第五十四話 少女と命令
王都リールの街中は昼間になると人で溢れかえる。
ベネスから流れて来た食料を販売する商人達、それを買いに来る城下の人々。その光景はこの国の繁栄を象徴しているように賑やかだった。
空から見下ろすとその人の多さに改めて驚かされ、生死をかけた戦いの後だと何処か懐かしい感覚になる。
だが、この空からの眺めもそう長くは浸れない。
「空の旅には憧れてたが、こんなに苦しいとは。私は歩いて帰るぞ、絶対だ……」
私の横で口を押さえながら呻いているアレク将軍を見やる。
ジストヘール荒原から休まず飛んで帰ったのがまずかったらしい。乗り物ではないけど、明らかに乗り物酔いの症状だった。
「すぐに降りますから、もう少し辛抱してくださいね」
そう言って、できるだけ揺らさないように静かに降下していく。彼はよほど辛いのか私の声かけにも生返事だった。
私達は城より少し外れた軍の訓練所に降り立った。戦争が終わった時はここに戻ると前もって決めていたのだ。
「地面に降りたのにまだぐらぐらする……。こんなことなら、鎖に縛られて牢に入れられてる方がマシだ」
地上に降りてもアレク将軍は石壁にもたれて項垂れていた。
私は少し申し訳ない気持ちになりながら、酔いを覚ます魔法をかけてあげ、落ち着くまで待つことにした。
その間に、見張りの兵達に伝令役を頼み、城に行ってもらった。王子達に来てもらうのも二度手間なので、こちらから向かうつもりだ。
そして、アレク将軍の顔色が良くなった頃を見計らって声をかけた。
「アレク将軍、そろそろ移動しましょう……心配しないで、城までは歩きますから」
移動と言った瞬間に悲痛な目で嘆願してきたので誤解ないように伝えた。
少し駄々をこねるかと思ったが、アレク将軍は観念したように立ち上がった。
「少し覚えておいて欲しいことがあります。移動しながら聞いてください」
アレク将軍はやつれていたが、それでも真剣な顔で頷いた。
「昨日も言いましたが、この国の中枢は支配されている可能性がたかいです。ですから、捕虜の貴方に危害を加えてくる人がいるかもしれません」
貴族会の一部では、敵国は即刻始末するべきという過激派もいる。最悪の状況を想定すれば当然有り得る話だ。
「そうなったら私はなす術なく殺されるだろうな。今は丸腰だし、空の移動で体調が芳しくない」
アレク将軍は力なく笑った。両手を上げてお手上げと言わんばかりの仕草をした。
「私が側にいるので大丈夫です。必ず守って見せますから」
他の兵達は傷は癒えたとは言え、瀕死の重症だった。捕虜としての体力もないため、後方部隊の方に連れて帰ってもらうことになっのだ。
アレク将軍はセレシオン軍の中でも重鎮だ。彼一人でも捕虜としての効果は十分ある。それに、彼一人であれば、守るのは容易い。
「それは心強いね。だけど、危なくなったら切り捨ててくれて構わない。私を庇って君の立場が危うくなる方が今はまずい」
そんな私の言葉にアレク将軍は笑っていた。
彼は私のことを優しいと言ったが、彼も大概だろう。自分の命よりも私を優先しようとしているのだから。
そうこうしているうちに城門が近づいてきた。
そこには既にキンレーン殿下と宰相、護衛騎士が十数人待ち構えていた。
「キンレーン殿下、ただ今戻りました。戦果について報告します」
謁見の間で詳細を話すことになるが、この場で簡潔に伝えることにした。
私は殿下に礼をしてから報告を始めた。
「ストルク王国は今回の戦いで勝利しました。敵国セレシオン軍は壊滅、捕虜のアレク将軍含めて数十人だけの生存です」
騎士達からはどよめきが巻き起こった。ここまで早く、いや、一人で終結させるとは予想していなかった。そんな驚き方だ。
そんな中、キンレーン殿下は和やかな表情で拍手した。誰も動かないので、乾いた音が余計に響く。
「よくやってくれた。これで、ストルク王国の安全と平和は保たれた」
