叫べ「賽は投げられた」と(その4)
「――いやいや別嬪さん。ならばここでこの八代目石上五葉縁ノ下ノ守五郎左衛門景房様が、その手助けをしてやろうじゃありませんかぁ!」
その声は、メガホンのボリュームを最大まで上げた状態で叫んだような感じで、とんでもない大音量な上にひどく割れていた。ただでさえがらがら声なのに、スピーカーを通したその声は恐ろしく聞き取りづらい。
「カゲフサさん!?」
あかねが驚きの声を上げたのと同時に、向こうから一台の巨大なトラックがド派手なエンジン音と共に、こちらに向かって爆走してきた。派手、派手、とにかく派手なボディである。至る所にけばけばしい電飾が取り付けられ、滅茶苦茶にパーツが増設され、どこもかしこも極彩色の塗装とロゴが書き連ねてある。
「野良猫一代記」「生涯女房一筋」「一生喧嘩馬鹿」「雄猫一匹純情派」「爪研ぎ上等」「咲かせて魅せます男の桜」。そんな浪花節な殺し文句が、極太の書体でこれでもかとばかりに車体の上で踊っている。いわゆるデコトラの類であることは間違いない。その運転席の上には特大のスピーカーが前向きに取り付けられ、そこから何やら前奏が聞こえてきた。
出だしを聞いただけで、日本に生きる人間も化外も、それが演歌だとすぐに分かるメロディーだ。それと一緒になって、前振りも聞こえてくる。
「北の港で遅い春を感じつつ カモメと共に今日も待ちますあの人の帰り 桜は季節を忘れずとも 人の心は移り気なもの 語り尽くせぬ未練を胸に秘めて せめて歌います今夜だけは」
もう何が何だか分からない。四輪駆動のデウス・エクス・マキナのご登場である。どこから持ち出したのか、どこに保管してあったのか、フロントガラスの向こうでハンドルを握っているのはカゲフサである。組合の親分を務める前は、日本中の異界を走り回る運送業に就いていたのだろうか。それとも、ただの見栄っ張りの産物なのか。
いずれにせよ、突然のデコトラの乱入で、双子とあかねとノリトたちはおろか、ハグロさえも目を丸くしている。さすがのハグロでも、まさかここで歌舞伎の暫よろしく、カゲフサが双子に与してくるとは予想外だったようだ。そして、その予想外の事態はさらに悪化もしくは激化する。
「それでは皆様 聞いていただきましょう 夜桜薫で曲名は『最果て慕情』!」
司会の前振りが、高らかに曲名と共に歌手の名前を告げる。ちなみに夜桜カオルとは、ネコの世界では有名な若手演歌歌手である。名前だけでは判別しがたいが、メスの猫だ。数年前にデビューを果たし、スターの道を着実に登りつつある歌い手である。
次の瞬間、限界にまで上げられたボリュームと、増設に増設を重ねたスピーカーが、超特大の音波をこぶしの利いた演歌の形にして解き放った。もはやそれは、夜桜カオルを知らないあかねたちからすれば、歌ではなくただの爆音である。メロディは当然のことながら、歌詞さえもろくに聴き取れない。これは歌の形を借りた単なる暴力だ。
「ちょっと! うるさすぎ!」
破壊的なその音量に、大抵のことは興味津々に接するハグロですら、両手を耳に当てて鼓膜を保護する。会話するため、音は魅了の対象外らしい。だが、その耳を塞ぐという行為が、ハグロにとって致命的な結果となる。一瞬だけ、彼女の気は逸らされる。すなわち、強固に固めた芳香の結界が、彼女の制御下からはずれたのだ。
音量を最大にした、近所迷惑を顧みない歌……もとい爆音によるジャミング。それは期せずして、完璧なタイミングであかねたちに有利に働いた。だが、それだけにとどまらない。とどまるはずがない。
「なんでぇ!?」
あかねの間の抜けた悲鳴と共に、リヤカーは鉄鎚のような突風によってキャンピングカーの方に向かって吹っ飛ばされた。
スピーカーから放たれた『最果て慕情』……もとい爆音は、もはや単に鼓膜を振るわせる轟音にとどまらず、物理的な衝撃波となってリヤカーを後ろから押したのだ。ここまで破壊的な影響を及ぼすスピーカーと演歌だが、当のカゲフサはご機嫌で一緒になって歌っている。ちゃんと歌詞も聴き取れるようだ。どうやらこの曲は、カゲフサの十八番らしい。
