叫べ「賽は投げられた」と(その2)
「お嬢ちゃん、それにアンタ!」
「こいつを使いな!」
二人はスーツの内ポケットからマテバを取り出すと後ろに放り投げ、すぐさま再び手すりを握りしめる。
「うわっ!?」
ノリトは難なく受け取ったが、とっさのことであかねの方はうまくキャッチし損なった。だが、すぐにノリトが尾を伸ばし、落ちそうになるマテバを拾ってあかねに渡す。
「使うって……私鉄砲なんて撃つの初めてだよ!」
「いいからぶっ放せ!」
「撃てば当たるって! どうせ麻酔弾だ!」
手の中の拳銃に戸惑うあかねだったが、横から手が伸びる。
「ちょっと貸せ」
ノリトはあかねが持つ拳銃を取ると、いつでも撃てるようにしてから再び手渡す。
「ほら、これで大丈夫だ」
「うう……本当に大丈夫かなあ」
口調こそ自信なさげだが、あかねはマテバを構えるとハグロに向ける。弾丸が麻酔弾の類だと知っているからこそのためらいのなさだ。その指が引き金を引くと、銃声と共に弾丸が発射される。ギリシャの異界である“モルフェウスの箱庭”に生えるケシから精製された、高位の化外ですら当たれば昏倒する麻酔弾だ。
だが、所詮その効果は当たらなければ何の意味もない。ハグロの魅了の場に踏み込むまでもなく、あかねの撃った弾丸は明後日の方向に飛んでいった。今まで一度も拳銃を握ったことのないあかねが、いきなり早撃ちのガンマンに変身できるわけがない。当然と言えば当然の結果である。
「あははっ! なにこれ格好いいっ!」
だが、大ハズレにもかかわらず、初めての射的はあかねのお気に召したらしい。バンバンと音を立てて適当にあかねはマテバの引き金を引き、適当に弾丸をばらまく。はた迷惑な銃撃だが、さらにひどいことに一発たりともハグロにかすりもしないのだ。まさに弾の無駄である。
「あら。子供が人様に向けて拳銃を撃つなんて銃刀法違反よ。これはちょっと看過できないわね」
あっという間に弾丸を使い尽くし、不思議そうに弾倉をつついているあかねに、キャンピングカーから声がかけられる。ケージを足下に置いたハグロが、あかねの方を見ていた。声がはっきりと伝わることから、何らかの法術を使っているらしい。
その手がポケットから何枚かの印紙を抜き放つと、あたかも扇のように広げる。
「おいで――狐火」
そう呟くと、ハグロは手に持った印紙を放り投げた。薄い紙でありながら、それらは風に吹き散らされることなくハグロの上空に留まる。同時に、ゆっくりと印紙は形を変えていく。その形状は、縁日で売られているキツネの仮面にそっくりだ。
全部で八個。ハグロの周囲にあたかも編隊を組むかのように並んだキツネの仮面は、次いで青白い炎に包まれる。その炎は見る間に人間の上半身に似た形となるが、下半身は形成されない。あたかも、キツネの仮面をかぶり、炎でできた幽霊のような姿形だ。ハグロがリヤカーの方を指差すと、命令一下、狐火たちは編隊を組んだままこちらに襲いかかる。
「うわっ! ちょっと熱っ……くない?」
まっさきにその体当たりを浴びたあかねが素っ頓狂な声を上げた。燃えているその体がぶつかって、すぐさま火傷の心配をしたらしい。だが、あかねの言葉の通り、その炎はまったく熱を持たない。肌は水ぶくれを起こさず、着ている制服も焦げはしない。炎のように見えるだけで、実際は常温の代物らしい。
「ええいうっとうしい! やめろって!」
「邪魔するな! こいつ、このっ!」
だが、だからといって狐火たちは無害な存在というわけでもない。炎でできたキツネの幽霊たちは誰彼構わずまとわりつき、リヤカーがキャンピングカーに近づくのを露骨に邪魔してくる。まるで、しつこく遊ぼうと飼い主にせがんでくる子犬のようだ。
特にひどいのが、六匹の狐火にまとわりつかれているジェーニョ兄弟だ。四方八方から狐火がぶつかってきて、リヤカーの運転もままならない。二人は体を震わせたり、何とか片手だけでも手すりから離して振り回すが、あたかも真夏の深夜に飛び回るカのように、狐火たちは難なくその手をすり抜けて体を擦りつけてくる。
だが、その時一発の銃声が鳴り響き、同時に一匹の狐火が硬直して落下した。地面にぶつかる前に胴体の火は消え、仮面は砕け、一枚の印紙に戻るとその姿は消えていく。
