負け犬ならぬ負け猫の矜持(その3)
そして二台のバイクは持ち主を乗せ、はるか遠くを走るキャンピングカーに向かって突進していった。後に残されたのは、あかねとノリト、そしてカゲフサとおキヌ。さらには街角組合とジェーニョファミリーのネコたちだ。全員、バイクが派手にまき散らした排気ガスを浴びている。あかねは軽く咳き込み、ネコたちは身を震わせた。
「けしかけたな、奴らを」
うっとうしそうにハンカチで体を拭うノリトが、あかねにそう言う。
「別に。背中を押してあげただけだよ。本当は、二人ともコタロー君を助けたくて仕方がなかったみたいだし」
「返り討ちに遭うのが関の山だと思うが」
「じゃあみんなで助けてあげようよ。ねえ、ノリト君?」
悪びれもせず、あかねはノリトを巻き込もうとする。けしかけたのが自分ならば、自分できちんと最後まで面倒を見るのが普通なのだが、この守役はすぐさま目付を連帯責任の輪に組み込もうとするからたちが悪い。
「……毎度のことながら、お前のその行き当たりばったりなやり方にはほとほと呆れるな」
ノリトは憎まれ口を叩きつつ、うなずく。
「安心しろ。ヘビは執念深くてしつこいんだ。そう簡単に、目付の仕事を放り投げるかよ。付き合ってやる」
「ありがとう、ノリト君。そう言ってくれるって信じてた」
「信頼の大安売りだな。いつになったら底値が見えるのか、皆目見当がつかん」
あかねの無条件の信頼を受けてもなお、ノリトの口は減る気配すら見えない。
あかねはノリトから顔をそむけ、ジェーニョ兄弟が走り去った遠くへと視線を移した。
「私のしたいこと。私の望むこと。きっと、それがここにあると思う」
「馬鹿騒ぎがお前の願望か。つくづく済度しがたいな」
ノリトが聞こえるように嫌みを言ったが、キリッとした顔のあかねは聞こえないふりをする。
「カゲフサさんとおキヌさんも、お願いしていいですか?」
今度はそれまでジェーニョファミリーと敵対していた街角組合の親分にまで、あかねは連帯責任を広げてきた。
「あかね、いくら何でも虫が良すぎるだろ。自重しろ」
さすがにたしなめようとするノリトだが、それをよそにカゲフサはうなずいた。
「仁義忘れた奴らには、指一本動かすのだってごめんだぜ。だが、男の中の男ならばこのカゲフサ。喧嘩一筋のつまらん体だが、一つ張ってやるのもやぶさかじゃあねえな」
どうやら、双子のなりふり構わない突撃はカゲフサのお気に召したようだ。
「おい、おキヌ。俺はちょっと家に帰るぜ」
くるりとカゲフサはきびすを返して、あかねに背を向ける。
「おや、どうするんだい?」
「ちょいと、昔の相棒を連れてこようと思ってな」
「相棒……?」
けげんそうに、おキヌは眉を寄せる。
「そうさ。キツネの別嬪さんはでかいキャンピングカー。あの野郎どもは真っ赤なバイク。……と来たら、俺にも昔日の相棒がいるじゃねえか。なあ?」
にやりと凄みを見せて笑うカゲフサだが、対するおキヌはため息をついて首を振る。
「やれやれ。すっかりやる気みたいだねェ」
「当然よ。鬼灯町で喧嘩となりゃあ、このカゲフサ様が黙っていられるわけねえだろ。一つ男の喧嘩のやり方って奴を、イタリアのお坊ちゃんたちにレクチャーしてやるぜ」
「あんまり、町の皆様に迷惑をかけないでおくれよ。喧嘩と騒動で喜ぶのは男衆だけ。女たちは毎日の掃除洗濯炊事が滞るだけなんだからねェ。ましてや、あんたのアレは人様にゃいい迷惑だよ」
カゲフサはやる気満々だが、対するおキヌの意見は冷めたものだ。
「そう言うなって。な? 頼むよ。なあ?」
両手を合掌して頼み込むカゲフサに、おキヌは軽く笑う。
「別に、あたしは駄目だなんて一言も言ってないよ。好きにおし。そして、鬼灯町にカゲフサ有りと知らしめてやりな」
