魔性のニンジン その1
新月歴1020年春。
七色大陸は今日も平和だった。
農村の農夫達は豊作に笑顔を浮かべ、辺境の騎士達は剣を研くのを週に一度までサボっていた。
南方に位置する赤の国は交易の国である。広大な領土に血管のような交易路が張り巡らされており、また海洋からは異国の品々が日々運び込まれた。その辺境にあるこの街もまた、広い市場を中心にして賑わいを見せている。
ある者はその日の食料を、またある者は珍しい美術品を、そしてある者は冒険に必要な装備や道具を求めて、買い物を楽しんでいる。
そんな市場の一角に、口元をへの字に曲げて店主をにらむ青年がいた。
机の上に並んでいるのは、牛肉200g、チーズ一切れ、青野菜一玉、塩1ビン。さらに生きたままの野ウサギが一羽、両脚を縛られて置かれている。対する青年の対価は、小振のルビーと銅のインゴットが一つずつ。
どうにもぼったくられているようだ。
困ったようにルビーを指で転がしながら、チラチラと店主の顔を覗き見るものの、そんな青年の視線をどこ吹く風に店主は笑顔を浮かべている。
「どうするよ兄さん。嫌なら他所の店に行ってくれていんだぜ?」
「買わないとは言ってない」
不愛想に目を背けながらも、青年の頭には仕方ないかというあきらめがあった。もともとこの街では商人の方が立場が上なのだ。
青年のいる店の隣の店では、分厚いメガネをかけた老人が悔しそうに袋から宝石を取り出しており。その裏の路地では、妙齢の紳士が美しい女性の半裸が描かれた絵画を前に、熱心にポケットの中をまさぐっている。
七色大陸に貨幣制度は存在しない。
作ろうという機会こそ有ったのだが、複数の問題を解決できず、幾度となく頓挫しているのだ。結果として、数千年以上前から変わらぬ物々交換がこの大陸の経済を回していた。
貨幣が存在しないということは、すなわち明確な値段の相場が存在しないということである。何と何を交換するかは店主の都合に一任され、言い値がそのままその店の相場となる。もとより客に勝ち目など無いのだ。
結局、夕刻を告げる鐘が鳴ったのを機に、青年は店主の言い値を了承した。
「まいどあり。おまけにイチゴとニンニクでも付けてやるよ」
親指程もある牙の生えた口で笑う店主に、イチゴだけをもらって青年――グレイは中年オークの営む食料店を出た。
同じくして、大事そうに荷物を抱えたドワーフの老人が隣の店のから顔を出し、真面目そうな顔のエルフの紳士が、四角い包みを抱えて路地から現れた。
今日も七色大陸は平和なのだ。
その日のグレイの寝床は、街はずれの宿屋だった。
店主は人の良さそうな老年の女将で、大量のマキ割りだけで彼らに部屋を貸し与えてくれた。
女将に鍋とかまどを借り、慣れた手付きで食事の準備に取り掛かる。
旅を初めて三年。最初は指を切る事も珍しくなかったが、すっかり上達したものだ。他にも食べられる野草の見分け方や、水の蒸留・保存の仕方など、身をもって様々な事を彼は学んできた。
料理が出来上がったのは、すっかり日も落ちた頃だった。完成した二人分の料理を抱え、行儀が悪いと思いつつ、グレイは足で借りている部屋のドアをノックした。
軽く小さな足音に続いて、ドアが内側から開いた。
出迎えたのは黒い髪の少女だった。
「おかえりなさいグレイさん」
「待たせたなノワール」
漆黒の髪を揺らし、整った美しい顔に笑顔を浮かべて、ノワールと呼ばれた少女はグレイを迎え入れた。
二人で使うには少々手狭な机の上に料理を並べ、二人は遅い夕食を始めた。
グレイの前には牛肉のソテーと野菜のサラダが。ノワールの前にはイチゴを添えた野ウサギが1羽。甘酸っぱい香りのイチゴに目もくれず、ノワールは野ウサギに噛み付いた。
苦しそうに身をよじる野ウサギに、おもわず少女が口を離す。その口元からは赤い血と白い犬歯がのぞいている。
既に察しの事と思うが、ノワールは吸血鬼である。
古今東西様々な文献に登場する親類達に違わず、彼女もまた夜の住人だ。その肌は陶磁器のように白く、髪は星の無い夜よりも暗く、その瞳は血のように赤い。そして何より、今現在彼女が腰かけているのは椅子では無く、鋼鉄製の頑丈な棺桶だ。
細かなバラの装飾が施されたこの棺桶は、吸血鬼の必需品であり、ノワールの半身と言ってもいい。中には上質な毛布と柔らかな枕が入っており、仕切りは防音と断熱に優れて湿気にも強く、磨き抜かれた漆黒の装甲は太陽光はおろか、衝撃、熱、冷気、ガス、魔術の類に至るまでを無効化して彼女の玉の肌を守っているのだ。
ちなみにこの部屋にはベッドは一つしかない。まあ、必要ないのだから当然だ。
