第1話 プロポーズの返事を保留します
「きみを、妻に迎えたい」
レースのカーテンの向こうは明るい陽光。
窓の外に広がる空と同じ、澄んだ青い目がじっとこちらに向けられている。
その目を見つめ返し、ラヴィーナは、自分の鼓動が速く大きくなっているのを自覚した。
聞き間違い、ではたぶんない。
白昼夢。
そんな言葉が過ったラヴィーナは、思わず自身の右手の親指を左の甲に立ててみる。
痛い。どうやら現実らしい。
嬉しい。それが、本当に愛情に基づくものならば。
このまま、はい、と頷けばすべてまるく収まる。ラヴィーナの胸の内以外は。
けれど、そうできないのが、可愛くないと言われる所以なのだろう。わかっていて、それでもやっぱり、と彼女はそっと唇をなめて口を開いた。
「お返事の前に、ひとつお尋ねしてよろしいでしょうか」
佇まいを正したラヴィーナは、シリルに半身を向けた。
そんなことを言われるとは思いも寄らなかったとでもいうように、ぱちりとひとつ瞬いたシリルは、同じように佇まいを正すと、こちらに体ごと向く。
「なんだい?」
「なぜ……私だったんでしょうか。婚約破棄された女など、シリル様の、ひいてはクレアモント家の評判にも関わりますでしょうに」
ラヴィーナの問いに、ふと息を漏らすように笑ったシリルは、「……絆されたんだ」と囁いた。
バリトンの、常ならば耳に心地良いはずの声に、ラヴィーナは頭を殴りつけられた心地になって、ぐっと息を詰めた。
『絆された』
ショックを受けつつも、どこか、ああ、やっぱりそうか、と納得している自分がいる。
やはり、同情だった。
現実感が遠のくほどの衝撃を受けつつ、答え合わせができて、いっそ晴れ晴れとした気もしてくるのだから不思議なものだ。
ラヴィーナは、目を伏せて、どうにか口の端を引き上げる。
こんな風にショックを受けるだなんて、甘い言葉でも期待していたのだろうか。
きっとしていたのだ。例えば、きみのこんなところが好ましいとか、あんなところがいいなと思ったとか、ひとつくらいは、そんな言葉が聞けるかもしれない、と。
お断りします、と喉まで出かかる。
しかし、ここで即断れば、いいから責任を取らせてくれと押し問答になりかねない。
なにしろ、シリルは、ほんの数週間前にラヴィーナが初めて夜を共に過ごした異性だ。
婚約者がいて、結婚寸前までいっていたのだから、処女じゃないと思われていたのは容易に想像がつく。
そのうえ、シリルとラヴィーナは、婚約すらしてないのに閨を共にした。
あの日の翌朝、ひどく気まずそうなシリルの表情に、こちらのほうが申し訳なくなってしまったほどだ。
実直なシリルのことだ。あの一件で、『責任を取る』という考えが大きくのし掛かったに違いない。
「一度持ち帰って、家族と相談させていただいても?」
もう、充分だ。楽しいこともあったし、よくよく確認できた。自分は、恋愛も結婚も向いていない。
ラヴィーナの申し出に、軽く目を瞠ったシリルは、何かを言いかけて、すぐに口を閉じる。自身の口をそっと片手で覆ってから、こちらをまっすぐ見て頷いた。
「きみの……いや、もちろんだとも」
「ありがとうございます。今日は……失礼させていただきますね」
「え、もう?」
ここ最近、ほぼ二日おきにクレアモント邸を訪れ、当主であるシリルの執務を手伝うのが常だった。
いつもなら、休憩でお茶の時間を挟んで執務を進め、その後はおしゃべりや散歩を楽しむ。
けれど、もうそんな猶予はない。
ラヴィーナは、いつもより深々と頭を下げてから、クレアモント邸を辞した。
やることは山ほどある。
速やかに、国を出なくてはいけない。
もう、シリルと顔を合わせずに済むように。
一刻も早く、彼を責任から解放してあげられるように。
全11話書き上げ済みなので、毎日21:10頃更新します!
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