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チはオロチのチ(その2)





 頼りない放物線を描いて、池にちぎられた麩が投げ込まれる。水面に小さな波紋を描いたのもつかの間、それはすぐさま下を泳ぐニシキゴイの口の中に消えていった。


「おぉ~、食いしん坊さんたちばっかりだなあ」


 一斉に口をぱくぱくさせるコイたちを見て、あかねは目を輝かせる。拍手喝采を浴びるアイドルの心境を、今まさに体験しているらしい。


「それっ、お腹いっぱい食べていいよっ」


 続けざまに投げ込まれる麩と、同時に上がる水しぶき。コイたちの目には、普段餌を与えてもらうヘビの化外とは違う、小さな人間の女の子が映っているだろう。けれども外見は些細な問題だ。餌をもらえるならば何でもい。我先にコイたちは麩に群がり、口を闇雲に動かしてそれを吸い込もうとする。


「あかね、いい加減にしないか。来客が主人に尻を向けているとはいい身分だな」


 池の縁にしゃがみこみ、コイの餌付けに夢中なあかねの背中とお尻に、ハクメンの声がかけられる。晴天からにわかにかき曇る、山頂の天候を思わせる声だ。


「そうよ。ほら、せっかくお茶を煎れるんだから、こっちに来て」


 続いてハグロの声もかけられた。


 あかねが振り返ると、いつ持ってきたのか、池へと続く道の脇に床机が置かれ、上に眩しいくらいに真っ赤な毛氈が敷かれていた。きちんとセットのようにして野点傘も広げられ、その下にはハグロがいる。足元にはごつごつとした造りの茶釜が置かれ、既に湯が沸いているらしい。湯気が立っているのを、少し離れたあかねの目でも見ることができる。


 本当に、いつの間にここまで本格的なものを揃えたのだろう。それも音もなく。もしかすると、一切合切法術の類で作り出したものかもしれない。だとしたら、どこかに貼ってある印紙を一枚はがせば、すべては終わる。たちまちキツネに化かされたときのように、野点の道具一式は霞のように消え去ってしまうのだろう。


「はーい」


 二人に促されては仕方がない。あかねは麩がわずかに残った紙袋の口を握りしめると、餌やりをやめてそちらへと向かう。紙袋は、通りかかった庭師のヘビからもらい受けたものだ。なぜ守役の人間がコイの餌やりをしたがるのだろう、と露骨に不審そうな顔をしていた化外だったが、ハクメンに渡すよう命じられたため逆らうことはなかった。


 あかねは迷うことなく、ハクメンとハグロの間に腰を下ろす。野点傘の影からははずれるが、それでも全然構わない。ハクメンに一番近い位置は自分がキープしておきたいという、あかねの子供っぽい独占欲のあらわれだ。自分にとっての特等席を確保してから、改めてあかねは左右に目をやる。何とも不可思議な面子による茶会である。


 野点傘の下に座る、美貌の女性ことハグロ。正体はキツネの化外だ。その隣にちょこんと腰掛けている巫女装束の少女は、こう見えて鬼灯町の守役である(見習いだが)。そして当然床机に腰掛けることなく、胴体を長々と芝生の上に横たわらせたハクメン。磐座(いわくら)の如き巨大な頭部だけが、計り知れない重量を秘めて床机の側に寄せられている。


 共通点が女性(内一人は両性)くらいの、凸凹すぎる取り合わせである。しかし、ハグロは一切物怖じする様子もなく、棗から茶杓で抹茶をすくうと、そっと茶碗に入れる。続いて細い指が柄杓を取ると、印紙で加熱された茶釜から湯をすくい、茶碗へと注いでいく。最後にゆるやかに茶筅を動かすと、その茶碗は当然のようにしてあかねへと差し出された。


 そして、当然のようにしてあかねは硬直した。茶道なんて、一度も体験したことがない。せいぜい、戦国時代を舞台にした大河ドラマが放映されているときに、ちらりと目にしたくらいだ。差し出された天目茶碗を穴が開くほどじっと見たまま、あかねは指一本動かせない。どうやってこれを手にすればいいのだろうか。


「こ、これ…………」


 ぎこちない動きで、あかねはハクメンの方を見る。


「ど、どうやって、その、飲めば……じゃなくて、持てばいいの、かな……?」


 幸い、あかねの焦燥は茶を点てたハグロに伝わったようだ。ハクメンがあかねに茶道のイロハを教える前に、ハグロが助け船を出す。


「大丈夫よ。作法なんか気にしないで。自然体で召し上がれ」


 そちらを見ると、ハグロはにっこりと笑いかける。浅学非才の守役に譲歩しているのではなく、本心からのようだ。


「で、でも……」

「だってそうでしょう? しかつめらしく固まって、しゃちほこ張ったまま飲んだってお茶の味なんか分からないわ。それじゃ、せっかく点てた意味がないもの。ね? ほら、どうぞ」


