第二話 婚約を壊したのは
婚約は解消された。
あの夜会から一週間後、父に呼ばれたパーシーは、そこで初めてすべてが決まったことを知らされた。
「先方とは話がついた。婚約は解消する」
「待ってください。僕は婚約を解消したいなんて思っていません」
「分かっている。先方にもそう伝えた」
それでも、コーネリアの意思は変わらなかったという。
パーシーには理解できなかった。あの夜、自分は確かに婚約をやめればいいと言った。けれど、本心ではないことも、その場ですぐに説明したのだ。
「契約に定めた違約金は支払う。それとは別に、コーネリア嬢個人へも慰謝料を支払う」
パーシーは父を見た。
「契約では、違約金だけだったでしょう」
「そうだ」
「なら、なぜそれ以上払うんです」
父はすぐには答えなかった。
「あの夜、お前は大勢の前でコーネリア嬢を責めた。ローデリック殿の名も出したな」
「二人に何かあったなんて言っていません」
「お前の言葉を聞いた者が、皆そう受け取るとは限らん」
あの場には大勢いた。知らない者までこちらを見ていたことを、パーシーも覚えている。
「婚約者が他の男と親しくしていると責め、その場で婚約をやめると言った。理由を知らない者が聞けば、二人の間に何かあったと思うかもしれん」
ローデリックにも婚約者がいる。
パーシーは、あの夜の自分の言葉が、コーネリアだけでなくローデリックの名誉にも関わることに気づいた。
「……そんなつもりはありませんでした」
「分かっている。だが、言ってしまったことは消せない」
父は続けた。
「こちらが非を認め、契約以上の慰謝をする。お前の発言に根拠はなく、婚約を壊した責任は我が家にあると示すためだ」
「先方から要求されたんですか?」
「いや。私から申し出た」
それを聞いて、パーシーは言葉を失った。
「コーネリア嬢の父君から正式に抗議されても、私は応じるほかない。ローデリック殿の家から問われても同じだ。先に償うべきものを償い、この件を終わらせる」
「……申し訳ありません」
「私にではない」
「はい」
父の言うことは分かった。自分が余計なことを言い、コーネリアとローデリックに迷惑をかけた。慰謝料は、父がその責任を認めて申し出たものだ。
それでも、部屋へ戻って一人になると、別のことが頭から離れなかった。
コーネリアは、本当にこれでいいのだろうか。
自分は後悔している。謝罪もするし、二度と同じことはしない。それなのに、彼女は婚約を解消するという。
あの夜だって、パーシーが婚約をやめると言った途端、少しも迷わなかった。
『御縁がなかったということで』
長く婚約してきたのに。これから夫婦になるはずだったのに。
腹を立てるのは分かる。だが、少しくらい考え直してもいいではないか。
もしかしたら、コーネリアには本当に、自分である必要がなかったのかもしれない。
そう思うと、慰謝料のことまで引っかかった。
コーネリアが要求したものではない。父が申し出たのだ。それは分かっている。だが、受け取るのはコーネリアだった。
自分は婚約者を失い、家にも損害を与えた。コーネリアは婚約を解消し、慰謝料を受け取る。
このうえ、すぐに別の男と婚約したらどうなる。
コーネリアなら相手には困らない。自分より家柄のいい男も、優秀な男もいる。あれだけ人に好かれるのだから、求婚する男だっているだろう。
もし、そんな男を選んだら。
あの夜、彼女が迷わず婚約解消を受け入れた理由も分かる気がした。
パーシーは婚約を壊した。けれどコーネリアも、自分との婚約を惜しいと思っていなかったのではないか。
一度そう考えると、あの夜の彼女の声が、ますます冷たく思えた。
■■■
ローデリックは、パーシーを気の毒だと思っていた。
もちろん、あの夜会での振る舞いを擁護するつもりはない。
婚約者に嫉妬するだけならともかく、大勢の前で騒ぎ立て、あげく婚約をやめるなどと言ったのだ。しかも自分の名前まで出された。
翌日にはハーグリーヴス侯爵から父を通じて正式な謝罪があり、パーシーの発言には何の根拠もないと明言された。
それでローデリックの家では、この件を終わりにした。
コーネリアとの婚約も正式に解消されたと聞いた。
自業自得と言ってしまえばそれまでだが、パーシーがコーネリアを好いていたことはローデリックも知っている。
だから、久しぶりに顔を合わせたパーシーが憔悴しているのを見て、声をかけた。
「少し飲むか?」
パーシーは断らなかった。
何人かの友人とともに場所を移し、しばらくは当たり障りのない話をしていた。
誰もコーネリアの名前を出さなかった。
パーシーが自分から口にするまでは。
「どうせ、すぐに次の相手を見つけるさ」
何の話か、一瞬分からなかった。
「コーネリアだよ」
パーシーは続けた。
「僕との婚約をあれだけあっさり終わらせたんだ。きっと、もっといい相手を選ぶつもりなんだろう」
ローデリックは返事をしなかった。
他の友人たちも同じだった。
「だって、そうだろう? あれだけ男が周りにいるんだ。僕より家柄がよくて、優秀な男だっていくらでもいる」
「パーシー」
「分かってるよ。婚約を壊したのは僕だ」
先回りするように言われた。
「父上にも散々言われた。あの夜、僕がどれだけ馬鹿なことをしたのかも分かってる」
なら、なぜそんな話になる。
ローデリックがそう尋ねるより先に、パーシーは続けた。
「でも、コーネリアだって少しくらい迷ってもよかったと思わないか?」
「何を?」
「婚約を解消することをだよ」
ローデリックはパーシーを見た。
冗談を言っている様子はなかった。
「僕はすぐに、本気じゃなかったって言ったんだ。それでもコーネリアは一度も考え直さなかった」
「お前が言ったんだろう。婚約をやめると」
「だから、それは分かってるって」
話が噛み合わない。
パーシーは自分が何をしたのか理解している。そのうえで、コーネリアが自分を許さなかったことに腹を立てているらしい。
「そのうえ、慰謝料まで受け取った」
ローデリックは眉を寄せた。
「それはお前の父上が申し出たものだろう」
「知ってるよ」
「お前のためでもあることは?」
「それも聞いた」
そこまで聞いていて、なぜコーネリアを責めるのか。ローデリックには分からなかった。
「だったら、彼女が受け取ったことに何の問題がある?」
「問題があるとは言ってない。ただ、僕との婚約はすぐにやめて、慰謝料は受け取るんだなと思っただけだ」
友人たちの誰も口を開かなかった。
「きっとすぐに、僕よりいい男を選ぶよ。コーネリアなら相手に困らない」
「そう簡単な話じゃない。まともな男には、もう婚約者がいる者も多い」
「それでも、コーネリアなら選べるさ」
パーシーは疑いもしない様子だった。
ローデリックも、コーネリアに新しい縁談が来ないとは思わない。だが、パーシーは彼女が次の相手を見つけることを恐れながら、見つけるに決まっていると言い張っている。
「まあ、見ていれば分かる」
パーシーは言った。
「きっとすぐに、僕よりいい男を選ぶ」
ローデリックはもう反論しなかった。パーシーを気の毒に思う気持ちも、なくなっていた。




