暴君-2
翌日の朝から、訓練が始まった。見張りのシフトがあるため、訓練は三チームに分けて、順次行う。すると日程は、見張りをして訓練を行い、それから休憩という形になる。
まずは一巡目だ。俺は起きたばかりの女たちを、ライフスキンに着替えさせる。理由は汗をかくのに作業着だと、洗濯の手間が増えるからだ。それに人攻機に搭乗するには、ライフスキンが最適である。今のうちになれさせるのが吉だ。
ただ問題がある。ライフスキンのチョーカーは外すと、その登録情報が抹消される。今まで彼女たちは作業着を着ていたため、チョーカーを外さずとも生活が出来た。しかしライフスキンは着脱を想定した造りをしておらず、その度にチョーカーを外さなくてはならない。いらぬ手間は人的ミスを併発する。彼女たちには訓練が終わるまで、ライフスキンでの生活を強いる事になるだろう。
俺はそのことを告げて、柔軟運動とランニング、そして筋トレをさせた。内容はいつもさせているものより、量を少し増やした程度だ。能力は瞬発力と持続力を折衷させる。俺が育てるのはアスリートではなく兵士だ。何でもできないと困る。
訓練を終えると、彼女たちは荒い息を付き、額を滴る汗を拭っていた。そこにはまだ、余裕の表情があった。
デージーが水分を補給しながら、隣にいるサンに声をかけている。
「何だ何だいつもと変わんないね! 激しくなっただけで」
「そうだね。いつもの運動と同じだね。これなら頑張れそう」
彼女たちはほっと胸を撫で下ろしていた。今の内にはしゃげ。俺に言わせれば、水を啜らせる自分の甘さに、反吐が出る思いだ。だがいきなり激しくしてはもたない。真綿で首を締めるように、徐々に厳しくしていく。
二巡目、三巡目と彼女たちを訓練し、それを一日二回繰り返す。俺は監督の合間に睡眠をとった。その間に異形生命体の襲来があれば、それを監督して訓練の足しにした。
二週間が過ぎると、基礎中の基礎体力を、彼女たちは身に着けはじめる。もやしのような身体が筋肉で引き締まり、ちょっとぐらいの運動では汗一つかかなくなった。俺は査定を始めた。
やはり優秀なのは、俺に意見するほど強い女たちだ。成績の良い順に並べると、プロテア、ロータス、マリア、アジリア、サクラ、ローズだ。以降に平均としてデージーとサン、パンジーが続く。落第は元から体の弱いアカシア、頭脳系のアイリス、身体の小さなリリィ、マイペースなピオニーだ。こいつらは個性を伸ばす。
未知の可能性を秘めているのは、成長期にあるパギだ。こいつはオペレーターなんかよりも、兵士として英才訓練を施した方が素質を生かせる。だが俺には、そこまでレッド・ドラゴンに譲ることは出来なかった。パギみたいな子供――子孫の為に、銃を取っていることを忘れてはならない。
俺は訓練メニューを変えた。単純なランニングからハイポート(銃を装備して行う長距離走)と匍匐前進に変更する。筋トレも、綱登りやアスレチックに変えて、より実践を意識させるようにした。
このころから、彼女たちの表情に、苦悶の色が浮かび出した。日夜襲い来る筋肉痛や、訓練による怪我。規則正しく機械的に行われる訓練に、制限されるプライベートな時間。彼女たちは憔悴し始めたが、それでも健気に頑張った。口数を減らすことで文句を言わず、俺から顔を背ける事で嫌な顔を見せなかった。
何度かアジリアとプロテアが、俺に訓練を優しくするように直訴に来た。俺はそれにも黙れと言って取り合わなかった。アジリアはそれで俺とは、会話はもうできないと悟った。プロテアはそれで俺が、自分たちのために何かを隠していると信じた。それっきり何も言わず、幸せそうに訓練に没頭する、サクラに混じった。
だが限界は訪れる。
訓練メニューを変えてから、数日が過ぎた。俺は中庭で彼女たちに、ハイポートをやらせていた。訓練グループの二巡目で、面子はプロテア、デージー、サン、アカシアである。時刻は昼で、空にはさんさんと太陽が輝いていた。
