第三十六話 少女と禁忌
ルードベル家はストルク王国の中でも名門の貴族だ。建国した当初から存在する由緒正しい家系で、千年もの間この国を支えてきた。
特に商業に関する政策や現地への貢献は他の貴族とは一線を画すものがある。ルードベル家が介入した商店は必ず繁盛すると言われるほど信頼は厚い。
私も宝石や花などの商売人といくつか交流を持たせてもらい、ルードベル家の名に恥じぬ働きを心がけて生きてきた。
それもこれも全ては親に私を見て欲しかったから。少しでも褒めて欲しかったから。
ルードベル家には私を含めて十人の後継候補がいた。
その中でも八番目に生まれた私は、ただの供物として育てられた。当然、そこには両親の愛情などない。
どれだけ努力しても、魔法学院を首席で卒業しても、頭を撫でて褒めてくれることはなかった。
そしてその次の日には嫁ぎ先を選び始める両親がいた。何でもない普通の作業のように。
その時私は悟った。ルードベル家に生まれた私は、家の名を保つための道具に過ぎないのだと。
父が兄妹全員を集め、神殿に行くように言った時もそうだ。
英雄の力を万が一にでも継承できればルードベル家の地位は永久的に保証される。
そう熱く語る父を見ても何も感じなかった。また家の話か、そう感じるくらいでしかなかった。
しかし、そんな私に新たな風を吹き込んでくれる人が突然現れた。
ストルク王国では見たこともない漆黒の髪に、宝石のように赤く綺麗な瞳。香水はつけていないのに近くにいると甘い香りがする私と同じ年の可愛い女の子。
華奢な体からは想像もできないほどの魔力を秘め、どんな貴族が相手でも片手で捩じ伏せる強さを持っていた。
リジーと名乗った彼女は、神殿に向かう朝、移動手段がなくて途方に暮れていた私を強引に乗せてくれた。
馬車の中で聞いたリジーの過去。彼女は私以上に辛い経験をしていたが、それでも乗り越えて気丈に振る舞っていた。
それに、兄のジルが難癖をつけても、彼女は私をまっすぐ見て友達と言ってくれた。初めて、本当の意味で私をまっすぐ見てくれた。
どうしてそんなにまっすぐでいられるんですの?
初めは分からなかった彼女の行動もすぐに理由がわかった。
リジーはとことん優しいのだ。絶望の中から救われた彼女は、受けた愛情を周りの人に返していける人だった。
私にはないものを全て持っている。そんな彼女に惹かれるのは時間の問題だった。
私は貴女のような強い人間になりたい。例え追いつけなくても、友人として時に支え合える存在になりたい。そう願うようになった。
そのために、私はこの家のゴタゴタを片付ける必要がある。
兄がいなくなって憔悴した父を叩き直し、ここ数日で評判を落としたルードベル家を立て直さなければならない。
リジーと相談した後、本家に戻った私はまっすぐ父の元へと向かった。
「お父様、シェリーです。今お話したいことがあります。よろしいですの?」
父の執務室をノックして話しかけるも返事はない。私はそのまま扉を開けて中に入った。
ここ数日は塞ぎ込んでいてこの部屋に閉じこもっている。いないはずがないのだ。
「お父様……まさか、こんな時間に飲んでらっしゃるの?」
そこには昨日よりもやつれた姿をした父、シェス・ルードベルがいた。
眠っているのだろうか、机に突っ伏して動く気配はない。
いつもはしっかりと着こなす上等な服も、今はヨレてシワだらけになっていた。こぼした酒がところどころシミを作っている。
机の上や床には空になったボトルがいくつも転がっていた。相当な量の酒を煽ったのだろう。近づけば咽せるような酒の臭いが鼻腔を刺激してくる。
「うっ、誰だこんな時に……あぁ、シェリーか……」
私が部屋に入ったのに気づいたのか、父は気怠げに起き上がった。髭を剃っていないのか、昨日より顎が毛深くなっていた。
「昨日の件でお話に参りましたの」
父は赤く腫らした目を私に向けた。昨日ここで泣き付かれた時と同じ、今にも捨てられそうな悲壮感を漂わせる顔だ。
「家を出るという話なら私は反対だ……お前はこの家の唯一の後継だ」
シェス・ルードベルは吐き捨てるように言って顔を伏せた。
……私はこんな人の愛情が欲しいかったのか。そのために今まで頑張ってきたというの?
弱々しく唸る父を前に失望と憤慨を感じた。彼の目に見えているのは私ではない。ルードベル家の存続だけだ。
なりふり構わず罵倒したいのを我慢し、父の前まで歩いて言った。
「私は、この家を継ぐことにしました。落ちた評判も必ず元に戻してみせます」
私の言葉に父は最初は呆けたような顔をしていた。しかし徐々に目に光が宿り始めた。
「そうか、そうか! ついに決心してくれたか!」
立ち上がって私を抱きしめた。父は余程嬉しいのか肩が震えていた。このままでも良かったが、まだ伝えたいことがあったので、一度父の抱擁から離れた。
「ですが、この家を継ぐに当たって一つ条件を飲んでいただきたいんですの」
私は家を継ぐ条件を話した。今の貴族制度を根底から作り変え、真摯に国のために働く貴族社会を作る。そのために父に協力して欲しいことを伝えた。
「それは……できない。今のやり方を変えればルードベル家だけじゃない、他の貴族も落ちぶれてしまう」
シェスは当然のように否定した。予想はしていたが、実際に目の当たりにするとやるせない気持ちになる。
「金と権力にまみれた貴族なんて、そんなの貴族じゃありませんわ! 人を教え導き、国を支えて行く。それが貴族の本来の姿のはずですわ!」
私の初めての抵抗に父は目を丸くした。私が従順に言うことを聞くだけの娘と思っていたのだろう。リジーと出会う前の私だったらそうかもしれない。
でも今は違う! 私はシェリー・ルードベル。親の飾りでも、家のための道具でもない!
私の叫びに父は俯いた。そして、
「そうか……お前も! お前も、私の元から離れて行くと言うのか……」
父はフラフラと私に近づいてきた。目は据わり、なぜか魔力を練りながら近づいてくる
その普段見ない異様さに少したじろぐ。
しかし、私は後ずさりできなかった。
いつの間にか私の後ろに誰かが立っていて、肩を掴まれたからだ。さらに、魔法で固定されてしまって後ろを振り向くこともできなかった。
「まだ終わってなかったのかい? 実の娘だからって躊躇しないでよ。まあいいか、僕がやればいいんだから」
聞き覚えのある爽やかな声に驚愕した。
「キ、キンレーン様? どうしてここにいらっしゃるの?」
振り向けないまま声の主に話しかけた。私を拘束した人は何故か軽く笑っていた。
「ふふっ、君がそれを知る必要はないんだよ」
彼はそう言うと、突然魔力を送り込んできた。
「あっ! うっ……!」
私の魔核へと入り込んだ彼の魔力は、私の動きを制限しようと暴れ始めた。焼けるような胸の痛みに呻き声しか出せなくなった。
「君は自立したかったようだけど、これから先は、僕の傀儡になってもらうよ。光栄に思いなさい、シェリー・ルードベル」
その言葉を最後に私の意識は遠くなっていった。




