祭の終わり
「ふ~ん。これが、オチってことね」
停車したキャンピングカーの屋根の上で、ハグロは独りごちる。あれだけ激しいカーチェイスを繰り広げ、何度も爆発やら爆音やらに巻き込まれたにもかかわらず、その外見に汚れや乱れは一切見られなかった。出発するときと同じ、男女を問わず魅了されるような美貌には一片の曇りもない。
「爆発で締めのオチにならなくてよかったわ。さすがにそうなると、ちょっと後片付けが面倒になるし。ああ、でもそれはそれで面白いかも。映画なら、最後はまとめて大爆発ってことでオチが付くのに。ねえ?」
ハグロは物騒なことを言いつつ下を見る。返答は何一つ返ってこない。ジェーニョ兄弟は、地べたに干物のような格好で倒れたままだ。
無視されているにもかかわらず、ハグロは楽しそうに笑う。底抜けに明るく、それでいてどこか空虚な笑い声が周囲に響く。うつ伏したまま身動き一つしないジェーニョ兄弟をさすがに心配したのか、ハグロはひょいとキャンピングカーの屋根から飛び降りる。足音一つ立てずに着地すると、改めて二人に顔を近づけた。
「ちょっと大丈夫? まだ寝るには早いわよ?」
心配しているようで心配していないその物言いに、さすがに双子は顔を上げた。
「……ひどい心配の仕方もあったもんだぜ」
「……そんな言い方じゃ、オレたちの傷ついたハートは癒せないぜ」
「あらあら。レディの気遣いに注文をつけるなんて、伊達男らしくないわね」
「悪いが、伊達男は今日は店じまいなんだ」
「そうそう、倉庫の中の在庫品まで売り尽くしちまったんだ。もう閉店さ」
軽口を叩きつつ、ゆっくりと二人は仰向けになった。没しつつある夕日の残光を浴びて、静かにハグロは立っている。これだけ振り回され、さんざんな目に遭わされた二人だが、それでも思うのだ。ハグロは掛け値なしの美人だ、と。
だが、もう二人は彼女に惑わされることはない。ハグロの良いところも悪いところも、その目で嫌になるほど見てきたのだ。もう、彼女を都合の良いトロフィーのようには扱わない。ハグロは、ただ愛でるだけで済むような女性ではなかったのだ。彼女を甘く見ていたからこそ、二人はここまで煮え湯を飲まされてきた。まさに自業自得である。
「そうね。約束を二転三転させて、最後には私の手からかわいいネコちゃんまで奪っちゃうような人は、到底伊達男だなんて言えないわよね。フェミニストが黙っちゃいないわ」
ハグロは得体の知れない笑顔のまま、言葉を続ける。
「ということで、あなたたちがコタロー君の代わりになってくれるのかしら。さあ、捕まえたわよ」
再び廓に連れて行くようなことを言うハグロだが、もう双子は泣いたりわめいたりはしなかった。お互いの顔を見合わせて苦笑すると、目を閉じる。
「好きにしてくれ」
「そうさ。もうまな板の上のコイって奴だよ」
あろうことか、二人はハグロの言葉を受け入れたのだ。観念して、生殺与奪を完全にハグロに委ねている。
「アンタには、俺たちみたいな奴が必要なんだろ?」
「一人で歩んでばっかりじゃ、人生はつまらんからなあ」
「こんな馬鹿二人で悪いが、付き合ってやるよ」
「少しはアンタの退屈しのぎになるなら、それでいいさ」
二人はそう言って、諦めたように笑う。そして逆に、ハグロの方の笑顔が消えた。
双子は、この短い間でなんとなくハグロのことを理解していたのかもしれない。有り余る才能と美貌を持つ、異質な思考の化外のことを。彼女は異才故に孤独だ。圧倒的な能力を持ち合わせていても、それは彼女をますます他から突出させるだけで、孤独を埋め合わせるよすがとはなり得ない。
こんな破天荒な思想を持つキツネの化外が、廓で受け入れられるはずがないのだ。たとえ表面上は受け入れられたとしても、それは面従腹背に過ぎない。だが、ハグロはやはりキツネである。葛葉の家名は、どこまで行ってもハグロに付きまとう。ある意味で言えば、彼女がこの程度のじゃじゃ馬で済んでいるのは、奇跡のようなバランスかもしれない。
