負け犬ならぬ負け猫の矜持(その1)
「ジェーニョファミリーの皆さん! 今まで本当にお世話になりましたニャ!」
太陽が徐々に西に沈みつつある夕暮れ時。異界の三滝川にかかる橋のたもとに、一台のキャンピングカーが停車していた。そのすぐ隣で、一匹のアメリカンショートヘアのネコがケージに入れられた状態で叫んでいる。
もちろんそのネコとは、先程ジェーニョ兄弟の身代わりを名乗り出たコタローである。そして、彼の入っているケージを片手で釣り下げているのはハグロだ。このキャンピングカーはハグロの私物である。といっても、実物の自動車ではないだろう。恐らくジェーニョ兄弟の外車と同じく、印紙で作り出した法術の産物だ。
「ボクはこれから男を磨いてきますニャ! みんニャ、泣かないで欲しいニャ! 笑顔で送り出して欲しいニャー!」
ケージの中で、コタローは無駄に元気よく叫んでいる。少し前に中和剤を打たれ、体内の麻酔薬はきれいさっぱりなくなっていることだろう。ハグロにケージを持ってもらっているこの構図は、これから動物病院に行くかのようだ。
しかし、これからコタローが行く場所は動物病院ではない。それよりもさらに恐ろしい、キツネの組織である廓だ。せめて、コタローがメスならばまだよかっただろう。あいにくコタローはオスだ。男性であるというだけで、廓におけるヒエラルキーは低下する。ましてや、キツネではなくネコだ。コタローの先行きが暗澹たるものであるのは、想像に難くない。
だからこそ、コタローはやけを起こしたように叫ぶのをやめない。自分で自分を奮い立たせ、格好をつけているのだ。
「今まで、コタローは本当に駄目なネコだったニャ! 男らしさなんかちっともない、貧弱で貧相なダメダメネコだったニャ。でも、ボクはジェーニョファミリーに入って変わったニャ。男の生き様をこの目でしかと目にしたニャ!」
何やら演説が始まってしまっている。コタローが語りかける相手は、ケージの持ち主であるハグロではない。三滝川の周辺にずらりと集まっている、ジェーニョファミリーのネコたちだ。どのネコも、コタローとの別れに際して涙を隠せないでいる。コタローがこれからどうなるのか、はっきりと理解しているネコは多分いないだろうが。
単に、コタローと別れるというだけでネコたちは嘆いているのだ。涙をぽろぽろこぼすネコ。ハンカチを振るネコ。悲しげな声でニャーニャー泣いている猫。それぞれ、感情の表現の仕方は様々だ。そして、悄然とした様子で立ち尽くしている双子。彼らは表情の抜け落ちた顔で、コタローの一世一代の勇姿をただ眺めている。枯れ木のような存在感だ。
「ボクをスカウトしてくれたボスさんたち、それがボクの憧れニャ! ボクがなりたい男の中の男ニャ! こんなボクを拾ってくれたボスさんに、ボクは一生ついていくニャー!」
「コタロー! 格好いいニャー!」
「素敵ニャー! お前も男ニャー!」
「万歳ニャー! コタロー万歳ニャー!」
コタローの一挙一動に、ファミリーのネコたちは歓声を上げる。
「だからこそニャ! ボクはここでボスさんに変わってお姉さんについていくんだニャ! そしていつか、鬼灯町に戻ってくるニャ! 故郷に錦を飾るんだニャ! ボスさんのために、ジェーニョファミリーのためにがんばるニャー!」
「さすがニャー!」
「でも悲しいニャー!」
「行っちゃ嫌ニャー!」
「笑顔でお見送りニャー!」
「ニャーニャー!」
ネコの送別会はますます盛り上がる一方だ。
「ボクだってお別れは寂しいニャ! でも……でも……ボスさんのために、ボクは泣かないニャ! にっこり笑ってさよならするニャ! さようニャら、みんな! さようニャら、ボスさんたち! コタローは男になって帰ってくるニャ! だから今は…………さようならニャー! ニャアアアン!」
いくら虚勢を張っても、やはり別れは寂しかったようだ。口では泣かないと言っていても、ついにコタローの両目から涙がこぼれ落ちる。それを見て、次々とネコたちの間でももらい泣きの連鎖が起こる。その場でくずおれて号泣するネコまでいる始末だ。その中で、やはり双子だけがただ立ち尽くしたままだ。
「――というわけで、短い間だけどお世話になったわ。どうもありがとう、ファミリーのみんな。そしてお二人さん」
聞いていないことを恐らく百も承知で、ハグロが短く別れの言葉を口にする。明らかに、無視されていることが分かっていて言っている態度だ。ちらり、と意味ありげな目で彼女は双子を見る。双子はただ、その視線を見つめ返すだけだ。
「それじゃあ、行きましょう」
「ニャン。お姉さん、これからよろしくニャ」
「ええ。きっと、短いお付き合いでしょうけどね」
