水道が通る
工事が始まって二十八日目の朝だった。
ガルドは水道幹線の末端に立って、最後の石蓋を確認した。幅一間、深さ一尺二寸。側壁は南の採石場から選んだ硬い石で積んである。継ぎ目は五分以内に収まっている。コルダが一枚ずつ確認した。
「シオ」ガルドは言った。
「はい」シオが手帳を開いた。
「石蓋の枚数。最終確認を記録しろ」
「幹線全体で百十八枚。昨日の確認数と一致しています」シオが書きながら言った。「全区間、蓋の取り付け完了です」
「分かった」
ガルドは水の入口になる部分まで歩いた。北の水源から引いてきた管の取り付け口だ。今はまだ栓で塞いである。
(ここから水が流れる)
二十八日前、ここは空き地だった。沼地の端から引いてきた水源と、街の中心部を繋ぐ経路が何もなかった。設計書を引いて、地盤を確認して、石を積んで——それだけのことを、二十八日かけてやった。
「ガルド様」コルダが後ろから来た。「南の末端を確認してきた」
「どうだった」
「石蓋の一枚、西端が三分浮いていた」コルダは言った。「据え直した。今は問題ない」
「見落とすところだった」
「俺が最後に回ったから見つかった」コルダは言った。事実として言った。「お前は計算の方で手いっぱいだっただろう」
「そうだ」ガルドは答えた。「ありがとう」
「礼を言われる筋合いはない。俺の仕事だ」
コルダが腕を組んで取り付け口を見た。
「今日通すのか」
「午前のうちに」
「住民には言ってあるか」
「シオが昨日、水くみ場の近くで触れを出した」ガルドはシオを見た。
「はい」シオが手帳から顔を上げた。「水くみ場の周辺の三十軒と、市場の方の二十軒ほどに伝えました。水が出始めたら知らせると言っています」
「集まるな」コルダが言った。
「集まると思います」シオが少し笑った。「ここのところ工事を毎日見ていた人も多いですから」
ガルドは取り付け口の前に戻った。
栓は木製だ。引き抜けば水が流れ込む。あとは幹線の中を水が走って、末端の水くみ口から出てくる。計算上は問題ない。沈砂構造も、折れ角の転換余地も、全部入れてある。
(入れてある、ではない。入った。だから通す)
「コルダ親方」ガルドは言った。「末端の確認に立ってくれるか」
「もう行くつもりだった」コルダが歩き出した。「水くみ口の前に立つ。水が出たら声をかける」
「頼む」
「シオ、来い」コルダが手招きした。「記録者がそこにいても、水くみ口の水は見えない」
「あ——」シオがガルドを見た。「ガルド様、よろしいですか」
「行け」ガルドは言った。「俺はここで栓を抜く。水くみ口の出方を書いてくれ」
「分かりました」シオがコルダの後を小走りについていった。
ガルドは一人になった。
取り付け口の前に立つ。木の栓に手をかける。引き抜くだけだ。
(二十八日の仕事だ)
設計書の最初のページを引いた日。水源の勾配を計算した夜。採石場と品質の話を詰めたとき。コルダが継ぎ目を五分以内に仕上げていくのを横で確認した日々。シオが測量のたびに追いかけてきて、数字を書き取っていた。
全部、この一本の幹線に入っている。
「通す」
ガルドは木の栓を引いた。
最初は音がなかった。
水が管の中に入った音が、地面を通して足の裏に届く。低い振動だ。微かだが分かる。水が走っている。
ガルドは時を数えた。幹線の全長は百三十二間。水が端から端まで走るのに——計算では二刻半以内だ。
三十を数えたとき、コルダの声が聞こえた。
「出たぞ」
短い声だった。静かで、力がある。
ガルドは栓を持ったまま動かなかった。
(出た)
次の声はシオだった。
「出ました。細い流れです——だんだん太くなってきています」
「流量は」ガルドは言った。
「まだ計っていません」シオの声が少し遠い。「コルダ親方が——」
「時間を計っている」コルダの声が続いた。「桶に入るまでの時間で出せる。待て」
ガルドは待った。
三十数えた。
「一刻で桶が半分だ」コルダが言った。「設計値はいくつだった」
「六割から七割」ガルドは言った。「まだ細い。幹線に空気が残っている。少し待て」
「分かった」
