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Crawler's  作者: 水川湖海
一年目
16/239

萌芽‐7

 その日の夜。俺はいつも通りサクラの部屋で、座学を始めた。

 最初はデバイスの使用法に始まり、表計算ソフトの使用法、そして報告書の製作法を教えた。余裕が出てくると簡単な計算法と、スケジュールの作成と管理を教えた。それも自習が可能なまで成長すると、最早俺の出番は終わりだ。

 サクラは提出した問題をすべて終え、デバイスを閉じた。

「ふむ。問題を全て解き、自分で問題を作成できるようになったな。これは応用ができるという事だ。素晴らしいぞ」

 俺が褒めると、サクラは微笑んで見せた。そして期待に目を輝かせると、俺を見上げた。

「次は何でしょうか? 何をすればいいのですか?」

 俺は浅くため息をついた。サクラは相変わらず自分が無い。俺のいう事だけを淡々とこなすだけだ。それは自分が無いという問題の他にも、無責任な姿勢の表れだともいえる。俺がやっているから大丈夫。俺がやっているから間違いない。そんなもの根拠のない自信と五十歩百歩だ。

そろそろ自立させないといけない。

「好きにすればいい。最低限のことは教えたし、お前はもう自分で学習することができる。そうして自分を育むといい」

 俺はそういうと、自分のデバイスを閉じた。次の課題を期待していたサクラは、肩透かしを食らって目を丸めた。

「あ……え? あの……では何をすればいいのでしょうか? 次の御指示を」

「当分俺が教えることはない。自分で好きなことを学ぶといい。やりたいことがあるだろう。実現させたい夢も、試したいことも。それをするといい。分からないことがあればアイアンワンドを使え。お前も今日から使えるようにしておく」

 俺の言葉にサクラは喜びに口元を綻ばせる。アジリアと同じように、アイアンワンドを使えることが嬉しいのだろう。だがすぐにその表情は曇った。

「あの……では、引き続き教えを乞いたいのですが。私はナガセのようになりたいです。ナガセは信頼してくれているから、私に様々なことを教えてくれているのですよね。そしてこなしていけば、ナガセと同じくらい……ナガセと同じ人になれるのですよね。ナガセと一緒になれるのですよね?」

 どうやらサクラは俺と同じ存在になろうとしていたようだ。そうすれば一緒にいられると思ったらしい。だがそれは最早人ではなく道具だ。俺はお前に俺と同じになって欲しいのではない。俺はお前に『サクラ』になって欲しいのだ。俺は慎重に言葉を選びながら、話を進めた。

「それは無理だ。お前はもう自分で物を考えることが出来る。甘えは許されない。自分で物を考え、自分で責任を取るべきだ。俺はお前にそれが出来るから、お前を信頼し、教えられることを教えた。お前は立派に育ったから、もう一緒にいるのも終わりだ」

「え? あ……へ?」

 サクラは今までの努力が水泡に帰したかのように、目を白黒させて狼狽えた。

「じゃあ、私はどうしたらいいのですか? その……どうすればいいの!」

 そして口調を変えて声を大きくすると、俺の服の裾を掴み縋りついてきた。俺はやんわりとその手を離させた。少なくともその手を握る資格も覚悟も俺にはなかった。

「焦らなくてもいい。じっくり、ゆったり、時間をかけて、自分を見つけるといい。それだけの時間は俺が確保してみせる。お前は俺より自分を見ろ。俺も明日からはピオニーに教えなきゃいかんしな」

 俺はしれっと、他の子の名前を出した。もちろんピオニーには保存加工の方法を教える。しかしサクラのようなマンツーマンにはならないだろう。ピオニーは自分で献立を考え、皆の栄養管理ができるほど自立している。

「ほ……他の子に教えに行くのですか?」

 サクラが行き場の失った手を膝の上に乗せて、握り拳を作り上げた。

「そうだ。俺は『皆の』先生だからな。いつまでも独りにかかり切りという訳にもいかないし、誰かを贔屓するわけにもいかない。できる者から順に、できることを教えている。だからアジリアとサクラを優先した」

 サクラはまるで鈍器で殴られたように黙り込んだ。瞳が色を失い、何か答えを求めるように虚空を彷徨う。やがて何も見つけることができなかったのか、視線は膝の上に落ち、彼女の肩は震えだした。

