第九話 それはいつだって平等だった
思いの外、ポリネの村は近かった。
帰路で数時間かかった旅路が、わずか一時間足らず。
どうやら相当フニルに気を遣われていたらしいな。
あの時はそれどころじゃなくてわからなかったが、今度、望むだけ魔力を食わせてやろう……って、甘い顔を見せてはいけないのだろうが。
田舎なだけあって、もう村は真っ暗闇の中だ。
城下街だったら誰かしらが灯の魔術を使っていたり、飲み屋や色町は繁盛しているものだが、どこの家もすでに眠りについているようだった。
異世界って言ってもこういうところは俺の地元と一緒だな、と、頭の中で司が呟く。
彼の生まれ故郷は田舎だった。そこで最大の権力を持つ人物の長男として生まれ、一般的には秀才と呼ばれる程度の知能を持っていたが、次元が違うと言えるほど飛び抜けた存在ではなかった。
なるほど、話の規模は違えど俺と似たような生い立ちだと思う。
いや、グラネリアという世界単位で見たら、所詮魔大陸も田舎だろうか。
そう考えると、本当によく似ている。
この辺りが、転生先に俺が選ばれた理由なのかもしれない。
なんて考察もそこそこにして、フニルに乗り続けたまま俺たちは村を疾走する。
奥へ奥へと進み、アーネウスの屋敷……を華麗にスルーして、例の小屋まで辿り着いた。
暗くてよく見えないが、足跡を観察する限り奴はまだこの中にいるようだ。
無駄足にならなくて済んだな。
「そろそろ話してくれてもいいんじゃない?」
フニルから降りると、リリエールがまた問いかけてきた。
気になるのはわかるけど、あんまり口にしたくない。
だからその時まで内緒だ。彼女に苦笑を返して言葉を濁した後、俺を溺愛して止まないルフ種へと声をかけた。
「『戻れ』、フニル」
すると、鳥獣は虹色の輝きを放ち、小さな、15cm程度の容姿へと縮小、いや、変化する。
薄緑色の羽根をバタつかせながら空中散歩して身体を慣らした後、俺の肩に座った。
わざわざ怪我している方に座る辺り、性根から歪んでいると思う。
「久しぶりだネ、クロノ。出番?」
「多分ね。よろしく頼むよ」
「いいヨー。また魔力たくさんくれるならネ。何ならその怪我も治してあげてもいいヨ?」
「後が怖いからそれはいい。じゃあ行こう、リリエール。……リリエール? おーい? 聞いてる? 生きてる? 起きてる? 寝てる? 寝てるなら悪戯していい? 悪戯するよ?」
「…………はっ! ダメに決まってるじゃないぶっ飛ばすわよ!」
ダメだったらしい。実に残念である。
なんてふざけている場合じゃないのだが、彼女が絶句するのも仕方ないというところだ。
普通、魔物は変身したり変化したりしない。
世に溢れるルフ種だってその例に漏れず、ルフ種はルフ種として生まれルフ種のまま死んでいく。
つまり、フニルはルフ種ではない。
「まさか……いいえ、ありえないわ。だってその鳥獣……さっきまで鳥獣だったそいつは、随分あなたに懐いていたみたいだし、付き合いも長かったみたいだし、アレがそんな行動をするはずが……」
「そのまさかで間違いないよ。信じられないかもしれないけど」
「…………………………………………あなた、精霊と契約しているのね?」
精霊。精霊とは、妖精が俺たちには想像もつかないほどの長く永い年月を重ねて成長した姿を言うらしい。
妖精、妖精族はこの世界に限りなく肉薄した裏側の世界に住むと言われている存在で、気紛れに姿を現しては気紛れに世界を救う手助けをしたり、気紛れに世界を破滅に導いてみたりする、およそ俺たち魔族にも、人族にも傾倒しない。身勝手で我儘な種族だ。
魔術の根幹は、初代魔王が結んだ精霊との契約にあるらしく、俺たちとこいつらには切っても切れない縁がある。それが無ければ今すぐにでも切ってしまいたい縁だな。
「契約してないヨ」
「え?」
「ボクはクロノが好きだから傍にいるんだ。たくさん魔力持っているからネ」
「……変人とか穀潰しとか次代で魔族は終焉とか、ロクな噂聞かなかったけれど。あなたって、やっぱり規格外なのね」
「いや、これに限ってはフニルが変なだけだ」
俺が正式に父上の跡を継ぐ時には精霊と契約する事になるらしい。
が、さすがに就任前に精霊と契約した魔王はいない。
そう聞いている。血筋の関係で、魔王となる人物は代々魔力総量がバカ高い傾向にあり、そのせいで魔力を餌とする精霊には好まれやすいのだが、それにしたって青田買いにも程がある。
フニルは精霊の中でも群を抜いて変態なのだろう。
(相変わらず酷い言われようだな。魔族の終焉とかボロクソにも程がある)
(うるさい黙れ)
こいつ最近絡んできすぎだろ……何なの? かまってちゃんなの?