「なるほど。あやふやな体の持ち主だが、一応弾は当たるのか」
手に持ったマテバを、ためつすがめつ見つめているのはノリトだ。
「さあ、来な。一匹残らず相手してやるよ」
ノリトが身を低くすると、その挑発的な言葉に呼応するかのようにして、背中からずるずるとヘビの尾が姿を現してくる。臨戦態勢に入ったハブのようなその動きに、狐火たちは一瞬お互いに顔を見合わせたが、どうやら一番危険な相手と勝手に判断したらしい。
我先にと突進してくる狐火たちに、ノリトは手に持ったマテバを発砲する。だが、それまでののんきな動きとは異なり、狐火は華麗な軌道を描いて弾丸をかわし、ノリトに体当たりを仕掛けてくる。持ち主がハグロだけあって、本来のスペックは相当高いのだろう。まともにぶつかれば、リヤカーから吹っ飛ばされかねないパワーが込められている。
しかし、先頭を行く一匹の狐火の横っ面を、唸りを上げるノリトの尾がまともにはたいた。哀れな狐火はネズミ花火のように回転しつつ真横に吹っ飛び、電柱に顔面から激突する。炎が飛沫のように弾け飛び、たちまちそれは印紙に戻ってしまった。ここに来てようやくやる気を出したのか、ノリトは尾を振り回し、狐火たちを牽制する。
だが、狐火の方もむざむざとやられる気はないようだ。互い違いに何度も交錯を仕掛け、フェイントを重ねることでノリトのミスを誘う。ノリトの方も自分の尾を鞭のようにしならせつつ、同時に槍のように突き出し、空中の狐火に対して攻勢の手を緩めようとはしない。さらに二匹の狐火が尾の餌食となり、印紙に戻って撃墜された。
一匹の狐火の突進を横に飛び退くようにして避けつつ、さらにノリトは空中に浮遊する別の一匹に対して発砲する。けれども、紙一重のところで狐火は弾丸を回避し、さらに身を捻りながらこちらに向かって体当たりしてくる。
「あかね、ぼけっとしてないで少しはこっちを手伝……って、何やってるんだ?」
さすがに忙しくなってきたのか、ノリトは隣のあかねに向かって協力を要請する。するのだが、その言葉は尻すぼみになり、変わって疑問形となった。
「え? だって、結構かわいいよ、この子たち」
あかねはのんきにそう返事する。いつの間にか、あかねは槍を小脇に抱え、一匹の狐火を抱っこして頭を撫でていたのだ。
あ然とするノリトだが、あかねの方はなかなかご機嫌である。やはり、熱くない炎というのが珍しいのだろう。狐火の方も、あかねの手の中に収まって大人しくしている。どうやら、攻撃する意思のない相手には何もしないようだ。
「期待した俺が間違ってたよ。お前の集中力は子ネコ並みか」
風雲急を告げるこの事態にもかかわらず、のんびりとしているあかねの対応にノリトは天を仰いだ。だが、さすがにこれは聞き捨てならなかったらしい。
「失礼だなあ、ノリト君は。じゃあ、リクエストにお答えして……」
あかねは大人しくなった狐火を足元に降ろすと、神楽槍を手に取って構える。そして狙いを定め、呼吸を合わせて……。
「えいっ!」
へっぴり腰ではなく、それなりに形になった突きは、どういう偶然か飛来する一匹の狐火に見事に命中した。けれども、ぼよんともぽよんともつかない何とも間の抜けた音と共に、その穂先ははじき返される。当たり前のことながら、空中の狐火の炎は小揺るぎもしない。簡単に言うならば、ダメージはゼロだ。
「ほらやっぱり。ねー?」
あかねが同意を求めると、それに応じて足元の狐火が「ねー?」と言わんばかりに小首を傾げる。まったく戦力にならないどころか足を引っ張りかねないあかねの精神状態に、さっさとノリトは見切りをつけた。
「……ほら、こっちは引き受けているから、もっとスピードを出してくださいよ。それとも、もうへばったんですか?」
ノリトがそう言うと、ようやく双子は気づいたようだ。先程から邪魔をするべくして飛来した狐火は、ノリトにかかりきりだ。つまり、今ならば最高速が出せる。
「ナイスアシスト!」
「グッドジョブ!」
二人の賛辞を、ノリトは鼻で笑って受け流した。その手が最後の印紙を取り出すと、二人の背中に貼り付ける。




