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第3話:一ノ瀬保奈美

 教室に入った瞬間、昨日以上のざわめきが感じられた。

 (……また、あの話題かな)

 ざわめきの中心に、きっと“直也さん”の名前があることくらい、もう分かる。


 直也さんはダボス会議に招待されて1月の後半にスイスに出張していた。

 私はその間、加賀谷さんのご自宅に“ショートホームステイ”させて頂いていた。直也さんの講演は話題となり、テレビやネットのニュースメディアで取り上げられ、加賀谷さんの奥様からも、

 「保奈美ちゃんのお義兄さん、ますます有名になってしまって、保奈美ちゃんも苦労が耐えないわね」

 と言われてしまった。


 直也さんのお仕事が注目され、直也さんの社会的評価が高まるのは私もすごく嬉しい。


 でも、それに応じて間違いなく直也さんに関心を寄せる女性が増えていくのは、正直言えば少し面白くない。大人の素敵な女性は、そんな事をイチイチ気にしない筈だと自分を戒めてみても、自分の心は自分の思い通りには動かない。


 そして2月に入った途端に、このAmasonの“Queen’s Choice”の騒ぎ――。


 昨日はどうするんだろうと思って心配していたけれど、直也さんは『不戦敗』という言い方をして上手くかわし、逆にそれで原因で、かえって話題が大きくなってしまっている。


 下駄箱の前で、真央がスマホを振りかざしてきた。

 「ねぇ、保奈美! 見た!?」

 「何を?」

 「“不戦敗の美学”! 世界トレンド1位!」

 美里と佳代も後ろから駆け寄ってくる。

 「Amasonのあれ! 見たよね? “Queen’s Choice”の逆指名を巧みにかわしたコメント!」

 「そもそも、あの滝沢ミラに逆指名されるとかって、どんな確率!? 直也さん、ダボス会議にも出てたでしょ?」


 私は笑って受け流す。

 「まぁ……ニュースにも出ていたね」

 「“出ていたね”って、他人事みたいに! 愛する義兄さんの事だよ!? おまけに今では“ジェントルマン・オブ・ジャパン”って言われてる!」

 真央がスマホの画面を突きつける。そこには――


 《NAOYA ICHINOSE - The Man Who Said No With Grace.》

 (優雅に“NO”を言った男)


 その見出しの下に、見慣れた笑顔。

 今朝もいっしょにご飯を食べてきたのに……それなのに、遠いな……。


 「ねぇ保奈美、直也さんってほんとに一緒の家に住んでるの?」

 「……うん。そうだよ」

 「いいなぁ~! 朝とか“おはよう”って言われるんでしょ!?」

 「……まぁ、そうだけど」

 「はぁ……“朝『おはよう』を言う直也さん”の動画配信だけで、今だったら世界ニュース間違いなしだね」


 みんなが笑う。

 私も笑ってみせた。

 だけど胸の奥が、少しだけ痛い。


 (滝沢ミラ……)


 ニュースサイトの画像で見た。

 長い黒髪、均整の取れた顔、静かな眼差し。

 年齢も、キャリアも、世界のステージも、何もかもが“私とは違う”。


 「ねぇ保奈美、直也さんの言っている“不戦敗”って、あれどういう意味なんだろ?」

 美里の問いに、私は少しだけ考えて答えた。

 「……戦わないことで、負けを選ぶこと。

  でも、それがいちばん“正しい”って思える時もあるってこと、かな」


 口にしてから、自分でも少し驚いた。

 なんだか、“直也さん”の言葉みたいだったから。


 「うわ、急に名言モード入った」

 真央が笑って肩を叩く。

 私は笑いながら、心のどこかで思った。


 (――でも、本当にそれでいいの?)


 誰かに勝つとか負けるとかじゃなくて。

 ただ“滝沢ミラ”という名前が、この胸の奥をこんなにざわつかせる。


 その気持ちは、誰にも言えなかった。


※※※


 夜。

 いつもより遅く帰ってきた直也さんが、玄関の扉を静かに開けた。

 「ただいま」

 「……おかえりなさい」


 いつも通りの声で言ったつもりだったけど、自分でも分かるほど少しだけ震えていた。

 リビングの灯りが、やけに眩しい。


 「ここ数日、いろいろ大変だったろ?――変な話題になってしまって、ゴメンな」

 「……ううん、大丈夫、です」


 食卓に並べたお味噌汁の湯気が、静かに揺れている。

 彼は上着を脱ぎながら、少し考えるような顔をした。


 「そういえば……一度だけ、Amasonの収録スタジオに来てほしいって言われてるんだよ」


 「……え?」

 スプーンを持つ手が止まった。


 「番組側が、今回、ここまでの騒ぎになってしまった事もあるし、一応『不戦敗』になってしまった礼儀として“直接のコメント”を求めてるらしい。

  まぁ、あくまで公的なご挨拶程度だと思うよ」


 「……そ、そうなの?……」


 胸の奥で、何かがざわめいた。

 あの“滝沢ミラ”と同じ画面に――直也さんが並ぶかもしれない。

 たったそれだけのことなのに、世界が少し揺れた気がした。


 「まぁ、気にしなくていいよ。これ以上変なことにはならないようにするから」

 そう言って笑う直也さんの顔が、優しすぎて、逆に苦しい。


 (……気にしないなんて、できるわけないよ)


