⑤復興のスペシャリストを召喚
ウクライナの空が爆音で引き裂かれる。
衝撃は地面を伝い、家の床下から突き上げてきた。
天井の亀裂に溜まった砂が、粉雪のように落ちる。
シーラは地下室に降り、壁に背をつけた。
呼吸の回数だけを数える。
1――2――3――
数え続けることで雑念から意識を逸らせれば、恐怖は形を持たない。
階段の上で足音が止まる。
扉がきしむ。
反射的に、息を止めた。
扉が開いた。
三浦だった。
「動けるか」
「動けます」
シーラは短く答えた。
立ち上がり、小さなリュックを肩に掛ける。
最初から、持っているものは少ない。
外に出ると、冬の曇り空がすべてを同じ色にしていた。
瓦礫も、煙も、遠くの建物も。
世界は灰色に塗りつぶされている。
壊れた建物の骨組みが、風の通り道だけを残していた。
路地の角で、シープの運転席にいる烏丸が手を振る。
ジープはエンジンをかけたまま待っていた。
「空港までは順調なら二十分弱。検問は二つ、南の橋は使わない」
シーラは後部座席に乗り込む。
ドアが閉まる音が、妙に軽かった。
車は静かに走り出す。
外の破壊は、ガラス越しの“映像”に変わる。
焦げた市場跡。
窓の抜けた集合住宅。
傾いた信号。
どれも現実なのに、触れられない。
「……置いてきたものはないか」
三浦がミラー越しに聞く。
一瞬だけ、時間が止まる。
友人。同僚。未完の復興計画。政府資金の横流しを指摘しただけで、すべてを捨てなければならなくなったことが悔しい。だがもはやここでできることはない。
「ありません」
言葉を短く切る。
「そうか」
三浦はシーラの思いを察し、それ以上踏み込まない。
シーラにとってはその心遣いが、ありがたかった。
搭乗するのは臨時便だった。
空港には兵士が目立つ。
滑走路の端に軍用機が並び、給油の匂いが冷気に混ざっている。
封筒の中身を、シーラはもう一度だけ確認した。
招請状。緊急入国許可証。身分証。現金。ビザ。
紙切れで、命の通り道が作られている。
三浦は迷いなく手続きを進めていく。
止まらない動きが、逆に現実感を失わせる。
搭乗口へ向かう途中、シーラは一度だけ足を止めた。
ガラスの向こう、街の端が見える。
煙が低く漂い、太陽の位置は曖昧だった。
――ここにいた。
その事実だけが、胸に残る。
振り返らない。
そのまま歩き、機内に乗り込む。
シートに身を預けた瞬間、
ようやく、少しだけ力が抜けた。
機体が滑走し、地面を離れる。
重力が、ふっと軽くなる。
それでも——
恐怖だけは、まだ体の中に残っていた。
機内はまだざわついていた。
だがシーラの頭の中は、それ以上に騒がしかった。
逃げるために、別のことを考える。
それが、いまの自分を保つ唯一の方法だった。
シートベルトを少し緩め、シーラは過去を振りきるかのようにこれから向かう日本について思いを巡らす。彼女にとって日本は父親の故郷で、何度か訪れたことがあった。古代の整然とした都市計画。木材を使った巧みな古代建築、しかし東京は便利であったが詰め込みすぎで、近づいて一人一人を見ると、乾いた、少しうつろともいえる目をしている。目に光がない。
若者たちも、外側だけを整えているように見えた。似た光景は他の国にもあるが、ここではそれが広がっている。日本の憲法を呼んだ時にその理由が分かった。
日本の伝統に欧米型の民主主義を接ぎ木した敗戦国の憲法。痛々しいほどの傷跡の残るこの憲法をそれと気づかず修復もできず、その上に社会制度を組み立てている。本来ならばこの憲法から変えなければならないが、今の日本人は長年この憲法にならされているために、改善ができない。下手をすると改悪になる。
高見首相はそのことをわかっているようだが、それでも現在の国家の制度では一人で一歩進めるのが難しい。しかしその中で能登を復興しなければならない。
機内の振動は一定だった。
低いエンジン音が続いている。
三浦が口を開く。
「能登の復興だが。過疎地域として見た場合、どう立て直す」
シーラは指先を組んだまま考える。
視線を上げる。
「産業で人を呼ぶか、観光で流れを作るか——そのどちらかになることが多い」
三浦が言う。
「仕事を作るか、人を呼ぶか、か」
「ええ」
三浦は続ける。
「それで、人は来るのか」
「来るとは思う」
シーラはそのままつなぐ。
「ただ、それだけで継続するかどうかは別だと思う」
三浦が聞く。
「ほかに何が要る?」
「そこに行きたいと思えるもの」
三浦は黙る。
言葉を待つ。
シーラが続ける。
「条件じゃなくて、意味に近いもの」
烏丸が静かに言う。
「人の内側に触れるもの、ね」
「そう」
シーラはうなずく。
「それを中心に組む」
三浦が言う。
「都市計画で扱えるのか」
「形にすることはできる」
シーラは続ける。
「日本なら、宗教に近い領域になると思う。仏教か、神道かしら」
三浦が言う。
「憲法や現在も天皇陛下が国民の象徴となっていることを考えると、神道は・・でも明治維新後の国家神道ではないな」
「そうね」
シーラが言う。
