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負け犬ならぬ負け猫の矜持(その2)





「――――ねえ、マルコさん。それにアントニオさん」


 前触れもなく、突然三人の会話に割り込んできたのはあかねだった。


「一つだけ、ううん、二つだけ聞きたいことがあるんだ。ちょっといいかな」


 それまでの鬼気迫ると言ってもいいカゲフサと双子のやり取りなど、どこ吹く風と言わんばかりにあかねは会話に加わろうとする。


「二人とも、コタロー君をハグロさんに差し出して、自分たちはファミリーに戻ろうとしているよね。それが善いか悪いかは私には分からないよ。だって、私はジェーニョファミリーの一員じゃないから。でも、これだけは聞きたいんだ」


 そう言うとあかねは目を閉じ、一度大きく深呼吸する。


「――――それが、二人が本当にしたいことなの? それが、二人の本当に望んでいることなの?」


 あかねはゆっくりと、そしてはっきりと二人に問いかける。その大きめの目が見開かれ、真っ向から双子を見つめた。まるで、二人の全身を余すところなくその視界に収めようとしているかのように。


 双子は知らないが、以前あかねはこれとまったく同じ質問を、するのではなくされている。問いかけたのは、御山の主であるハクメンだ。内容が同じであること以外は、ことごとく異なる二人である。化外が見える以外はただの中学生のあかねに対し、ハクメンのスケールは生物というより自然現象そのものだ。もはや託宣や神意の領域に達しつつある。


 ハクメンの問いかけに対し、あかねは答えることができなかった。難しい質問だったからではない。ただ単に、ハクメンが何を言わんとしているのかまったく理解できなかっただけだ。だからこそ、あかねはここでジェーニョ兄弟に質問したのだろう。あわよくば、自分がハクメンに答えるときの参考資料にするために。


 何しろ、現時点であかねはハクメンに宿題を出された状態に等しい。これを無視して再び大社を訪れる図太さは、さすがのあかねも持ち合わせていない。宿題を忘れれば、当然学校で教師に怒られる。ハクメンの質問に素知らぬ顔を通せば、やはり頭上に雷が落ちるだろう。比喩ではなく、物理的に。漫画のような絵柄だが、ハクメンならばやりかねない。


 自分で納得がいくまで頭を悩ませるのではなく、ちゃっかりと人の褌で相撲を取ろうとするあかねだが、そんな彼女の図々しさなど双子は知るよしもない。なまじ、あかねは悪びれる様子もなく、ただの好奇心から尋ねているような純真な顔をしている。楽をしたいあかねの真意など知らず、双子は本気でその質問を受け止めてしまった。


 図らずも、あかねの問いは双子にとって、まるで鏡のように作用していた。その意味では、あかねとハグロはやはり似ている。ハグロもまた、双子にとって鏡だった。だが、それは異様で歪んでいる。そこに映る像は不自然に美化され、見目麗しいが自画自賛の域を出ない。ナルキッソスよろしく、二人はハグロを通してハンサムな自分に酔いしれていた。


 だが、あかねという名前の鏡は違う。そこに映る姿は、双子のありのままだった。飾り立てられず、虚飾に彩られず、等身大の自分たちが映し出されている。ファミリーのボスでも何でもない、ただの二匹のネコがそこにいた。それ故に、二人は考えざるを得なかった。ファミリーのボスとしてではなく、一人の男として答えを出さざるを得ない。


「俺は……」

「オレは……」

「うんうん。ちゃんと聞いてるよ」


 あかねは身を乗り出して、話を聞いているというボディランゲージを示す。それにつられて、二人の舌は動く。それまで、頑なにファミリーのボスの仮面によって隠されていた、二人の本音が言葉となって明らかになる。