※※※


 お風呂上がり。

 寝る前にどうしても落ち着かなくて、私はスマホを開いた。

 メッセージアプリのグループ名は――

 《GAIALINQレディーズ(仮)》


 メンバーは、亜紀さん、麻里さん、玲奈さん、そして私。

 お仕事の話が中心だけど、時々、保奈美相談所にもなる。

 (……でも、こんなこと相談していいのかな)


 迷った末に、打ち込んだ。


 《お疲れさまです。夜遅くにすみません……

  ちょっとだけ相談いいですか?》


 すぐに既読が「3」つ並んだ。

 そして、ほとんど同時に返信が返ってきた。


 亜紀:

 《どうしたの? 眠れないとか?》


 玲奈:

 《まさか直也とケンカしたとかじゃないよね?(笑)》


 麻里:

 《どうしたの保奈美ちゃん? 何かあった?》


 私は、一気に書き込んだ。


 《直也さん……今日“Amasonのスタジオに呼ばれた”って言っていました。

  たぶん例の配信番組の関係だと思うんですけど……それって本当なんでしょうか?》


 送信ボタンを押した瞬間、胸がドキンと鳴った。

 (変に心配してると思われたらどうしよう……)


 けれどすぐに、玲奈さんからの返信。


 玲奈:

 《……ちょっと待って、それ初耳なんですけど!?》


 亜紀:

 《はあぁぁぁ!? “スタジオ”? どういう意味よそれ!?》


 麻里:

 《私も聞いてない……そんな話、会議で出てないわよね?》


 画面の文字がどんどん増えていく。

 私は少し怯えながらも、さらに打った。


 《直也さんは“一度だけ挨拶みたいなもので”って言ってました。

  “礼儀として出ることになっただけ”って……》


 亜紀:

 《礼儀でAmason行く人いる!? ていうか、礼儀って言うなら向こうのCEOが挨拶に来いって感じなんだけど、なんで直也くんが行かなきゃならないの!?》


 玲奈:

 《ちょ、確認します!!》


 その直後、玲奈さんのメッセージが立て続けに届く。


 玲奈:

 《……広報のビジチャ入りました》

 《……え》

 《……うそでしょ》

 《“五井物産広報部:出演承認済”ってなってる……!》


 亜紀:

 《――なにぃ!?!?!?!?!?》


 スマホが震えるように通知が鳴り続ける。

 麻里が冷静にフォローを入れた。


 麻里:

 《落ち着いて。亜紀さん、まだ“収録日”は決まってない。

  でも、たぶん向こうは“ネタ的な謝罪演出”で出してくるわね。》


 亜紀:

 《そんなもんにウチのCOO出すわけないでしょ!!!

  なに考えてんのよ広報!!》


 玲奈:

 《……五井物産広報、本当に懲りない……》


 私は画面を見つめながら、少しだけ息を詰めた。

 (……やっぱり、嫌だ)


 滝沢ミラと、直也さんが、

 同じスタジオで、同じカメラに映る。

 そのイメージが、頭の中で勝手に形になる。


 保奈美:

 《……私、ちょっとイヤです。

  直也さん、全然悪くないのに、またそんな事に巻き込まれちゃって……》


 麻里:

 《分かるわ。

  でも大丈夫。あの人は“知性と教養で最後に必ず勝つ”タイプ。

  どんな土俵に上がっても、絶対にブレないから。》


 亜紀:

 《でもムカつくものはムカつくでしょ!!

  明日IT統括取締役に共有して、再度広報を吊るし上げるしかないわね。》


 玲奈:

 《あの……亜紀さん、完全に口が悪いです(笑)》


 少しだけ、笑ってしまった。

 (……みんな、ほんとに強いな)


 私は深呼吸をしてから、最後にもう一言、送信した。


 《……ありがとうございます。

  私もみなさんを信じてます。》


 既読が「3」つ並び、ほぼ同時にハートのスタンプが飛んできた。


 その夜、

 スマホの画面を胸に抱きながら、

 私はゆっくりと目を閉じた。


 (……どうか、何も起きませんように)


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