だからこそ、ハグロはどこまでも周囲に興味をいだき、巻き込み、愛し、そして最後にはいつだって破壊する。そしていつだって、彼女は手に入らないものに恋い焦がれ、その恋は決まって破壊で終わるのだ。果てしないバカ騒ぎを楽しんでいるようでいて、彼女はそのただ中にいながら永遠に一人なのだ。
その事実を、どれだけ双子は感じ取っていたのだろうか。それは誰にも、双子でさえも分からない。言語化できない何となくという感情で、二人はハグロの孤独を感じ取っていたのだろう。だからこそ、二人はハグロについていこうと言ったのだ。たとえそれが、廓の中であっても。
「――――申し出はありがたいのだけど」
思いもよらない返答に、双子は目を開けた。ハグロのその笑みは、誰にも理解できない混ざり合った感情の果てにあらわれるものだった。
「やっぱり、あなたたちにはこの町がお似合いみたいね。廓は、あなたたちには暗すぎるもの」
そっと、ハグロは一歩だけ二人から遠ざかる。
「ハグロ……」
「……どういう意味だ」
「そのままの意味よ。二人とも、もう解放。好きにしていいわよ。コタロー君もあなたたちも、廓になんか連れて行かないわ。この鬼灯町で、精一杯自分たちの人生を楽しみなさい。それがきっと、最善なのよ」
ゆっくりと立ち上がる二人に対し、さらにハグロは距離を置く。
「……また、壊れてしまうのね」
その言葉に、不思議そうな顔をしたのが分かったのだろう。ハグロはあくまでも笑みを崩さないまま口を開く。
「私の性よ。欲しいと思ったもの、興味を持ったもの、愛したいと思ったもの。全部私は破壊してしまうの。守役さんは、ギリシャ神話に出てくるミダス王みたいだって言っていたわ。いつだって、全部私の手の中で壊れてしまう」
それは、今まで自堕落に生き、好き放題に人生を謳歌してきたジェーニョ兄弟には、計り知れない苦悩だった。到底理解できない、ハグロの異常さだけが際だっている。
「不思議なものね。今回は、私の興味の方が壊れたみたい。今のあなたたちには、何の関心も湧いてこないわ。だから、もうこれでおしまい」
直観的に、二人は感じ取っていた。それが嘘であることを。しかし、同時にどうしようもなく本当であることを。壊れたものは元には戻らない。だが、壊滅的な被害を与える前に、手放すことくらいはできる。既にハグロは双子と関わり、双子とその周囲を破壊してきた。だが、今手放せばそれは甚大な被害にはならない。
くるりとハグロは二人に背を向けた。その膝が軽く曲げられると、軽々と彼女は空中に身を躍らせ、キャンピングカーの屋根に飛び乗った。
「さようならの時間よ。今まで楽しかったわ。元気でね」
そう言うと、キャンピングカーのエンジンが動き出した。ゆっくりと車体が浮き上がり、側溝にはまったタイヤを車道に戻す。
完全に二人に興味を失った様子で、ハグロは遠くを見ていた。その横顔に、我知らず二人は叫んでいた。
「待てよ! ハグロ!」
「行くなよ! 一人じゃさみしいだろ!」
動き出そうとするキャンピングカーを止めようとして、二人はつんのめって膝をついた。さすがに、もう体力が限界だ。これ以上走ることなどできはしない。
「いいえ、これでいいのよ。お付き合いはもうおしまい。どんな祭にだって、終わりはあるんだから」
「俺たちと一緒なら! 一緒ならそんなことはないぜ!」
「そうさ! 楽しいぞ! アンタと一緒に、鬼灯町を占めるんだ! 兄貴とオレとハグロ! 最強の三人組じゃないか!」
どれほど言葉を尽くしても、ハグロの心には届かない。双子にはそれがよく分かっていた。彼女は、あたかも異星人のように違う思考、違う価値観の中で生きている。今回はたまたま、三つの交わるはずのない道が重なったように見えただけなのだ。