ハグロの集中力が途切れたことにより、魅了の束縛から逃れたアントニオは、リヤカーとキャンピングカーのサンドイッチになる形で顔面から激突する。
「ギニャッ!」
その手が梯子を離したのを見て取ったノリトが、すかさず背中の尾を伸ばして梯子に巻き付けると、アントニオの代わりとなってリヤカーとキャンピングカーを接続する。
ちなみに、あかねが抱っこしていた一匹を除いて、狐火たちは先程の音波による衝撃波で散り散りになって飛んでいってしまった。あかねが抱っこしていた狐火だけは、あかねを気に入ったらしく足元で大人しくしている。
「あかね!」
前門のキャンピングカー、後門のデコトラとなったリヤカーの上で、ノリトが叫んだ。
「なあに!」
その口調に真剣なものを感じたのか、あかねも今回ばかりは真面目に応じる。
「その槍をケージに向かって投げろ!」
今がチャンスだと思ったのか、ノリトはあかねに神楽槍を投擲するように命じる。
「で、でも! そうしたらこれも捕まっちゃうんじゃないの!」
「いいからやれ! 多分大丈夫だ! 多分だけどな!」
ある程度自分の策に自信があるのか、ノリトはなおもあかねを促す。
「よ~し分かった! 陸上部員の実力、見ててよね!」
何やら気合いを入れて、あかねは立ち上がるとノリトの尾を足場にしつつ、梯子に取り付いて登り始めた。
「ちゃんとスカートは押さえとけ!」
「下にスパッツはいてるから大丈夫!」
「そりゃよかったな!」
ろくに本当かどうかも確認せずに、ノリトは怒鳴る。一気に梯子を登り終えて屋根に立つあかねと、ようやく爆音の衝撃から立ち直りつつあるハグロとの目が合った。
「当たってーっ!」
本気の気合いともに、あかねはハグロと一言も会話を交わすことなく、手に持った神楽槍を投げつける。ハグロにではなく、その側にあるケージに向けて。
しかし、ハグロの集中力が途切れている間にケージを奪うという作戦は、残念ながら失敗だった。
「上出来だけど一歩遅いわね!」
ハグロの集中力はそれよりも早く回復していたのだ。彼女が手をかざし、それまで揺らいでいた芳香の場が再び形成される。入ったものを彼女の制御下に置き、動きを止める堅牢な方陣が。
だが。次の瞬間あかねもハグロも、目を疑った。あかねの投げつけた神楽槍は、空中で静止することなくハグロの魅了の範囲内に侵入し、コタローの入ったケージをはじき飛ばしたのだ。
「なんでっ!?」
「どうして!?」
くるくると横向きに回転しつつ滑っていくケージを見て、二人が同時に驚きの声を上げる。
ただ一人、ノリトだけが納得した顔をしている。彼の位置ではよく見えないが、作戦が成功したことは分かった。あかねの神楽槍は、化外も、化外の作ったものも、そして人間も決して傷つけない。狐火であろうが、ハグロであろうが、あかねが全力で突いても傷一つ負わせることはできない。
重要なのは、化外の作ったものもまた、傷つけない対象に入るという点である。傷つけない。壊さない。劣化させない。それは、言い方を変えれば「干渉しない」とも取れる。ハグロの魅了のフィールドは、香水の芳香をベースとする。当然、使えば使うほど、そこに侵入するものがあればあるほど、ハグロは力を使うし、ほころびは生じる。
要するにバリアのようなものだ。攻撃されればされるほど、少しずつ壊れていく。だからこそ、あらゆるものを傷つけない神楽槍は、このフィールドもまた傷つけない。無駄にハグロの力を使わせて、芳香を劣化させることがないのだ。つまり、あかねの神楽槍だけは、ハグロの魅了の力が及ばない対象である。