また時を数えた。百を数えた頃に、コルダが言った。
「太くなった。桶が七割だ」
「そうだ」ガルドは言った。「そのまま確認を続けてくれ」
ガルドは幹線の上を歩いた。石蓋の列が地面に並んでいる。その下を水が流れている。
継ぎ目を踏んでみた。漏れはない。少し先を踏んでみた。漏れはない。角の部分を確認した。地面が湿っていない。転換余地の区間を踏んだ。問題ない。
(止まらず流れている)
南の末端まで歩いた。
水くみ口の前に、人が集まっていた。
七、八人ではない。二十人以上いる。隣り合った者が腕をつついて何かを言い合っている。水くみ口の前に陶器の桶を持った女がいて、水が入ってくるのをじっと見ている。
「ガルド様」シオが走ってきた。「来てしまいました。触れを出した三十軒の人たちが——」
「分かっている」ガルドは言った。「邪魔にはならない。水が出ているなら問題ない」
「出ています。ちゃんと出ています」シオが少し息を上げた。「流量も——コルダ親方が確認して、今は設計値の七割に入ってきたと言っています」
「もう少し上がる」
「そうですか」
「幹線の中の空気が抜けきると、八割まで行く」ガルドは言った。「それが安定した流量だ」
水くみ口の前の女が桶を持ち上げた。
桶の中に水が溜まっている。透明だった。沼地の水ではない。水源から引いてきた沢の水だ。沈砂構造を通って、細かい砂が落ちている。
「きれいだ」女が言った。誰に言うでもなく言った。「透き通っている」
隣の男が桶を覗き込んだ。「本当に通ったのか」
「通っている」女が言った。「見えている」
「毎日引きに行かなくていいのか」
「ここに来れば出るんだろう」
「出るんだろうな」男が水くみ口を触った。石でできた口の縁を、指でなぞった。「これが水道か」
「水道だ」
二人とも、ガルドの方を見ていない。水くみ口を見ている。水を見ている。
ガルドはそれを少し離れたところから見た。
(見ている)
建ったものを、人が使っている。それだけのことだ。
「ガルド様」シオが手帳を手に立っていた。「記録します。今日の日付と、開通の時刻と——なんと書けばいいですか」
「水道幹線、通水確認。流量設計値に到達」ガルドは言った。「それだけ書け」
「それだけでいいですか」シオが少し首を傾げた。「もう少し——その、ちゃんと書いてもいいですか」
「好きに書け」
「はい」シオが書き始めた。ペンの動く音がした。
コルダが水くみ口の脇から離れてきた。
「設計通りだな」コルダは言った。
「ああ」
「桶の水を見たか」
「見た」
「透き通っている」コルダが言った。「俺が積んだ側壁から漏れていたら、泥が混じる。出ていない」
「継ぎ目が五分以内だからだ」
「そうだ」コルダは言った。「俺が一枚ずつ確認した甲斐があった」
「ある」ガルドは言った。
コルダが少し間を置いた。
「一つ聞いていいか」
「言え」
「古代の設計覚書に入っていた沈砂構造——合流点前の溜まりだ。あれは機能したのか」
「砂は出ていない」ガルドは言った。「もう少し様子を見ないと断言できないが——出ていないなら機能している」
「そうか」コルダが水くみ口の方をもう一度見た。「三百年前の設計が、今日の水をきれいにした」
「そういうことになる」
「——悪くない話だ」
「そうだな」
人が増えた。
市場の方からも来た。子供が二人、桶を持った大人の後ろをついてきた。水くみ口に近づいて、背伸びして中を覗き込んだ。
「出てる」子供の一人が言った。
「出てるよ」もう一人が言った。
「触っていいか」
「聞いてきな」大人が言った。
「誰に」
「設計した人に」大人が笑いながら言った。
子供の一人がガルドを見た。目が合った。
「触っていいですか」
「いい」ガルドは言った。
子供が水くみ口に手を入れた。水が手に当たった。
「つめたい」子供が言った。
「当たり前だ」
「遠くから来てるから?」
「沢の水だ。冷たい」
「さわやかだ」子供が言った。意味を分かっているのかいないのか。
(まあいい)
ガルドはそう思った。
昼頃に、ガルドは設計小屋に戻った。