そう言うとキンレーン殿下は握手を求めてきた。彼と目が合ったが、そこから感情の一切を読み取ることも出来なかった。
私は警戒しながらも手を取って握手した。
「君は紛うことなき我が国の英雄だ。スクロウの名に恥じぬ素晴らしい成果、王国はここに感謝の意を示そう」
そう言うと、殿下は腰を折って頭を下げた。王族が頭を下げるのは最上位の礼だ。それを賜ることは歴史上殆ど無いと言っていい。
そんな異例のことが起こっても、私は驚くことはなかった。
微動だにしない私を見て、殿下は苦笑いしながら言った。
「君の言いたいことは分かっている。立ち話も疲れるだろうから、謁見の間にて続きを始めよう。アレク殿は申し訳ないが、別室に控えてもらおうか」
宰相がアレク将軍を連れて行こうとしたが、私はその間に入って止めた。
このまま連れて行かれれば、彼は間違いなく殺される。そう直感した私の体は、考えるよりも先に動いていた。
「スクロウ殿、どう言うおつもりか? 敵を庇うような行いは英雄として如何なものかと思いますぞ」
宰相は私の行動が気に入らなかったのか、怪訝な表情で言った。
「戦争捕虜は如何なる理由があろうと殺さない。国軍書にはそう明言されているはずですよ」
宰相は私の訴えを鼻で笑った。
「それがどうしたと言うのだね、私が捕虜を殺すとでも?」
「なら、何故、貴方の部下達は完全武装しているのでしょうか。出迎えだけなら、後ろの騎士達同様に軽装備でもいいはずです」
そう言って宰相が連れている部下達を見やる。
彼らは腰に長剣、胸に短剣、手には杖が握られていた。貴族会が所持している騎士団のフル装備だ。
いつでも戦える。万全の騎士達を前に、疑わないと言う選択肢はなかった。
「貴女には関係ないことだ。さあ、その男を早く渡せ!」
宰相は詰め寄って私を払いのけようとしたが、キンレーン殿下がそれを制止して言った。
「あまり強引すぎると彼女が警戒してしまうでしょう。私に任せて下がっていなさい」
殿下に言われた宰相は、渋々といった様子で後ろに控えた。
「さて、君が国軍書を熟読しているのは素晴らしいことだ。まさに軍の鏡だよ。だけどね、状況は刻々と変わっていくいくものだよ」
殿下はいつもの調子で手をひらひらさせていた。
「昨日、君が戦場にいる間に、国軍書は書き換わったのだよ。そこには捕虜の処遇は王族、及び貴族会が決定する権利を有する、と記載されている。これが通達書だ」
そう言ってキンレーン殿下は筒状に丸めた封書を渡してきた。
開いてみると、そこには国軍書を改定したという文言が記されていた。署名欄にはキンレーン殿下のサインが記されている。
殿下の方に目を戻すと、彼は勝ち誇ったような顔で右手を差し出した。
「これで分かっただろう? さあ、駄々をこねるのはもう終わりにして彼を引き渡しなさい」
しかし、私は渡された書類を殿下に押し付けるように返し、アレク将軍の前を陣取った。
信頼できる人がいない限り、誰も近づける気は無かった。
「承服できません。国軍書の改定内容に明らかに私権が含まれています」
殿下の顔から初めて笑顔が消え、冷たい声で言った。
「君も強情だね……これ以上抵抗するなら、君との約束も考えねばならなくなるよ?」
彼は指をパチンと鳴らした。すると、城門脇の小屋からシェリーが出てきた。フラフラとした足取りでこちらに歩いてくる。
彼女の頭にはシーズが乗っかり、周囲を威嚇していた。彼女はすでに目は虚ろになっていて、完全に支配されているのが一目で分かった。
「さて、君との約束は、戦争を終結させれば、彼女を自由の身にする、だったかな。そこで新たな命令だ。そこの捕虜を渡しなさい。然もなくば、シェリーが自由の身になることはないだろう」
シェリーを助けるかアレク将軍を守るか、キンレーン殿下は恐ろしい二択で迫ってきたのだった。