 そこまで言われては、あかねとしても腹をくくるしかない。思い切って茶碗を鷲掴みにする。まるで、不発弾か何かを持っているかのような手つきだ。そのまま一気に口元に持っていくが、いったんそこで動きを止めるとハグロの方を見る。その視線に非難するようなものがないのを確認してから、泡立つ緑色の中身をほぼ一息に飲み干す。


「ああ……、な、何も一気飲みしなくてもいいのに……」


 あかねの暴挙とも言える飲みっぷりに、ハグロの口から驚きがもれる。一方で、酒の飲み比べのような勢いで抹茶を干したあかねは、なぜか勝ち誇った顔で茶碗を毛氈の上に置く。


「結構なお点前でしたっ!」


 続く言葉も勢いがいい。やけなのか本気で勝ったつもりなのか判別できない。


「お味はいかがでした?」

「う゛えっ!?」


 しかし、その表情も、ハグロから返ってきた言葉でにわかにかき曇る。一気飲みしたのだから、ろくに味わっていないのは明白だ。分かっていて聞いてくるハグロも、なかなかの腹黒である。


「ええっと、その……に、苦……じゃなくて、おいしかったですっ」


 とっさに口をついて出た本音をねじ伏せて、あかねは何とかその場を取り繕う。確かにおいしかったのかもしれないが、もったいないことに記憶の中には苦味しか残っていない。


「お粗末様です」


 しかし、それで充分ハグロは満足したらしい。平然とした様子で、空になった茶碗を自分の方に引き寄せる。


「はい、こちらはハクメン様にお渡し下さい」


 続いて点てられた抹茶を、ハグロはあかねに渡した。言われるがままに茶碗を受け取ったあかねだが、再び硬直する。さて、どうすればいいのだろうか。ハクメンが普通のヘビの化外のように、長いヘビの首と尾を持つ人間の形ならば問題はないのだが、あいにくと今のハクメンは手足のない大蛇である。


 手がない以上、ハクメンは茶碗を持つことができない。それは周知の事実だ。ならば、茶碗をハクメンの前に置いてそしらぬ顔をするのは、何となく嫌だ。そうなると、ハクメンに人間の形に変化するよう頼むべきだろうか。しかし、人間と同じサイズになるのをハクメンはあまり好かない。本人曰く、窮屈だそうだ。


 せっかくの野点なのに、窮屈なのを強いるのはハクメンに悪いような気もする。もしかすると、こうやって懊悩するのを知っていて、ハグロはあかねに茶碗を渡したのだろうか。ぐるぐると思考だけが空回りした結果、あかねはままよとばかりにハクメンに歩み寄る。


「はい、ハクメン様。あーんして下さい。口の中に入れてあげます」


 あかねの至った結論は、ハクメンが口を開いたその中に、茶碗の中身を注ぎ入れることだった。隣でハグロが吹き出すのが聞こえた。やはりハグロは分かっていて、あかねに茶碗を渡したらしい。火元にバケツの水をぶっかけるような体勢で身構えるあかねだったが、ハクメンは呆れたように息を吐いた。吹きかけられた息で、芝生の地面が揺らぐ。


「そこまで気を回す必要はないぞ、あかね。私を何だと思っている。動物園のカバに餌をやるのと同じように見ているのならば、いささか心外だな」


 あかねの無礼を、ハクメンは心外程度で済ませてしまっている。


「でも、ハクメン様って手がないじゃないですか。どうやって飲むんです? もしかして、舌を使うとか?」


 あかねの脳内では、ハクメンが二叉に分かれた舌を器用に使い、茶碗をつかんで口に運ぶ様が上映されている。


「キツネが持った器を、舌で舐め回す気は起こらんな。安心するがいい。元よりヘビは手足がないもの。代わりとなる術くらいはある」


 ハクメンの紅い目が動くと、あかねの隣を見る。


「そこに置け」

「ここですか?」


 言われた通りに、あかねは茶碗を自分の隣に置いた。目の動きだけで、ハクメンの望む位置を察している。しかしこれはあかねが聡いからではなく、ハクメンとの付き合いが長いせいだ。人間とはかけ離れた異質な思考の持ち主に対し、長年連れ添った世話女房のような意思の疎通である。もっとも、ハクメンがあかねに合わせているだけなのだが。


 あかねの隣に置かれた茶碗を、ハクメンは首を起こして見下ろす。ただ凝視するだけで、茶碗に変化が起こった。見る見るうちに、中に満たされていた抹茶の量が減っていく。まるで、突如茶碗の底に穴が開いたかのようだ。


「うわー! うわーっ! なにこれ、なにこれ! すごいすごい!」


 何らかの術を使っているという点では、種も仕掛けもあるマジックを目の当たりにし、あかねは目を大きく見開いて驚きの声を上げた。別にあかねのためにしたことでもないのに、すっかり夢中になっている。いくらも経たないうちに茶碗は空となった。しかし、ハクメンの喉が嚥下する動きはない。この量など、あかねと同じく一気飲みだ。