俺は人攻機の資料を確認しながら、遠巻きに彼女たちを監督していた。彼女たちは両手で重しをつけた猟銃を掲げて、中庭で円を描くように走っている。彼女たちは息を荒げ、ライフスキンの全身の布地からは、汗を吹き出していた。額を伝う汗を拭うこともできず、喉の渇きに耐えながら、忠実に訓練をこなしていた。ちなみにアサルトライフルを使わないのは、軽すぎて訓練にならないし、落として壊れでもしたら大変だからだ。
炎天と言うこともあり、俺の傍らではアイリスが氷を用意して待機している。アイリスは待機時間を利用して、救命措置の手順のおさらいをしていた。
その時中庭で、走っている者が一人倒れた。俺は資料を放り出すと、駆け足で向かう。倒れたのはアカシアだ。彼女はすまなさそうに俺を見上げると、激しい呼吸の合間に、かすれた言葉を出した。
「な……ナガセ……ごめん……もう無理……」
アイリスが俺に追いついてきた。彼女は吸い飲みを使って、少しずつアカシアに水を与え始める。その間に俺は、アカシアの体調を見た。体温は運動していたことを考えれば普通だ。汗もびっしょりかいているが、異常ではない。受け答えもまともに出来ているし、水も飲めている。こむら返りも起きていない。
「熱中症ではないな……ただの疲労だ……『ただの』疲労だ……」
アカシアは決して、手を抜いている訳ではない。必死でここまで頑張った。だがその評価なぞ、戦場ではクソの役にも立たない。
俺の手が震えた。気の迷いが、彼女を支え、抱きかかえようとする。だが俺は握り拳を創る事で、その考えを打ち消した。俺はアカシアに猟銃を押し付ける。そして彼女たちが走る事で、円形に禿げた大地を指した。
「後一周だけだ。さっさとこなせ。今すぐできないのなら、最初からやり直させるぞ」
俺の隣で、ぎくりとアイリスが表情をこわばらせる。俺は無視して、アカシアを無理やり立たせた。アカシアは小鹿のように足を震わせながらも立ち上がる。しかしすぐに膝を折って、俺に寄りかかった。
「でも……もう無理なの……身体が……」
「それは俺の知った事ではない。走れ」
俺は冷たく言い放つ。
「でも……私……私……うえぇぇぇ……」
アカシアが俺に寄り掛かり、胸に顔を埋めて泣き始めた。そして許しを請い、慰めを求めるように、抱き付いてくる。俺は彼女を突き放した。アカシアは尻餅をついて、その場に倒れ込む。そして傷ついた顔で俺を見上げた。
「出来ないと言うなら、出来ざる得なくするまでだ」
俺はアカシアの襟を引っ掴むと、波打ち際まで引きずっていった。そこにはドームポリスの見張り台から、コンテナを改造したケージが二つ、海に浸してある。一つは生け簀として使っている。そしてもう一つは訓練用に用意した物だ。ケージは天板を外してあり、上から物を投げ込めるようになっている。しかし側面にも扉が一つあり、そこから物を出し入れすることもできた。俺は木造りの桟橋を渡り、ケージの中にアカシアを投げ込んだ。
ケージの中には、立っても脚がつかないほどの海水が満たされている。そしてライフスキンは水に浮かない。アカシアは海水の中でもがき出した。
「ナッ! ナガセ! やめ! 助けて!」
俺はケージの中を、動物を見るように覗き込んだ。
「ほう? 喚くほどの余裕はあるようだ……泳げ。さもなければ溺れ死ぬぞ」
アカシアは絶望に表情を暗くすると、泣き叫び始める。だが俺は取り合わず、檻から離れた。
「アイアンワンド。溺れたら引き上げろ」
『サー。了解しました』
俺が波打ち際を離れて中庭に戻る。するとプロテアが猟銃を投げ捨てて、こちらに走って来るところだった。どうやらアカシアを助けるつもりらしい。俺はプロテアの前に立ちふさがった。
「プロテア。貴様の訓練はまだ途中だぞ」
プロテアは一瞬立ち止まった。彼女は困惑したように視線を彷徨わせる。俺と自分の良心、どちらを信じようか迷っているようだ。だがアカシアの悲鳴が途切れると、俺を押し退けていった。
「うるせぇぇぇ!」
そうだ。それでいいのだ。
