暴君-4
アジリアとサクラが取っ組み合いを止めて、物音をした方を振り返る。その場所は外にある階段が、談話室に斜めのスロープとして食いこんでおり、三角形の無駄なスペースがあった。そこには物資が積まれており、上から布をかけられている。俺はそこに仕掛けをし、遠隔操作で物音がするようにしたのだ。
彼女たちの注目が、一斉に物資の山に向けられた。
「何コレ……」
デージーが呟きながらそこに駆け寄っていき、恐る恐る布をはぐ。その下には、娯楽品が積まれていた。ギターや笛などの楽器、ペンや粘土などの工芸品、そして映像の入ったメモリなどだ。彼女たちは出て来た娯楽品に心を奪われて、わらわらと集まって来る。
アジリアとサクラは最後まで胸倉を掴みあっていた。そして互いに一度視線を合わせると、突き放すように手を離す。そして自分たちもその輪に混ざった。
彼女たちは、思い思いの品を手に取って眺め始める。その中でサンが布を拾い上げて、そこに描かれている俺の文字を読み上げた。
「『廃棄』って書いてある……これ捨てるものじゃないの? なんか良いものあるかな? 毛鉤の材料になりそうなもの。後よくしなる棒があったらいいなぁ」
サンは布を綺麗に畳んでから、物色に参加する。その後ろでアカシアとリリィが、身を寄せ合って怖がっていた。
「え……でも……ナガセ怒るんじゃないかな……そしたらまた海に……」
「私はあんな苦しいの嫌だよ……それならロータスにいびられながら、排水管の掃除をした方がマシだ……」
アジリアは失笑しながら、二人が取りっぱぐれないよう配慮して手招きした。
「ローズが廃材で服を縫った時は褒めた。これを有効活用しても怒らんだろ――なぁ。アイアンサクラ?」
「人をあの機械みたいに言わないで……まぁ、信任され、良く役に立てるという点では間違っていないけど。廃棄品は自由にしていい決まりよ」
サクラの言葉を聞いて、アカシアとリリィも物色に加わった。
「お? おう? おおお……」
そのうちプロテアが、楽器の中からギターケースを手に取った。彼女はケースから年代物のアコースティックギターを取り出して、いろんな角度から眺め始めた。
「どうしたのプロテア?」
アカシアが手に取っていた粘土を元に戻して、プロテアに寄っていく。
「いやよ……何だろうな。イケそうな気がする……」
プロテアはそう独りごちると、椅子に腰を掛けて脚を組んだ。脚の上にギターを乗せて、音程を確かめるように全ての弦を弾く。彼女は慣れた手つきで調律を済ませると、滑らかに指を動かして弦を弾き出した。ギターは最初、外れたメロディを奏でる。だがすぐに美しい旋律を産み出した。
あの曲だ。国際連合に属する者なら、空気を吸うように聞く曲である。ユートピア作戦にて団結と慰安のために、あるアイドルが歌っていたものだ。
「その曲知ってる……悲しい曲だね」
アカシアがしんみりと言った。それは違う。人類の黄昏が醸す、悲しさと虚しさを吹き散らす、明るく希望に満ち溢れた曲だ。その曲にそのようなイメージを抱くとは、ひょっとしたら俺は平行世界にいるのか? 考えを改めようとする俺を余所に、プロテアとアカシアは声を揃えて歌い始めた。
「凪に揺蕩いて、空を舞う。避けられぬ命運に、吹かれてきたけれど」
「飛び立つ決意は、変わらずに。置き去りにした心と、愛した者の為」
「信じてる。ねぇ、いつまでも。繋がる想い、無償の愛、抱きしめ夢を見る。愛してる。ねぇ、これからも。広がる世界、目を覚ませば――ん? ここから先は何だったっけ?」
プロテアが楽譜を取り上げられたように、ギターを弾く手を止めた。彼女は答えを求めるように、共に歌ったアカシアを覗き込む。だがそこには悩む顔があり、二人は押し黙ってしまった。
何故そこでつまる。歌の締めを忘れるなんて珍しい。そこは――
「夢で見た空――だ。これはソリッドメモリか……中に何が入ってるんだ?」
アジリアが俺の代わりに答えを明かした。彼女はバー型の記憶媒体が、気になっているようだった。
ソリッドメモリとは、立体記憶媒体である。用途によって型式や形状が異なるが、ポピュラーなのはUSBの様なバー型である。ディスクやフラッシュメモリのように面に記憶するのではなく、立体に記憶を書き込めるので、その記憶容量は従来品の数百倍に及ぶ。立体に情報を書き込み、それを読み取り面でもある強固なプラスチックでカバーしているので、ハンマーで殴ったぐらいでは情報は破損しない。破棄するにはレーザーで焼いて破壊する。汚染世界での記憶媒体だ。