「それがアンタの言う愛なのかよ!」
「愛ってのは、そんな悲しいもんじゃないだろ!」
ついにまともな説得の言葉も出てこなくなり、二人は思いの丈を叫んでいた。
「愛ってのは……愛ってのは、もっと嬉しいもんだ!」
「楽しいもんだ! 喜べるもんだろ! 破壊じゃない! 壊すことが愛じゃないんだよ!」
自分でも何を言っているのか分からないまま、二人はただその言葉を繰り返す。
「In love――――」
不意に、ハグロは目を閉じた。その形の良い唇が、静かに言葉を紡ぐ。深い深い井戸から、冷たく澄みきった水を汲み上げるかのようにして。
「I pay my endless debt to thee for what thou art」
突然語られた英語の言葉に、双子はきょとんとして反応できないでいる。
「インドの詩人がうたった詩よ」
その様子を見て、ハグロは小さく笑った。
「――――わたしはあなたに愛をささげて いつまでも恩に報いる あなたがあなたであるがゆえに」
その詩を引用したハグロの心境は、どのようなものだったのだろうか。
「わたしはあなたに愛をささげて いつまでも恩に報いる」
そっと、噛みしめるようにしてもう一度ハグロはうたう。
珠玉の詩歌を遺したインドの詩人、ラビンドラナート・タゴールの詩を。
「――――あなたがあなたであるがゆえに」
マルコがマルコであるが故に。アントニオがアントニオであるが故に。そして――――。
「あなたがあなたで あるがゆえに――――」
ハグロが、ハグロであるが故に。あなたがあなたであるが故に、この結末は必然だったのだろう。
――――そして、二人の目の前から、ハグロを乗せたキャンピングカーは走り去っていった。突然双子の前に現れたじゃじゃ馬は、来たときと同じく突然去っていったのだ。二人の都合など斟酌することなく、どこまでも我が道を行きながら。もはや、ファミリーにハグロはいない。
双子の側にいる、あの遊び好きで楽しいことが大好きな美人は、どこにもいないのだ。それは、二人にとって確かに望んだことでありながら、同時にひどく寂しいものだった。
「行っちまった、な……」
「ああ、兄貴……」
へたり込んだまま、二人は道路の向こうを見つめる。もう、キャンピングカーの姿はどこにも見えない。
「これで、よかったんだよな……」
「そうさ。これで、よかったんだ……」
ハグロはさんざん引っかき回して帰っていった。とんでもない迷惑をこうむった。それは事実だ。だが、いざいなくなってみると、なんだか楽しかったことばかりが思い返されてきて仕方がない。記憶というものは、かくも都合のいい代物だったのだろうか。
「なんだか、寂しいよな……」
「同感だぜ、兄貴……」
二人は顔を見合わせて、かすかに笑った。いつの間にか、心のどこかにハグロの居場所があったのだろう。失恋とは違う、それでいて苦い感情を二人は共有するかのようにして味わっていた。かくして、ジェーニョ兄弟とハグロが引き起こした鬼灯町の騒動は、ようやく収束を迎えたのである。
…………と、ここで終わればとりあえず型通りのエンディングだったはずだろう。しかし、そうは問屋が卸さない。
「あいつらニャ……」
「絶対に許さないニャ……」
「この落とし前はきちんとつけてもらうニャア……」
肩を組んでセンチメンタルな思いに浸る二人に、背後から忍び寄るネコたちの影がある。
米屋に酒屋、さらには金物屋のネコたちだ。どのネコも耳と尻尾をピンと立て、全身からどす黒いオーラを垂れ流している。ハグロと双子によるカーチェイスでさんざん迷惑をこうむったネコたちは、今まさに復讐しようと一生懸命爪を研いでいるのであった。
「おい、お前たち。こっちを見るニャ。何か言うことはないのかニャアン?」