「そ……そうですよね……ナガセ。そろそろ寝ます。失礼して頂いてよろしいでしょうか?」

 彼女はきつく目を閉じながら、必死で取り繕った声で俺に言った。

「ああ、長くすまない。お休み」

 俺はデバイスを持ち直し、部屋を出てドアを閉めた。俺はドアに向き直り、深く、胸の内にある黒いもやを吐き出すように、ため息をついた。

 戸板一枚を隔てて、泣き声が室内から響いてきた。

 俺はその声から逃げるように、廊下を早足に歩き始めた。

「アイアンワンド……俺はサイテーか?」

 俺は虚空に向かって聴いた。

『サー。そういう事は、マムに聞いて下さい』

「お前に聞いている。もうとぼけるな。アイアンワンド。『お前』は確かに存在する」

『サー。公平さを保つためには仕方ない事かと。ですが、紳士的とは言えません。サーは、公平さを保ちつつ、マムを愛することが出来たはずです。故にサーはサイテーです』

「そうだな。そういう風に責められると気が楽だ」

『サー。サイテーです』

「もう一つサイテーなことをする。アイアンワンド。付きあってもらうぞ」

『サー。マム・サクラに連続したストレスを与えるのはどうかと。焦ってらっしゃいますか?』

「焦らん方がおかしい……だが急いてはいない。サクラは乗り越える」

『サー。イエッサー』



 翌日の朝、俺は朝食を手配しなかった。支度をしようとするピオニーを止め、昼食の準備もさせなかった。ピオニーはその理由を聞いてきたが、俺は夜に御馳走を振る舞うとだけ言っておいた。

 アジリアはそれだけで全てを察したらしい。俺がその後、倉庫入口へピコに朝食をやりに行くと、彼女がいた。アジリアは自分の手で直接ピコに餌を与えながら、その毛並みを優しく撫でていた。

 アジリアは俺が来るのに気付くと、顔を向けずに聞いてきた。酷く落ち着いた声だった。

「やるのか……?」

 俺は腕を組んで鼻を鳴らした。

「俺を止めるのか?」

「ピコを苦しめるならな……」

「薬を使う……意識のないうちに終わらせる」

 アジリアは力なく首を振った。アジリアの手から餌が無くなる。ピコは餌をせがむように、アジリアの指を舐めはじめる。アジリアはくすぐったそうに微笑んだが、それはとてもやるせないものだった。やがてアジリアはピコから手を離すと、俺と入れ違いになるようにドームポリスへと入って行った。

 彼女は一度足を止めて、俺を振り返らずに言った。

「ピコは体調が悪い。他の女たちにそう知らせてくる」

「ああ……そうしてくれ」

 アジリアの足音が遠ざかっていく。心なしか足音がいつもより甲高い。感情的になり、廊下を踏みつけるようにして歩いているのだろう。

俺はピコに近づくと、その丸い瞳を覗き込んだ。ピコは俺を見ると、嬉しそうに尻尾を振り、首を俺に擦り付けてくる。俺も初めて見る動物に舞い上がり、結構な時間を共に費やしたからな。俺の様な人間にもなついてくれた。それに俺も同じ痛みを受けなければアンフェアだ。

俺はピコを抱き返すと、その毛並みを撫でながら呻いた。

「すまない……すまない……」

 俺は浅く息を吐くと、ピコから身体を離した。

 ドームポリスから、たくさんの足音が響いてくる。振り返ると、女たちが駆け足でやって来るところだった。彼女たちはピコを取り囲むと、心配そうにその様子を観察していた。

「ピコ! どうしたの!」「アイリス早く来い!」「わたしに命令しないでくれますか……それはナガセの特権です」「うるせー! 早よ来い!」

 アイリスが救急箱を片手にピコに近づく。そして触診をしたり、体温を計ったりした。彼女にしては珍しく焦っているらしい。手が微かに震えている。やがてアイリスはほっと胸をなでおろした。

「特に……問題ないみたいですね。心音は安定していますし、異物も飲み込んでいません」

 パギが俺の袖を引っ張り、不安そうな眼で俺を見上げた。

「ナガセ! どうしたの? また草を吐いちゃったの?」

 俺はその質問に答えなかった。

「パギ。今日の仕事はしなくていい。ピコと遊んでやれ」

 俺は倉庫へ足を向けると、五月雨に搭乗した。そして塀の外に出て躯体を停めると、一人で警戒を始める。

 俺はぼんやりと、バックカメラを使って入り口の様子を確認した。女たちがピコに寄り集まっている。そして踏んで柔らかくした草を与えたり、身体をもんだりしていた。 何人かはピコの安全を確認すると、何度か振り返りながらもドームポリスに戻っていく。残りは遊ぶパギとピコを、遠巻きに眺めていた。

