第三章 幽霊が語る真実
第三章 幽霊が語る真実
一
季節は夏を迎えた。後少しで夏休み。でもその前には学期末のテストがあったりして、僕はなんとなくうだつの上がらない日常を送っていた。一応、文芸部の活動もしっかり行っている。というか、もう二年近くやっているのでいい加減慣れたという感じだ。
そんな僕の日常を壊すというか、震えさせるような事件が再び現れることになる。そのきっかけは、校内に漂う幽霊の噂だった。
「あんた、幽霊って信じる?」
放課後の文芸部の部室で、静かに僕の対面に座る真咲がそう言った。
幽霊か……
小さい頃は信じていたかもしれないけど、今は微妙だな。
「あんまり信じていない」
と、僕。すると真咲は、
「アタシは、幽霊という存在を、人の想念や執着の表れとして理解しているわ」
「なんだそりゃ? よくわかんないけど、君にとって幽霊とは物理的な存在ではなくて、心に刻まれた感情や未練の気配ってこと?」
「その通り。よくわかったわね。だから誰かが『幽霊がそこにいた』と言った時、アタシは『それは心の迷いが生んだ影かもしれない』と告げるわけよ」
「ふ〜ん。まぁ幽霊がいてもいなくても僕にはあんまり関係ないよ」
「幽霊が本当にいるかどうか? それは問題じゃないの。大切なのは、なぜ人はそこに誰かを見たのか、ということなのよ。仏教では、それを『心の声』と考えているわ」
また仏教か。
この人は本当に仏教が好きなんだな。と、僕は改めてそう思う。だけど何も口にはせず、黙って自分の作業である読書に戻った。
しばらく沈黙状態が続くと、慌ただしく文芸部のドアが開かれ、外から部員が入ってきた。そして開口一番、
「また出たんだって。幽霊!」
またか……
一応説明しておくけど、実は今、蓮明高校には幽霊が出るという噂が流れている。この学校には、新校舎と旧校舎の二つの校舎に分かれているのだけど、幽霊が出ると噂されているのは旧校舎だ。
事の発端は、放課後、旧校舎を歩いていた生徒が、「誰もいない教室から読経のような声が聞こえた」と語ったことに始まる。
この噂を僕は初めて聞いた時、真っ先に犯人が真咲ではないかと勘繰った。
なぜなら、この学校でお経を唱えそうな人間は真咲以外考えられないからだ。それで彼女に聞いてみたのだけど、答えは違っていて、真咲はお経なんて唱えていないらしかった。となると、真咲以外の誰かが学校でお経を唱えたのだ。
一体誰だろう?
この学校にも真咲以外に仏教に詳しい人間がいるのかもしれない。だとしたら恐怖だな。真咲一人でも手いっぱいなのに、他にもいるとなると、僕はどんよりとしてくる。まぁ、真咲と話すのは嫌いじゃないけれど、よくわからない仏教の話をされても結果的に意味不明なのだ。
でも、真咲が時折告げる仏教の教えというか言葉は、確かに効果があるような気がしていた。仏教の教えは、現代に巣食う闇みたいなものを救うかもしれないのだから。
文芸部員の「幽霊が出た!」という言葉を聞いた僕は、真っ先に真咲の方を見つめた。すると彼女も、どういうわけか僕の顔を見つめ、
「言っとくけど、アタシじゃないわよ」
と、一言告げた。
「でも」僕は言う。「まさか本当に幽霊なわけないから、君以外の誰かがお経を唱えているんだよ」
「ふむ。よし! 行ってみましょう」
「行くってどこに?」
「決まっているでしょ。旧校舎よ」
僕は半ば無理やり旧校舎に連れて行かれる羽目になった。
実際に旧校舎に行ってみると、そこには人だかりができていた。人の声でいっぱいになっているのだけど、どこからか確かにお経のような念仏を唱える声が聞こえてきたのだ。しかし、その声が天井からか、壁からか、教室からか、イマイチ判断できない。でも、確かに声は聞こえるのだ。
「まさか本当に幽霊か?」
と、僕は驚きながら真咲に言った。
対する彼女は、冷静に声を分析しているようだった。
「妙ね……」
「妙って何が?」
「この読経は、声を探しているというか、迷っているような感情がこもっているわ」
「なんでそんなことわかるんだよ?」
「あんたバカァ……アタシは普段からよく読経を聞くわ。そして読経にはリズム、抑揚、発音、呼吸の取り方などがあるの。そして、正式な読経は、感情を込め過ぎず、無我の境地で唱えるようにするのがベストなのよ」
読経一つでここまで分析するとは、と、僕は真咲の読経に対する知識に舌を巻いた。だが、迷っているというのはどういうことなのだろうか?