そもそもいつからこいつは俺と行動を共にしていたんだ……いや、転生だとしたら俺が生まれたその瞬間からか? そのわりには、先日の白昼夢までは全く存在を感じなかったぞ。
いくらなんでも、自分の中の『もう一人の自分』に18年間も全く気付かないなんてあり得るのか?
やっぱり、余裕がある時に調べる必要があるな。
父上にお願いして書庫を見せてもらうか。
なんて先々の事を検討しながら脳内で司と会話を繰り広げていると、フニルがじっと俺を見つめていた。小さな小さな瞳の、その深淵に何が映っているのかはわからない。
精霊は俺たちが理解できる範疇の外の存在だ。
理解しようとするだけ時間と労力の無駄な上に徒労ですらある。
「……まぁいい。あ、リリエール、一応言っておくけど」
「今日の事は誰にも言うな、って? いいわよ。あなたが私との約束を守ってくれるなら、そうしてあげるわ」
それなら構わん。
約束は守られる。だから、リリエールも約束を守る事になるだろう。
アーネウスを殺してしまいたいのが、お前だけだと思うなよ。
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死は誰しもに平等に訪れる。あれほどの結界術を誇った在りし日の父でさえ、結局は病に倒れた。
そうして、後を継ぐ形で私が魔王城に雇われた。
無難な形での地位の承継、順風満帆の人生、そう言ってしまっても良かったのだろう。
仕事にも慣れてきた頃、魔王様にご子息が誕生した。
大陸を上げて盛大に祝う算段が立っていたが、同時に不幸もあった。
フェスティア様がお亡くなりになられたのだ。
民は誰もが深い悲しみに沈んだ。何日も、街が活気を取り戻すことは無かった。
私もその一人だ。あれほど聡明で穏やかな気配を持つお方には、もう二度と巡り会えないだろう。
王妃として相応しく、母性という言葉を体現したようなお方だった。
だからこそ、ご子息には多大な期待がかけられた。
魔王様の血を引き、そしてフェスティア様の血をも引く。
史上最も優れた魔王として、魔族を益々繁栄させ、人族を根絶やしにしてくれる、歴史に名を残すお方に成長されると、誰一人疑う事をしなかった。
――その期待が裏切られるまで、それほどの月日は必要としなかった。
偉大なる血統に生まれながら、魔術を使えない。
ありあまる魔力を持ちながらも、その活用の手段がない。
魔大陸において魔術が使えないというのは致命的だ。
仮に平民でそんな者が生まれたら、赤子のうちに川に流されても仕方ない。
誰もその両親を責めないだろう。
それほどに存在意義を疑問視されるのだ。
しかしクロノはそれでも魔王様のご子息。
誕生を否定される事こそなかったが、とはいえどうしようもないと誰もが匙を投げた。
少し経つと、突拍子もなく年齢に見合わない完成された理論を持ち出し、飛躍的に時代を進めることもあれば、肩透かしに終わる事も多々ある。
捉えどころのない不思議な人物に成長したが、やはり、我々の期待ほどのものではなかった。
失望した。若き日の私は素直に失望したが、逆にチャンスだとも思った。
私は決して優秀な魔族とは言えなかったから、あのままでは当時以上の出世は望めなかっただろう。
魔王城の金庫番など所詮は事務職と見下されていたからだ。
魔族は最終的には武力で片をつけたがるが、その頃の私には武力がなかった。
だが、クロノを利用すれば、クロノに取り入る事が出来れば、もしかしたら。