無論、だからといってハグロに対して何らかの効果が与えられることもない。何しろ、三枝の神楽槍はハクメンにより、絶対に何者も傷つけないよう施術されているのだから。しかし、今必要なのはハグロを倒すことではない。ハグロの手の内から、コタローを救出することだ。そして、それはまさにあかねによって致命的な一撃として繰り出された。
「ニャー! 落ちるニャー! 怖いニャー!」
キャンピングカーが大きくカーブを切った拍子に、屋根からケージごと落ちそうになったコタローが悲鳴を上げる。とっさに駆け寄ろうとするあかねだが、それはまたハグロも同じだった。その右手が伸ばされると、香水の香りと共に危なっかしく傾いでいたケージの動きがぴたりと止まった。
このまま引き寄せるつもりだ。そうしたらまた振り出しに逆戻りである。今あかねの手には神楽槍はない。今度こそ、コタローをハグロから取り戻す手段は失われる。事態が一気にあかねたちに対して不利になったその時だ。
「させるかニャア!」
雄叫びと共に、あかねとハグロの間に飛び込んできた者がいる。
それは、ネコの姿になったアントニオだった。一心不乱にハグロに向かって突進するアントニオの口には、マルコと同じくピンを抜いた手榴弾がくわえられていた。閃光と共に爆音が響き、とっさにあかねは顔をかばう。ハグロの姿は黒煙に包まれて見えないが、恐らく無事だろう。そう簡単に彼女の術は破れない。
しかし、アントニオの犠牲は無駄ではなかった。ごくわずかの間だけ、ハグロの目を眩ます。ただそれだけのために、アントニオは体を張った。その一瞬だけあれば、充分すぎるほどだ。あかねの足元を、獲物を追うコブラのように、ノリトの尾が高速で這っていく。振り返ると、ノリトが屋根の隅で梯子につかまり、上半身だけを覗かせていた。
後ろでリヤカーがデコトラにはじき飛ばされ、路肩に横転する。身長を上回る長さの尾が絡みついたのは、転がっていた神楽槍の柄の先端だ。次いで尾が跳ね上がると、屋根の端にあったケージをはじき飛ばす。神楽槍の刃は魅了の干渉を無効化し、瞬間的に断ち切ったのだ。
「受け取れあかね!」
そうノリトが叫ぶのと、黒煙が晴れてハグロが姿を現すのとがほぼ同時だった。
「もちろん! 任せてっ!」
あかねは大きくジャンプして、空中のケージを右手でしっかりと抱きしめる。ついでに左手を伸ばし、一緒になって降ってきた神楽槍もキャッチした。しかし、その足にさらにノリトの尾が巻き付く。
「ノ、ノリト君っ!?」
驚くあかねを無視し、ノリトはあかねの小柄な体を振り回すや否や、後ろに投げ飛ばした。
「ちょっとそんなの聞いてないけどぉぉぉ…………!」
文句を言いつつもしっかりとケージと神楽槍を抱きしめているあかねの襟首を、デコトラのドアガラスを開いて伸びた右手が捕まえる。あかねが目を上げると、カゲフサがしっかりとあかねの襟首を握りしめて笑っていた。それを確認し、失敗した場合に備えて身構えていたノリトは力を抜く。
そのデコトラの装飾の一部にノリトは尾を巻き付け、一匹の狐火と一緒にそちらに飛び移った。次いでカゲフサは左手だけでハンドルを切り、ハグロの乗るキャンピングカーから遠ざかっていく。派手な自爆を遂げたマルコとアントニオ、そして一人立ち尽くすハグロを置いて、あかねとノリト、そしてケージに入ったコタローは離脱していく。
一方、キャンピングカーはそのままふらふらと蛇行しつつ、やがて片方のタイヤを側溝にはまらせた。遠くなっていくデコトラに注目していて、ハグロは運転の方まで気が回らなかったようだ。何度も大きくバウンドして、悲鳴のようなブレーキ音と共にようやくキャンピングカーは停車する。
その屋根から、オレンジ色の縞々のネコが二匹、よろめきつつ姿を現した。あちこちから煙を立ちのぼらせた、ジェーニョ兄弟だ。二匹は揃って身を震わせ、頭から真下に落下した。べちゃり、と地面に叩きつけられたその姿が、ゆっくりの人間に戻っていく。
――――かくしてコタロー救出作戦は、二人の体を張った犠牲により、成功を収めたのであった。




