チはオロチのチ(その3)
「それにしても、驚いたわ。本当にこの町の守役は肝が据わっているのね」
一通り茶碗が各自の手と口の間を行き来した後、大社の庭園ではゆったりとした会話の時間が流れている。
「どういうことです?」
茶菓子として出された色とりどりの金平糖をポリポリとかじりながら、あかねがハグロの質問に対して首を傾げた。
「ハクメン様とここまで対等に会話ができるなんて、これっぽっちも予想できなかったってこと。あなた、すごいわ」
「別に普通ですけど、こんなことくらい」
「だから、普通だって平気な顔して言えること自体がすごいのよ」
きょとんとしたままのあかねをよそに、ハグロは視線を空に向けて呟く。
「ああ、生きてて良かった」
とんちんかんにも思える言葉だったが、それがハグロの本音なのだろう。
「よく分からないなあ……」
ハグロの賞賛が理解できないまま、あかねはさらに言葉を続ける。
「だって、ハグロさんも緊張しているようには見えませんよ」
「まさか。顔に出さないだけよ。ねえ? ハクメン様?」
ハグロがハクメンに話題を向けた。
「さあな。私にとっては、対面する者が泰然自若としていようが戦々恐々としていようがどちらでもよいことだ。元より興味がない」
ハクメンは白けた様子で、先程から身動き一つしない。しかし、無視を決め込んでいるわけでもないようだ。証拠に、時折器に盛られた金平糖のいくつかが消失している。抹茶と同じ要領で口に運んでいるらしい。
「……私、小さい頃鬼灯山で道に迷ったことがあって、その時にハクメン様に助けていただいたことがあるんです」
しばらくして、あかねが口を開いた。それはあかねとハクメンのなれそめである。まだ幼かったあかねは、抜ケ道に知らずに入り込み、町から山まで飛ばされてしまったことがある。完璧に遭難したあかねを助けたのが、この白い大蛇だった。
「だからかな? みんなハクメン様が怖い怖いって言うけれど、私は全然そんな風には見えませんよ?」
無条件の信頼を込めた視線で、あかねはハクメンを見る。一方ハクメンは、ヘビ特有のまったく感情のこもらない眼球で彼女を見るだけだ。けれども、それであかねは充分満足らしくにっこりと笑う。
「なるほど、それで合点がいったわ。まさに刷り込みね」
二人の関係を理解したらしく、ハグロがやや冷めたことを言う。
「そんなあ。私、ヒヨコじゃないですよ」
「似たようなものよ。ハクメン様は半ば現象に等しい存在。だから、観測する対象によって姿形が変わるのよ」
あかねの抗議に取り合わず、なおもハグロは持論を説明する。
「畏れれば畏れるほど、敬えば敬うほど強大で畏怖すべき存在となる。一方であなたは、ハクメン様を優しい方として揺るぎなく観測している。だからあなたにとって、ハクメン様はいつだって優しい方なのよ」
そう言われてあかねは、ハクメンの顔から尾まで視線を動かす。このはっきりとした実体が現象のようなものだと言われても、到底理解できない。
「…………そうかもしれませんけど、なんか納得いきません」
しかし、あかねはむしろそのことより、ハグロの持論の後半が何となくうなずけなかった。ハクメンという実在が見るものによってころころ変わるなんて、まるでオズの魔法使いだ。自分が優しいと思っているから、ハクメンが優しく見えると言われても、実感が全然沸いてこない。
「確かに、口にしてしまえば無粋なものもあるな」
幸いなことに、ハクメンはあかねの心中を察したらしい。
「好きも嫌いも畏れも敬いも、並べて心のはたらきは脳髄の中で行われる電気のやり取りに過ぎないと一部の人間は言っているらしいが、それではあまりにも味気ないというもの。はてさて、ならば心とはいったい何ものか。実に不可解なものよ」