「このまま――このまま黙って、おめおめと引き下がれるかよ!」

「あいつを――コタローを生贄にして、枕を高くして眠れるはずがないだろ!」


 二人はついに叫んだ。心の内にあった言葉を。物事がハグロのペースで進み、事の進展が自分たちの手から離れたときからずっと思っていた本当の言葉を。


「じゃあ、本当にしたいことは何?」

「決まってるだろ! ハグロに一泡吹かせてやるんだよ!」

「あいつに――あのイカれたヴィーナスちゃんに、イタリア男の本当のダンディーってモンを教えてやるんだよ!」


 徐々に、二人の調子が元に戻っていく。ハグロがいなくなって少し経ったため、その影響下から脱しつつあるのだろう。


 だが、昨日の二人の醜態を考えると、ずいぶんな物言いである。昨日、二人はハグロを恐れるあまりネコの姿に戻ってしまい、しかも座布団の下に潜って震えていた。それをあかねは見ているが、今この場で突っ込みを入れることはしない。


「すごいすごい、じゃあ、本当に望んでいることは何?」

「もちろん! コタローをハグロの手から取り戻してやる!」

「あいつはオレたちの前で男を見せた。ならば今度は、オレたちがそれを上回る男を見せてやろうじゃねえか! ボスの務めって奴さ!」


 声高に宣言する二人を見て、あかねはほほ笑んだ。


「じゃあ、もう後押しは必要ないかな。ジェーニョ兄弟さん、がんばってね。みんな応援してるよ」


 その言葉に、胸を張って反り返った二人ははっとした。口を閉じ、周囲を見回す。あかね、ノリト、カゲフサ、おキヌ、ハンゾー。そして街角組合のネコの護衛たちと、ジェーニョファミリーのネコたち。全員が、自分たち二人に注目していた。そして耳にしたのだ。ハグロに一泡吹かせ、コタローを取り戻すという自分たちの宣言を。


 これほどの面子の前で言明したのだ。いまさら、撤回することなどできない。街角組合のメンバーと、守役と目付はまだ何とかなる。しかし、ここにはファミリーのネコたちもいるのだ。彼らの前で見栄を張った以上、今更取り消すことはできない。だが、それでも二人は躊躇する。


 ハグロは強い。外見こそ細腕にモデル顔向けのスリムなスタイルだが、その実力は折り紙付きだ。廓に連れ去られていた頃、何度となく二人はハグロと立ち会った。あわよくば、ハグロを倒して廓から逃げようとしていた二人は、本気になってハグロに戦いを挑んだが、文字通り歯牙にもかけられなかったのだ。今再び挑んでも、勝てる可能性は限りなく低い。


「おいおい。お前ら何をびびってるんだよ。甲斐性無しどもが」


 黙りこくった双子を見て、カゲフサが口を挟む。


「この俺に、真っ正面から拳銃ぶっ放したあの度胸はどこへ行ったんだよ。ほかでもないこのカゲフサ様を一度は沈めたお前らが、美人一人に振り回されているなんて似合わねえ。さっさと男を見せてみろってんだ」


 先程の激しい怒りは影を潜め、カゲフサはまるで二人の父親であるかのように諭す。もっとも、父親は父親でも怖い雷親父だが。


「どうしたんです、カゲフサさん。なんだかずいぶん優しいですね」

「馬鹿野郎。義理と人情がなけりゃあ浮き世は渡っていけねえよ。敵にちょいと塩を送ったくらいで、街角組合の優位は揺るぎはしないんでね」


 あかねの茶々にも、カゲフサは悠々としていた。多くのネコに慕われる親分の余裕を、これでもかと見せつけている。


「なにぼさっと突っ立ってやがる。さっさとてめえらに惚れ込んでる子分を連れ戻してきやがれってんだ。そうでもしなけりゃ、今のてめえらみたいなナメクジ、まともに喧嘩してやる価値もねえよ」


 カゲフサは腕を組むとせせら笑う。


 これには、さすがの双子も聞き逃せなかった。自分たちが一度倒したはずの宿敵から見下げられ、相手をする価値もないと言われているのだ。たとえそれが悪口の形を借りた励ましであったとしても、断じて聞かなかったことにするわけにはいかない。突撃へと向かう最後の導火線が、今二人の心中で点火される。


 ゆっくりと、双子は身を屈めて手を伸ばす。地面に叩きつけられていたサングラスは、幸い少しだけ汚れていただけで、歪みもヒビもない。二人はそれを拾い上げると、まったく同じ動作でポケットからハンカチを取り出し、丁寧に拭いてから装着する。シャツのボタンをはずして濃い胸毛を露わにし、さらに腕まくりをして腕の毛も露出させる。