 潜在的な母性が呼び覚まされたのかもしれない。女たちはまるで息子のように、ピコを可愛がっている。

 最初ピコは、俺があげた草を食べて腹を下した。草が硬かったのと、鹿の食用に適さなかったからだ。女たちはそれを見て慌てた。俺が『死なすな』と言ったからだが、徐々に彼女たちは、そのか弱い鼓動を繋ぎ留めるために、必死になっていった。草を柔らかくするため汗を流し、ピコが食べやすい餌を探すように俺に頼んだ。ピコが雨晒しになっていると、力を合わせて小屋を作った。怪我をすると、徹夜で看病していた。

 正直。俺も殺すのは忍びなくなっていた。

 俺はふと、薬を使って安楽死させようかと思った。アジリアがピコの体調が悪いと言ったおかげで、投薬で死なせても女たちはさほど違和感を抱かないだろう。アイリスもまだ医者の卵だ。何とでも誤魔化せる。ピコを失う事で、命の大切さを知ることもできるだろう。それに反動も怖い。子を奪われた母親の傷心は計り知れない。これからの活動に支障が出るかも知れない。

 だが俺は首を振った。殺さなければ意味がない。俺がこの手で、奪わなければ意味が無い。その理由は単純にして明快だ。彼女たちがピコの代わりとなる、生贄を求めないようにするためだ。そのような横暴を嫌悪し、否定するようにしなければならないからだ。その暴力の連鎖を、ここで完全に断ち切らなければならない。

 その為なら俺は彼女たち全員を敵に回しても構わない。

 そこで俺は気付く。アジリアがわざわざ、『ピコは体調が悪い』と俺を助けるような発言をした理由に。アジリアは俺に安楽死させるよう仕向けるため、そのように環境を整えたのだ。

「女狐め……俺が後ろから刺されるのはそう遠くないな」

 俺はバックカメラから目を離した。女たちの中に、サクラの姿は見えない。それは俺の心の中に、ピコとは別に暗い影を落としていた。

『サー。侵入者を確認。マシラ一二匹。ムカデ二匹。ジンチク三三匹です』

 アイアンワンドから通信が入る。レーダーには赤い光点がきらめき、敵の状況を映し出した。

 ここ最近、異形生命体の襲来と、その数が増加している。

「来たか……やっこさんも飢えているらしいな」

 俺はスロットルをアイドルからミリタリーに入れると、八八式を構えて迎撃の準備をした。

 八八式の残弾も少なくなっている。これからはアメリカのMA22戦歩ライフルを使わざるを得ない。これは20ミリと、戦歩ライフルにしては小口径で、貫通力を重視していた。人攻機相手には有効だが、異形生命体相手にはあまり役に立たない。内臓の位置が安定していないので、弱点を狙うことが出来なからだ。それにストッピングパワーも期待できない。八八式のように、その破壊力で足止めすることが出来ないのだ。利点があるとすれば、小口径ゆえに携行弾数が多い事だろう。

 今戦闘記録を元に、サーモグラフから敵の内臓位置を予測するソフトを開発している。それと組み合わせれば、効果的に運用できるようになるだろう。

 バックカメラをちらと見ると、アジリアが弾薬箱を抱えてドームポリスから飛び出してきた。彼女は見張り台へと駆け上がり、そこに配置した機関銃に給弾ベルトを差し込んだ。

 同時に堀からマシラが数匹這い上がってきた。俺はマシラの腕を狙い、八八式のトリガーを絞った。腕が吹き飛び、マシラはバランスを失って転倒する。俺は倒れ伏したマシラに向けて、躯体頭部のこめかみに、新たに搭載した機関銃を発射した。本来ミサイルの迎撃や、スポッティング(砲の標準調整)に使うものだが、マシラやジンチクには十分有効だ。マシラは黒点を穿たれ絶命した。

 次にジンチクの群れが這い上がってきた。数は十一匹。それはアジリアが機関掃射で薙ぎ払った。七匹が絶命し、三匹が新たな腕を生やして接近を続ける。一匹は近場のマシラの肉に食らいついた。俺は残りのジンチクを、躯体の機関銃で撃ち殺した。

