魔性のニンジン その3
閉じられた目の先に光を感じ、グレイはゆっくりと意識を取り戻した。肥料と土のにおいが覚醒を早め、すぐに自分のいる場所を理解する。
キャロット農場の空の畑に、縛られた状態でグレイはいた。その少し先で覆面姿の男達が話し込んでいる。一人がグレイに気付いた。
「お、おい、起きたぞ」
なまりからこの土地の人間と感じ、及び腰から素人と察した。
「何だお前たちは。何が目的だ」
ゆっくりと体を起こし、いらだちの混じった声でグレイは聞いた。
「俺達は勇者教の信者だ」
男は声高く宣言した。周りの男達もそうだと同調する。
「この農場の女はニンジンに悪しき魔法をかけて売りさばき、巨万の富を得てふんぞり返っている。我々はそれを粛清しに来たのだ」
「……何か証拠でもあるのか?」
「証拠も何もそれ以外考えられん。でなけりゃ……」
「でなければ自分達の野菜が負けるわけがない。か?」
男の言葉をさえぎり、屋敷から一人の男が現れた。バージルだ。
何か袋のようなものを抱え、男達を一人ずつにらみ、最後にグレイを見た。
「その男はビーンズ。近くの農家のせがれだ。残りも似たようなものだろう」
バージルに一瞥され、男達が身を強張らせた。だが、そんな男達にバージルは口元を緩ませて見せた。
「落ち着け。私は取引に来たのだ」
そう言ってバージルは男達の前に、持っていた何かを見せた。それは生き物であり、グレイのよく知る者だった。
それはノワールだった。
フードの上から鎖で縛られたノワールが、転がった。首には糸を通したニンニクが巻かれ、ぐったりとして動こうとしない。
「この娘は吸血鬼だ。そうだろう?」
「気付いていたのか」
「無論だ。この白い肌とそれを覆うローブを見れば一目でな」
自信を持ってバージルは言った。
一目で吸血鬼と見破られたのも初めてではない。白い肌や赤い目、あるいは波長のような何かを機敏に感じ取る者もいた。だが以外にも、棺桶を担いでいる事に対して疑問を持つ者はおらず、グレイもそこだけは不思議に思っていた。もっとも、今は関係ないのでその疑問を振り払う。
「聞けビーンズ。この娘を本物の勇者教に引き渡せば遊んで暮らせる程の金や銀が手に入るだろう」
「俺達を物で釣る気か!?」
「……おいちょっと待て」
何やら自分を無視して話し出す男達に、おもわず声を出すも、グレイの言葉は届かずに流れた。
「違うのか?この一週間、何食わぬ顔で警備に雇われに来ておいて」
「……おい、人の話を」
聞いてもらえるはずもなく無視される。
「いきなり現れて商売の邪魔をしたのはあの女だろうが」
「もとよりここは夫人の別荘だ」
「……たのむ、俺を無視するな」
「黙っていろ。今大事な話の最中だ」
「そうだ。他所者はひっこんでろ」
「ああ分かった」
完全に眼中に無い事を確認し、グレイは自身を縛るロープを解く事に専念した。
「私は夫人があのニンジンにどれほど愛情を注いできたかを見てきた。赤玉ニンジンはその努力が生んだ成果なのだ」
「ここは俺達の土地だ。俺達のルールってもんがあるんだよ。商売を始めたきゃ最初に筋を通すもんだ」
「だからこうして手を打とうと言っているではないか」
言い合いが加熱する中、グレイはどうにかロープを解いて自由になった。と同時に、新たな珍入者がそこに飛び込んだ。鳴き声を上げて。
すさまじい加速をともなったジャンプを決め、衝撃とともに二本のわだちを残しながら、スライディングでグレイの前にそれは現れた。鳴き声を上げて。
「ブヒッ」
それはイノシシだった。
背中に小さな仔イノシシを担ぎ、口にはグレイの愛刀である冬の枯れ木をくわえ、そのイノシシはグレイに微笑んだ。
「お前、恩返しのつもりか?」
冬の枯れ木を受け取りながら尋ねるグレイに、イノシシは当たり前だとばかりに胸を張った。
そんなイノシシの頭を撫で、グレイは男達に向き直る。
