第4話 降りかかる火の粉は払うべき
貴族からの問いは、面倒くさいながらも、問題を起こしたくはなかった。
「いえ、初めて来ました」
俺はできるだけ不快感を顔に出さないように答える。
「そうか。なら教えてやろう。ここは平民の店だ。我々貴族が頭を下げて買い物をする場所ではない」
貴族は得意げに胸を張った。
いや、ここって聖女様の店だろ。絶対、お前なんかよりもよっぽど権威はあると思うが。
「特にこの『聖女様御用達』とやら。怪しいものだ。お前はどう思う?」
――知らねえよ。
「いえ、どうでしょうか……」
俺は無理やり笑顔を顔に貼り付ける。
しかし、できるだけ当たり障りのない返答をしたつもりだったが、貴族の機嫌はさらに悪くなった。
「つまらん奴だな。まあいい」
貴族は鼻を鳴らすと、再び店員の方を向いた。
あの貴族のせいでこちらもとばっちりだ。
もしそれで聖女に悪印象をつけられてもしたらどうしてくれる。
(それにしても、あの銀貨……)
さっきの腕秤での音が気になっていた。あのくぐもった響きは明らかに不自然だった。
本物の光貨なら、もっと澄んだ音がするはずだ。
確認してみたい衝動に駆られ、俺は思わず手元の光貨を指で弾いた。
しかし少々、力加減を間違えてしまった。
手から溢れた硬貨は澄んだ「カン」という音を立てて、店の床で跳ね返る。
「あ——」
やってしまった。
その音は静まり返った店内によく響く。
(しまった……)
全員の視線が刺さる。貴族の眉間には皺が刻まれていた。
「何をしている?」
「失礼しました。私の不注意で――」
マルタが音より速く、俺と貴族の間にすっと入った。頭を下げ、場を繕う。
だが到底収まりそうにない。
「従者風情が場を仕切るな。まったく下級貴族の従者は作法も知らんのか? 躾はどうなっている」
マルタを貶しつつ、俺を睨みつける貴族。
お前のような見栄っ張りにだけは言われたくない、そんな言葉を抑えつつ、俺はゆっくりと息を吐いた。
この程度で怒っていては、これからの社交界を渡り歩くことはできないだろう。
ひとまず従者の不始末(?)は主人の責任として形式だけでも取っておこう。
「申し訳ありません。私の不注意でした」
俺は軽く頭を下げた。
「はっ、プライドもないときた。同じ貴族として恥ずかしいものだ」
それだけ言って貴族の男はカウンターに向き合った。
周囲からの視線が痛い。
マルタの方もその表情からかなりの鬱憤が見て取れた。
だが、安心してほしい。このまま終わるつもりはない。
礼は示した。
では次は、事実で片をつける番だ。
「すいません、少し良いですか? ……水を用意していただけると助かります。水差しか鉢で構いません」
俺は近くにいた店員に声をかけた。
「え? は、はい」
戸惑いながらも店員が水を汲んでくる。
「この銀貨と、あの方が出した銀貨。順に沈めて比べてみてください。純度が違えば沈み方が変わるはずです」
「……っ、わかりました」
店員の目がわずかに見開かれる。すぐに意図を理解したのだろう、うなずいて足早にカウンターへ向かった。
「し、失礼します」
店員はカウンターに鉢を置き、まず俺の差し出した光貨を落とした。水面が小さく弾け、銀貨はすっと沈む。
続けて、貴族の箱から一枚――沈みはしたが、わずかにもたつく。底での跳ね返りも弱い。
「……あれ?」と店員の顔色が変わる。
貴族が鼻で笑った。
「水遊びで値は下がらんぞ」
何も知らぬ貴族の戯言を聞き流しながら、店員は何度かそれを繰り返した。
結果は変わらない。光貨の方がより早く沈んでいた。
「水遊びで――」
「遊びではありません」
店員が遮った。
「こちらの通貨は光貨と比べて些か銀の含有量が少ない疑いがあります。この通貨での取引は受けかねます」
貴族の眉が釣り上がる。
「何を勝手な――」
「勝手ではございません」
その時、奥から聖女アリシアが歩み出た。
微笑はそのまま、声だけが凛と通る。
「王都では光貨法が定められています。お支払いは王家刻印の光貨、もしくは会計所の鑑定印を受けた銀貨に限られます。王国に連なる貴族であればそのことはご存知かと思いますが?」
貴族は一瞬言葉に詰まり、従者を睨んだ。周囲の視線が集まる。彼は舌打ちをひとつ残し、箱を乱暴に引き取らせた。
「……覚えていろっ!」
捨て台詞と共に、貴族は店から立ち去っていく。従者たちも慌てて後を追った。
店内に静寂が戻る。
ほどなく、小さな拍手が散発的に起き、すぐに収まった。
店員が深く頭を下げる。
「助かりました……!」
「いいえ、あなたが正しい手順を踏んだだけです」
アリシアは店員に微笑み、すぐに視線をこちらへ寄越した。
柔らかな目元の奥で、測るような光が瞬く。
きっと、この聖女様は一部始終を把握していたのだろう。
流石に出るタイミングを見計らっていた、とは思いたくないが。
「この度はありがとうございました。私、店主を務めさせていただいておりますアリシア・ハートウィルと申します。もしよろしければ、お礼をさせて頂きたく、少しお時間をいただけますでしょうか?」
思わずマルタと顔を見合わせる。断る理由もなく、俺は頷いた。
応接室に案内され、湯気の立つハーブティーが運ばれてくる。
香りは落ち着いた甘さで、どこか気持ちを和らげる効果がありそうだった。
「改めまして、アリシア・ハートウィルと申します」
「ディラン・ベルモンドと申します」
俺は当たり障りのない笑みを浮かべて答える。
内心では、聖女様から直接礼を言われる状況に冷や汗が止まらない。
「ベルモンド……あのベルモンド侯爵家の方でいらっしゃったとは」