アジリアは自分の作業用デバイスを取り出すと、そこにソリッドメモリを接続した。サンとデージーが興味をもって、アジリアのデバイスを覗き見ようとする。しかしアジリアは彼女たちを遠ざけた。
「待て覗くな。有害なものかも知れん。マシラを解剖したり、ピコを殺した時の映像かもしれんぞ。それか我々に知られたくないような、暗い記録だろうな」
アジリアは中に入っているファイルを展開する。そして鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。サンとデージーはアジリアの許しを待っていたが、普段とは違う様子のアジリアに、より興味を刺激されたのだろう。両側から挟みこむようにして、アジリアの持つデバイスを覗き込んだ。
デバイスでは彼女たちの生い立ちが、映し出されている事だろう。
「ナガセがここに来てからの、私たちの映像だ~」
サンが懐かしそうに相好を崩す。アジリアはそれで、ソリッドキューブに興味を失したのか、デバイスをサンに渡した。彼女は代わりに、映像を撮るのに使ったカメラに興味を移したようだ。手に乗せてあれこれと弄り始めた。
一方サンとデージーは、身体を寄せ合い小さなデバイスの画面に噛り付いた。
「うわぁ……たくさんあるね。これはピコが生きてた時の。こっちは塀造った時の映像だ」
「本当全部見たい見たい!」
「明日訓練が終わったら……続きを……そう思うと少し楽かな。ナガセ。私たちの事ずっと見守ってくれたんだ」
サンは明るい声で笑った。だがアカシアがプロテアと歌うのをやめて、ぼそりと呟いた。
「でもナガセは……それを捨てちゃったね……私たちが育った事なんて……もうどうでもよくなっちゃったんだね……」
談話室が、暗い雰囲気で満たされ始める。それこそが俺の狙いだ。娯楽と一緒に、俺への敵愾心を募らせようということだ。上手くいけば俺と離れた所で娯楽活動を行い、独自の文化を開花させることだろう。アジリアが望んだ通りの展開である。
「風に抗いて、空を発つ。曲げられぬ使命に、挑んできたけれど」
談話室の痛々しい沈黙の中、プロテアのギターの音色と、軽やかな歌声が空しく響いた。
「プロテア……やめて」
おもむろにアカシアが口を開いた。アカシアは俯いて、握りしめた拳を軽く震わせていた。
「いい曲だけど……あまり聞きたい曲じゃない……悲しすぎるよ……」
プロテアは溜息をつくと、ギターをじゃらんと鳴らして演奏を止めた。そして目を細めて、談話室にいる全員を非難するような眼で見渡した。
「俺が寝た時はよ。顔から険が取れてよ。態度から棘も無くなってよ。そりゃあ優しい本当の顔を見せてくれたんだぜ?」
プロテアはそこで、深いため息をついた。アカシアとリリィが緊張に身をすくませる。サンとデージーはお互いに抱き合い、アジリアとサクラが睨みあった。
「俺は怒らねぇからよ、ショージキに言え。誰か何かやったんじゃないか?」
皆の視線が、一斉にアジリアに集中した。一番俺に意見し、反抗し、そして目をかけられているからだろう。アジリアは視線に怯むことなく、鼻であしらった。
「私はむしろ被害者だぞ。薬を盛られて無理やり眠らされたのだからな。奴は暴力で思い通りに物事を運んだ。非難されるいわれはないぞ」
サクラがアジリアをせせら笑う。
「何を勘違いしているの? 薬を盛ったのは私よ。ハハーン。あなたはナガセ憎しで、何でもナガセのせいに見えるのね。品が無いから自分がやらかしたことに、気付いてないだけなんじゃないの?」
アジリアは驚愕に眼を見開いた。だが次第にそれは敵意に細っていき、俺を睨む時の憎悪の篭った眼つきになった。
「今私の中で……お前の評価が、がくりと下がったぞ……」
「別にいいわよぉ。第一何様? 私を評価するなんて。ナガセを嫌うくせに、ナガセを真似るんじゃないわよ……マシラ人間」
「肉のブリキが……」
再びアジリアとサクラの間で、剣呑な空気が生まれ始める。緊張に談話室の彼女たちは、身を固くして立ち尽くしだした。見守る俺に、アイアンワンドが呟く。
