第1話 俺の破滅フラグはどこへ行った?
ルミナス学院の大講堂は、新入生たちの希望と期待でキラキラと輝いていた。
未来の宰相、未来の将軍、未来の宮廷魔法師。国のエリートたちが集うこの場所で、誰もが胸を高鳴らせている。
――俺、ディラン・ベルモンドを除いては。
きらびやかなシャンデリアの下、俺は死刑台に送られる罪人のような心境で、背中にじっとりと嫌な汗をかいていた。
(今日だ。今日、すべてが始まる。俺の人生を懸けた、破滅フラグ回避計画の総仕上げが……!)
俺が前世の記憶――日本の平凡な大学生として生きていた記憶を取り戻したのは、十歳の誕生日だった。
あの衝撃は今でも忘れられない。
その時に俺は気付いてしまった。
この世界が俺の大好きだったRPG『エターナル・クエスト』の世界であることに。
そして自分が主人公である勇者一行に断罪される悪役貴族ディラン・ベルモンドその人だということに。
ゲームでのディランの末路は悲惨の一言だ。
ルートによっては勇者に斬り殺され、またあるルートでは聖女の怒りを買って公開処刑。
国外追放か、死か。
そんな末路しかディランというキャラクターには与えられていなかったのだ。
その日から、俺の涙ぐましい努力は始まった。
まずは体力作りだ。ゲームでのディランは虚弱で、剣の腕も三流以下。
これでは勇者一行と戦う以前の問題だった。毎朝の素振り、走り込み、筋力トレーニング。貴族の子息が汗まみれになって鍛錬に励む姿に、使用人たちは最初こそ困惑していたが、今ではごく自然に見守ってくれるまでになった。
次に学問だ。ゲームのディランは頭も悪く、魔法の才能も皆無。
だが前世の記憶があれば、少なくとも数字については同世代に遅れを取ることはないだろう。逆に作法や社会、そして魔法については大きく遅れを取ることにはなったが、何とか時間を費やしてカバーはできた。
そして何より重要なのが、人間関係の構築だ。
原作でディランがやらかす数々の悪行――
平民を見下し、
聖女に嫌がらせをし、
権力を笠に着て横暴の限りを尽くす。
――そんな当たり前のことを、絶対に実行しないよう自らの魂に刻み込んだ。
特に最重要警戒項目は、平民出身の聖女アリシアへの嫌がらせイベントだ。
もし彼女に会ってしまったら、即座に地面にひれ伏して靴を舐めるくらいの覚悟はできている。
そうして万全の準備を整え、ついに迎えた物語の開始地点。
ルミナス学院入学式。
俺は鷹のような鋭さで周囲を見回す。
(勇者候補の『リオン』はどこだ? 原作通りなら、平民席の前列にいるはず。あいつの正義感は厄介だ。変に関わることは避けなければ)
血眼になって探す。
しかし、見える範囲にその人はいないようだった。
(では、聖女『アリシア』は? 彼女も平民席に……いない。見当たらないな。よし、好都合だ。今の俺なら、もし会っても完璧な紳士ムーブをかませるが、会わないに越したことはない)
だが、少し様子がおかしい。
本来ならこの入学式で、勇者と聖女は運命的な出会いを果たすことになる。
俺のような悪役貴族が平民生徒に絡み、それを勇者が颯爽と助ける、というお約束のイベントが発生するはずなのだ。
なのに、どうだ。
いざこざ一つ起こらない。誰もが和気あいあいとしている。あまりにも平和すぎる。
そして俺の目論見は外れ、何事もなく学園長の退屈な祝辞が始まってしまった。
俺の焦りは、刻一刻と増していく。
(おかしい、何かが致命的におかしいぞ……! 原作なら、この祝辞の最中に魔物の斥候が窓を破って急襲し、学園が大パニックに陥るはずなのに!)