「さて、まずは話を……」
しかし開かれた口を開いたままグレイは止まった。それをさえぎるものがあったのだ。
「ぬぎゃあぁぁぁぁぁぁ」
それは絹を裂くような悲鳴でもあり、潰れたカエルの断末魔のようでもあった。
男達も何事かとその視線を追ってそれを見る。その視線の先、縛られた状態でノワールが倒れていた。
先程の衝撃で動いたのだろう。その口には、首に巻かれていたニンニクが、丸ごとスッポリと収まっている。
動かない。夜風が髪をなびかせて鼻をくすぐっても、まるで動かない。
「死んだか?」
男の一人が誰にともなく尋ねた。
答えたのはグレイだった。
「その程度で死ぬなら苦労はしない」
言葉の通りノワールは生きていた。
古来より吸血鬼を殺す方法はいくつかある。有名どころでは、心臓に杭を打ち込む、首を切り落とす、完全に燃やす、銀の武器でメッタ刺す。……とまあ、一般的な生き物の殺し方と大差ないのだが、決定的に違うところがあるとすれば、やりすぎるくらいでちょうどいいといったところだろうか。
少なくともニンニクや十字架を投げつけた程度で殺せると思ったなら、それは大きな間違いだ。その証拠に聞こえるだろうか?地獄の淵から呼ぶような彼女の声が。
「辛いぃぃぃぃ!!」
ここで勘違いされた方の為に注釈させていただくが、吸血鬼がニンニクを嫌う理由は辛い物が苦手だからではない。
それはさておき、天地を震わす程の声を上げ、彼女は立ち上がった。いや、浮き上がった。
目は虚ろ、髪は風を無視して揺れ、濡れた唇からは鋭い犬歯が、遠目でもわかるほどに伸びている。どう見ても平静ではない。
そしてそんなノワールの姿に、一人見覚えのあるグレイは最大級の緊張をもって身構えた。
地面からわずかに距離を開け、空間そのもの上にでも立ったかのような姿は、人間の基準では非現実的であり、それは恐怖となって男達を凍り付かせた。
そんな男達とは逆に、バージルは必至で自分のポケットから役に立ちそうなものを取り出していた。十字架、ニンニク、聖水、銀食器。手当たり次第に投げつけたそれは、しかしひとつとして彼女に当たる事は無かった。
吸血鬼とは弱点の多い生き物だ。だが、何故それほどの弱点を人間が知り得ているのか?答えは簡単。それらは幾千幾万もの犠牲を払ってまで得た知識であり、そうせざるをえないほど人類にとって彼女達が危険極まりない存在だったからに他ならない。
十字架は空中で握り潰されたように形を変え、ニンニクは四散、聖水は蒸発してビンは溶け、銀食器は見えない壁に跳ね返って地面に落ちた。
ついに投げる物も無くなり、バージルは慌ててグレイに助けを求めた。
「たた、助けて。あなたなら止められるのでしょう?」
なんとも都合のいい懇願だったが、都合を考えるだけの余裕は彼には無い。
そんなバージルに、グレイはひとつだけ尋ねた。
「夫人はどこだ?彼女も関わっているのか?」
バージルは涙ながらに首を振った。
「主は関係ありません。すべては私の独断です」
「そうか。ではお前の処分は夫人と相談しよう」
泣き叫ぶバージルをグレイは鉄拳で黙らせた。
転がって倒れたバージルを一瞥し、今度は固まったままの男達に向かう。
「聞け。俺はあれを止めてやることができる。その対価として二度と夫人に手を出さんと誓って失せろ。」
「なっ、いや……だが」
「夫人はお前達が思っている人間ではないし、農場拡大の意思は無い。老人の余生を邪魔するな」
「わっ分かった。分かったから助けてくれ」
男達は我先にと逃げ出した。いつの間にかイノシシ親子の姿も無い。
残っているのはグレイとノワールの二人だけ。
ノワールを見つめるグレイの目と、虚ろなノワールの目が合った。獲物を見つけて嬉しいのか、ノワールの口の端が上がり、勢いよくグレイに向かって飛んだ。
常人ならば瞬き程の速さで動くノワールの動きを、しかしグレイは冷静に見極めていた。