 やがてマシラの第二波が襲いかかって来る。六匹だ。俺は一気に方をつけようとはせず、マシラの腕を吹き飛ばすことに集中した。

 一匹、二匹と、腕を吹き飛ばされ、マシラは倒れていく。そして左腕を失くした四匹目が地面を転げた時、不意にアラートがなった。場所は背後からだ。

 俺は反射的に躯体に回避機動を取らせる。上体のバランスをわざと崩し、右足を浮かせた。そして左脚を軸にして回るようにして倒れた。躯体は上体を起こして、地面に座る姿勢を取り、背後に銃口を向けていた。

 そこには、倉庫からよたよた歩きで出て来る人攻機の姿があった。外装はアメリカのカットラスだ。水陸上での駆動を得意とし、腰部と足首にフロートを兼ねた安定翼がついている。腰の後ろにはロケットがあり、その上にバッテリーパックと主翼がついていた。これで水陸上を滑るように走ることが出来る。手には八八式を装備している。そして銃弾が装填してある証拠に、先端部が赤い警告灯を発していた。アラートが鳴ったのはこのせいだろう。

 カットラスの出撃に、ピコと遊んでいたパギは慌てふためいて塀の近くに逃げた。

 俺は反射的にアジリアを見た。彼女は機関銃から手を離し、唖然とカットラスを見ている。アジリアでないとすれば、後は一人しかいない。

「サクラぁ! そこを動くな!」

 俺はスピーカーに向かって吠えた。だがカットラスは止まらない。まるで出来の悪い機械人形のように、のったのったと俺の方に近づいてくる。

 熟練度が低い証拠だ。人攻機の歩行は、オートメーションで歩容を管理することで行われる。コンピューターが搭乗者の入力と、バランサーの要求を折衷し、歩容を完成させるのだ。しかし熟練度の低いパイロットは、フットペダルの踏みが甘くバランサーの要求が優勢になる。故に一歩ごと踏みしめる、静歩行になってしまうのだ。

 こんなデクノボウに出て来られてはたまったものではない。邪魔だ!

「ナガセェ!」

 アジリアの怒号が飛んだ。レーダーを見ると、背後から赤い光点が迫ってきている。その数三体。

「クソッたれェ!」

 俺はバックカメラを睨むと、迫りくる片腕のマシラにマーカーをつけた。そしてトリガーを引きながら、地面を抉るようにして無理やり身体を反転させた。モニタの映像がぶれ、躯体の脚が大地を抉って土砂を巻き上げた。トリガーは硬いまま一向に引けない。だが八八式の銃口が、マーカーをつけたマシラを向いたとき、引き金が軽くなった。

 八八式の銃声が響き、真正面のマシラが蜂の巣になる。マシラは肉片をまき散らしながら失速し、地面に叩き付けられた。残りの一匹はアジリアが撃ち殺す。そして最後の一匹が、仰向けになる俺の五月雨に覆いかぶさってきた。

 俺は機関銃を乱射する。マシラの頭部に黒い穴ができていき、血潮を噴き上げる。だがそこに弱点はなかったようだ。マシラは着地と共に、拳を躯体の胸に叩き付ける。装甲が軽くたわみ、コクピットが軽く揺れる。片腕を失ってバランスが取れず、満足に殴ることもでないらしい。このまま撃ち殺してやる。

 だがマシラは躯体から離れて、真っ直ぐドームポリスへと突進していこうとした。

 俺は焦り、思わず悲鳴を上げた。躯体から離れる寸前でマシラの腕を掴み、地面に引き倒す。五月雨でマシラを睨み付け、頭部の機関銃をひたすら撃ちまくった。

 マシラの身体が跳ね上がり、まるで電撃を浴びたかのように痙攣する。そして操り人形の糸が切れたかのように、突然痙攣が止んだ。そこで俺は銃撃を止めた。

 脅威である俺を叩きのめせる状態にあっても、ドームポリスを優先したか。

 女たちが目的だな。そう言えば一番最初の交戦時も、仲間を吹き飛ばした俺より、追いかけているサクラを優先していたな。何か理由があるのか。

 だが今はそれどころではない。頭に浮かんだ疑念を即座に排除する。俺は躯体を立たせると、堀の方に向き直った。そして残った異形生命体の排除を再開した。背後からは重い何かが倒れ、地面を揺るがす大音が響いてきた。

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