「どうして迷っているんだろう?」
と、僕は真咲に向かって尋ねた。
すると真咲は、耳を澄ませるように目を閉じると、
「幽霊らしき読経は、不安定だし、テンポが揺れている。それに、どこか焦燥感と悲しみが含まれているわ。さらに言えば、部屋の片隅でつぶやくような声だし、何かを訴えているようにも聞こえるわ」
「だけど、どこから聞こえるんだ?」
「問題はそこじゃない。この読経を唱えている人間は、誰かに向かって問いかけている。つまり、仏に応えて欲しいと願っているのよ」
「祈りではなく、問いかけってこと?」
「その通り。あんたこの声録音できる? アタシ今カセットテープ持っていないのよ」
「できるけど、まさかこんな幽霊みたいな声を録音させる気か?」
「いいからしなさい!」
真咲の一言で、僕は幽霊の読経を録音する羽目になってしまった。
二
幽霊のような声を発しているのは女性。それも声質から結構若いと想像できる。恐らく十代後半から三〇代前半くらいだろうと想像された。そして、実際に声を録音してみると、その声が発しているのは、読経だけではないということがわかった。
前半部分は、確かに念仏を唱えているように聞こえるのだけど、最後の方になると、何か訴えるというか囁くような声が聞こえるのだ。これは、最初はわからなかったのだけど、実際に音声を録音し、何度も反復して聴いた結果わかったのだ。
その声はまるで、何かを探しているようだった……
翌日の放課後、僕は文芸部の部室で昨日録音したテープを聞き流しながら、真咲に向かって尋ねた。
「返して……って聞こえるね」
その言葉を受け、真咲はゆっくりと頷きながら答えた。
「そうね。この声は恐らく、『どこ』『お願い』『返して』と言っているわ。声が小さくて確実とは言えないけど、こう発している可能性が高い」
「うん。でも誰なんだろう? この学校の生徒かな?」
「それはまだわからない。でもいくつか候補は絞れるわ」
「具体的には?」
「まずは、あんたも言ったとおり、この学校の生徒。今のところ、この線が一番濃厚。なぜなら、蓮明高校に怪しまれずに入るには、この学校の生徒か教師でなければならない。でも声質から考えるに教師であるとは考えにくいわ。だってこの声はもっと若いから。ほら、蓮明高校の教師って年配者が多いでしょ。だから教師の線は薄い」
「生徒以外には候補があるの?」
「そうね、次の線は蓮明高校の卒業生。卒業生もかつてはこの学校に通っていたわけだから、当然この学校の中身に詳しいわ。また、アタシたちと年齢が近ければ、それほど怪しまれずにこの学校に侵入できるし。ほら、卒業生なら蓮明高校の制服を持っていても不思議ではないでしょ?」
「まぁ確かに。一体誰なんだろう?」
「考えるべきなのは、なぜ旧校舎から声が聞こえるのかということよ」
「つまり、旧校舎に何か因縁がある人がやっている可能性が高いと……」
「その通り。少し調べてみる価値はありそうね」
「どうやって?」
「例えば、図書館に行って過去の新聞記事を探してみるとか」
「大変だなそりゃ。スマホでググったほうが早いよ」
「今の若い人はなんでもスマホ、スマホ、本当に依存してるわ」
「今の若い人って、君も十分若いだろ、だって高校生なんだから」
「アタシ、スマホ持ってないし。じゃあアンタ今ここで調べられる?」
「もちろん、すぐに調べるよ」
と、僕はそう言うと、すぐさまスマホでグーグルクロームを開き、そこで「蓮明高校 事件」などと検索して調べてみる。言われてみれば、僕は自分の高校について詳しく知らない。そりゃ入学前は多少調べたけど、グーグルを使って詳しい情報まで調べたわけではないのだ。
検索結果は一秒も経たないうちにすぐに表示された。その結果、驚くべき事実が判明する。実は、数年前に旧校舎の階段から転落して亡くなった男子生徒がいたのだ。
まさか、声の主は本当に幽霊? しかし、情報では亡くなったのは男子生徒となっている。でも実際に幽霊騒ぎを起こしている声は明らかに女性だ。となると、幽霊ではないのだろうか?