捉えようと伸ばされた手を、細かいステップでかわす。かわす。
二度、三度と繰り返される中、急にノワールの動きが止まった。いうなれば第六感。混濁した意識の中ですら感じてしまう何かをグレイは発していた。
そしてそれは起こった。
あるいは、彼がこの三年を剣技に費やしていれば、たやすく山をも切断するほどの技を身につけていただろう。あるいは、高名な魔術師に師事していたならば、奇跡のような魔法も使えるようになっただろう。しかしそれは可能性に過ぎない。
彼は真剣を取ることも、魔法を覚えることも許されない。
だがそれでも、彼の身には修行や才能すら超える反則極まりない力が秘められていた。そして幸運にも、それを使用してはならないという制約は白の国にはなかった。
風が舞い、大地が震え、空間すら捻じ曲げて彼は立っていた。
呼吸を整え、重心を落として、グレイは構えを取った。拳を握り、力を集中する。
行うのは素晴らしく単純で最も効果的な技だ。足を踏ん張り、身体を回し、腕を振ってその技は放たれた。
すなわち、無駄の無い腰の入ったストレートが。
「勇者パンチッ」
その一言を聞き終わる前にノワールは地面にめり込んでいた。
いや、めり込んだなどと生易しいものではなく、埋葬されるだけの深さをもって、埋まった。
ひとしきりの余震が収まった後、グレイはゆっくりとその拳を収めた。
幾筋もの凹凸模様は、僅か一瞬にして無残な穴ぼこと土の山に変化し、局地的な災害にでもあったと言われれば信じてしまいそうな有様がそこにあった。
少女一人を正気に戻すにしては、いささかやり過ぎと言える。もっとも、彼にしてみれば、いくらか穏便に済ませた方ではあるのだが、そこは根底となるべき尺度の差というものが強く出てしまっていると言える。
どうしたものかと周囲を見渡していると、その足元で何かが動いた。うつむくグレイの目に、タケノコのようにひょっこりと顔を出したノワールの頭が映った。
その身を覆っていた狂気が消え、いつもの穏やかな雰囲気をまとっている。
キョロキョロとあたりを見回し、その頬に汗をたらしてノワールは口を開いた。
「うわーなんだかすごいことになりましたねー」
「何を他人事のように言っている。半分はお前が原因だ」
首元を掴まれ、猫のようにノワールは引き上げられた。
そのまま平坦な場所へと運ばれ、無事に着地。そして一拍置いて今度は絶叫した。
「どうするんですかこれ!?絶対怒られちゃいますよ。朝ごはん抜きですよ」
「どうするもこうするも無いッ。夜明けまでに元通りにしてごまかすんだ」
涙ながらに惨状を指さすノワールに、グレイは証拠隠滅を指示した。
そこからの数時間、二人は例によって人智を超えていた。
ノワールはその怪力でもって飛び散った土を拾い集め、えぐれた大地を埋め、グレイは風のような速さでクワを振るい、土を耕した。それは夜が明けるまで続いた。
その類い稀なる能力を存分に無駄使いして、二人はこの突貫工事をやり遂げた。建築家や造園士達が見れば、その場で雇おうとしたことだろう。
なお、作業の合間に目を覚ましたバージルを、逃げられぬよう首から下を生き埋めにする一幕もあったが、作業の疲労からか夕刻まで忘れてしまうこととなるのであった。
ベッドと棺桶に倒れこみたい衝動をにかれるのを抑え、二人はキャロット夫人への報告に向かった。
二人の報告を聞いたキャロット夫人は、驚きながらもすぐにそれを受け入れた。
「余計な事をしてくれたもんだねまったく」
「それは俺達のことか?」
「まさか。よくやってくれたよ。バージルは追い出すとして、同業者の連中は……まあ、そっちもどうにかするさ。しかし魔法をかけたニンジンとはね」
クククッと声を上げてキャロット夫人は笑った。そんな夫人に、おそるおそるノワールが尋ねた。
「あの、まさかとはおもいますけど、本当に魔法なんかかけてないですよね?」
