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悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました  作者: 根古


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第14話 天命の在処

 誓約の儀の当日。


 俺は朝から緊張で胃がキリキリと痛んでいた。


 虫の知らせというやつだろうか。俺は今日という日が無事に終わるとは到底思えない。


「ディラン様、聖油の準備はよろしいですか?」


 マルタが小さな銀の瓶を差し出す。昨日教会から受け取った聖油は、淡い金色に輝き、かすかに花のような香りを放っていた。


「ああ、ありがとう」


 俺は瓶を受け取り、首筋と手首に数滴垂らす。ひんやりとした感触が肌に馴染んでいく。

 思った以上に簡易的だがこれで精霊に対する準備は整った、ということになる。


「それでは、参りましょう」


 学院の奥にある『精霊の間』は、普段は立ち入り禁止の神聖な場所だった。

 円形のドーム状になった石造りの部屋で、天井には無数の水晶が埋め込まれ、幻想的な光を放っている。床には複雑な魔法陣が刻まれ、その中央には古い祭壇が鎮座していた。

 既に十数名の生徒が集まっており、皆一様に緊張した面持ちで待機している。

 もちろん貴族が大半ではあるが、中には平民らしい姿も見える。

 オスカーの姿も見えた。彼は俺に気づくと、軽く手を上げて挨拶してくる。


「よう、ディラン。今日は大一番だな」


「ああ、そうだな」


 俺も軽く手を上げ返す。

 オスカーは相変わらずの飄々とした態度だが、その瞳の奥には隠しきれない期待と緊張が滲んでいた。


「それにしても、錚々たる顔ぶれだな。あそこにいるのは……」


 オスカーが顎で示した先には、数人の生徒が固まっていた。

 その中心に、一人の長身の男子生徒がいる。

 黄金色の髪を緩やかに後ろで束ね、涼やかな紫色の瞳は静かに祭壇を見据えていた。

 派手な装飾のないシンプルな制服を着ているにもかかわらず、その立ち姿は周囲の誰よりも気品と威厳に満ちている。


「ユリウス・デ・アルティウス。アルティウス公爵家の嫡男。最近まで留学していたんだが、この儀式のために帰国したらしい」


「アルティウス公爵家の嫡男……」


 アルティウス公爵家――王権の影にして柱とされる名家。

 その威権は王家に次ぎ、血統は諸侯の楯となり、財祿ざいろくは国庫を凌ぐとされる。

 宮廷の政は彼らなしには動かず、事実上の政権運営者とも言えよう。


 彼の存在感は、同じ貴族であるにも関わらず、格が違うと感じてしまう。


 原作だと、ストーリーにほとんど絡んでこらず影が薄い印象だったのだが、実際目の当たりにするとこうも違うのか。


「それで、あれが――」


 次にオスカーは一人の男子生徒に視線を向けた。

 ユリウス公とは異なり、一人で佇む彼は白銀の髪を後ろで束ね、瞼を閉じたまま腕を組んでジッとしている。


「噂のクライス・フォン・アルトナ。アルトナ男爵家の子息だ」


 オスカーは声を潜めて言った。その名前に、俺は息を呑む。

 先日の魔物学の実習の後、生徒たちが噂していた人物だ 。


 なるほど、確かにそのガッシリとした体格は戦士のそれだ。

 制服の下からでも分かる鍛え上げられた筋肉、そして腰に下げられた実戦用の剣が、彼の実力を物語っている。


「……あれが、一人でゴブリンを仕留めたっていう」


「ああ、そうみたいだな」


 クライスは周囲の喧騒など一切意に介さず、ただ静かに己の世界に集中しているようだった。

 その姿は、ユリウス公とは別の意味で近寄りがたい。


「さて、そろそろ始まるようだぞ」


 オスカーの言葉と同時に、精霊の間の扉が重々しく開かれた。


 現れたのは、白髪の老司祭と数人の聖職者たち。

 そして彼らの後ろから、見慣れた金髪の聖女が姿を現した。


 聖女アリシア。


 純白の祭服に身を包んだ彼女は、昨日とは打って変わって厳粛な表情をしていた。

 商人としての顔でも、親しみやすい聖女の顔でもない。今の彼女は、神聖な儀式を執り行う聖職者そのものだ。


「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます」


 老司祭が朗々とした声で語り始める。


「誓約の儀は、人と精霊を繋ぐ神聖なる契約。軽い気持ちで臨めば、精霊の怒りを買うこともございます。心して臨まれよ」


