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⑧女神の機能

 車内で、防衛大臣が小声で言った。

 「今回の計画は、当初そのまま通るものではなかった。」

 抑えた声音の奥に、時間のなさだけが滲んでいる。

 女神像は観光名目で通す予定だった。だが実際には、防災と国防の拠点になる。

所管が分かれる以上、本来なら調整に時間がかかる。国土交通省は景観と灯台を理由に慎重姿勢を崩さず、県も観光資源としての説明を求めていた。

 防衛審議官が窓の外に視線を向けたまま応じる。

 「首相も、相当踏み込まれました」

 「結局防災で通した」

大臣は短く言い直す。

 「通信、監視、避難誘導。すべて含めて防災施設として整理した」

 わずかな間。

 「女神像では通らないのなら。防災塔として通すしかなく、周辺は防衛省が別途自衛隊の施設として通した。」

 審議官は小さくうなずいた。

 「自衛隊が民間施設を借りる形になった。」

 「そうだ」

大臣は外を見たまま続ける。

 「初期設計の中身はそのままだ」

 車内に短い沈黙が落ちる。

 タイヤの音だけが一定に続く。

 やがて審議官が言った。

 「県はどう動きましたか」

 「反対はしなかった。条件はついたがな」

大臣の声は変わらない。

 「観光として成立させること。景観を損なわないこと。

それと、維持費を県に押し付けないことだ」

 審議官がわずかに息を吐く。

 「すべて満たしているように見せる必要がありますね」

 「見せるだけでは通らない。実際にやらなとな。」

大臣は短く返した。

 「通る形に整えるのに苦労したよ。」

それ以上の言葉はなかった。


 禄剛崎は朝から風が強かった。

海から吹き上げる風は断続的に向きを変え、足場のシートを鳴らし、吊られた鉄骨をわずかに揺らす。

乾いた音が連続し、現場全体が細かく振動している。


 それでも作業は止まらない。クレーンがゆっくり旋回し、位置決めに入る。作業員たちは声を張り上げることもなく、短い合図だけで動きを合わせていく。無駄のない動きが、逆に異様だった。


 三浦は足場の端に立ち、灯台との位置関係を確認していた。灯台の光は遮られていない。高さも設計通りだ。それにしても速い。本来なら確認と調整に時間をかける工程が、切れ目なく次へ流れ込んでいる。