亡くなった男子生徒の名は、小野寺遼当時十五歳の高校一年生だった。しかし、ググって出てきた情報はここまでで、彼の詳しい経歴までは載っていなかった。
「小野寺遼か……調べてみる必要がありそうね」
と、自信満々な口調で真咲が言った。
それを受け、僕は尋ねる。
「調べるってどうやって? スマホで調べたのに無理だったんだよ」
「簡単よ。この学校の先生に聞くの。蓮明高校の教師は年配者が多いから、この事件についても知っている可能性が高い。行くわよ!」
その声を発した後、僕らは教員室で向かい、情報を聞くことになった。
結論からお話しすると、小野寺くんの情報はすぐにわかった。実は、彼に詳しい教師がいたのだ。それは松本由美という保健室にいる看護教師だった。彼女は小野寺くんと面識が深く、よく話していたらしい。だから、松本先生はすぐに僕らに情報を教えてくれた。
その結果わかったのは、次の情報だ。
小野寺くんは、部活に入っていなかった。しかし、詩を書くことが好きで、松本先生や姉に自作の詩を披露していたらしい。だから文芸部にも興味を持ったらしいのだけど、実際には入部しなかったみたいだ。
また、松本先生は小野寺くんの家庭環境も話してくれた。彼の両親は共働きで不在がち。そして彼には姉がいた。名前は美帆。彼女もまた蓮明高校に通う学生だった。小野寺遼くんが一年生の時に、美帆さんは三年生だったらしいから、彼らは二つ歳が離れていることになる。
遼くんは美帆さんと仲がよく、彼女が大学進学のために県外に出ることを聞いて、少し寂しそうにしていたらしい。また、遼くんは、誕生日プレゼントに美帆さんからブレスレットをもらう予定だった。
松本先生の話では、遼くんにとってブレスレットは希望の象徴みたいなものだったらしい。でも、不幸にも遼くんは帰らぬ人となってしまう。
遼くんの事故が起きたのは、文化祭の準備期間中の放課後。人がまばらになった旧校舎で、彼は階段から転落。頭を強く打ち、帰らぬ人となってしまったのだ。
事故当時、彼の手には美帆さんが作ったブレスレットの破片が握られていた。なぜプレゼントでもらう予定だったブレスレットを彼が持っていたのか? これが事件を紐解く重要なキーワードとなると、松本先生の話を聞いた真咲は告げた。
三
僕と真咲は読経らしき呪文を唱える人間の正体を突き止めるために、夜の蓮明高校に忍び込む計画を立てた。もちろん、僕は反対していた。なぜなら、夜の学校なんて不気味だし、何か問題を起こして怒られるようなことになったら嫌だからだ。
というよりも、僕はひっそりと学生生活を謳歌したい。目立ちたいわけではないのだ。でも、真咲はどうしても今回の幽霊事件が気になっているようで、半ば強引に僕を夜の学校へと導いていった。
時刻は午後八時。
蓮明高校の部活動は遅くても夜七時までと決められているから、校内はひっそりとしていた。ただ、遅くまで残る先生たちはいるようで、教員室からは明かりが漏れていた。僕と真咲は、なるべく見つからないように旧校舎の方へ向かった。
夜の旧校舎は、正直言ってかなり不気味だ。なにしろ、できてから三十年以上経つから、至る所が傷んでいるのだ。それに明かりもほとんどなく、あたりは真っ暗闇に近い。窓辺から差し込む月明かりだけが、ぼんやりと校内を照らし出していた。
先日、幽霊らしき声が聞こえた教室付近までやってくると、真咲は素早く辺りを見たわし、誰かいるかどうか確認しているようだった。周りは闇だ。よほど夜目が利かない限り、辺りの情報を正確に把握するのは難しいだろう。