ハクメンを恐れないあかねの心の働きを理論化したハグロに対して、ハクメンはそんなことを言う。長き時を生きた大蛇の化外にとっても、心というものは霊妙にして不可解らしい。
「一説によると、心とはこのようなものだとか」
対するハグロは、目を閉じると次の歌をそらんじる。
「『心とは いかなるものを 言うやらん 墨絵に描きし 松風の音』」
「一休禅師の言葉をここで引用するか」
「はい。まさに心は、心を通してでなければ感じられないものなのでしょう。ゆえに心かと」
墨絵に描いた松風の音というナンセンスな言葉の中にこそ、心というものの絶妙さが言い表されている。その音は目にも見えず耳にも聞こえず、まさに心でしか感じ取ることができない。それが心だと一休は説くのだ。
「あかね、話題に付いていけないからといって機嫌を損ねるな。もっと教養を培え」
不意にハクメンが、あかねの方をじろりと睨む。二人の会話に加わることのできなかったあかねは、確かにつまらなそうな顔をしている。
「機嫌なんか損ねていませんっ」
図星を突かれたのが恥ずかしくて、あかねは大げさにそっぽを向く。
「まあまあ、そんなにむくれないの。せっかくのかわいい顔が台無しよ」
間を取りなそうとするハグロの言葉に、瞬時にあかねはそちらを向く。
「えっ? 私、かわいいですか?」
「もちろんよ。ネコの化外たちとつきあっているんでしょ。何だか仕草や雰囲気がネコみたいで愛嬌があるわ」
耳障りのいいリップサービスに、たちまちあかねの機嫌は直る。
「えへへ、そう言われるとちょっと嬉しいですニャ」
「あ、それは却下。あざとすぎ」
「そうですか……」
調子に乗ってネコたちの口真似をするあかねだったが、あいにくとそれはハグロには不評だった。ハグロは良いところは良い、悪いところは悪いと評価するようだ。先程の言葉も世辞ではなくて、本心から誉めたのだろう。
「相変わらず、お前の機嫌はネコの瞳の如しだな。ただ、太陽が天上のどこにあろうともすぐに変わるため、時計代わりにならん」
対するハクメンの言葉は辛辣だ。あかねのころころ変わる表情と心情をネコの瞳に例えている。
「そうそう、ネコの化外と言えばね」
ネコという語で何か思い当たったらしく、ハグロがポケットから携帯を取り出す。
「私、今ちょっとこの人たちのところによく行ってるのよ。本格的なイタリアンなんて、日本に帰ってきてしばらく食べてなかったから、もう懐かしくて。大学時代を思い出すわ。よく友だちと、イタリア出身の化外が経営するレストランに行ったなあ。やりたい放題のへんてこなお店で面白かった」
過去を懐かしみつつ、ハグロは画面を見せる。
「あーっ!」
その画面に映し出された写真を見て、あかねが大声を上げる。
「知ってます! この二人、ジェーニョファミリーって組合を作った人たちです!」
お察しの通り、そこに写っているのはジェーニョ兄弟である。場所はどこかのカラオケルームのようだ。両手でピースサインを作り、相も変わらず二人は上機嫌だ。そして相も変わらず、品がない。
「あら、知り合いなの? じゃあ、もうごちそうになった? なにがおいしかった?」
ハグロは即座に食いついてくる。
「ええっと、その、まだレストランには行ったことがないですけど、この二人が街角組合と喧嘩してて、街角組合の親分さんを銃でバーンって撃っちゃって、その、眠らせちゃったのを、見ているくらいで…………」
一方、あかねの言葉はどんどんと尻すぼみになっていく。再び自分の不手際を後悔する羽目になったからだ。
「ふ~ん、そうなの」
だが、ハグロはあかねの落ち度になど、まったく関心はないらしい。その一言でそれ以上の追求をやめると、代わりにこう言った。
「ねえ、ちょっとこの二人、借りていい?」
まるでいたずらっ子のように、目を輝かせながら。