 その言葉に、室内の空気が一層張り詰めた。


 老司祭の言葉が終わると、アリシアが一歩前に出た。


「それでは、一人ずつ祭壇の前へ」


 彼女の澄んだ声が響く。最初に呼ばれたのは、平民らしき少女だった。緊張で震えながら祭壇に近づく彼女に、アリシアは優しく微笑みかける。


「恐れることはありません。精霊は純粋な心を好みます」


 少女が祭壇の前に跪くと、アリシアは聖水を振りかけ、古い言葉で詠唱を始めた。魔法陣がぼんやりと光を放つが、数分経っても何も起こらない。


「――残念ながら、今回は縁がなかったようです。ですが落胆することはありません」


 アリシアの慰めの言葉に、少女俯きながらも頷いた。

 その後も儀式は淡々と進んでいく。十人中、精霊と契約できたのはわずか三人。それも下位の精霊ばかりだった。


「次、ユリウス・デ・アルティウス」


 ついに公爵家の嫡男の番が来た。

 優雅な所作で祭壇に向かう彼の姿に、誰もが息を呑んで見守る。


 ユリウスが祭壇の前に跪くと、アリシアは厳かに詠唱を再開した。

 その瞬間、床の魔法陣がこれまでとは比較にならないほどの輝きを放つ。光は柱となり、天井の水晶と共鳴して、ドーム全体が昼間のように明るく照らし出された。


「おお……」


 誰からともなく、感嘆の声が漏れる。

 光の中心で、ユリウスは静かに目を閉じている。その姿は、まるで戴冠式に臨む若き王のようだった。

 やがて、光の中から翼を持つ獅子のような、高貴な姿の精霊がぼんやりと姿を現す。


「風の上位精霊、シルフィード……」


 アリシアの驚きを含んだ声が響く。

 翼を持つ獅子の姿をした精霊は、ユリウスの頭上でゆったりと旋回し、やがて彼の胸元に吸い込まれるように消えていった。


「さすがはアルティウス公爵家……」

「上位精霊との契約だなんて」


 周囲からのざわめきに対し、ユリウスは微かに頷くだけで、静かに元の位置へと戻っていく。

 精霊は家格を気にしないとは言うが、一連の流れはまるでそれが必然であったかのような出来事だった。


「次、クライス・フォン・アルトナ」


 銀髪の戦士がゆっくりと目を開けた。

 彼は無言で祭壇へと向かう。その歩みは重く、まるで戦場に赴く兵士のようだった。


 アリシアが詠唱を始める。

 そして、それは突如として起こった。


 光。

 それもただの光ではない。

 目を覆いたくなるほどの強烈な光が、精霊の間全体を包み込んだ。

 先程のユリウスの時とは明らかに質が違う。

 これは純粋な、圧倒的な力の顕現だった。


「なっ……!」


 誰かが息を呑む音が聞こえる。

 光の中から現れたのは、巨大な狼の姿をした精霊だった。その全身は黄金に輝き、瞳は燃えるような紅色。

 ただそこにいるだけで、室内の温度が数度下がったような錯覚を覚える。


「あれは……」


 思わず口を開く。

 あり得ない。

 あの姿、あの威圧感、そして燃えるような紅蓮の瞳。


(銀狼フェンリル……! なんでここに……!)


 『エターナル・クエスト』において、勇者リオンが契約するはずの、伝説級の精霊。

 勇者の魂にのみ呼応し、比類なき力を与える、唯一無二の存在。

 それがなぜ……!


『――我は『始まりの牙』』


 フェンリルの声は、ユリウスの精霊とは比べ物にならないほど古く、そして重い。

 それは問いかけではない。魂の奥底に直接刻み込まれる、絶対者の宣言だった。


『汝の魂に宿る闘争の輝き。我が同朋として、その身に牙を刻むことを許そう』


 クライスは何も答えない。

 ただ、その紅蓮の瞳を真っ直ぐに見据え、静かに頷いた。

 その瞬間、銀狼の巨体は爆発的な光となり、クライスの体へと殺到した。


「ぐっ……!」


 クライスが初めて苦悶の声を漏らし、膝をつく。彼の全身から凄まじい魔力が溢れ出し、床の魔法陣が悲鳴を上げるように明滅を繰り返した。

 やがて光が収まった時、クライスはゆっくりと立ち上がる。

 その瞳は、先程までの静けさが嘘のように、鋭い闘志の光を宿していた。


「大精霊……」


 アリシアが呆然と呟く。

 精霊の間は、完全な沈黙に支配されていた。

 ユリウスでさえ、その涼やかな表情を崩し、信じられないものを見る目でクライスを凝視している。

 誰もが、歴史的な瞬間に立ち会った衝撃と、目の前の男への畏怖に言葉を失っていた。


 ――同じだ。


 勇者リオンが精霊と契約したあの時と。

 俺は、驚愕と混乱でその場に立ち尽くすしかなかった。

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