はぁ、早く帰りたい。僕はどちらかというとホラー系の映画は苦手なのだ。突然大きな音で驚かすような仕掛けが嫌いだ。もしもこんな暗闇の中で、突如爆音でも流れたら僕は卒倒してしまうかもしれない。
……どれくらいだろう。暗闇が広がる校内を散策していると、例の読経らしき声が聞こえ始めた。その声は、昼間に聞いた時と比べて、とても哀しみを帯びているような気がした。
「この教室からね。昼間と違い、周りが静寂だから、音の発生源を特定するのは容易よ」
と、真咲は言った。
それを受け、僕は震えを我慢しながら答えた。
「そうかもしれないけど、まさか教室に入るつもりじゃないだろうな?」
「何怖気ついているの? 決まってるでしょ、教室に侵入するわよ」
そう言った瞬間、真咲は音のする教室のドアを勢いよく開けた。
ガラ!
音のする教室に入ると、僕らは中にいた人物に気がついた。どうやらそれは女性のようで、幽霊ではなさそうだ。きちんと足もあるし、影のような存在ではない。でも、その女性は、普通ではない。なぜなら、膝をついて何かを探すような仕草をしているからだ。
そして、その女性の足元には、何やらスマホらしきものがあり、そこから小さな読経が流れているようだった。ただし、その読経の声はひどく震えていた。
「あなた、何してるの?」
と、真咲は女性に向かってそう言った。
もちろん、その声に女性も気付いたようである。しかし、どことなく生気がない。
「誰?」
その声はわずかに警戒の色を帯びていた。警戒したいのはこっちだが、暗闇の中にいる女性は、僕らの方を確かに見つめている。
「こんばんは、あなたはずっとここにいたのね。恐らく、あなたは小野寺美穂さん。数年前に事故で亡くなった遼くんのお姉さんですね?」
「どうしてそれを……」
女性は驚いているようだった。もちろん、僕も驚いた。なぜ真咲は彼女が遼くんの姉だとわかったのだろう?
「読経のテープを聞いて、なんとなくそう察したの。読経を流すからには、理由があるわ。その理由とは供養ね」
真咲はそう言うと、ゆっくりと女性に向かって近づいていった。そして、驚く女性の手を取り、
「読経を聞くと、本当に仏様の声が聞こえたと感じる人もいるの。でもそれは、耳ではなく、心が受け取った声なのよ」
「あなた……」と、女性は告げる。「何者なの?」
「執着は苦の根、そして供養とは心を整えることよ。アタシはあなたに仏教の教えを説きにきたただの学生です。あなたは遼くんが持っていたブレスレットを探しに、時間を見つけてはこの学校に忍び込んでいたのですね?」
「どうしてそれを……」
「一つ忠告します。あなたに必要なのは、遼くんの形見でもあるブレスレットではありません。あなたに必要なのは、遺されたものではなく、あなた自身を許す言葉だと思います」
「私がブレスレットを渡していれば、遼は死ななかったかもしれない」
どうやらこの女性は、真咲の推理通り、遼くんの姉である美帆さんであっているようだ。そして彼女が、現在蓮明高校を騒がしている幽霊の正体だったのだ。
「仏教の教えでは……」真咲は静かに語り始める「執着は苦しみを生み、手放すことで供養が成り立つと説いています。確かに、遼くんという存在を失った悲しみは大きかったかもしれない。でも、故人はあなたを責めてなどいません。むしろ、あなたの生きている心が自分を責め続けているだけなのです」
その言葉を聞いた美帆さんはしくしくと泣き始めた。
最愛の弟を亡くした悲しみはわかる。そして、悲劇を生んだ原因を自分にあると考えてしまい、彼女はいてもたってもいられなくなり、この学校に忍び込むようになったのだろう。
