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 襟裳里英。その名前には聞き覚えがある。


 襟裳商店という企業がある。その辺にある駄菓子屋ではない。


 創業は江戸時代。北海道の海産物の取引で成り上がった商人が源流で、今では海産物に留まらずミサイルからワカメまで、と言われるほどに巨大な総合商社だ。


 その創業者から連綿と続く一族の一人娘がうちの学校に通っていると聞いたことがあったのだ。


「襟裳さんって……あの襟裳商店の?」


「あ……やっぱ知ってるんだね。そうだよ」


「そうなのか。それで、何で横に座ったんだ?」


「君が心配だからだよ。誰にやられたの? あ、名前って何?」


 グイグイと顔を近づけて来る。距離感がバグってそうな人だ。


 内側からの圧力で大きく主張している胸のポケットからは、一枚の青く着色された羽が顔を覗かせている。


 この学校で庶民と上級国民を見分けるチケット。通称、青羽あおはね。学校に多額の寄付をすると貰えるので、金野もそうだが金持ちの子供は大体持っている。


 先生も青羽を持っている人は上客なのできつく言えないし、逆にそれがなければガンガンと詰めてくる。そんな一般国民と上級国民を区別する身分証明書みたいなものだ。


 当然俺は持っていない。そんな下らないことに金を使いたくないからだ。


 里英が絡んでくるのも、高貴な方々の有難い慈しみの一環なのだろう。


「名前は袖川慶。ってかノブレスオブリージュかよ。別に心配される必要はないって」


「ふぅん……じゃ、いいよ。私ね、ここで毎日ボイトレしてるの。うるさかったらどこか行ってね」


 そう言って里英は立ち上がる。目の前で短めのスカートがはためいていて目線的にはかなり際どいところだ。


 息を大きく吸って、「アーアー」と声を張る。


 そして、軽く喉をならし終わると、歌を歌い始めた。


「なっ……え、エリモン!?」


 その音痴とも上手いとも言い切れない絶妙な歌声。話しているときからも似ているとは思っていたが、似ているどころではない。


 俺がこっそり推しているネット声優、エリモンの声だ。


 声優とは言うが、極稀に同人ゲームの声当てをしている程度。素人に毛が生えたくらいの演技力なのだが、天性の声質のおかげでラジオの雑談をずっと聞いている。数十人のリスナーの一人として、彼女のラジオを聞きながら投資に励むのがこの半年くらいの日課だった。


「え? リスナーさんなの?」


 里英も驚いた顔で歌うのを中断して俺を見てくる。


「なっ……なんのことだ?」


「えぇ!? うそうそ! だって袖川君、エリモンって言ってたよね? それ、私のハンドルネームだよ。絶対知ってるじゃーん」


 里英は前屈みになって嬉しそうに俺の両肩をパシパシと叩いてくる。


 はしゃいでいる姿がとても可愛らしく、照れてしまい顔を逸らす。


「ちっ……ちなみに俺は二年生だからな」


 返せたのはダサい年齢マウントだけ。


「あ……そうなんだ。ごめんね、袖川センパイ!」


 里英は全く気にせずにそう言ってまた俺の横に座る。リスナーの前で発声練習をするのが恥ずかしいらしい。


「でも……なんでこんなところで練習してるんだ? 家とか防音室とか……何なら良いトレーナーだってつけられるだろ」


 青羽を持っているくらいには家は裕福なのだから、その余裕はあるはずだ。


「いやぁ……親からは反対されててね。色々と難しいんだよぉ……バイトも出来ないし、お小遣いも使い道は管理されてるし……」


 深い溜息一つで、里英の抱えている悩みの大きさが伺い知れる。


「会社を継げ、的なやつか」


「そうそう。経営のプロに任せればいいのにねぇ。伝統だからって私に全部押し付けようとしてる」


 唇を尖らせて不満そうにそう言う。年相応の悩みかと言われればそうではないだろう。超大企業の後を継ぐためにやることは無限にあるはず。


「おっ……俺が出資するって言ったらどうする?」


 俺は何を言っているのだろう。里英も首を傾げて、もう一度言えと催促してくる。


 俺の口座で寝かされている金。それのほんの一部を使うだけでも里英にとっては喜ばしいことのはずだ。ボイトレ、機材調達に使える活動資金はあって困るものではない。


「俺が、ボイトレの費用も、機材の金も出すよ」


「えぇ……袖川センパイ……袖川君? 慶君?」


 里英は混乱しているのか、先に定まらない俺の呼び方を決めようとしている。


「慶でいいよ」


「じゃ、慶君だね! お金って……そんなの悪いよ。こんな底辺声優にさ」


「今は底辺かもな。けど、金さえあればやれることはある。広告だって出せる。実績を作っちまえば親も認めざるを得ないんじゃないか?」


「うーん……そうかもしれないけど……」


 里英の脳内では理性と欲望が戦っているらしい。青羽すら持っていない俺から金をもらって活動資金とすることと、夢に向かってひた走る未来への渇望の天秤だ。


 俺はといえば、一度口から出してしまうとそれしか見えなくなっていた。


 今朝は全く見えなかった目標が見えていたからだ。次の目標はあぶれた金を使って推し声優を成功に導くこと。


 だから、俺はこれまでひた隠しにしていた資産管理アプリを立ち上げて、里英に見せつける。


「金はある。何なら襟裳商店の株主だしな。1%は俺が持ってる」


「え……は……えぇー!? 資産が……百万、千万、一億……一兆円!?」


 伊達に声優をしているわけではないようで、里英は滅茶苦茶に通る声でそう叫ぶ。


「ばっ……声がデケェよ」


「び、びっくりしちゃったんだよ。なんで学校に来てるの? 一生好きなこと出来るじゃん」


「ま、中卒で好きなことしてもな」


「別にいいと思うけどなぁ……あ、お金のことはちょっと考えさせてよ。っていうかうちの株主なら、親にガツンと言ってくれない? 娘には好きにさせるべしって株主総会で議題にあげてみてよ」


「そっ……それは公私混同すぎるな……」


 経営手腕に不満が、とか言えば出来なくはないだろうけど、そんなお家騒動を引き起こして株価を下げるのは不利益に繋がるので不本意だ。あくまで裏から支援する形が穏便に進むだろう。


「ま、とにかく考えといてくれよ。俺はそろそろ帰る――」


 いや、帰れないのだった。メルを待たせていたことをすっかり忘れていた。


「やべぇ! じゃあな!」


「あ、うん! バイバイ、慶君!」


 背中で里英の挨拶を聞きながら、集合場所の校門に急ぐ。


 ◆


 メルは校舎の方を心配そうにチラチラと見ていた。


「悪い悪い! 遅くなった!」


 メルは俺にデコピンを一発入れる。


「いいけどさぁ、連絡くらいくれてもいいじゃんか。心配したんだよ?」


「ま……ちょっとな」


「服、汚れてるよ」


 蹴られて地面に寝転んだときなのか、ズボンの裾が汚れていた。


「あ……あぁ、ちょっとな」


「慶、私に出来ることはあんまないかもだけど……映画行こっか!」


 メルは苦々しい顔で何かを言いかけたが、笑顔になって俺の腕を引く。


 青羽がない俺達にはどうしようもない事もある。そんな理不尽を学ぶ場所でもある。


 そんなことを言葉にしても意味はない。メルは何かを察していそうだったが、ずっと笑顔で接してくれたのだった。

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