「アイアンワンド。ケージを沈めろ」
『サー。イエッサー』
俺が虚空に語り掛けると、見張り台の滑車が滑って、ケージを海に沈めた。もう泳いでいるかどうかは関係ない。アカシアは海に沈められて、息が出来なくなった。
プロテアは発狂したのかと思うほど、喚きだした。アイアンワンドにケージを引き上げるように命令し、脅して、そして懇願した。だがアイアンワンドが沈黙を守っていると、俺を振り返った。彼女は顔を青くして、唇を戦慄かせていた。
「どうしたんだよ……お前どうしたんだよ一体! あんなに優しかったじゃねぇか! 俺たちと一緒に生きて来たじゃねぇか! 自分を削ってまで……俺たちを……それが何で、急にこんな事をするんだよ! 今のお前! 冬眠する前より怖ェぞ! まるで……まるで……」
プロテアは言葉に出来ない思いに、喉を詰まらせる。だが俺は気が無いように、腰に手を当てた。
「貴様が駄弁るのは構わんが……アカシアの命を削ってまで話す事か?」
プロテアは恐れに俺から後退り、そして顔を引きつらせた。だがまだ昔の俺が忘れられないようだ。温情を期待するように、足は止まったままだった。だが俺からこれ以上、プロテアに言うことはない。
「さっさと訓練の続きをこなせ」
プロテアは涙目になり、中庭に戻っていった。そして猟銃を担ぎ直すと、がむしゃらにハイポートを再開した。
「檻を早く上げろ! ナガセェェェ!」
プロテアが走りながら絶叫する。
「お前が無駄にした時間分。アカシアにはしっかり苦しんでもらおう」
「ちくしょうがぁぁぁ!」
プロテアの叫びは、訓練中の彼女たちにも伝播した。彼女たちは自分の身を案じて、身体に鞭打って訓練に没頭し始めた。俺は満足げに中庭を見渡す。それから見張り台の彼女たちに、視線を移した。彼女らは次に訓練を控えている。俺の暴虐を目の当たりにして、戦々恐々としていた。
その中にはアジリアもいた。彼女は以前のように、息巻いて俺に怒鳴りこむような真似をしなかった。ただ俺に侮蔑の視線を投げかけながら、怯える彼女たちの顔色をつぶさに観察していた。何か考えているようだな。楽しみだ。
『サー。今までの訓練と比較して、暴力のレベルが高すぎますわ』
アイアンワンドが、俺のデバイスから忠告してくる。俺は鼻で笑った。
「これから殺し合うんだぞ? それ以上の暴力があるか」
『ですがこのままでは、マムは限界を迎えて死んでしまいます』
「限界を自分で定め、諦めた瞬間死ぬんだ。だから死ぬ気でかかれと言う意味を、身体で理解してもらう」
『サー。それは精神論です。合理的でありません』
「確かにこれは精神論だ。だが俺は旧軍のように、『己が魂を銃弾と化し、敵を粉砕せよ』とは言っていない。自分で限界を定め、未来を諦めてはならない事を教えている。これは精神論だが、精神を鍛えるためのものだ」
アイアンワンドは、それっきり何も言わなくなった。
「ナガセぇぇぇ! もう止めてくれぇぇぇ! お願いだから止めてくれぇぇぇ!」
プロテアが顔を悲痛に歪めて、哀願し始めた。そろそろ頃合いだろう。
「ケージを海からあげろ……」
『サー。イエッサー』
ケージが海から引き揚げられ、中の水をこぼしていく。やがてケージは宙に吊り上げられ、その中でぐったりとするアカシアを露わにした。そう長い時間は沈めていない。アカシアは自力で水を吐いて、呼吸を再開した。
俺はケージの傍に歩み寄る。するとアカシアは、闇を湛えた暗い瞳で、俺のことを見つめて来た。
「ながせ……くるしい……よ」
「苦しいのは嫌だろう」
「うん……」
俺はケージの側面の扉を開き、そこからアカシアを引きずり出した。そして猟銃を彼女に押し付けると、耳元で囁いた。
「なら後一周。早くこなせ」
俺は中庭に向かって、アカシアの背中を押す。彼女はふらふらと揺れながら、一歩二歩と踏み出した。やがて気力――いや、死力を振り絞り、ハイポートを再開した。
その日。俺はリリィとアイリスを、ケージに放り込んだ。