金勘定をしながら奴隷を弄ぶだけ、空論の研究に身を費やすだけの退屈な毎日から抜け出せるかもしれない。もしかしたら――。
そう思い、ツテを使って優秀な魔道具研究者を紹介した。
それからのクロノは水を得た魚のように活発で利発な少年へと成長していった。
思い付きのような『もしかしたら』が、無駄じゃなかったかもしれないと、そう考え始めていた。
もっとも、まだまだ幼子、もう奴に過度な期待を持つのはやめようと、あくまでそんな認識だったが。
……状況が一変したのは、12年前。人魔大戦が勃発してからだ。
そして、私が死を極端に恐れ始めたのも、その頃だったように思う。
「アーネウス様……その、このお方は」
「………………」
毎日毎日、いや、数時間おきに誰かの戦死が伝えられた。
その中には、古き友の名前もあったし、今や懐かしき初恋の女性の名前もあった。
目をかけていた部下の名前があった。
二言三言会話した程度の魔族もいれば、何度も酒の席を共にした同僚もいた。
死は誰しもに平等に訪れる。
戦費を管理する者として、城を守る者として残っていた私も、気付けば戦場に駆り出されていた。
父には劣る力、されど私が有する結界術は有効だ――そのような判断が下されたのだと思う。
……向かった戦場は地獄だった。ただ戦うだけの毎日、目の前で、昨夜夕食時に笑いあった誰かが死ぬ。そんな日常に、気が狂ってしまったのかもしれない。……死にたくないと、その願いが募り積もり、いつしか怨念となり憎悪となって、そして。
そして、停戦はなされた。
父を超える結界術を身に着けた私が、戦争を終わらせたのだ。
わかっていたのだ。この力の源泉は恐れだ。
死への恐怖が私を覚醒させた。
眼前に振り下ろされる剣が、槍が、弓が、私に結界術の本質を教えさせた。
戦争を終わらせたい、もう恐ろしい思いはしたくない、ただ、死にたくない。死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。本当に、それだけだったのだ。
かくして戦争は終わり――私は、『在庫』を消化する事に決めた。
兼ねてから推進していた不死性の研究に本腰を入れると同時に、どこぞの狂った研究者の書物を買い漁り、強靭で何物にも勝る新しい生物を作り出したかった。
そうすれば、もう戦争に怯える必要も無い、死を恐れなくていいのだと。
……もう少し、あと少しでそれは叶いそうだったというのに。
権力の全てを有効活用した。
戦争の功績もあり、私が何をどうしようと誰も何も言わなくなっていた。
そう、もはやクロノに頼ることも無く、私は私が望むがままに歩み、望む未来を手にすることが出来る……。もはや、誰に媚び、恩を売る必要もない。私は、自由だった。
それは勘違いだったのだと、あの日、クロノとコモン、そしてフローチェが財務室の扉を蹴破ってきた日に気付いたのだ。自惚れていた。図に乗っていた。増長していた。
それでも、ひとたび味わった蜜の甘美さから逃れられるはずも無かった。
忌々しいという思いと共に、………どこで、どこで間違えたのだろうと、そんな事ばかりを考えるポリネでの日々、しかし私は研究を推し進めた。
だが、『間違えた』、と過去形で表すこと、それ自体が間違いだった。
私は、それまでもそれ以降もずっと、ずっと間違えていたのだ。
それを理解した今なお、『何』を間違えているのかわからない――。
「……こんばんは、アーネウス」
そして今日、死神がやってきた。
死は誰しもに平等に訪れる。
私にも、その時が来たのだ。