一人用の部屋でいいと言われた女将は、実に良い笑顔で二人を見送っていた。お楽しみにというやつである。
先に食事を終え、手持ち無沙汰になっていたノワールが口を開いた。
「何かご依頼は見つかりましたか?」
「ああ、こんなのがあった」
半分ほど残っている牛肉から口を離し、グレイはポケットから一枚の紙を取り出した。
「ニンジンを作ってる農家がイノシシに困ってるようだ。次の街への途中だからちょうどいい」
「イノシシですか?」
「好きだろ?」
「大好きです」
うなずく彼女の口元には、わずかにヨダレが垂れかかっていた。どういう意味での好きなのかは言うまでも無い。
残っていた料理を食べ終え、今度はグレイが聞いた。
「出かけてる間に何かあったか?」
「ずっと寝ていました。でも夕方に少しお散歩を……。そうしたらまた勇者のウワサを聞きました」
「また勇者か」
また。と言う言葉から察して欲しいのだが、彼らは勇者と呼ばれる者達に少なからず縁がある。
あまりいい思い出では無かったのは悲しいことであるが。
「人間賛歌の連中か?」
「はい。勇者教が青の国で大規模な布教活動を行ってるそうです。町から毛むくじゃらを追い出せーとか。牙を持つ者を子供に近づけるなーとか」
両手を動かして演説者の真似をするノワールを見ながら、グレイは顔も知らぬ信徒達の事を思った。
勇者とはつまり勇者の事である。
広く偶像として大陸全土に浸透している言葉だが、ほとんどの者はそれがどういう存在かを理解していない。
1000年ほど前に現れて世界を救ったなどと言われているが、何をどう救ったのか――そもそも救いを求めるほど危機に瀕した状況というものを現代人は思い描けないのだ。ただ一般的な知識として、七つの国に七つの勇者の家系が秘密裏に存在しているということくらいしか知られていない。
秘密裏に、である。
「本物だと思いますか?」
「わからん」
キッパリとグレイは言った。本当に分からないのだ。
勇者の血を引く者達と面識こそあるもの、彼らがそのような反社会勢力的な行為を行うとは思えない。むしろ思いたくない。
まあ、偽物ならばいつかバレるだろうし、出来るなら関わりたくない。というのが彼の本音だった。
食事を終え、食器を片づけようとしたグレイは、ふと目の端に自分の指を弄るノワールを捉えた。
「指をどうかしたのか?」
「はい。ちょっとソコの燭台を掴んじゃいまして」
苦笑しながら指さされた方を見ると、暖炉の上に一台の燭台が置かれていた。他の家具や置物がキレイに磨かれている中で、わずかにホコリをかぶったままだ。
「銀製だったか。気づかなかったな」
ホコリをかぶっていたのもあるが、客室にこんな高価な物を置いていると思わなかった事を、グレイは後悔した。
ノワールの指を掴んでのぞき込むと、その先に火傷のような痕があるのが見えた。
「大丈夫か?」
「はい。もうぜんぜん。ちょっとかゆいくらいです」
グレイの手から指を引き抜き、何故か腕をブンブンと振ってアピールを始めるノワールに、分かったとグレイは苦笑した。
「じゃ燭台は俺が磨いておくから、皿はノワールが洗ってくれ」
「はい」
元気な笑顔でノワールは応えた。
部屋を出るノワールを見送ってグレイは燭台とボロ布を手に取る。
他の家具がキレイなのはノワールが磨いたからだ。律義なものだと思いながらも、しっかりと裏まで磨いてグレイは燭台を置いた。
銀は一部の種族にとって有害な存在だ。吸血鬼や狼男の弱点として描かれた伝承も数多く存在する。
貨幣制度が頓挫した経緯にはこれらが理由もある。
人間を含む七色大陸の主要種族の中にも、銀が苦手な種族がいるのだ。また他にも、黄金に触れると気が昂る種族や、金属そのものを好まない種族も多かった故に、やむなく流れてしまったのだ。
他種族間で平等な関係を模索する場合、こういった弊害は必ずと言っていいほど発生する。分化・風習・食事・宗教……。それら価値観の違いを放置していては、多くの場合で対立することになるのが歴史の常である。
時の賢者達もこう思ったことだろう。面倒くさくなりそうなことは、やらない方がきっと良いのだと。
これも譲り合いのひとつなのである。
ノワールの帰りを待ちながら、グレイは二人分の荷物の整理を始めた。
武器、食器、食料、薬品、年頃にしては少ない衣類……。当然下着は別管理だが。
夜も更けて人通りがまばらになった頃、二人は宿を出て旅路についた。夜間の出発に女将も驚いていたが、そこは何か事情を察して何も言わなかった。
夜の道は危険だがこればかりは仕方がない。これも譲り合いのひとつだ。
なにせ片方は吸血鬼なのだから。
二人が出会ったのは三年前、北にある白の国の小さな村だった。
