そのじゅうに お兄ちゃんの与り知らぬ戦い
一台の車が病院へと向かっていた。
若い母親と、身体の不自由な、その娘を乗せて。
「まったく、モテる女は辛いわね? 伊吹」
「ちゃかさないでくれよ、おふくろ」
「……………………彩芽の態度、気がついた?」
「…………ああ……」
「…………もし、奈芝美ちゃんが転生に成功したら、
彩芽は身を引くつもりよ…………あんた、わかってる?」
「…………」
「確かに、奈芝美ちゃんの想い入れも相当なものだとは思うけどね」
「…………」
「でも、彩芽だって全然負けていないわ。
あんたが事故って私に電話してきた時……
最初、私は本当に彩芽からの電話なのか、耳を疑ったくらいよ」
「……!」
「取り乱し方が半端じゃなかった。
泣き叫びながら……
あの子、こんな声も出せるんだって、驚いたわ」
「…………」
「男冥利に尽きるわね……あ、今は女冥利になるのかな?
…………ま、結局決めるのはあんたよ。
どっちを選んでも私は何も言う気はないわ。
もちろん、選ばないっていう選択肢もあるけどね」
「…………オレは……」
「私も、こんなナリになっちゃって相手に愛想つかされたから
あんま偉そうなことは何も言えないんだけどねー。
伊吹の”本当のお母さん”には、私も酷いことしちゃったから……」
「おふくろ……」
「心配しなくても、彼女もまた新しい家庭を持って
今は幸せに暮らしてるって、聞いているから……」
「そっか……」
「またいつか、あんたにも会わせてあげる。
たぶん、親子共々が女になって、
面食らわしちゃうことになるとは思うけどね!」
「……………………
おふくろ……やっぱり、車を停めてもらって、いいか?」
「…………うん……わかった」
「悪いけど、病院へは一人で行って欲しい」
「はいはい! 先生には私がちゃんとしっかり問い詰めておくから。
んふ! あんたも、頑張んなさいよ!
車椅子のバッテリーはフルにしてあるから!」
「ああ、……サンキュ! おふくろ」
◆◇
「はあっ、はあっ……」
なんとなく、彼女が走り去った方角に
足を向けてはみたが、やはりそんな程度じゃ見つけられなかった。
ただ闇雲に走りまわっても、
いくら狭い町だといってもそう簡単に探し当てれるものじゃないようだ。
……なにか、もっと的を絞って考えないと。
彼女の立場に立って、彼女なら、どう動くかを…………
「…………」
ぴーん!
「…………あ、なんか、もうわかっちゃったかも?」
◇
「…………なんで、そんなすぐにここがわかったのよ?
あやめちゃん!」
「だって……奈芝美ちゃん、こういうの好きそうだし」
「好きじゃないよっ! ……あっ!
今、私のこと何気に馬鹿にしたでしょ!?
なんとかと煙は高い所が好きとか思ったんでしょー!?」
「ノーコメント」
「む、むかつくー! そういうところが昔からカンに触ってたのよっ!」
「……まあ、少なくともテストの成績で負けたことは
ただの一度もなかったですけどね。
高校受験だってお兄の高校なら推薦なんか使わなくても、楽勝だし」
「あ、あはははっ! でも残念ね! 伊吹はもういないし!