追われるような速度だった。


 背後に足音。烏丸とシーラが並ぶ。しばらく現場を見たあと、烏丸が言う。

 「工事のピッチがやけに早いわね」


 「防衛を優先した緊急工事だ」

 三浦は視線を外さないまま答える。

 言いながら、その説明では足りないことを自分でも感じていた。


 シーラが腕を組む。

 「何か情報がはいっているのかも。」

 その一言で、三人の認識が揃う。言葉にしなかった違和感が、輪郭を持つ。


 三浦は海へ視線を移す。

 沖はいつも通りだ。漁船も、目立つ動きもない。

 穏やかな日本海が広がっている。


 「現場の事情じゃないな」

 「上の判断ね」

 「それ以外にない」


 足場の下では資材搬入が途切れない。トラックが入り、すぐ次が来る。クレーンは止まらない。


 そのとき、下で人の動きが変わった。黒塗りの車が数台、現場の外に止まる。動線が一瞬で整理され、空気が張り詰める。

 「来たわね」

 三浦は目を細めた。防衛大臣だった。形式的な挨拶は最小限。そのまま現場に入り、構造と地形を順に見ていく。視線だけが動き、余計な言葉はない。


 監督の前で足を止める。

「進んでいるな」

 工程は前倒し。構造上の問題はない。ただし確認工程は圧縮されている。


 報告を聞いても、大臣の表情は変わらない。

 「時間がない」

 それだけだった。


 シーラがわずかに踏み込む。

 「何かあるのですね」

 問いは自然だが、少し深い。


 大臣はすぐには答えない。

一度だけ海を見てから、視線を戻す。

 「ここでは説明しきれない」

 現場で扱う話ではない。

 「下へいこう」


 「地下だ」

 短く言って、大臣はすでに歩き出していた。


 案内されたのは資材置き場の一角のプレハブだった。

外見はどこにでもある建物だが、入口には警備が立つ。

そこだけが、場違いに重い。


 中に入ると風の音が消えた。

代わりに、かすかな機械音が残る。

外との断絶がはっきりする。


 通路の先に階段。

「地下施設」

 シーラが小さく言う。


 降りるごとに空気が変わる。

温度、湿度、音。

 人の管理下にある空間の気配が強くなる。

外とは別の層に入った感覚だった。


 最下層。重い扉。認証ロックが外れる音が、やけに乾いて響く。

開いた瞬間、空気が切り替わった。


 中は広い。天井は低いが奥行きがある。

壁一面のモニター。その前に並ぶオペレーター。

誰もこちらを見ない。集中が空間を支配している。


 三浦は中央の大型スクリーンを見上げた。日本海側の地図。その上に重なる線。最初は航跡に見えるが、違う。


 同じ範囲をなぞる軌道が複数ある。戻り、離れ、また戻る。意図のある繰り返しだった。

 「同じ動きか」

 「外形は通常の漁船と同じです。ただ、重ねると傾向が出ます」

 「操業じゃないな」

 「はい。漁場とも一致しません。速度も意図的に揺らされています」


 シーラが画面を見つめる。

 「単独じゃ気づかない」

 「個別では異常と判断しにくい。ただ、重ねると分かります」


 三浦は一歩下がり、全体を見る。

線が重なり、同じ領域に集中している。

偶然ではない。


 「反応を見ている」

 「その可能性が高いと見ています」


 別の画面には数値。

 「戦闘機の接近回数です。増加しています」

 三浦は一瞥するだけで理解した。


 「海と同じだ。距離を保って、様子を見ている」

 「正面から来ない。だから判断が遅れる」

 小さな動きが、全体では一つの流れになる。

見えていたものが、別の形で現れている。


 三浦は問いを投げる。

 「像の上の装置はどこまで関与する」

 「広域監視ではありません。沿岸と低空域の補足です。」

 技術主任が答える。

 「上で捕捉したものを、ここで切らさないための支点か」

 「その通りです」


 外に出ると、風が戻った。同じ音のはずなのに、違って聞こえる。

 耳の奥に、地下の静けさが残っていた。海は変わらない。

 だが、見え方だけが変わっている。


 クレーンが動く。鉄骨が上がる。工程は止まらない。動きはすでに決まっている。

 「下に合わせて上を急がせている」

 「運用を先に始める気ね」

 「そのつもりだろう」


      ◇


 国土交通大臣・辛島史郎の隣に、璃々は静かに腰を下ろしていた。閣僚がしばしばお忍びで通う銀座のクラブ。

 照明は落とされ、室内には低く抑えた音楽と酒の匂いが漂っている。

「君、裁判で一世風靡した璃々君だろ」

辛島がグラスを揺らしながら覗き込む。

目はすでに据わりかけている。

璃々は軽く笑った。

「もう昔の話よ」

「いやいや、映画にもなったんだろう? 大したものだ」

「これでも映像ジャーナリストですから。」

 さらりと答える声音に、嘘で固めたこれまでの人生に感情は乗っていない。


 辛島は満足げにうなずき、周囲の黒服に目配せを送った。

 席が自然に整えられ、二人の距離だけがわずかに近づく。

 グラスが重なり、言葉は次第に途切れていく。

 酔いは早かった。

「少し休まれたほうがいいわ」

 璃々がそう言って立ち上がると、辛島は抵抗なくその手を取った。

 足取りはすでに頼りない。


 奥のVIPルームへと消えていく二人を、誰も止めなかった。


――


 翌朝。


 辛島は頭の奥に鈍い痛みを抱えたまま目を開けた。

 見慣れない天井。乾いた喉。

 そして、枕元のスマートフォン。


 画面を開くと、そこには自分のあられもない姿が映っていた。乱れた格好、焦点の合わない表情。そして女の体。だが、その場にいるはずのもう一人の姿は、どこにもない。

 一瞬で酔いが引く。指先が震えた。

 着信音もなく、画面が切り替わる。

 短いメッセージが表示される。

 ――女神像計画に反対を。

 間を置かず、続きが現れる。

 ――動かなければ、写真は出る。

 それだけだった。

 送り主の名前はない。

 だが、誰なのか考える必要はなかった。

 辛島はしばらく画面を見続けた。

 呼吸が浅くなる。


 その日の閣議で、辛島は反対を表明した。理由は曖昧で、言葉も整っていなかった。

だが国交省一人の意見で簡単に方針は変わらない。防衛省が賛成しており、高見首相の判断はすでに固まっていた。決定は覆らない。


――


 数日後。

 週刊誌の一面に、辛島の例の画像が載った。 見出しは大きく、言い訳の余地を残さない。掲載されたのは、あの夜の断片だった。辛島は辞任に追い込まれる。 経緯は不明のまま、処理は速やかに進んだ。