仁徳や高潔さを尊ぶ白の国の文化に違わず、その村でも成人を迎える男達には、とある試練が課せられていた。
試練と言っても、滝に飛び込んだり野獣と決闘するといったことは無い。まあ、そういう時代もあったのだが、現在の試練は安全と人権に配慮して優しい仕様となっている。
汝、他の者の苦痛を背負い己の力を証明せよ――。簡単に言うと、人助けで一人前だと証明してみろということだ。
一般的な風習では、近場にある依頼掲示板から一つを選択し、一人でそれを解決。その後、それを報告する事で、成人と認められる。
とはいえ、それらは昨今ではすっかり形骸化しており、知人や親戚に頼んで簡単な依頼を出してもらい、短時間で済ませてしまおうとする事が多い。ちなみに現在での最速は、約五分三十二秒だ。内容は各自想像におまかせするとする。
そんな村に生まれたグレイもまた、試練を迎える年となり、依頼を受けるに至った。
当時グレイは体格にも才能にも恵まれた少年であり、また白の国の男らしい向上心と正義感を持つが故に、上記の裏口成人を良しとせず、両親もその意思を尊重してくれた。
この素晴らしく勇敢で無謀で思春期の少年は、複数の依頼の中から己の感性のままに一つを選んだのだ。迷子の少女を母親のもとへ送り届けるという依頼を。
初めこそ意気込んでいたグレイであったが、少女の話を聞く間にその気合は泡のようにパチパチとはじけ飛んでいった。
曰く、その少女は吸血鬼であり、母親もまた天下に名を轟かす大物吸血鬼である。
彼女の母親は、この世の何処かにある夜の魔城に住んでおり、その城の周りを巨大な魔物達が守っている。
そしてもっとも大切な事であるが、行く当てにヒントも何もあったものではなく、いつ終わるとも知れない長い長い旅になるという事だ。ちなみにこれらをグレイが知ったのは、村を出た半日後の事であった。
以上が二人が旅をする経緯である。
当ての無い放浪ではあったが、グレイ自身はこの旅を有意義に感じていた。
街を越え、山を越え、国を越え、そのつど新たに得られる知識に感動し、己の未熟さを痛感もした。三年たってもそれは変わらない。これこそが試練の本来の目的なのだろうとグレイは結論付けていた。
もっとも、白の国の男として途中で放り出すわけにもいかず、両親並びに友人達に完遂して帰ると宣言した手前、手ぶらで帰るわけにもいかないという気持ちも僅かにあるのだが。
そんなこんなで、今夜もグレイは当ての無い旅を続けるのであった。
春先とはいえまだ肌寒い夜風をローブで防ぎながら、月明かりの道を二人は歩いていた。
グレイは厚手の丈夫な上着に、複数のポケットのついたズボンと頑丈なブーツ。そして背中には、二人分の荷物の入った大型のリュック。一方ノワールは、動きやすいワンピースの上にフード付きのローブを羽織り、背中には身の丈を超える棺桶を軽々と背負っている。
先導しているのはノワールの方だ。
夜の住人だけに暗さをものともせずにスタスタと歩いている。そんなノワールの後を、周囲を警戒しつつグレイは追う。
新月や雨の夜などは、手をつないで先導してもらう事もある。彼自身、男としてどうなのかと思う時もあるのだが、ケガでもすればそれこそ迷惑がかかるため受け入れている。
最初のうちは昼間に棺桶で眠るノワールを引っ張って移動した事もあるのだが、すれ違う旅人達から、やれ教会へ連れて行きなさいだの、聖なる泉はあちらですだのと言われるのが面倒になり、夜の移動がメインになっていた。
「……月が綺麗ですね」
青みを帯びたの半月を見上げて、ノワールが口を開いた。
周囲に張っている気をそのままにグレイは目線を上げ、そうだなと応えた。
「……」
「……」
鳥と虫達の声が森を満たす中、二人の間を土をける足音だけが流れた。
普段からグレイは口数が少ない方であり、ノワールもさほど口数が多い方ではない。それにしても寂しい。
不愛想すぎたかと反省しながら、今度はグレイから口を開いた。
「赤玉ニンジンを知っているか?」
実に唐突な質問であるが、困った様子も無く、ノワールはいいえと答えた。
「これから行く農家が新たに作った品種らしい。見た目はさほど変わらないが、栄養価が高く味も上品らしい」
「高級品なんですか?」
「とある雑誌が特集記事を出すまでは無名だったらしいが、以降は転売までされているようだ」
「ニンジンが」
「ニンジンがだ」
世の中分からないものだなあ……。と、極めて庶民的な感想を二人は共有した。
その後も間を開けつつ、代わる代わる他愛のない話をしながら、二人は足を進めていった。
初投稿になります。
よろしくおねがいします。




