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ワイズマンにしてグレートマザーの願い(その1)





 大社の最奥。そこに至るには、ヘビのはらわたのように延々と続く長い廊下を抜けなければならない。襖を開いて最初に足を踏み入れた者は、あるいはこう感じるかもしれない。まるで、老舗旅館の大宴会場のようだ、と。大社の建物自体が、どことなく旅館を思わせる造りであることも、そんな感想を誘発する一因である。


「…………って感じで、私たちは無事にハグロさんの手からコタロー君を救出することに成功したのです! 完結! 終わり! 拍手! ぱちぱちぱちぱち!」


 わざわざ口で擬音まで発声してあかねは手を叩くが、それを聞く相手からは拍手など聞こえてこない。そもそも、その相手には叩くべき手自体が存在しないのだ。


「なるほど。よく分かった」

「でしょう? なんだか自分でもうまく説明できちゃったって思うんです。自画自賛ってこんな感じなのかな?」

「私が分かったと言ったのは、お前の説明が最初から最後まで支離滅裂で、自分勝手な主観に満ち、肝心な要点が曖昧な上に、擬音ばかり用いるせいで表現すら幼稚だということについてだがな」


 あかねに巨岩の如き頭部を向けていたハクメンが、真っ赤な舌を出し入れする。


「自分で言っていて嫌になる。喜べあかね。お前はこのハクメンに嫌悪の情を抱かせたのだ。人間の所業としては破格だぞ」


 計り知れない年月を生き、多少のことでは動じないハクメンですら、あかねの頭の悪さには呆れたらしい。何とも人間味のある反応を見せる。


 大社の最奥にある大広間にいるのは、ハクメンとあかねである。あかねがいつ訪れようとも、常に昨日敷かれたばかりのように真新しい青畳の上に、ハクメンはその巨体を思う存分に横たえている。さすがにまっすぐには伸びずに緩やかなとぐろを巻いているが、それでもかなりくつろいだ様子なのが分かる。


 対するあかねは、紫色の座布団の上にちょこんと座ってる。服装は、大社を訪れるときの正装と自分では思っている、巫女の装束だ。小さな座卓が側に置かれているが、その上には何も乗っていない。あかねが顔を出す度に何かしら振る舞っていたら、餌付けされた小鳥のように居着いてしまうとハクメンが判断したせいだ。


「全然喜べませんよ、それ。一応誉めているんですよね?」


 皮肉混じりのハクメンの発言に、馬鹿正直にあかねは首を傾げる。どうやら、本気でハクメンに喜ぶよう促されていると受け取ったようだ。


「そう聞こえるのならば、ここを出た足ですぐに医師にかかることだな。なぜそう思う?」

「だって、今まで一度も、ハクメン様は私をけなしたりいじめたりしたことがないですから」

「批評と否定とを混同するな。私はお前の表現力に愛想を尽かしただけで、お前自身に愛想を尽かしてなどいない」


 何だかんだ言って、ハクメンは自分を信頼しているあかねに甘い。落とした後はきちんとフォローしている。几帳面とさえ言える心配りだ。


「そうですよね? なら安心です。これからも、お側に置いてくださいね?」

「お前が守役を辞さない限り、そうするつもりだがな」


 愚にも付かない会話だが、あかねがハクメンに対し深い信頼を寄せていることだけはよく分かる。何を言われようともまったくへこたれないあかねを前にし、ハクメンは硬質な目の奥に感情の炎を揺らめかせる。


 今日あかねが大社を訪問したのは、くだんのジェーニョ兄弟とハグロが引き起こした騒動の顛末について、ハクメンに報告するためである。あかねは身振り手振りを交えて、変わり果てたジェーニョ兄弟と再会したときのこと、カゲフサの家にハグロがやって来たときのこと、ハグロがロシアンルーレットを開催したときのこと、そしてコタローが助け出されたときのことまで説明した。


 あかねとしては微に入り細にわたる形で状況を詳しく話し、手に汗を握る冒険活劇として語ったつもりだ。だが、結果は推して知るべし。あかねの個人的な主観によって事実はへなちょこに歪められ、果たしてどれだけ正しい情報がハクメンに伝えられたのかは定かではない。


 もっとも、ハクメンにとっても、あかねの語る内容が本当であろうと偽りであろうとどうでもよいことに違いない。その気になれば、この騒動の一部始終についての正確な情報などいくらでも手に入る。ヘビの化外を幾人か密偵として遣わせば、三日で正確なレポートが提出されることだろう。


 だが、あえてハクメンはあかねのお粗末な報告に耳を傾ける。ヘビに外耳はおろか耳の穴さえないのだが。ハクメンはハクメンで、この守役見習いとの会話を楽しんでいるのだろう。そうでなければ、ここまで使えない上に仕えない巫女を手元に置いておくはずがない。ヘビに手はおろか腕さえないのだが。


「これにて一件落着、か。まったく、キツネが事態をかき回してくれたな」

「そうですよね。なんだか、ハグロさんだけが楽しんでたって感じです」

「お前も充分楽しんだように、私には見えるが?」

「……おっしゃる通りです」

「まったく、鬼灯町の守役が聞いて呆れる。町の化外を守るというお前の務めはどこへ行った?」


 ハクメンの容赦ない問いかけに、あかねは首をすくめる。


「でもでも、ちゃんとハクメン様に出された宿題は分かったんですよ」

「ほう。覚えているとは意外だな」


 反省するように見えたのはつかの間。すぐにあかねはハクメンに反論する。人間など一呑みにする大きさの大蛇に対しひるみもしないのは、あかねの勇敢さではなく単なる無知だ。


「忘れるわけないじゃないですか。私のやりたいことと、私の望むこと。それはこうやって、一緒になって化外の皆さんを、いっぱい手助けしてあげることなんですから!」


 胸を張って宣言したあかねのその顔が、すぐさま疑問でいっぱいになる。


「あれ? でもこれ、あの時私がハクメン様に言ったことと変わりませんよね。じゃあなんで怒ったんです?」


 あの時、とは大社でハグロを交えて野点を行った後のことだ。あかねはその時も胸を張って、ずいぶんと偉そうなことをのたまっていた。『この三枝あかね、心を入れ替えて心機一転、これから真面目に一生懸命がんばる所存であります!』。見方によっては、確かに今のあかねの言葉と大差ない。


「お前の言葉など、何をどう言いつくろおうが一律同じだ。ただのさえずりに過ぎぬ。よもや、私を舌先三寸で動かそうなどとは思っておるまいな?」


 座ったままのあかねに対し、ゆっくりとハクメンは首を動かす。重たい水銀の川が流れているかのような動作だ。


「やだなあ、そんなこと思っているはずないじゃないですか。だいいち、無理ですよ」

「そういうことだ。己が無知であることを解さぬ小賢しい者ほど、見ていて見苦しい者はいない。私がなぜお前を見限らぬか分かるか? それは、お前自身、自分が無知であり、無力であり、無謀であり、無為であり、無策であり、さらには無能であることをしっかり理解しているからだ」

「でも、私はハクメン様が一緒だから“無敵”ですよ」


 ハクメンの発する“無”の羅列に対し、あかねは自分も“無”を一字加える。しかしそれは、ハクメンの告げた否定の二文字とは正反対の意味だ。たった一字で、あかねはハクメンの言々句々をひっくり返してしまったのだ。






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