誰も、そこに至るまでの線をたどることはできない。 その一連の流れの中に、璃々の名前が出ることはなかった。


 高見首相は三浦に電話をした。

「璃々が国交大臣に仕掛けてきた。」

 高見はもしやと思い、国交大臣を問い詰め、相手が璃々だということが分かった。

「えっ?璃々が?」

「三浦にとっては宿敵ともいえる璃々が活動をし始めた。」

 三浦は状況を確認し、すぐに璃々が現れたクラブの場所に飛んだが、璃々が銀座にで働く予定だったが、大臣が来た一日でやめてしまったという。


 防災目的で女神像の建設を進めたことが問題となり、国会で議論された。 

「総理に伺います」

 野党議員が立ち上がる。

 「女神建造計画、その総額はいくらですか」

 ざわめき。

 高見は一行だけ目を落とし、答える。

 「現時点での総事業費は、約――」

 数字が読み上げられる。空気が変わる。

 「やはり、ですか」議員は間を詰める。

 スクリーンに地図。女神像と近接する自衛隊施設。赤線が結ぶ。

 「偶然とは思えません。監視機能を前提とした設計ではないのですか」


 視線が集まる。

 高見は顔を上げる。

 「用語を整理しましょう。“監視”とは何を指していますか」

 わずかな間。

 「本計画の通信機能は、災害時の情報収集と伝達を目的としています」

 資料が示される。過去の災害、通信断絶、救助の遅延。

 「分散では対応できなかった事例があります。その教訓に基づき、集約型の拠点を整備しています」


 議員が食い下がる。

 「しかし、機能が拡張されれば――」

 「仮定の議論は控えてください」

 高見は遮る。声は変わらない。

 「現行の仕様は公開されています。その範囲でご評価ください。運用は法令に基づき厳格に制限されます」


 わずかな静けさ。

 議員が続ける。

 「では、拉致のような事案にこの施設を用いるという説明はどう理解すべきですか。拉致は災害ではありません」


 高見は即答する。

 「その通りです」

 場内がわずかに揺れる。

 「拉致は自然災害ではありません。しかし、国家が対応すべき危機であることに変わりはない」


 資料が切り替わる。

 日本海側の位置関係、時間軸、空白の時間帯。

 「発生の把握、情報の共有、初動対応――いずれも時間との戦いでした」

 指先が一点を示す。

 「本施設の通信・観測機能は、こうした初動の遅れを補うためにも活用可能です」


 誰も口を挟まない。

 高見は言葉を切らない。

 「本計画の主目的は防災です。ただし、その基盤は複合的な危機管理に資するものでもある」


 視線を正面に戻す。

 「分類は異なります。しかし、遅れが許されないという点では同じです。守る対象も、同じです」


 議員が最後に問う。

 「では総理は、これは監視ではないと断言されるのですね」

 高見は答える。

 「防災が主です。故に防災で申請しました。そして観光、防犯など多様な目的での利用は許容されているということです。」


 議場が静まる。

 議長が時間を告げる。質疑は打ち切られた。


 数時間後。

 ニュースはその一文を繰り返す。

 ――防災のための計画です。


 疑いは消えない。

 だが、反論は言葉を選び始めていた。

 空気が、わずかに変わる。


 ハンスは工事を遅らせようと現場で放火まで画策したが、自衛隊が絡んでいることもあって工事現場は厳重な警戒がなされており、簡単に侵入はできなかった。