『サー。あんまりだと思いませんか? 私をブリキ呼ばわりするのは』
「俺に言うな。それより止める準備をしとけ」
『サー。サイテーです』
アジリアとサクラは、今度は掴みあおうとしない。俺が教えた格闘術の構えを取り、牽制するように拳を揺らし始める。両方とも喧嘩をする気の様だ。馬鹿が。サクラはともかく、アジリア。貴様まで本気になってどうする。どうやら薬の一件で、アジリアはサクラを守るべき仲間から、俺の同類へと認識しなおしたようだった。
「冬だよ! 冬が悪いんだよ!」
二人の喧嘩を止めるために、リリィが叫んだ。アジリアとサクラは、視線だけをリリィにやった。リリィは見られて少し怯んだが、服の裾を握りしめて懸命に説明した。
「冬が過ぎてからナガセは怖くなったから! 冬が悪いんだ! 冬で辛い思いをしたから、イライラしてるんだ! だから喧嘩はやめて!」
すかさずアカシアがリリィを援護する。
「起きた時には……昔のいつも通りになってたような気がする……だってパギに健康診断を受けさせた時、パギの事軽く虐めていたから……でも昔のナガセはあんなこともしない」
アカシアは俯いて、そのまますすり泣き始めた。アジリアとサクラは、泣きじゃくるアカシアに視線を移した。やがて自分たちがしようとしたことが、虚しく思えてきたのだろう。最後に一睨みし合うと、ゆっくりと構えを解いた。
「そうだ……そしてあの化け物は、それぐらいでイライラしない……」
「そしてナガセは私たちを叱っても、いたぶったりしないわ……」
談話室が、沈黙に包まれた。
少しの時間を置いて、サンがポツリと言った。
「やっぱり……何か理由があるんだよ……」
「冬が追い詰めた……か。ナガセは俺たちの理解が及ばねぇところで、また戦っているのかもな。俺たちが頼りねぇから、きっと何も言わないんだ。実際――俺たちは冬も越せなかったわけだしな」
そこでプロテアは自らの怒りを表現するように、唇を噛んで拳を握りしめた。
「だけどアカシアやアイリス、リリィにしたことは許せねぇ。許せねぇよ。鍛えなきゃいけねぇのは分かるが、限度ってもんがあるだろ。俺たち身体が強い奴がいるんだ。だから限度を超えたことをする時ゃ、俺たちを使えばいいんだ」
「プロテアあなた……」
サクラがプロテアの離反を、危惧するように声をかけた。プロテアは目の前で手を振って、それをいなした。
「俺は構わねぇ。運動は好きだし、自分の限界を知るのは楽しい。だがよ、他はそうでもねぇだろ? ナガセが怖くて言えねぇなら、俺が聞くよ。それまでに俺も、ナガセが納得できるほど強くなっておく。んだけだ」
プロテアはそれだけ言うと、ギターをケースにしまう。そしてそれを肩に担ぐと、談話室を出て行こうとした。アジリアとサクラが、そろってプロテアを呼び止めた。
「待って。持ってっちゃダメよ」「今いない奴にも、選ぶ権利はある」
同時に声を発した二人は、互いに侮蔑の視線を投げ合う。
「ホントーにムカつく」「イヤな奴だ」
その罵倒すらも、ほぼ同時に交わされた物だった。俺は苦笑すると、談話室の映像を切った。
『サー。ご覧の通り、マムたちは困惑しております。今一度対話をされては如何でしょうか?』
「うるさい。一度決めたことだ。翻すつもりはない」
俺はそう言って、草原のはるか向こうに視線をやる。そして脳裏に、盆地にそびえるアメリカドームポリスを思い浮かべた。
「弱けりゃあ……死ぬんだ……だが戦わなくとも……死ぬんだ……」
俺は変えようのない現実に、しんみりとするしかなかった。
『サー。ですがマム・アカシア、マム・アイリスは、繊細な心をお持ちです。サーの行いを恨まずとも、傷ついております。これは無視できません』
「アカシアには甘えにならん程度に、直接フォローを入れる。アイリスはお前が頼む」
『サーは特別扱いを為さいません。同時に何か、仕込むおつもりでしょう?』
俺はそれに答えない。図星だからだ。代わりに時計を覗き込んで、見張りについてからどれくらい経ったか確認した。今日だけは勘弁してやろうと思ったが、気が変わった。
「頃合いだな……マリアは暴徒だ。暴徒鎮圧。ケツに蹴りを入れろ」
『サー。イエッサー』
夜の空に、猫のような悲鳴がこだました。