わざわざランク落としてまで受験する意味なくなっちゃったよね?」
「近いからべつにいいんだよ。 どこの高校からでも大学は行けるんだし」
「くっ! 余裕ね! でも今だけはあんたにそんなものは無いはずよ!」
「……………………ねえ、こんな馬鹿なこと、本当にやめない?」
「やめてどうすんのよ!? 今のままで、何が変わるっていうの?」
「…………はあ……」
説明しよう。
今ここは町外れの山の裾野。
送電線用鉄塔の上(中腹辺り)である。
ただ、送電線用とはいえ、今は電気は流れていない。
その昔、以前はこの山を越えた所に小さな村があったんだそうだ。
その村への電力供給のためのものだったのだが
現在その村は廃村となり、今では誰も住んでいない。
送電は停止されて久しく
この寂れた古い廃鉄塔だけが
解体されずに町のオブジェとして今も残っている。
昔、三人で遊んでいた時に
お兄ちゃんと奈芝美ちゃんが二人で登っているところを
私は地上で指をくわえて半泣きで見ていたことがあった。
今思い返しても腹立たしい、忌まわしい過去の記憶だ。
「あやめちゃん、脚、震えてるよ!」
「ふ、震えてないし……」
そう、実は私は、高所恐怖症なのだ。
はっきり言って今のこの状況、ゲロ吐きそうなくらい、怖い。
こんな所が平気な奴の気が知れない。
人間は高いところに住むことをとうの昔に捨てたのだ。
実際、落ちたら死んじゃうし。
未だにこんなところに好き好んで来るような奴は
きっと頭の進化が止まってしまっているのだ。
脳みそお猿さんのまま人の姿になっちゃったに違いない。
今日はショートパンツ履いて来てよかった。
スカートだったら下から丸見えになるとこだったよ。
「そもそも、私に追いついてどうするつもりなの?
止められるとでも思ってるの?」
「奈芝美ちゃんこそ、男の子になったら問題が解決するとでも思ってるの?」
「す、するわよ! 少なくとも今まではあんたは競争相手だったけど
男になれたらあんたはリタイアするしかないんだからね! 私の勝ちよ!」
「……なんだ、あたしがお兄を好きなの、前から知ってたんだ」
「そりゃわかるわよ! 何年あんた達と付き合ってると思ってるの?」
「だったら、自分が劣勢だったこともわかってたんだよね?」
「……うぐ! でもあんたたち! 兄妹じゃない!
兄妹では結婚できないことくらい、
馬鹿の私でもそれくらいわかってるんだからね!」
「親が再婚同士で血縁関係無かったら、結婚は可能なんですけど」
「なっ!?」
「それは知らなかったんだ」
「…………で、でも、世間体ってものがあるでしょ!?
一応は兄妹なんだから」
「そんなもの、あたしにとっては些事だよ……何も、問題ですらない」
「う…………」
「でも、お兄は、女の子になっちゃったから……」
「だ、だから! だから私が男になって伊吹をお嫁さんに貰うのよ!
お互いよく知ったもの同士、境遇も同じできっと、分かり合えるから!」
「お兄は、それでもあたしと一緒にいるって言ってくれたよ?」
「っ! し、知ってるわーっ!!」
「え……! ……もしかして、お兄とあたしの会話、聞いてたの?」
「だからじゃない! 同じ女同士なら、
あんたに勝てっこないと、思ったから!
悔しいけどあんたかわいいし、頭いいし、おっぱいも大きいし!」
「……他はともかく、おっぱいは育って良かったなと思う。
お兄が好きなのは身辺調査(主にベッドの下)済みで知ってるから」
「ガッデム! 妹の立場をフル活用しているようね……
い、言っときますけどねえ! わ、私だってこれでもCはあるんですからねっ!」
「…………ふっ」
「あーっ! また、また馬鹿にしたあっ!
