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「神と言っても、君たちが信仰の対象になっている、この世界の神とは立場が違っていてね。我々の次元では神というものは偶像や現実に存在していない産物を崇め奉るものとは違う。実際に存在し、与え奪う存在としているんだ」
自らを神と名乗った『異形ハーミット』は終始穏やかな口調を崩さず、出来の悪い生徒に教えるように、十河に説明をする。
異形の神……さして驚かない自分が居た。
人間の世界にも、ランク付けや地位を表す言葉が存在しているとおり、異形の世界にも生命の姿や、巨大な力をもつ者を名状した〝二つ名〟が付けられているという。
「…………………………」
驚いて声が出ないのとは違う無言。
十河はすでに、自分の中で思考を広げていた。
――神。コイツが本当に〝異形の神〟だとするのならば、どうして……なんでブラックボックスと、人間なんかと手を組むような真似をしている? いや、そもそもブラックボックス自体が、初めから異形によって操作されているのだと考えるのが自然。じゃあ、オレが連れてこられた意味とは?
次々に直結してゆく〝もしも〟に十河は内臓が冷えてゆく感覚を味わった。
だとしたら、初めから、オレがやっている事を、ブラックボックスは知っていたのか? 冗談じゃない……ここまで来て!
冷静となるにつれて、十河の中で徐々に焦りが生まれてくる。
「……本当の名前もハーミットなどではない。教えてあげても良いのだけれど、君たち人間の口では発音できないし、僕の名は単なる名称ではなく、本人の意志とは関係なく相手に刻み込むための存在情報でもある。たぶん君たちの頭脳では耳に入れただけでも、処理が追いつかなくなり発狂してしまうだろう。僕の名を呼べるのは異形でもごく僅か。できる限りの近い表現で音声化したとしても、人間の声帯では二日はかかる名前だ」
一人でペラペラ喋り続けている異形は、十河が聞いているかどうかなど、お構いなしの様子であった。
「………………どうして」
「ん? なんだって?」
「オレが知りたいのは……どうして人類を守る為の組織に異形がいるのか、だ」
震える声でようやく伝えた十河に、
なんだ、そんなことかと異形ハーミットは渦の巻いた頭を傾げて見せた。
「短い昔話をするとだね。最初に〝扉〟が出現した事件。パンドラクライシスが起こったときに異形が……次元の向こう側から我々がでてきた。多くは知性をもって好き勝手しようとしていたのだが――ごく少数の異形はそれを良しとしなかった。人類に味方した異形の一人が僕というわけだ」
まずい……肝心な話をしているというのに、思考が追いついてない。
もともと、ブラックボックスは……異形の助力があって稼働していた?
だとしたら、パンドラクライシスが始まった時から……オレ達は、コイツらの手の上で生き死にしてきたというのか?
「いや、結果として人間に味方したといった方が正しいのか。……僕らが守りたいのは世界の調和だ。世界にはバランスというものがある。万物は一定の質量が許されていて、増やしたり減らしたりしながら、定められた振り幅の中で増減している。万物は世界を形作る要素であるが、無尽蔵に増えてはならない。ある一定の枠を超えてはならない暗黙のルールが存在している。この次元で均衡を保たなくてはならない枠の中に存在の大きな『異形の者たち』なんて諸々は入り込んでいけないんだ。……しかしどういうわけか、次元どころか、因果までねじ曲がり、空間が穿たれてしまった。因果を越えた向こうの世界と、本来交わる運命にないこちらの世界とのトンネル。〝世界のバランス〟というのはどの次元でも共通のシステムになっていてね。この世界の枠が壊れてしまってはこちらも困るんだ。……これらのバランスが崩れてしまうのを恐れたのが、僕を含めた数名の異形達というわけだ。もし世界が崩れてしまえば、どうなるのかは、おおよその想像が付いている。他の異形達から見たら、こちらの次元は何者にも侵蝕されていない未開拓同然の世界だ。さぞ価値を感じていることだろう」
「じゃあ……あのとき、オレらを閉じ込めたドームは……キサマが作ったのか?」
「ソレは僕ではない。もう一体の異形によるものだ。君たちを囲った結界は『第一層』から『第四層』の事を指しているのだろう? 初めの内に作られた二層は、我が友によって作りあげられたものだ。彼は自らの命を使って、数日間異形を抑え込んだんだ。彼もまた神の位をもっていた。彼は僕の友人であり、僕とはちがって『平和的安定』を望んでいた。つまりは爆心地に出来た穴を塞ぎ、なおかつ異形を押し戻そうとした。……僕は『破壊的安定』を望んでいたが、訳あって自分の意志を行使することが出来ない。だから友の意見に賛同したというわけだ」
「第一層と、二層がオレらを守る為ならば……じゃあ、残りの三層と四層は」
「それは別の異形だよ。君も参加したのなら名前は知っているはずだ。……『異形ラグナバス』彼は自らの利益のために一肌脱いだのだろうが、結果として君たちが生まれた。刻印を持った戦力。自分の世界を守る為に生まれた戦士たちだ。この短時間で戦力を作り出すには、非常に効率が良かったと思ってるよ」
頭の中で、何かが切れた。
バケモノが流暢に人の言葉を話し、正当化し続けている理由……。
たとえそれがどんな理由であろうとも、許されて良いはずがない。
コイツらは……結果として、オレから大切な人を奪った。
大勢の絶望や悲しみを背負わせた、諸悪の根源なのだ。
――こいつ……こいつを、殺してやるッ!