 一呼吸するごとに、戻っていく。それまでの、雨に濡れて泥まみれになった野良猫のような姿が徐々に消えていく。代わって出てきたのは、初めて鬼灯町を訪れた時と同じ、根拠のない自信とふてぶてしいダンディズムに満ちあふれた姿だ。最後にスーツの胸ポケットからシガレットチョコの箱を取り出し、指で一本弾き出すと口にくわえる。


「――そこで老いぼれるまで言ってろ、島国の田舎親分風情が」

「――帰ってきたら、丸ごと鍋に放り込んでチキンブイヨンと一緒に煮込んでやるぜ」

「ピッツァの生地に練り込んで竈でこんがり焼いてやるぜ」

「メインディッシュにしてやるから、大人しく待ってな」


 口から発せられる軽口は、二人のメンタルが完全に復帰したことを物語っている。


 今や、そこに立っているのは惨めな負け犬ならぬ負け猫ではない。ジェーニョファミリーを背負う、双子のボスであるマルコとアントニオだった。


「お嬢ちゃん、心配かけたな」

「だけど、もう大丈夫だ」

「そこでしっかり見てな」

「オレたちの勇姿に惚れるなよ」


 クールに二人はあかねに礼を言うと、気取った仕草でウインクする。


 対するあかねは、嬉しそうににっこりと笑うだけだった。相手がどんな化外であろうと、悲しそうに落ち込み、惨めったらしく泣き言を連ねているのは、あかねにとって見過ごせないのだろう。それが守役の使命であり、あかねという一人の人間が心に抱いている「本当にしたいこと」であり「本当に望んでいること」なのだ。


「さあ、行くぜ、兄弟。遅れるなよ」

「もちろんだぜ、兄貴。どこまでも付いていくって言っただろ」


見守るあかねたちの視線を全身に感じつつ、双子はかつてないほどの高揚感を味わっていた。この瞬間、二人は物語の主役であり、映画の主演であり、楽団のコンサートマスターだった。その事実に、二人は胸がすくような快感を覚える。


 二人はあかねたちから背を向け、三滝川にかかる橋の向こうを見つめる。ハグロとコタローを乗せたキャンピングカーは、今やはるか彼方に遠ざかりつつある。二人の決意は、二人の復活は、あまりにも遅きに失したのだろうか。否。断じて否である。そうではない。ここからが、ジェーニョ兄弟の見せ所である。


 二人は反っくり返ると、腹の底から大声を出して虚空に向かって叫ぶ。


「Alea!」

「Jacta!」

「Eeeeeeeeeest!」

「Estooooooooo!」


 絶叫しつつ、二人はポケットから何かを取り出して地面に叩きつける。それはタロットカードだ。大アルカナは「審判」。地面に角が刺さったそれは、見る間に膨れ上がり、形と色を変え、封じられていた情報を形として具現させる。


 鋭角なデザインで、まるで走り回る刃物のようなフォルム。メタリックな赤で彩られた塗装は、どことなく繁殖期に騒がしく飛び回るオスの甲虫を思わせる。二人のタロットカードが変化したのは、隅から隅まで高速で疾走するためのパーツで構成された、二台のバイクだった。ちなみに先程の叫びは、ラテン語で「賽は投げられた」と言っている。


 その座席に飛び乗るや否や、双子はハンドルを握りしめ、一気にアクセルを全開にする。外見こそバイクだが、これは以前双子が運転していたオープンカーと同じく、バイクの形状をした式神のような存在だ。多分に幻想の産物であるそれは、モデルとなった二輪車では考えられない速さで、持ち主の挙動に応える。


 爆音に等しい凄まじい音と共に、マフラーから大量の排気ガスが噴射される。それはあたかも、主を乗せて戦場に吶喊する軍馬のいななきだ。かりそめの知性がそれに搭載されているのならば、今まさにそれは喜んでいた。血気にはやる双子を乗せ、幻想のバイクは本来の目的を果たそうと唸りを上げる。






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