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なんでこんな場所に人が住んでんの?

「なんでこんな場所に人が住んでんの?」


 それが、ガルド・クロスウェルのヴァルダ沼地領における第一声だった。


 土魔法師。補助魔法の下位スキル。前世は土木工事の現場監督。その男は馬車から降りた三秒後、沼地の霧と泥の匂いを嗅いで五つの問題点を頭の中に並べた。


 案内役の役人が固まった。


「……え。あの、長年の経緯が」

「経緯はいい。橋を見せて」




 川に架かる橋は、見るからに危なかった。


 板の一枚に足を乗せると、鈍い音がした。踏み込む前に足を引いた。


「渡ってますか。領民は」

「はあ、毎日」

「……そうですか」


 (毎日渡ってる……精神的に強い人たちだな)


「基礎の杭、何本ありますか」

「……さあ」

「数えたことは」

「……ないですね」


 ガルドはしゃがんで橋板の下を覗いた。四本だった。


「四本ですね」

「……今、下から数えたんですか」

「見ればわかります」

「……はあ」

「足りない。六本要る。杭の間隔が広すぎて中央に荷重が集中してる。板の厚みも足りない」


 案内役の男——クルトという名の三十代の役人——が何か言いたそうにした。言わなかった。


「あの、補強はできますか」

「全部作り直しです」

「……全部」

「板を足しても基礎が駄目なので意味がない」


 クルトが橋を見た。また見た。


「十年以上渡ってきたんですが」

「よく崩れなかった」

「……それは褒めてるんですか」

「事実を言ってます。次、城壁」


 (俺が褒めるのは完成した建造物だけだ。現状を褒めてどうする)




 城壁の南側が傾いていた。


 わずかな傾きだった。しかし確かに傾いていた。指幅三本ほど、土台ごと沈み込んでいる。ガルドは足元の土を少し掘った。指でつまんで確かめる。


 (粘土層が浅い。雨水が浸透して地盤が緩んでる。水路がないせいだ)


「いつからこうなってますか」

「……十年ほど前から、少しずつ」

「このまま放っておくと五年で倒れます」

「五年……!?」

「大雨が二シーズン続けば二年かもしれない」


 クルトの顔が白くなった。


「そんな、本当ですか」

「本当です。南側の土台を見てください。色が違うでしょう」


 クルトがおそるおそる南側を覗いた。


「……確かに、土が黒い」

「地下水が入り込んでる証拠です」


 クルトがゆっくり壁に近づいた。手のひらで土台を押した。


「……触ったら硬いんですが」

「硬くても地盤が駄目です。基礎が沈んでいる」

「でも、倒れる気がしない……」

「五年後に倒れる壁は今日も倒れません。明日も倒れない。ある日突然倒れる」


 クルトが手を引いた。


「……基礎から作り直します、と言うつもりですね」

「一度壊してから作り直す」

「……費用は」

「後で計算します。見ないとわからない」

「今の段階では……」

「高いです」


 (「安く済みます」と言えたら楽だが、嘘はつかない)


「でも、今は高くて、放置すると更に高い。その計算をするのが先です。次は道路を」




 道路が水没していた。


 三日前に降った雨が、轍の中にまだ溜まっていた。膝まで届きそうな水溜まりが道の半分を塞いでいる。


「雨が降るといつもこうですか」

「そうですね、一週間くらいは」

「一週間」

「雨が多い時期は二週間ほど」

「二週間」


 (道路が二週間使えないのは物流が死ぬんだが……まあ直せばいい)


「商人は来ますか」

「雨の多い季節は来ないですね」

「そうでしょうね」

「でも来ない時期以外はそれなりに……」

「来ない時期に来ないなら、来てないのと同じです」


 クルトがぐっと黙った。


 ガルドは道の端を歩いた。足の裏で地面の傾きを確かめる。


 逆だった。


 道路の中央が低くなっている。本来は中央を高くして、水が両端に流れるように作らなければならない。そうすれば雨水が自然に捌ける。しかしこの道は逆で、中央に水が集まる形になっていた。


「道の断面を、カマボコみたいな形にしたことはありますか」

「……カマボコ。食べ物ですか」


 (そうか、カマボコがあるかわからないな)