 ハンスはこれまで手配していた璃々を含む10名の女性工作員を、日本と敵対する国へ送り込んだ。日本を攻撃する意思決定ができる閣僚につけた。これまで蓄積してきた官僚、閣僚たちの弱みをネタに日本攻撃を勧めさせるためであった。


 夜の会場は明るすぎるほどだった。音楽と笑い声が混じり、酒の匂いが空気を満たしている。


 璃々は入口で一度だけ全体を見渡した。

 配置、動線、視線の流れ。

 必要なものは、すべてそこにあった。

 狙うべき相手も、すぐに見つかる。


  政策決定の縁にいる男だった。

 名は出ない。だが、指先ひとつで流れを傾けられる位置にいる。


 璃々は、その指先に触れにいった。


 歩みは静かだった。

 だが、近づくほどに、相手の意識の中へ入り込んでいく。


 「お仕事、大変でしょう」


 声は低く、わずかに柔らかい。

 耳に残る高さを、計っている。


 男は笑った。

 その笑いの奥に、解かれていく緊張があった。


 会話は続く。

 問いは浅く、しかし外さない。

 答えに含まれる熱を、璃々は拾い上げる。


 グラスを渡すとき、指が触れる。

 ほんの一瞬。

 だが、引かない。


 男の指が、わずかに遅れて離れる。

 氷が溶ける音が、やけに近くで鳴った。

 視線が絡む。

 逸らす理由が、もうない。

 璃々はわずかに身を寄せる。

 香りが、相手の呼吸に混じる距離。


 「ここ、少し騒がしいですね」


 囁きは、言葉よりも温度を持っていた。

 男はうなずく。

 判断ではない。反応だった。

 深夜。

 奥の扉の向こうは、空気が違う。

 照明は落ちている。

 音も、遠い。

 扉が閉まる。

 その瞬間、距離は消えた。

 言葉は続かない。

 代わりに、呼吸だけが近くなる。

 グラスが置かれる音。

 布が擦れる気配。


 璃々は一歩も引かない。

 視線も、指先も、逃がさない。

 やがて――

 時間が、少しだけ途切れる。


翌朝。

 机の上に置かれた端末に、映像が届く。

 そこに映っているのは、自分自身だった。

 説明はいらない。

 数分後、短いメッセージが続く。

 ――協力してもらう。

 ――拒否すれば、公になる。

 それだけだった。

 数日後、同じ手法が繰り返される。

 対象は一人ではない。

 複数の官僚が、同じ位置に置かれる。

 誰も口には出さない。

 だが、判断は揃っていく。

 会議の場で、ひとつの情報が共有された。

 「日本の中枢は、皆神山にある」

 議論は短かった。

 関東の防衛は固い。しかし、皆神山ならば震災で脆弱になった能登から入れば侵入は容易。

 その結論に、誰も強く反対しない。決定は、静かに下された。攻撃対象は皆神山。

 理由は明確で、同時に不透明だった。

 だが、その違和感に踏み込む者はいない。踏み込めば、自分の立場が崩れる。

 遠く離れた場所で、ハンスは報告を受けていた。

 内容は簡潔だった。

 「決まりました」

 ハンスは短くうなずく。それ以上の言葉はない。必要なことは、すべて終わっていた。

 璃々の名前は、どこにも出ない。 だが、その痕跡だけが、決定の内部に残っていた。

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