獣じみた唸り声と共に、十河は駆けだしていた。
なんでもいい。このバケモノに一矢を報いてやる。
五年……その間に死んでいた人間達。大切な仲間。家族。
そして、オレだけが残された孤独。恨み。
叫び……駆ける。一歩。二歩。三歩。
手には、刻印で作りあげた短剣。柄を強く握り絞める。
更なる一歩を踏み出そうとするも。後頭部に衝撃が走った。
ぐらつく視界。前に倒れ込もうとするよりも早く、背中に腕を回され、受け身さえも取れない状態で地面に倒れ込んだ。
首だけを回すと、自分を見下ろしている青年の冷たい瞳。最初の時とは違って鋭いものではなく、どこか哀愁を漂わせている。
「テメエぇ! はなせええええ! こいつ……コイツのせいでぇえええ!」
「ラグナバスの対応は、間違っていなかったと、今でも思っている。おかげで君たち人類は壁を作る時間と、兵士を育てて抵抗できる勢力を持つことができるようになったのだから……」
感情が掻き回されて、また一気に沸騰した。
生き残った自分達と、異界で死んでいた『家族』の顔が駆け抜けた。
「ふ、ふざけるなぁああッ! 貴様たちの勝手でどれだけ、どれだけの人が死んだのか知っているのか!? 逃げる事すらできないあの地獄で、何年も生き抜いてきた人間が苦しんだ声を聞いた事があるのかよぉおおッ!」
叫びは反響し、感情の高さは怒号の大きさと比例していた。
「助けることだって、できたはずッ! 神を名乗る貴様だったら、それくらいの事はできたはずだ! どうして……どうして、こんな!」
徐々に勢いを失ったのは、死んでいった仲間との思い出が、一気に溢れかえってきたから。
もう帰ってこない彼らを思うと、十河の感情は自然と脱力してゆく。
何も言葉に出来なくなった十河に対し、苑樹は反応を示した。
「間宮十河。てめえの言い分は判らんでもない。その感情は共感できているつもりだ。オレも……お前と同じ境遇の人間だったからな」
「……………………………………あんた、も?」
この男もディセンバーズチルドレン。
谷原真結良が言っていたのを、今更になって十河は思い出した。
――カンノソノキ。異界から救い出された帰還者第一号。そうか――この男が。
「お前は三区にいたらしいな。……オレは一区にいた。ラグナバスのゲームも参加した。異界に居た日数はお前らよりも、ずっと短かったがな」
「あんた……同じ経験をしたアンタだったらわかるはずだ! 正論とか合理なんかじゃ済まない世界だったって!」
お前の言おうとしていることはよくわかる――苑樹はそう答えたいような冷たい目で十河を見たあと。小さく息を吐き出した。
「オレも多くを失った。友人家族、異界で出会って助け合った人間……死んだ。オレ一人を残して、全員、目の前で死んだ。秩序がなくなった世界はゴミ溜め以下だった」
帰還者同士が、恨み辛みの過去を語ればキリが無い。
どっちがより深い不幸であったかなど比べようがない。
ただ、あるがままを受け容れるには難く。抗うには無力でありすぎた。
ようやく抵抗する力を得た時にはすでに遅く。
異形との力の差は、もはや埋めることが出来ない状態となっていた。
「大勢が死んだ。……それでも、判断は間違っていなかったと、今でも思っている」
苑樹はあくまで感情を宿さず機械的に。あの結界が内部で捕らわれた何十万人の人間達を犠牲にしてでも価値あるものであったと、彼は平然に言ってのけたのだ。