俺はチラリとステンドグラスの窓に目をやる。
しかし、窓の外は雲一つない快晴。小鳥のさえずりさえ聞こえてきそうな長閑な風景が広がっているだけだ。
――そして。
ついに、何事もなく、入学式は終わってしまった。
「…………あれ?」
呆然と立ち尽くすしかない。
緊張で昨日は夜も眠れないほどだったのに、蓋を開けてみればこうだ。
そんな俺の肩を、ポンと叩く者がいた。俺と同じ侯爵家の次男坊で、俺の数少ない友人であるオスカーだ。
いわゆる俺の幼馴染である。
「おいディラン、どうした? さっきから幽霊でも見たような顔色だぞ」
「お、オスカーか……いや、何でもない。それより、一つ聞きたいんだが」
俺は喉の渇きを覚えながら、一番の疑問を口にした。
「今年の特待生に、『リオン』という男がいると聞かなかったか?」
勇者リオン。
平民でありながら類稀なる剣の才能と勇者の証を持つ、この物語の主人公。彼がいないなど、あり得ない。
だが、オスカーは「ああ」と軽く頷くと、こともなげに言った。
「リオン? ああ、例の勇者様か。もちろん知ってる。だが、彼は学園には来ないんじゃないか?」
「は……? な、なぜだ!?」
あり得ない。勇者が学園に来なければ、物語が始まらないじゃないか。
俺は思わず声を荒げてしまった。
そんな俺に、オスカーは心底不思議そうな顔を向ける。
「なんだディラン、知らないのか? 今や国中で有名な話じゃないか」
有名な話? 俺が修行に打ち込んでいる間に?
嫌な予感が背筋を駆け巡る。
そしてオスカーは、俺の破滅フラグ回避計画を根底から覆す、信じられない言葉を口にした。
「彼は最初の冒険でゴブリンの群れに襲われて以来、すっかり心が折れて、故郷の村の家に引きこもってるそうだ」
「………………は?」
勇者が……? 引きこもり……?
理解不能な単語の羅列に、俺の思考は完全に停止した。だが、すぐに別の可能性に思い至る。
「で、では! 聖女のアリシア様は? まさか彼女も……?」
聖女もまた、この会場には来ていない。
あの清廉潔白で慈悲深い聖女が、道を踏み外すなど到底思えないが、嫌な予感が拭えなかった。
「ああ、アリシア様なら最近商売を始められてね。『アリシア商会』って名前で、かなり繁盛してるらしいよ」
「しょ、商売? 聖女様が?」
「『神に祈るより、自分で稼ぐ方が確実よ』と言い放ち、今じゃ市場で商人相手に値切り交渉してるらしい」
聖女……とは?
あの光に包まれていた聖女が、値札をにらんでる姿を想像したくない。
「……じゃあ賢者のエルナ様は? まさか彼女まで……」
最後の希望を込めて尋ねる俺に、オスカーは苦笑いを浮かべながら、講堂の入口脇に貼ってあるポスターを指差した。
『第3回 貴族限定マッチングパーティー開催!』
~知的で美しいパートナーをお探しの殿方へ~
特別ゲスト:宮廷魔法師エルナ・グリーベル様
「魔法の知識で、あなたの心も魅了いたします♡」
会場:王都学園第二講堂 参加費:金貨50枚』
「…………は?」
目を疑った。
何だこの怪文書は。読めば読むほど頭が痛くなってくる。
よりにもよって魔法一筋だったあの聡明な賢者が、遊び人に転職していようとは、誰が予想できようか。
「……もういい」
俺はがくりと膝をついた。
勇者は引きこもり。聖女は商人。賢者は婚活女子。
なんだこれ……勇者一行、見事に役割を逸脱している。
俺は天を仰いだ。
俺がどれだけ必死に準備してきたと思ってるんだ。
「何だよディラン、まさか今のうちからコネでも作ろうと思ってたのか?」
オスカーはニマニマとこちらを見つめている。
いや、逆だが。
むしろ関わらないようにと、思っていただけだが。
「しかし、情報が古いな。お前、ここ数ヶ月山にでも籠もっていたんじゃないか?」
ああ、そうだよ。
山で半年ほど修業に明け暮れていたよ。
破滅を避けられるくらいならと死に物狂いで修行してたのに……。
……まさか、それが原因か?
本来、傍若無人っぷりを轟かす場面で俺が何もしなかったから?
ただうざいだけだったディラン・ベルモンドが、この世界の根幹を揺るがすほどの存在だったと?
頭の中で、五年間積み上げてきた努力のすべてが、ガラガラと崩れ落ちていく音がした。
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作者、机の前でガッツポーズします。