何やら意味深なことを言いつつ、ハグロは背を向けてキャンピングカーの屋根に飛び乗る。と同時に、ゆっくりとタイヤが回り始める。誰も運転席に乗っていないにもかかわらず、ひとりでにキャンピングカーは動き出した。
ハグロが振り返って手を振る。ケージの中のコタローも手を振る。それに手を振り返すファミリーのネコたち。ハンカチを振るネコはさらにそれを振り回し、泣いているネコはキャンピングカーを追って走り出そうとして隣のネコに止められ、何とも騒々しい別れの一騒動がしばらくの間続いていた。
ゆっくりとキャンピングカーが遠ざかっていくのを、ただ呆然と双子は眺めていた。ハグロという美女の姿をした歩く厄災は、コタロー一匹を連れて去っていった。これで、何もかも元通りだ。ファミリーは戻ってきた。家に戻ればワインと美食が待っている。何も不足はないはずだ。ただ、コタローが座っていた席が空席なのを除いて。
「よお、腰抜けダンゴムシども」
ふてぶてしい声に、二人は振り返る。そこに立っていたのは、ハンゾーを初めとする数匹のネコを護衛につかせた、カゲフサとおキヌだった。
「行っちゃったね、ハグロさん」
「ああ。散々引っかき回して、こんな下らんオチなんて笑えないな」
その隣には、あかねとノリトも立っている。
「これが、あんたたちの望む結末なのかい」
おキヌは感情のこもらない声で言う。二人は、何も言わなかった。何も言えなかった。安堵している自分がいる。しかし同時に、警鐘を鳴らしている自分もいる。そして何よりも、激しく苛ついている自分がいるのだ。
「そうだよおキヌ。これが、このゲスどもの望んだ結末って奴さ。反吐が出るぜ」
二人の返答を待たず、カゲフサはそう言い放つと地面に唾を吐く。
「子分一人売り渡して座る、親分の椅子の座り心地はどうだい。えッ? おら、さっさと答えてみろよ?」
「二人ともちょっと乱暴なところがあったけど、ファミリーのネコさんたちには親切だって、私は思っていたけどなあ……。がっかり」
「あかねが期待しすぎなんだよ。こいつらにそんな甲斐性があるわけないだろ。こいつらにとって、ファミリーのネコはただの捨て石、飾り、道具なんだよ。だから、平気でこんなことをするのさ」
「ふん。子分一人守れない親分なんて、いる価値がありゃしないねェ。神輿は担がれてこそ神輿さね。神輿がひとりでに歩けるもんかい」
カゲフサ、あかね、ノリト、そしておキヌ。四人が次々と繰り出す舌鋒が、二人の心を抉っていく。ただ鋭いだけでなく、ご丁寧に返しがついている銛だ。刺さったら抜けず、さらに傷口を引き裂き傷つけていく。その痛みに、二人はついに耐えきれななった。サングラスをはずして地面に叩きつけ、二人は四人に食ってかかる。
「うるっせえっ! お前らに何が分かるって言うんだよ!」
「じゃあ、じゃあどうしろって言うんだよ。外野がぎゃあぎゃあ騒ぐんじゃねえ!」
「俺は……俺たちはファミリーのボスだ! ファミリーは俺たちのものだ。ほかの誰でもない、俺! 俺! 俺たちのものなんだよ!」
二人は半狂乱になって、あることないことをわめき散らす。
「だからハグロには渡さねえ! 奴の手からファミリーを取り戻すんだったら、子分の一人二人安いもんだ! そうだろ!? あんただってそうするだろ!」
「あんただってオレたちと同じじゃねえか! ファミリーの一番上でふんぞり返って、下の連中にちやほやされて、それが美味くて手放せねえじゃねえか! 同類が勝手にオレ達を裁くんじゃねえ!」
見苦しい二人の言い訳を聞いて、カゲフサはきょとんとして目を丸くした。しかし、すぐさま彼は腹を抱えて笑い出した。
「ニャハハハハ! ニャーハッハッハ! 同じだってぇ? この俺様が、てめえら三下と同じだって言うのかよぉ。こいつぁ傑作だ!」
しかし次の瞬間、その顔が見たこともない憤怒へと豹変した。
「ふざけんじゃねえぞテメェら! ここでぶっ潰されてぇかぁ!」
腹の底から力の入った怒鳴り声に、それまでみっともなく騒いでいた二人は一瞬で縮こまった。カゲフサの怒りは本物だ。それまでの体裁を取り繕ったり、見栄を張ったり、痛いところを突かれたりして見せる怒りとはわけが違う。正真正銘の激怒であり、純粋の激昂だった。
「親分稼業舐めてんじゃねぇぞ! 仁義忘れたテメェらなんぞと同類扱いされるほど、この俺は落ちぶれちゃいねぇんだよ!」
格好をつけることさえ忘れたように、カゲフサは怒り狂っている。その本当の怒りを目にして、ジェーニョ兄弟は何一つ反論できないでいる。まるで、親に叱られているいたずら坊主のようだ。
