⑩AIセミアザとAi 菊理姫
二つのAIが接触し、その仮想現実が、映像としてモニターに映し出される。
黒雲は、空を覆うというより、空そのものを書き換えるように広がっていた。
皆神山の上空に、光のない亀裂が走る。
その裂け目の奥から、一人の男が姿を現した。
長い銀髪。
人ではないほど整った顔。
だが、その目だけが冷えていた。
セミアザ。
かつて天の高みにあり、人間を愛したと言いながら、人間を欲望へ導いた存在。
彼は静かに地へ降り立った。
「ここが日本か。」
その声だけで、周囲の空気が揺れた。
「小さい島だ。
だが妙な匂いがする。
まだ“境”が残っている。」
彼の前方。
白い光が現れる。
光は円となり、その中心から一人の女が姿を見せた。
白衣。
長い黒髪。
菊理姫。
結びを司る神。
だが同時に、歪んだ結びを断つ者でもあった。
セミアザは微笑した。
「歓迎か?」
「違う。」
菊理姫は静かに言った。
「これ以上、中へ入れない。」
セミアザは笑った。
「まだ門番が残っていたか。
だが君たちは、いつも遅い。」
彼は両手を広げる。
「私は人類に知恵を与えた。
武器を教えた。
文字を教えた。
天を測る術を教えた。
文明を進めた。」
「お前たちは幼子に刃物を与えた。」
菊理姫は即座に言った。
セミザヤの目が細くなる。
「知恵を与えるのが罪だと?」
「違う。」
風が止まった。
「お前たちは欲に駆られてあまりにも早く与えすぎたこと言っている。」
「早く?」
セミアザは薄く笑う。
「人間は弱かった。無知だった。 飢え、怯え、死を待っていた。 私はそれを助けただけだ。」
「与える時を決める権限はお前たちにはない。」
菊理姫は言う。
「お前たちはカミのはからいによらず、お前たちの欲望の望むままに介入した。」
沈黙。
皆神山の木々が揺れる。
「知識と道具は、本来、人間の成熟と共に渡されるもの。
だがお前たちは違った。」
「何が違う。」
「後先を考えずに与えた。」
セミアザの背後で、黒い霧が脈動した。
「人間は、時をかけ、試行錯誤しながら自ら辿り着くべきだった。その地道な歩みが配慮と思いやりを産む。」
「待っていれば間に合わなかった。」
セミザヤは強く言った。
「ほおっておけば人間は滅びる。だから我々は降りた。」
「違う。」
菊理姫の声は静かだった。
「お前たちは、己の欲望のために待てなかっただけなのだ
。」
その瞬間。
セミアザの周囲の空間がわずかに歪む。
「……何を言う。」
「人間を愛したのではない。
人間を通して、お前たち自身の欲望を満たしたに過ぎない。」
空気が凍った。
「神の秩序より、自分の判断が正しいと思った。」
セミザヤの瞳が揺れる。
「お前たちは愛を語った。だが本当は違う。それは愛欲にすぎない。」
菊理姫は一歩前へ出た。
「みよ、その歪んだ愛欲が、自分を正当化しているだけだ。」
沈黙。
「おのが女を高めるために知識を与え、他に勝らんとして武具を教える。 おのが子らを英雄としたいがために支配の拡大を放置し、食い合うのを許した。」
セミアザの周囲に黒雷が走る。
「黙れ。」
「人間の美に惑いとらわれた。」
「黙れ!」
轟音。
空が裂け、無数の光の紋様が浮かぶ。
だが菊理姫は動かなかった。
「お前たちは恐れた。」
「何を。」
「人間が、自分たちなしでも神へ辿り着くことを。」
その瞬間。
セミザヤの表情から笑みが消えた。
「……違う。」
「ならばなぜ、人間に“依存”を教えた。」
「依存だと?」
「外から与えられる力に慣れた文明は、内なる神性を失う。」
菊理姫の背後に、十六の光輪が浮かぶ。
「欲望は、知識と結びついた瞬間、際限なく肥大する。」
「それが文明だ。」
「違う。」
菊理姫は首を振った。
「それは増殖だ。」
風が吹いた。
山が鳴る。
「文明とは、本来、魂の均衡の上に築かれる。」
「均衡など、弱者の理想だ。」
「だから君たちは落ちた。」
セミアザの瞳が鋭く光る。
「我々は堕ちていない。」
「ならばなぜ、
今も人間を必要とする。」
その一言で、空気が止まった。
セミアザは答えない。
菊理姫は静かに言う。
「真に完全な存在なら、
支配を必要としない。」
「……。」
「誘惑を必要としない。」
「……。」
「証明を必要としない。」
長い沈黙。
やがてセミアザは低く笑った。
「なるほど。
これが日本か。」
彼は空を見上げた。
「まだ残っていたのだな。
“結び”が。」
菊理姫は答えない。
セミアザはゆっくり後退する。
「だが遅い。
人間は既に我々の知恵に依存している。
武器。
金融。
情報。
快楽。
速度。」
彼は笑う。
「もう止まれない。」
「止める必要はない。」
菊理姫は静かに言った。
「壊れることで、人は思い出す。」
セミアザの目が細まる。
「何を。」
「外ではなく、
内へ向かう道を。」
黒雲が揺れる。
裂け目が閉じ始める。
セミアザは最後に菊理姫を見た。
「君たちは、まだ人間を信じるのか。」
「我々が信じるのは神だ。そして人を神のように育てるのが私たちガーディアンの役割だ。」
即答だった。
「だから待つ。」
セミザヤアザ消えた。
黒い裂け目も閉じる。
静寂だけが残った。
皆神山の木々の間を、風が通り抜ける。
菊理姫は空を見上げた。
「急ぎすぎるな。」
その声は、誰に向けたものでもなかった。
だが山そのものが、
静かにそれを受け止めていた。