「あの結界……始めに表れた二枚の結界は、間違いなく人類に猶予を与え、体勢を整う機会を作った。そして思考する時間と引き換えに更に二枚の結界によってオレらが捕らわれる事となった。四枚目の結界。今じゃ『第四層』なんて都合の良い名前を付けて、真実を薄めているようだが、異形ラグナバスが作りあげた四枚目は、正に地獄を作り出すための蓋だったわけだ」
「……それが、真相。誰も知らなかった……あのゲームの真実だというのか」
「間宮十河。お前だって理解していたはずだ。やり方はクソ以下だが、ラグナバスのゲームが無ければ、固有刻印の価値も、自ら率先して戦う為の技術も短時間で修得することは出来なかった。犠牲のぶんだけ、刻印に明確な価値があることが証明された。お前もゲームの間は思っていただろ? ……『この力があれば、生き残れる』ってよ」
反論が出てこない。その通りであるからだ。
固有刻印があれば生き残れる。固有刻印は奪われてはダメだ。失えば死んだのと変わりなくなってしまう。だから、誰も信用するな……。
力を持っている実感は、同時に生き残れる希望でもあった。異形を殺せる力があれば、オレはきっと、能力を持っていない連中よりも死にづらくなるのだと。
抵抗する気が無くなったと判断した苑樹は十河から手を離す。彼は額を地面に付けたまま、何も言わない。
「ハーミット。お前も人の感情を逆撫でするような事をいってんじゃねえよ」
全て十河に責任があるわけではない。ハーミットが焚き付けた言葉にも、非があった。
「もしかしたら……怒ったときに、力を使ってくれるかと思ったんだけど、外れたね」
三人の表情が凍った。地面を睨み付けていた十河もまた、固くなる。
「ほら、まずは仲直りだ。立ちたまえよ」
異形の神が、手を差し伸べてくる。
十河は感づかれてはなるまいと、彼の手を取った。ざらつきのある麻布のような表皮であったが、そこには微かに体温があり、無機質な布とは違う、生きている体の一部であると奇妙な感覚をおぼえた。
「君を呼んだのには訳がある……それは、後ろにいるタケノリから説明を受けているはずだ。なんでも『黒い魔力』を放っていたのだとか」
「……………………」
「その色には、とても興味がある……とてもね」
眼光するどい視線たちが、十河の全身に突き刺さる。
――直感。この異形はオレの中にある力の所在を知っている。オレの隠している部分が剥がされてしまっている気がした。加藤とやりあっていた問答とは訳が違う。ハーミットはすでに、頭の中で出ている答えと帳尻を合わせようとしている。答えを模索しているわけでは無く、オレの言葉で確信を得るだけにまで迫っている。
「尋問なんかじゃ、喋らなかったのだろう? 実際に力を使ってくれる様子もない。だったら次の方法……一番手っ取り早い、こちら側のやり方でやらせてもらう」
ハーミットはゆっくり手を伸ばすと、五本指を形作っている、包帯状の体が解かれた。
帯の裏側には、目や鋭い牙の生えた口がある。
十河が後ずさるよりも早く、驚く間も与えず、彼の手足を捉え、縛りつけた。
恐怖が全身を支配する。全力で抵抗しようとも、か細い紐状の異形はまるで動かない。
「な、……やめろ。なにするんだよッ! だ、だれか、コイツを止めてくれ!」
「君なんかじゃあ、僕を振り払う事なんて出来はしない。先に行っておこう……少し痛いかもしれない。あと細心の注意は払うつもりだが、簡単に壊れてはくれるなよ?」
力尽くで振りほどこうとする十河であったが、関節が軋むだけで無数の帯はまるで動かない。
目を見開く彼の視界には解けた帯の一本がうねり、
一気に放たれそれは、十河の腹へ突き刺さった。