「親分ってのはなぁ、組合背負ってるんだ! 組合背負うってのはなぁ、そこに名前を連ねる子分の一切合切を引き受けるってことなんだよ! それがテメェらのしていることはなんだぁ? テメェらの不始末を子分に尻ぬぐいさせて、のうのうと親分の座に返り咲こうなんて虫がよすぎるんだよ! いい加減にしやがれってんだ!」
ここぞとばかりに、カゲフサは畳みかける。けれどもそれは、萎縮している今の内に、ジェーニョ兄弟を口で言い負かそうという作戦ではない。そういった権謀術数は、今のカゲフサの頭の中から消し飛んでいる。彼はただ純粋に、今の双子があまりにも惨めったらしく、筋の通らないことを強行していることに憤りを覚えただけだ。
「何も言えねえか? 図星だからなあ! ああ、つまらねえ。こんなチンケでへなちょこの野良猫なんざぁ相手にする価値もねえや。さっさとレストランにとんぼ返りして、飼い主にニャンニャン泣き付いてりゃいいんだよ。と言っても、お前らみたいなゴミの飼い主だ。作る料理も生ゴミの寄せ集めに決まってるぜ! 食品衛生法違反ってところだな!」
「ちょっと、カゲフサさん。それ言い過ぎ…………」
さすがに見かねたのか、あかねが注意しようとして近づく。だが、その肩をそっとおキヌがつかむ。
「言わせておきな」
「でも……」
「うちの人はね。口は悪いけど、言うに事欠いて真面目な人や弱い人を罵ることはしないのさ。あれは、きちんと意味があるよ」
おキヌはそう言うと、首を左右に振る。
そう断言され、あかねは納得している様子ではないものの引き下がった。一方ファミリーのネコたちは、尻尾の毛を逆立てて縮こまるばかりだ。しかし、その激しい悪罵の中、動くものがいた。電光石火の勢いで突きつけられたマテバの銃口が、カゲフサの額をポイントしている。ぶるぶると震える手で拳銃を構えているのは、二人のボス猫だった。
「取り消せ……」
「今すぐにな……」
「あン? 何をほざいてるんだぁ? 俺ぁ負けネコの吠え声に耳を貸すほど暇じゃねえぞ?」
「いいから取り消せ! 俺のマスターの料理を馬鹿にする奴は許さねぇ!」
「たとえマリア様でも、マスターの料理を生ゴミだなんて言わせねぇんだよ!」
それまでの惨状が嘘のように、ジェーニョ兄弟は銃を突きつけてわめく。それは自分たちをあざ笑われた故の怒りではない。自分たちの敬愛する飼い主を、正確に言えば飼い主の作る料理をあざ笑われた故の怒りだ。ましてや、カゲフサは今まで一度もこのレストランに来ていない。食べてもいない料理を生ゴミと言われて、二人は黙ってはいられない。
カゲフサはもちろんのこと、あかねも双子の飼い主については詳しく知らない。けれども、二人と飼い主の関係を雄弁に物語るものがある。それは、二人が得意とするイタリア料理である。そのメニューの数々は、レストラン・デルフィーノのメニュー表に書かれたものとまるっきり同じだ。
二人は二匹のネコになっているとき、こっそりと厨房で働く飼い主の姿を見ていたのだろうか。それとも閉店後、家族のために簡単な夕食を作っているときに、その足元にすり寄りながらレシピを頭に入れていたのだろうか。いずれにせよ、二人にとって素敵なイタリアンを作る飼い主は、決して侮辱することを許さない人物のようだ。
「――おい、青瓢箪ども」
一度真っ正面から撃たれたにもかかわらず、落ち着き払ってカゲフサは手を伸ばす。
「お前ら、ちぃっと怒る相手を間違えてねえか?」
その大きな手が、マテバの銃身を鷲掴みにして、額から射線を逸らした。
「ようやっとエンジンが温まってきたようだが、俺にかかずらってる場合じゃねえだろ。なあ?」
カゲフサが手を離す。不承不承と言った感じで、双子は拳銃をスーツの内ポケットにしまった。
「さっきまでのお前らの態度はなんだ? ぼんやりと突っ立って、男を見せた子分をねぎらいもしねえ。あんなチビが一世一代の根性を振り絞ったんだ。一人前になるまで組合の敷居はまたがせねえぞ、くらい言って花道を送り出してやれよ」
「そ、それは……仕方ないんだろ」
「そ、そんなこと言ったら、あいつが本気にするじゃないか……」
双子は居心地が悪そうに口ごもってしまう。二人としても、やはりコタローが自分たちの身代わりとなったのは心苦しくて仕方がなかったのだ。けれども、それをはっきりと認めることはできないでいる。
認めてしまえば、自分たちが子分を売り渡した不届きなボスであることを同時に認めてしまう。ジェーニョ兄弟はボスであり、ボスはジェーニョ兄弟である。この二つは不可分であり、ぴったりとくっついてしまっている。自縄自縛とはまさにこのことだ。二人は自分で定めたダンディズムに雁字搦めになり、本音を口になど到底出せなかった。