「あたしゃ普通の未亡人さ。ついでにニンジンも普通のありきたりなやつさ」
「それはよかっ――え?」
目をぱちくりさせてノワールは首を傾げた。グレイも同様に耳を疑って聞いた。
「待て、たしか赤玉ニンジンは新しい品種のニンジンではなかったか?」
「世間が勝手に思ってるだけさ」
「だが、味も栄養価も高いと雑誌で読んだぞ」
「記者も編集者もグルなのさ。出費はしたけど、おかげで儲けさせてもらったよ」
今度はカッカッカと笑い出すキャロット夫人に、ノワールは震えながら口をぱくつかせ、グレイはだらだらと流れる汗をぬぐうのも忘れて聞いた。
「待て待て、では結局農夫達の言い分はある意味もっともだったというのか?」
「それは営業努力の差ってやつさね。今日日この国で職人気質は流行らないんだよ」
悪びれる様子もなく、夫人は美味そうに紅茶をすすった。
「まあ、どのみち冬を越したら家ごと畑も売り払うよ。欲しい分は手に入ったからね」
「……ためしに聞くが、その金で何をする気だ?」
「世界一周」
いたって大真面目に夫人は答えた。
「言っただろう?やりたい事を全部やるって。それが終わったら楽器に絵画。ああ、役者にでも挑戦してみようかしらねぇ」
彼方に見えるスポットライトに向かって手を伸ばし、夫人は近い未来へ思いをはせた。
対照的にがっくりとうつむき、放心する二人だったが。不意にその肩を夫人に叩かれた。
「ところで、あんたたちずいぶんと畑を荒らしてくれたねぇ」
「ええー、何のことですかねー。私わからなーい」
「……気づいていたのか」
「当たり前だろう」
それもそうか。とグレイは改めて無駄な努力だった事に涙した。
「まあ、この際起こったことはいいさ。悪いと思ってるなら行く先々で赤玉ニンジンの宣伝を頼んだよ」
「善処しよう」
その言葉に、キャロット夫人は満足そうに微笑んだ。
「さて話も終わったところで朝食にしようか」
二人は用意された無駄に値段の高い普通のニンジンを黙って食べた。
ここからは簡単な後日談となる。
バージルは当然解雇された。
畑から掘り起こされた彼は、言えるだけの言い訳をひとしきり並べ立てたが、夫人の頼みを聞いたグレイによって追い出され、退職金もとらずにその姿を消した。
二人はいつも通り日が暮れてから出立した。
キャロット夫人は大盤振る舞いで宝石類を報酬に渡したが、後が怖いのでいくつかは返却した。
たった一人の従業員を失ったキャロット農場だったが、程なくして新たな従業員がみつかった。誰もが驚くそれは親子のイノシシだった。
荷物運搬から不審者の撃退までこなすこの従業員に、キャロット夫人も大喜びだ。
エサはもちろん大人気の赤玉ニンジン。
今日も七色大陸は平和なのであった。
――さて、この物語を語る上で大事な事を説明ておこう。
すでに分かっている者もいると思うのだが、この物語の主人公はグレイはである。そしてグレイは勇者だ。
グレイは勇者の血を引く者であり、誰が決めるでもなく、生まれる前からそれは決まっていた。
この世に神々がいるならば、きっとそれらが決めたことなのだろう。
世間一般に言う勇者であるならば、世界の平和の為に身を粉にして働くところだが、生憎と彼は自分の事で精一杯だ。適当に百人も集めて困っている人ランキングを作れば、上位三十位くらいには入っているだろう。
もっとも、彼自身の問題にかかわらず、現状で勇者というものは、それほど求められていない。
何故なら世界は今日も平和なのだから。
だからこそ、彼は今日も余計なことを気にする事無く、ノワールとの旅を続けられるのだ。
これは我が友人である勇者グレイの長い長いチュートリアルの物語である。
小説って難しいなと改めて思います。
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