「粗茶で恐れ入ります」


 すかさずハグロがそう言う。


「あかねのように、味の感想は聞かないのか?」

「ハクメン様の舌を満足させるものなど、私如きではとてもとても」

「それは買いかぶりというものだ。私は美食家ではないぞ。酒は好むが、聞き酒など単なる趣味の類だ。いつでも質より量を求めてしまうのは、我ながら悪癖だな」

「あら。そうでしたら、こちらも茶碗などとは言わず一斗樽を用意するべきでしたでしょうか?」

「ははは。ならば私の方も、スコップを茶杓として、ドラム缶を柄杓として、そして竹箒を茶筅としてお前に渡すべきだったようだな」


 会話の応酬を楽しんでいるハクメンの横で、あかねは加わることなくしげしげと空になった茶碗を見つめている。


「あかね、何を見ている」


 ハクメンが硬質な瞳をそちらに向けた。


「あ、ごめんなさい。その……」


 ハクメンに追求され、あかねは茶碗を持ち上げてそちらに差し出す。


「もう一回やってみて欲しいかなって……。今の、チューって感じでお茶がなくなっていくの、もう一回見てみたいって思ったん……です……け……ど…………」


 あかねのお願いは、後半に行くに従って竜頭蛇尾となっていく。


「あかね、お前のその煩悩で曇りきったモグラと大差ない目には何が映っている? 動物園のガラスの向こうでとぐろを巻いている白蛇か? それともお前たち守役の後見人か?」


 口調だけはあくまで穏やかなまま、ハクメンはあかねに問いかける。穏やかなままのところが逆に怖い。


 ハクメンの首が重機のように動くと、あかねの全身にその頭部が突きつけられた。ただそれだけで、轟々と渦巻く気配が周囲にのしかかる。無音の竜巻の間近にいるようなものだ。自分の厚顔なお願いがハクメンの気に触ったことが、さしものあかねも理解できたらしい。愛想笑いと共にあかねは軽く身を引くが、その分だけハクメンの顔がさらに近づく。


「さあ、答えてみろ。私は今機嫌がいい。一度くらいならば過ちも見過ごしてやろう」


 ここまで迫ってなお、ハクメンの表情は変わらない。ヘビだから当然なのだが、それがかえって威圧感を倍加させる。


「二度目は……?」


 しかし、そんな中でもあかねはなおも食い下がる。先程が一回目の過ちとして、今返答を間違えたらどうなるのか知りたいらしい。


「先刻までお前が餌をやっていたコイがいたな。たまにはコイの視点というものを、ヒトの身で体験してみるのはどうだ?」

「ごめんなさいすみません調子に乗ってました。ハクメン様は見せ物なんかじゃありません。とっても素敵でとってもお強くてとっても偉い御方です」


 ハクメンの返答に間髪入れずに、あかねはぺこぺこと頭を下げる。ふざけたことを言ったら最後、頭から池に叩き込まれると理解できたからだ。いや、もしかすると何か変化の術でもかけられて、本物のコイにされてしまうかもしれない。さすがのあかねでも、そんな摩訶不思議な体験は断固拒否する次第である。


 あかねの美辞麗句に、ハクメンはようやく頭を遠ざけた。何度かその口から舌が出し入れされる。どことなく、苦いものを食べて口の中に嫌な後味が残っているかのような仕草だ。


「お前の口から誉め言葉を聞くと鱗がざわつくな。不釣り合いな言葉とは、こうも耳障りだということがよく分かったぞ」


 残念ながら、あかねの賛辞はハクメンに不快感を与えただけで終わったらしい。


「まあいい。一杯で満足するほど私は飽いてはいない」


 ハクメンの頭部が、続いてハグロの方を向く。


「ハグロ、もう少しもらおうか」

「――はい、喜んで」


 続くハグロの言葉は、やや遅れていた。二人のやり取りに圧倒されて、口を挟めずにいたらしい。


 常に余裕綽々に見えるハグロにしては珍しく、今まで完全に蚊帳の外だ。


「な~んだ。ハクメン様だってやる気いっぱいじゃないですか」


 何だかんだ言っておかわりを求めるハクメンに、あかねが小さな声で呟く。しかし、ハクメンは聴覚が鈍いヘビの姿をしているくせに、その小声を聞き逃さない。


「おや、何かさえずったか? お前の声は小さすぎて実に聞き取りづらい。もう少しはっきり言ってもらおうか」

「いいえなんでもありませんなにも言っていません口はちゃんと閉じてます」


 慌ててあかねはそっぽを向く。都合が悪くなると、すぐに視線を逸らして知らん顔をするネコに、その仕草はそっくりだった。






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