしな語り口調になったことは、許していただきたい。
「俺さ、本当はもっとお前と喋りたかったんだ。でも、俺も慣れない学園生活だったし、お前はお前で“女神”の後継者候補だし、接点っつーか、機会ってのもあんまりなくてさ」
「そ、そうですわね。お互い忙しい身の上ですし」
背中にたらりと汗がにじむ。だが、私は笑顔を何とか崩さずに頷いた。
「俺さ、貴族なんて大嫌いだったんだ。いつもツンとすまして、偉そうで。実際、平民出の俺を馬鹿にするヤツばっかだ。
でもお前は、俺が名前を呼び捨てにしても、何にも言わないどころか、対等に話をしてくれる。“豊穣の女神”後継者候補だっていうのに、偉ぶったところもねぇし、真剣に取り組んでる。それ見て、俺・・・」
どこをどう見たら、“真剣に取り組んでいる”ことになるのだろう。
最近なんて、授業が終わったらソッコー家に帰ってるのに。
こんな風に言っていただけるのは有り難い。単純に有り難い。だが・・・今すぐここから、去りたい!走り去りたい!
「マドレーヌ、ごめん!!」
「え!?」
手首を引っ張られ、力任せに連れ込まれたのは、屋台の裏。
校舎の構造上、丁度壁になるような形の場所で、周りからは死角となる。
「お講堂で1学年の舞台発表が始まるぞ!見に行かないか?」
「行く行く!私も行く-!」
「お父ちゃん、私もみたいよー」
「よしよし、一緒に行こうな」
などと、これまた都合よろしく、ご来場の皆様が去って行く。客が少なくなるのだ、店員たる学生たちも、じゃあ俺も私もとつられて去って行く。
何度目かの乙女としての危機である。
ぐっと両手を挙げさせられ、壁に縫い止められる。前にはセイロンの顔。その目はガトー先生の時と一緒だ。
「え、あの、えっと、セイロン様、お、落ち着いて」
「無理だ」
む、無理ってそんなきっぱり言わなくても。
ひきつる私をよそに、セイロンは私の体をじっくりと、それこそ舐めあげるかのように、つま先から頭の先まで視た。ただ、視た。
背筋が凍る。
セイロンは顔を私の耳元に寄せて、熱い吐息を漏らしながら、こう言った。
「知らなかった。お前って、胸、でかかったんだな」
セクハラだー!!
今のはどう聞いてもアウトだろー!!
「ちょ!手を離して下さいまし!!」
力一杯抵抗するが、セイロンはびくともしない。
ここで一発、ドカンと魔法でも出せればいいのだが、いかんせん、魔法をつかうには両手がいる。両手を出して、神経を集中させ、呪文を唱える必要があるのだ。
国立魔術師団の魔術師ぐらいになれば、そんな必要はないのかもしれないが、残念ながら私にはまだそんな技術はない。
セイロンもそれが分かっているのだろう。だからあえて両手を封じているのだ。
「ここは学園ですわよ!こんなところでこんなこと、バレたらどうなるか!」
「・・・バレなきゃ良いんだろう?マドレーヌが誰にも喋らなきゃ良い」
こうなってくると、どちらが悪役なのか分からない。
「前からさ、思ってたんだ。お前の唇、すっげぇうまそうって」
「なんっーー!?」
瞬間、ねじ込むようにして、セイロンのそれが私の唇を奪う。
「んんっ!」
できるだけ顔を反らし、何とか逃れようとするが、当然そんなことでは防御しきれるはずもなく、彼はかまわず唇に吸い付いてくる。
それどころか、私の脚の間に、彼が脚を入れてくる。
さすがにプツンときた。
「っざけんなっての!」
「てぇ!!」
がりっと、セイロンの唇を思い切り噛んでやると、反射的に彼がよろける。その隙をつき、そのまま膝を力一杯蹴り上げた。
「ーーー!?」
たちまち真っ青になり、悶絶。うう、だの、ああ、だの、言葉にならない言葉をもらしながら『くの字』に体を折り、震えるセイロン。
「あんたねぇ!仮にも剣士になろうとしてんでしょうが!
それが抵抗する乙女を無理矢理どうのしようなんて、剣士以前に男として反省しなさい!!」
「マ、マドレー・・・」
若干の涙目で、こちらを見上げ、何か言いたそうにするが無視。
ふん、と、鼻息荒く、私は急いでその場から立ち去った。
何とか自分の身は自分で守った。
私はぐいっと口をぬぐう。別にセイロンは嫌いじゃない。だが、無理矢理というのが許せない。
今度は未遂ではなかった。この分だと、次はどうなるか分からない。
なぜなら、あとひとり残っているではないか。
「いや、素晴らしいね、マドレーヌ。まさか自分で撃退するなんて思ってもいなかった」
パチパチと拍手をしながら聞こえる、イケボイス。
そこには日の光をまとったプラチナブロンドの髪、おそろしく整った目鼻立ち。
女性の99%は虜となるであろう、魅惑の笑みを持つ、第一王子、ウエハース=アールグレイ、その人がいた。
さながら、ラスボスの登場である。