設計書を開いた。水道幹線の最終ページだ。施工計画表と、確認項目の一覧がある。全部の確認欄に線が引いてある。
シオが後から入ってきた。
「記録できました」シオは言った。「読みますか」
「読め」
「はい」シオが手帳を開いた。「——第二期水道幹線、通水確認。七月一日午前。全長百三十二間。流量、安定後に設計値八割。漏水なし。砂の流出なし。沈砂構造機能確認。住民による初使用を確認。水くみ口前に最大二十三名集まる」
「二十三か」
「数えました」シオが少し得意そうに言った。「それと——」
「他にもあるか」
「一行だけ、書いていいですか」
「言え」
「『ヴァルダ・ノヴァに初めての本格水道が開通した日』」シオは手帳を見ながら言った。「これを書きたいのですが」
ガルドは少し間を置いた。
「書け」ガルドは言った。「ただし、記録の本文ではなく、欄外に書け。事実の記録と、評価の記録は分ける」
「欄外に書けばいいんですね」
「そうだ」
「分かりました」シオがペンを走らせた。しばらく書いて、顔を上げた。「ガルド様、一つ聞いていいですか」
「何だ」
「水が出たとき——何を思っていましたか」
ガルドは設計書の最終ページを見た。確認済みの欄が並んでいる。計算通りに、全部終わった。
「通った」ガルドは言った。「それだけだ」
「それだけ、ですか」
「設計が正しければ通る。通ったなら——設計が正しかった」
「——」シオが少し考えるような顔をした。「ガルド様らしいです」
「他に何がある」
「もっと感動してもいいと思います」
「感動はしている」ガルドは言った。「黙ってするものだ」
シオが笑った。声を出して笑った。
「また同じことを言う」シオは言った。
「同じだからな」
夕方近く、ガルドは再び水くみ口の前に来た。
人の数は昼より減っていた。それでも五、六人が桶を持って並んでいる。日が傾いて、水くみ口の石に光が当たっている。
水は細く、まっすぐ出ている。止まらずに出ている。
(二十八日の仕事が、ここにある)
大した仕事だとは思わない。水を引いて、石を積んで、計算通りに通した。それだけだ。だがこの土地に、水道がなかった。今日からある。それが変わった。
「ガルド様」後ろでコルダの声がした。「また見ているのか」
「確認だ」
「設計通りなら確認は終わっている」
「水が止まらないか確認している」
「——止まらんよ」コルダは言った。「俺が積んだ側壁から漏れない限り、止まらん」
「そうだな」
コルダが隣に立った。水くみ口を見た。二人でしばらく黙って見た。
「悪くない」コルダが言った。
「そうだな」ガルドは言った。
「次は何をやる」
「住居区画の区割り設計だ」ガルドは言った。「水道が通ったから、区画を確定できる。来週から地盤を当たる」
「始まりが速いな」
「段取り八分だ。水道が完成した翌日に区画の設計を始めるのは、設計が終わっているからだ」
「——」コルダが少し黙った。「そうか。もう考えていたのか」
「水を通しながら、区画の計算もしていた」
「同時にやるのか、お前は」
「別々にやる余裕はない」ガルドは言った。「一つ終わったら次を始める。だから、一つが終わる前に次の準備をする」
コルダがまた黙った。
「——ご苦労なことだ」コルダは言った。批評ではない。確認だ。
「そうだな」
「だが面白い」
「そうだな」ガルドは言った。
ガルドは設計小屋に戻った。
机の上に区画設計の草稿がある。水道幹線の位置を基準に、住居区画の区割りを決める最初のページだ。ここから始まる。
明日も仕事がある。
水道は通った。次の段取りが始まる。それだけのことだ。
(悪くない)
鉛筆を持った。
あとがき
EP052は「通水」の回です。大きな達成のはずですが、ガルドにとっては「設計通りに通った」という確認の一日です。感動はしている、ただ黙ってするもの——という台詞はEP050から繰り返してきたガルドの一貫した在り方です。子供が水に触れる短いシーンで、都市に水道が来た実感を住民側から入れました。コルダの「悪くない」も、二十八日間の仕事に対する最大限の言葉です。




