第22話 音は鳴る
『最初の不協和音ですか……』
しかし、俺の期待とは裏腹にルーはあまりピンと来ていない様子だった。
脳内で小首を傾げるイメージが浮かぶ。
『うーん、難しいですね。覚えてるような、覚えてないような……』
「……忘れたのか?」
『ち、違いますって! でも本当に、“あれだ”と特定できるほど鮮明じゃないんですよ。小さなズレが、少しずつ大きくなっていく感じで……』
ルーの声色は、いつもの軽さはなく、珍しく真剣だった。
「……なるほど」
仕方がないと思える理由。
ただ肩透かしを食らったような気分になる。
俺はもっと劇的な「この瞬間から世界が変わった!」という答えを期待していたのかもしれない。
「じゃあ、最初の大きなズレは何か覚えているか?」
何かヒントでもあればと、質問を続ける。
『それなら覚えてますよ! ズバリ、勇者クンが引きこもってしまった時です!』
「……そこなのか」
分かりきっていたはずの答え。
けれど胸の奥でざらつく感覚と同時に、どこかで別の感情が混じったのを自覚してしまう。
『あれで予定が全部狂っちゃいましたからねー。ほんと、困ったものです』
ルーは軽い口調で言うが、その奥にわずかな焦りが混じっているのを感じた。
「……やっぱり一回会ってみないとな」
自分でも驚くほど自然に、その言葉が口をついて出た。
『えっ、ディランさんが勇者クンと?』
ルーは意外そうに声を上げる。
「……お前と契約しておいて見て見ぬふりはできないだろ」
もちろんそれは方便だ。
この世界が狂ってしまったとはいえ、勇者リオンが世界を救うほどの力をいまだ有していることには違いない。
彼を立ち直らせる、とまでは言わないが状況だけは知っておきたい。
彼がなぜ心を折られてしまったのか。そして、本当に再起の見込みはないのか。
それは俺がこれから「大成する」道を歩むにしても、そしてこの世界のためにも、その情報は必要不可欠だ。
『良いですね! ディランさんと会えば何か変わるかもしれません!」
ルーはウキウキした声を響かせる。
それは楽観的過ぎるが、何もしないよりは遥かにマシだろう。
問題はどうやって会うかだが……。
――オスカーとか知ってたりしないか……?
なんて都合の良い考えを巡らせる。
あいつは王都の貴族事情にはやけに詳しい。辺境の村の情報まではさすがに無理かもしれないが、聞くだけならタダだ。
「物は試しだな――」
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「――いや、流石に知らん」
目の前のオスカーが即答した。
「まあ、そうだよな」
知ってたら逆に怖いレベルだ。
俺は落胆したような安心したような、複雑なため息を漏らした。
「おい、いきなり人様の部屋に押しかけてきておいてため息とは何だ、失礼な奴だな」
オスカーはジト目でこちらを見ながら、スープを一口啜る。
「いや、悪い。ただ、少し当てが外れただけだ」
「当てが外れた、ねえ。そもそも何なんだよ、急に。引きこもりの勇者様なんて、今更どうするつもりだ?」
からかうような口調だが、その瞳は探るように俺を見ている。
俺は観念して、一番当たり障りのない、そしてある意味で真実でもある言い訳を口にした。
「俺じゃない。ルーがうるさいんだ」
「……は? ルー?」
オスカーの眉が訝しげに寄せられる。
「ああ、俺の精霊だ。どうも勇者の関係者らしくてな。あいつと会わせてくれとうるさいんだ」
『はい! 私が選んだ勇者クンです!』
俺は脳内で能天気に返事をするルーを無視し、さも困り果てたという表情を作ってみせた。
オスカーは俺の顔と、何もない空間を交互に見比べ、やがて腹を抱えて笑い出した。
「ぶはっ! マジかよ! お前、精霊に尻に敷かれてんのかよ! 面白すぎるだろ!」
「こっちは笑い事じゃないんだが」
「いやいや、悪い悪い。だが、なるほどな。お前が動くというより、精霊様のご意向とあらば仕方ない。……だが、それでも俺じゃ力になれん」
オスカーは笑いを収め、真面目な顔つきに戻る。
「流石にどこの誰とも知れない平民の、それも辺境の村での動向なんて、専門外にもほどがある」
「まあ、そうか……何か、他に手はないか?」
「手、ねえ……」
オスカーは顎に手を当てて、少し考える素振りを見せた。やがて、ポンと手を叩く。
「ああ、うってつけの奴がいるな」
「うってつけの奴?」
オスカー以上に情報通な人間など、この学院にいただろうか。
オスカーはしたり顔で続ける。
「簡単な話だ、そういう巷の話ってのは地元の奴に聞くに限る」
「地元……あ」
俺の脳裏に、一人の男の姿が浮かんだ。銀色の髪、鍛え上げられた肉体、そして静かだが鋭い瞳。
「――クライス・フォン・アルトナ、か」
「ご名答」
オスカーはニヤリと笑った。
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『あの銀髪クンに会いに行くんですか?』
宿舎の廊下を歩く俺にルーが尋ねる。
(銀髪クンって……まあ、間違いじゃないけど)
相変わらず適当と言うか。
俺は内心でため息をつきつつ、彼女の問いに頷いた。
オスカーの助言は的確だ。勇者リオンの現状を知るには、同郷であり、何かを知っていそうなクライスに話を聞くのが一番の近道だろう。
問題は、クライスが素直に会話に応じてくれるかどうかだ。
『大丈夫ですよ! 私がついてますから! 困ったら聖女神の威光でなんとかしてあげます!』
(お前は黙っててくれ。それが一番の助けだ)
下手に口出しされて、話がこじれる未来しか見えない。
俺は脳内の騒がしい声を振り切り、クライスがいるであろう訓練場へと足を向けた。
まずは彼の顔を見つけ、話しかけるタイミングを――
「……っ!」
『――ディランさん!』
ほぼ同時に、俺とルーの声が重なった。
次の瞬間、足が勝手に止まる。
脳内に響いたルーの声は、普段の軽さを欠き、鋭く張り詰めていた。
遅れて全身に総毛立つ感覚が走り抜ける。
――空気が変わった。
廊下の先の景色が、妙に遠く、歪んで見える。
耳鳴りのような低い唸りが響き、肌にまとわりつく空気は冷たく重い。
これは直感じゃない。
――魔力の感覚だ。
脳裏に、かつて魔物学の実習で味わったあの圧迫感がよみがえる。
あのときよりも、もっと濃い。もっと近い。
『……嫌な気配です。ディランさん、外!』
(分かってる……!)
勇者がいないことの影響。
それが今、形を成し、牙を剥き始めている――そんな嫌な予感がした。