身長だって私の方が高いし、運動じゃ絶対負けないんだからあー!」
「そうだね、奈芝美ちゃん女の子”には”凄くモテてるよね」
「お、男にだって言い寄られたことくらい、あるわいっ!」
「へえ、あるんだ……」
「それ以上に、ムカつくことに
あんたにラブレター渡してくれって依頼の方が多かったですけどねっ!」
「べつにそのまま奈芝美ちゃんにあげるのに、それ」
「い、要るかあーー!」
「なんだ、ちゃんと男の子にもモテてるんじゃん
だったら、女の子のままでも……」
「あんたにその台詞、そっくり全部返すわ。 どう? 納得する?」
「……しない。 だってあたしはお兄一筋だもん」
「だ、だからそういうことよ! 私も同じなの! だから、私を止めないで!」
「本当に、男の子に、なれると思ってるの?」
「……!」
「単に実験台にされてるだけじゃないの? サンプルとして」
「そ、そんなことはない! だって、
確実とは言えないけど、兆候は間違いなくあるって……」
「……普通は、成人してないと中身は完全にできてないって、
先生言ってたよ?」
「!?」
「もし、生まれ変われたとしても……
今の気持ちが全部飛んじゃうかもしれない。
現にお兄も、少なくとも事故の日のことはまったく覚えていないし」
「…………た、例え、一部の記憶が飛んだとしても
こちとら10年越しなんだ! それを全部持ってかれるなんてことは……」
「そんなの、なってみないとわからないじゃん」
「…………だ、だったら! 今のままでどうなるって言うのよ!?
伊吹だけどんどん成長していって、
私が成人した頃には……って、…………あれ?」
「奈芝美ちゃんが成人した時、お兄はたぶん、高校生になったくらいだよね?
おそらく小学生からやりなおしになるから」
「…………」
「…………」
「それから生まれ変わったとしても、遅くないんじゃない?」
「…………何の保証もないのに、待てというの?
伊吹の気持ちがあやめちゃんに固まってからじゃ、遅いのよ!」
「今の人生、捨てることになるんだよ? 取り返しはつかないんだよ?」
「それでも! それでも伊吹のいない人生なんて、いやだ!」
「お兄はいなくならないし、あたしのものになるわけでもないよ」
「……え?」
「だって、あたし女だもん。 お嫁さんには、もう、なれないから……」
「…………」
不自然な日本語。 だけど意味は通じたみたいだ。
「だから、帰ろ? もっと落ち着いて、ゆっくり考えたらいいよ」
「…………そうやって、決心を鈍らせて、私から……伊吹を奪おうったって!」
「! ち、違う! あたしは本当に!」
「近寄らないで! これ以上、惑わせないでーっ!!」
「……あっ!」
彼女は更に鉄塔の上部へとがしがしと登っていく。
今まで必死に冷静さを装い、受け答えしていたのだが、
つい、私は不安に駆られて下の方を覗き見てしまった。
「…………こ、こわっ!」
一瞬、眩暈がした。
そもそもこの鉄塔
使われなくなって相当な年月が経過している。
トラス構造という頑丈なつくりで出来てはいるものの
鉄骨そのものにもあちこち腐食の進みが見られ
もはや現役復帰は困難な状態であろう。
つまり、体重をかけると踏み抜いてしまう箇所も、あるかもしれないのだ。
……無理! これ以上、登れない!
もう、脚が、手が言うこときかないよ。
「あやめちゃん! 見届けには感謝するわ!
私が無事? ダイブした暁には即座に先生に連絡して!」
「……くっ!」
再び、私は根性に鞭を入れて震える手足を押さえ込み、強引に登り始める。
「だから! 生き返れる保証は無いんだってば! 早まらないで!
だいたい! そこまでして男の子になっても
お兄にそっぽ向かれたらどうするの!? 返事も聞かずに突っ走って!」
「言うなあー! さっきのあの時に返事なんて聞けるかー! どうせ
”奈芝美、すまん! オレはあやめのことが……”
とか言い出すに決まってるんだからあー!」
「…………」
確かに、言いそうだけど……
「だから、あやめちゃんがけっして届かない領域に、私は辿り着く!
そしたらきっと、伊吹は振り向いてくれる……筈!」
「いや、だから……」
それでも駄目だった場合どうすんの? って聞いてるんだけど。
困った、話が堂々巡りになりかけてる。
「あやめー! 奈芝美ー!」
「「!!」」
声がする方、つまり下を見ると、そこには車椅子に乗ったお兄ちゃんの姿があった。
……あ、眩暈が……