「魚を板に載せて成形したやつです」

「ああ、あれですか。あの形に道路を?」

「中央を高くして、両端を低くします。そうすれば水が両端に流れる。今は中央が低いので溜まる」

「……なるほど。なんで今まで誰も」

「知らなかったからです」

「そういうものですか」

「そういうものです」


 クルトがもう一度地面を見た。


「……直せますか」

「全部やり直します」

「今日来て、全部やり直しと三回言いましたね」

「三回言いたいくらい、三箇所とも全部駄目だからです」


 クルトが何とも言えない顔で、ため息をついた。


「……これから大変そうですね」

「大変ではないです。段取り次第です」




 ヴァルダ沼地領の領主、エドワン・バルカ子爵は七十に近い老人だった。


 鷹のような目をした人物だった。執務室に通されたガルドを、長い間黙って見た。ガルドも見た。


「クロスウェル家の三男か」

「はい」

「土魔法使いだそうだな」

「そうです」

「……使える魔法は土だけか」

「土だけです」


 エドワンがかすかに鼻で笑った。


「うちの領地、どうだ」

「ひどいです」


 クルトが息を呑む音がした。


「……若造が」


 エドワンの声に、わずかに刃が入った。ガルドは動じなかった。


「若造でも見ればわかります」

「生意気を言う」

「生意気ではないです。今日一日で、橋と城壁と道路を見ました。全部、作り直す必要があります。事実を報告しています」


 エドワンが黙った。


「……どうせ大げさに言ってるんだろう」

「橋の基礎が四本。六本要ります。城壁の南基礎が地下水で沈んでいる。道路は排水の設計が逆。水路がない。以上です。大げさにしようがありません」


 長い沈黙だった。窓の外で、霧の中を鳥が一羽横切った。


「……言うのは簡単だ」

「やればわかります」

「土魔法師が一人で、どうするというんだ」

「まず測量します。次に設計します。次に施工します」

「一人で」

「最初は。できそうな人間がいれば使います」


 エドワンの目が細くなった。


「十年以上かけても、どうにもならんかった」

「排水の順番を間違えていたからです」

「どういう意味だ」

「水が捌ければ、地盤が安定します。地盤が安定すれば、道路が作れます。道路が作れれば、物が運べます。根本は水の流れです。水路がない土地に何を作っても、全部がじわじわ崩れていく」


 エドワンが、ガルドをじっと見た。


 (反論してくるか。してもいいが、事実は変わらない)


「……何から始める」

「測量です。今夜から」

「今夜か」

「時間がもったいない」

「一晩で終わるのか」

「終わりません。地形の全体を把握するのに三日かかります。その後、排水ルートの設計に二日。合計五日で、何をどの順番で直すか決まります」


 エドワンがため息をついた。


「……費用は」

「計算してから報告します。設計が終わらないと数字が出ない」

「いつわかる」

「五日後」

「……好きにしろ」


 短い一言だった。ガルドはそれで十分だった。




 月が出ていた。


 霧が引いて、沼地の水面が灰色に光っていた。ガルドは腰の測量紐を引き出して、草地の端に伸ばした。


 一人だった。夜中の測量に誰かを連れてくる気はなかった。邪魔だし、一人の方が早い。


 (まず水がどこへ流れているか確認する。地形の傾斜を読む。地盤の固さを確かめる。それからだ)


 前世でも、最初は一人でやった。


 機械で計測する前に、現場を自分の感覚で読む。足の裏で地面の傾きを知る。手で土の固さを確かめる。それが習慣だった。前世最後の現場——大規模な河川改修工事——でも、初日の夕方は一人で工事区間を歩いた。まだ誰もいない現場を、端から端まで。


 測量紐を引きながら、ゆっくり歩く。


 沼地特有の泥と草の匂いが漂っていた。どこの土も、よく嗅げば顔を持っている。ここは少し変な匂いがした。前世で嗅いだ土の匂いとも、今日歩いた道の土とも違う。


 しゃがんで、手のひらで地面を押した。


 指が少し沈んだ。表層は柔らかい。だがその下が硬かった。普通の粘土よりずっと硬い。押す場所を変えた。同じだった。また変えた。また同じだった。


 (なんだ、これ。でも今は関係ない。今夜は排水路の設計だ)


 紐を地面に固定した。起点にした。


 段取り八分、仕事二分。


 前世から持ってきた言葉だ。最初の八割は計算と設計。どこに何を作るかが決まれば、後は手を動かすだけになる。段取りを怠った現場は必ず詰まる。この世界でも、それは変わらなかった。


 (悪くない。ひどい場所だが、直せる)


 ガルドは沼地の奥へ向かって、また歩き始めた。



最後まで読んでいただきありがとうございました。


ガルドという主人公を書いていて最初に決めたのは「怒らない人間にする」でした。不満を言う、問題を指摘する、でも怒鳴らない。感情的にならない。見たものを見たまま言うだけ。


「カマボコみたいな形に」という説明を書いていて、ガルドが内心で「そうか、カマボコがあるかわからないな」とつぶやくところが個人的に好きです。前世の知識を持っているからこそ出てくるズレ。こういう小さなズレを、毎話一個は入れていきたいと思っています。


老領主エドワンの「好きにしろ」という一言が書けたとき、これでいいと思いました。長い沈黙の後の短い承諾。諦めじゃなく、試してみようという気持ちが混じった一言です。エドワンはこういう人なんです。


次話ではいよいよ地面を掘り始めます。「教えよう」とは思っていないガルドに、それでも「見ていたい」と近づいてくる人間が一人います。


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