アリシアは少し驚いた顔をした。
流石は侯爵家。その知名度はそれなりにあるらしい。
「しかし、それならお名前を最初から名乗られれば、あの方もすぐに引き下がったのではないでしょうか?」
アリシアは不思議そうに首を傾げる。
確かにそちらの方が穏便に済んだかもしれない。
「そうかもしれません。ただ、性分的に合わないというか……」
俺はそう告げた。
それは本心でもありつつ、その考えに思い至らなかった事実には蓋をする。
些か謙虚に生きようと心がけすぎた弊害だろう。
「それは……珍しいですね」
アリシアの目に、興味深そうな光が宿った。
「ええ、とても」と彼女は微笑みを深める。
「先ほどの方のように、家名や権威を振りかざす方が多い中で、ディラン様のように事実をもって静かに物事を解決される方には初めてお会いしました」
その真っ直ぐな視線に、少し気圧される。
俺としては、ただ面倒事を大きくせず、かつ不正を正したかっただけなのだが、彼女には随分と立派な人物に見えているらしい。
「あのお水の件も、見事でした。権力ではなく、真実で相手を黙らせる。商いをする者として、大変好ましく思います」
「い、いえ、大したことでは……。ただ、ああいった手合いは見て見ぬふりができなくて」
しどろもどろになりながら答える。
まさか聖女様本人から、こんなに褒められるとは。
「ご謙遜を。その知性と、冷静な判断力。さすがはルミナス学院で学ばれている方ですね」
アリシアは俺の制服を見てそう述べる。
やはりこの制服もまたそれなりに身分証明になるようだ。
「実は私も、今年からルミナス学院に通う予定だったのです。ただ見ての通りお店のほうが忙しく……」
「そうでしたか……」
なるほど、原作では入学しているはずの彼女がいなかったのはそういうわけだったのか。
「学園生活への憧れはなかったわけではないのですが」
アリシアはかすかに寂しそうな表情を見せた。
「こちらのお店を始めるに至った経緯をお聞きしても?」
俺は慎重に尋ねた。
なぜ聖女が商売を始めることになったのか、その理由を知りたかった。
「そうですね……」
アリシアは少し考えるように天井を見上げた。
「実は、聖女としての力は確かにあるのですが、それだけでは多くの人を助けることに限界があることに気づいたのです」
「限界、ですか?」
「はい。例えば、病気を治すことはできても、その病気になる根本的な原因――貧困や栄養不足を解決することはできません」
アリシアの表情が真剣になる。
「神に祈ることも大切ですが、現実的な解決策も必要だと思うのです。お店で得た利益は、困っている方々への支援に使っています」
なるほど、と俺は納得した。
確かに根本的な問題解決を考えると、経済的な基盤は重要だろう。
「なるほど……確かに理にかなっていますね」
聖女の力を商業利用しているとばかり思っていたが、その根底には確固たる理念があった。
少なくとも彼女は聖女としての本質は変わっていない。ただその手段が原作とズレてしまっているだけなのだ。
「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」
アリシアは微笑みながら答えた。その表情には、自分の選択に対する確信が見て取れる。
「それにしても、ディラン様のような方にお会いできて良かったです。多くの貴族の方々は、商売をする聖女を快く思わない傾向がありますから」
「……そうですか」
俺だって聞いた時は耳を疑った。
こればかりは仕方のないことかもしれない。
「ですが、清貧では助けられる人の数に限りがあります。現実的な解決策を模索するのも、聖女の務めだと思うのです」
その言葉に、俺は改めてアリシアの意志の強さを感じた。
原作の聖女とは確かに違う道を歩んでいるが、根本的な「人を助けたい」という想いは変わらない。
「私も、そう思います」
俺は素直に答えた。
「ありがとうございます。――ああ、もうこんな時間ですね」
「そうですね、この度は貴重な時間を頂きありがとうございました」
俺は立ち上がり、軽く頭を下げる。マルタも同様に礼をした。
「いえいえ、こちらこそ。本日は本当に助かりました」
アリシアも立ち上がり、俺たちを応接室の出口まで見送ってくれる。
「もしよろしければ、また商会にお立ち寄りください。ディラン様のような方とは、これからもお話しできればと思います。もしくは私が入学した際に、でしょうか」
そう言って微笑むアリシア。
初めて年相応の顔が見えた瞬間だったかもしれない。
「そうですね、ぜひ、そうさせていただきます」
俺は軽く微笑み返した。
店を出ると、夕方の柔らかな日差しが俺たちを迎えた。
銀貨通りはまだ賑わいを見せているが、午前中よりも落ち着いた雰囲気になっている。
「ディラン様、良かったですね」
マルタからの一言。
かなり予想外の展開だが、確かに有意義な時間を過ごせたとは思う。
「ああ、そうだな」
「やはりお若い方同士、すぐに打ち解けられるものですね。」
マルタが満足そうに微笑んでいる。
「ああ」
「お美しい方でもありましたし」
マルタがさり気なく付け加える。
「……そうだな」
この世界におけるヒロインなのだから当然とも言える。
「きっと素敵な奥様になられるでしょうね」
――おい、なんでそっちの方向に話が進むんだ。
マルタの期待に満ちた視線を感じながら、俺は内心でそっと天を仰いだ。
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作者、机の前でガッツポーズします。