「もちろんだぜ。話が分かるな。さすがは俺の恋女房だぜ」
調子のいいことを言うカゲフサだが、おキヌは乗らない。
「はいはい。さっさと行きな。日が暮れちまうよ」
その言葉を背に受け、カゲフサはいそいそとその場を後にした。残されたのはおキヌとハンゾー、それにあかねとノリトだ。しかし、ネコたちが次々とこの騒動の顛末に首を突っ込んでくるとなると、黙っていられないのが三枝あかねである。守役としても使命もあるが、それ以上に好奇心が刺激されている。
「よし、私も行こうかな」
「行くって、どこにだよ」
小走りでその場を後にするあかねに、ノリトが続く。
「お家」
「家? 今から戻っても多分その間に決着が付いているぞ」
「分かってるってば。だから、ハクメン様にお願いする」
そう言うなり、あかねは家と家の間にある、何の変哲もない馬頭観音の石碑に近づく。
そこは抜ケ道に続く場所だ。普段ならば、ここを起点として化外やあかねのような人間は現世と異界とを行き来する。だが、今回は違う。抜ケ道は、鬼灯町の現世と異界にクモの巣のようにして張り巡らされている。地脈の流れが通路となったそこは、使い方によってはワープのような空間の跳躍が可能だ。
もちろん、あかね本人はそんな高度な使い方はできない。しかし、はなからあかねは自力でどうにかするつもりなどない。他力本願をまったく抵抗なく行うあかねにとって、頼るべき相手はただ一人だ。
「――開き給え。――招き給え」
いつもの文言を二度の拍手と共に呟いてから、さらにあかねは付け加える。
「――真白き御魂に申し上げる」
あかねが最後の文言を述べたのと同時に、周囲の空間が一気に重圧を増した。それまではただの一気圧の大気が、突如深海の水圧に変じたかのような重量となる。
「――あかねか。宿題は終えたのか?」
完璧に男女の両性を併せ持ったその声。人の喉が発するのではなく、自然現象が声帯となったかのようなその声。
ただの声であっても、その御許に立つ畏れから、ノリトが身を固くして頭を垂れる。あかねの文言は、ただその場に通じていた抜ケ道を開いただけではない。鬼灯山のハクメンへと直通する、特別な抜ケ道を開通させたのだ。
「すみません、ハクメン様。申し訳ありませんが、鬼灯山まで……じゃなくて、家まで連れて行って下さいませんか?」
呼び出して早々に、あかねは本題を切り出す。
「町の真ん中でわざわざ私を呼びつけるとは、よほどの急用と見えるな。家に忘れ物でもあるのか?」
「違います。ハクメン様はご覧にならなかったんですか? 今ハグロさんがコタロー君を連れて行っちゃって、それをジェーニョ兄弟さんたちが追いかけて、もうなんだかすごいことになってるんです」
「無意味な実況ご苦労。その口ぶりからすると、何やらあのキツネがやらかしているようだな。奴め、馬脚を現すにしてもずいぶんと早いものだ」
切羽詰まった感じのあかねに対し、ハクメンの口調は泰然自若としている。だが、あかねの説明はひどく不明瞭だ。自分だけが分かっていて、ハクメンが分からないことがあるのに気づいていない。
「知らなかったんですか? 意外です」
「私の天眼は鬼灯山ならば大抵のものは見通す。だが、その麓に広がる町については管轄外だ。そちらはネコたちに任せているからな。それとも何か? お前は私が毎日何か面白いものはないかと、暇人の如く鬼灯町を隅々まで覗いて回っているとでも思っているのか?」
あかねの実体験では、ハクメンは大社の中ならばどこであろうともほぼ見えているらしい。何度となくあかねは、奥座敷に座すハクメンから注意されている。曰く、見えないと思ってあくびをするな、廊下を歩くときは足音をどたどたと立てるな、余計なところに首を突っ込むな、忙しいヘビに世間話をするな、すぐに道に迷うな、エトセトラ、エトセトラ。