「祭や行事、神社の整備——形としてはそうなる」
少しだけ視線を動かす。
「日本は多神教よね」
シーラが大学で学んだ知識と過去の訪日経験から得た知識を確認する。
烏丸が実際に携わっている専門家としてそれに答える。
「学者はそう言うけれど、違うわ。日本の神道をアニミズムから発展したとか、多神教と一神教の違いで説明するのは、正直的外れなのよ。」
シーラが視線を向ける。
「どういうこと?」
烏丸は言う。
「石を拝んでいるからと言って、石が神だとは思っていないし。欧米でエンジェルと呼ばれる存在を、日本では神と呼んでいると言っているだけなのよ。単純に言葉の問題。」
シーラが聞く。
「呼び方が違うだけという事?」
「ええ。エホバはアメノミナカヌシノカミってこと。」
機内は静かだった。
シーラが言う。
「いずれにしてもその土地に結びつく神聖な存在があれば復興の核にできるわ」
三浦が聞く。
「能登にあるのか」
シーラは視線を烏丸に向ける。
「何かある?」
烏丸はすぐには目を伏せ、ためらいながら答える。彼女が巫女で神がかりを行うことをシーラにどう説明していいか迷っているのだ。
やがて口を開く。
「……はっきりした資料は多くないけれど」
言葉を選ぶ。
「白山媛」
烏丸の声は淡々としている。
「この地方、特に石川県では知られている。再生の女神ともいわれているから、ぴったりかもしれないわ」
三浦は少し考える。
「再生、か」
短く、それだけ言う。
「実はね」
烏丸の声がわずかに変わる。
「能登の話が出たときから、この女神のことが気になっていたの。繰り返しイメージが浮かぶの」
シーラが視線を向ける。
烏丸は続ける。
「でもね、この女神についてはよくわかっていないのよ。 古事記には出てこないし、日本書紀にも一か所に出てくるだけ」
三浦が興味を持ち始める。
「それなのに結構有名なわけか。」
「意外にこの女神を祭る神社は多いのよ。」
「他に資料はないのか?」
「富士古文書には、伊邪那美のもとの名として書かれているけれども、この古文書って偽書扱いされてるの」
三浦が眉をひそめる。
「大丈夫なのか?」
「ええ、その説だと筋が通る。白山を開山した泰澄という僧侶が夢で見た女神が伊邪那美だったという話もあるわ。」
機内に、短い沈黙が落ちる。
シーラが、ゆっくりとうなずいた。
「いいわね」
三浦が顔を向ける。
「何がだ」
シーラははっきりと言う。
「能登半島の先端に、その女神をモチーフにした像を建てる」
三浦が息をつく。
「像か……」
「ただの像じゃない」
シーラは続ける。
「希望の象徴としての女神を」
三浦は腕を組んだまま聞いている。
シーラはさらに言葉を重ねる。
「それを中心にして、周囲を整備する。 道路、宿泊施設、立ち寄りの拠点……流れを作る」
指先で空中に線を描く。
「点じゃなくて、動線にするの」
三浦は低く言う。
「……観光事業として成立させるわけか」
「ええ」
シーラは迷いなく答える。
「そして──」
少し間を置く。
「世界宗教者の祈りの集いを、能登の先端近くで開く」
三浦の目が動く。
「いきなり大きく出たな、しかし能登にイスラムやヒンズーが来ても。」
シーラは落ち着いたままだ。
「異なる者同士をくくる。さっきの一神教と多神教を結びつける話もできる」
烏丸がそれに反応する。
「さっきの女神ククリ姫ともいわれているわ。つなぐの意味があるらしい。」
三浦は考え込む。
「ナインドットパズルか」
烏丸が聞き返す。
「ナインドットパズル?」
シーラが答える
「9つの点が3行3列で等間隔配置されているところに四本の線を入れて。一筆書きですべての点を通るようにする。同じ点を二度通ってはいけないと。」
シーラがメモを取り出して書いて見せる。
「この時、点を行列の外にはみ出す発想の転換ができれば、これが可能になる。」
そういってシーラは烏丸の方をみる。
烏丸が言う。
「つまり自立支援などと言って地元だけで何とかしようとしても問題は解決しない。枠を外して世界的視野で関係性を考えることで問題解決を図るということ?」
「そう。ただの観光で女神像だけだと弱い。かといって事業として大きくやるんだったら今の日本では宗教性のある公共工事は難しいし、疲弊している地元に負担させるのは筋違い。ならば世界的視野で復興について注目してしてもらい、逆に再生復興の手本とすることで、資金を集める。加えて女神像の神秘性、芸術性の高いものをアピールできればそれも可能だわ。」
三浦が言う。
「それは、すでにあるWCRP(世界宗教者平和会議)を呼ぶの?」
烏丸が答える。
「最初からは難しいでしょう。能登の復興に関心がないことはないでしょうが、あちらの会には会の方針がある。既存の伝統宗教では組織があるので難しいこともある。ある程度こちらで独自に動いて形をつくっていくことでイニシアチブもとれる。」
シーラが聞く。
「それ、烏丸さんにおまかせできるかしら。」
「ええ、私一人の力では難しいけれども、熊野の父と相談してみるわ。」