しかし、さすがのハクメンでも、鬼灯町そのものを視野に収めてはいないようだ。
「違うんですか?」
「大社を何だと思っている? ただ座しているだけで組織は営めないぞ」
あかねの無知に、ハクメンは呆れかえったような口調になる。あかねの脳内では、大社という組織は何もしなくても勝手に千両箱が運び込まれてくる魔法の団体なのだろう。
「……って、そんなことより早くお願いします! 家に帰らなくちゃいけないんですから!」
ハクメンの悠然と流れる大河のようなペースにあっさり呑み込まれていたあかねは、慌てて気を取り直す。
「家のあれを持ってきますから。あれ、あのへんてこな槍です!」
「三枝の神楽槍をか? まあ、お前にはふさわしい代物だな。実に似合いだぞ」
「そうでしょう? だからお願いです。ね? 本当に急いでいるんですから。早くしないと終わっちゃいます!」
状況がどうなっているかもろくに説明せず、わざわざハクメンを呼び立てねばならない無礼をろくに詫びず、とにかくあかねは自分が困っていることをひたすら訴える。
「群雀のようにお前は騒々しい。それが私にものを頼む態度か」
そうハクメンが言ったのと同時に、馬頭観音の上の空間が文字通り引き裂かれた。音は何もない。だが、それまで正常だった空間に突如として亀裂が走り、それはたちまちのうちに広がった。中から一瞬だけ、鮮血のように赤い眼球と、闇夜のように黒い瞳孔が覗く。
「ならば連れて行ってやろう。お前に一から礼儀を教えるのはまた後だ」
そう言うなり、亀裂から突如として何かが飛び出した。大人の腕ほどの太さがある、白いヘビの尾だ。それは有無を言わさずあかねの上半身に巻き付くと、ものすごい勢いでその全身を亀裂の中へと引っ張り込んだ。
「ありがとうございますでもちょっときついので緩めてもらえれう゛ぁあぁぁぁ………」
乱暴なやり方だが、それでも一応あかねに礼を言う余裕はあったらしい。だが、その感謝の言葉は後半に行くに従ってかき消えていった。後に残されたのはノリトだけである。
「お前はどうする?」
「ここで待たせていただいてもよろしいでしょうか」
「好きにせよ」
普段は皮肉屋のノリトだが、ハクメンの前ではがちがちに緊張してかしこまる。それも当然だ。すべてのヘビの化外にとって、自分たちはハクメンの鱗の一枚である。そして、ハクメンは国王にして教皇のような存在だ。しかし、この大蛇の性は荒ぶる八百万の神の如く気まぐれにして怪異である。ただかしずき、額ずくことのみで満足はしない。
「何か、思うところがあるようだな。申してみろ」
ハクメンはノリトに向かってそう言う。一介の化外が、突然大社の主上に意見を求められたのだ。普通ならばとても口はきけない。だが、ノリトたちヘビの化外は知っている。ハクメンが、盲従をことのほかつまらなく感じていることを。ただ伏して「ご意向のままに」とのたまうなど、自殺行為である。
「恐れながら――」
しかし、それでもきちんとノリトは前置きをしてから。
「主上の願いは、あの守役見習いを通して叶えられることと思います」
ノリトの雲をつかむような物言いは、しかしハクメンには通じたらしい。
「そのようだな。あの者が守役となってから、暇の隙とは縁が遠ざかる一方だ。よい酒はただ見るものではない。実際に味わうものよ」
ノリトはあかねに思いを馳せる。今頃はきっと社殿に駆け込んで、あちこちを漁っていることだろう。
「引き続き、あかねを見張るように」
ハクメンの言葉に、ノリトは深々と頭を下げる。
「身命を賭して、励ませていただきます」
彼の真面目さが報われるのはいつの日だろうか。あかねが加わり、物事が加速度的に混乱していくのは目に見えていた。