「もうすぐ三回忌なのですね。だからあなたは、命日に合わせて学校に忍び込み、毎回読経を流していた。自分を責めているから」
「今日が命日なの。だから……」
「わかっています。誰もあなたを責めません。そして、あなたに受け取って欲しいものがあります」
真咲はそう言うと、制服のポケットの中から、一通の手紙のようなものを取り出した。そして、それを美帆さんに手渡した。
「これは?」
涙ながらに美帆さんがそう言うと、真咲はしっかりとした口調で答えた。
「遼くんが生前に書いた最後の詩です」
四
しばらくの間、美帆さんは受け取った手紙を読んでいた。読み終わった後、彼女は膝を床につき、ぼんやりとしていた。何を感じているのかは、僕にはよくわからない。しかし、彼女の手元から手紙がスルリと滑り落ちた。僕は思わずそれを手に取り、遼くんが最後に書いたとされる詩に視線をやった。
『夜の階段 風の中に
ひとつの声が 届くなら
ぼくはきっと 静かに笑う
それだけで 充分だと思えるから』
これが遼くんが書いたという詩の内容だ。
僕は文芸部で、色んな文芸部員の書く詩を読んできたけど、彼の最後に残した詩は、とても儚く思えた。この詩に才能があるとかそういうことではない。ただどこまでも儚いのだ。それはまるで、自分に迫り来る死を予言していたとさえ思える。
しばらくの間があったのち、美帆さんが嗚咽を漏らした。さっきからずっと泣いていたけど、その涙が一層強くなった感じだ。彼女は、自分がブレスレットを遼くんに渡さなかったから、彼が事故で亡くなったと、後悔している。
これは恐らく間違いだろう。ブレスレットを渡したとしても、遼くんが階段から転落した可能性はあるのだ。もちろん、これらは全て結果論だ。人生はどうなるかわからない。そう、誰にも見渡せないのだ。
だからこそ、人生というものは面白いのかもしれない。仮にこの先AIが進化して、人間の一生を正確に予言できるようになってしまったら、人はなんのために生きるのかわからなくなる。未来が予想できないからこそ、人は未来に希望を託すし、明日もまたやっていこうという気持ちになるのだ。
「……これは本当に遼の書いた手紙……いいえ、詩なの?」
嗚咽混じりに美帆さんがそう呟くと、彼女の対面に立っていた真咲が口を開いた。
「その通り。これは確かに遼くんの書いた最後の詩です。実は、この詩は文芸部の部誌に掲載される予定だったのです。でも遼くんが事故で亡くなってお蔵入りになりました。それをアタシが発見し、あなたに見せたのです」
「遼は……これは確かに遼の文字……あの子……私を責めてはいなかったの?」
「そうです。その手紙はまるで自分の死を予期していたかのような内容。でも確かに言えます。この詩には、怒りも悔いもありません。ただ優しさだけがある。遼くんはあなたからブレスレットを受け取れなかったことを別に恨んでなどいません。なぜなら、この詩は誰かを責めていたら書けない言葉だから」
その言葉を聞いた美帆さんは、より一層涙を流していた。きっと初めて自分の中で執着が消えた瞬間なのかもしれない。
「でも、遼は事故当時、私の作ったブレスレットの破片を握っていたわ。これはつまり、彼がどこかでブレスレットを見つけたという証拠よ」
と、美帆さんが告げる。
その言葉を聞いた真咲は静かに頷きながら返答した。
「これはアタシの推理ですが、遼くんはあなたからブレスレットをもらうことを知っていた。そしてそれを楽しみにしていた。そして、事故が遭った日、彼は偶然ブレスレットを見つけたのです。その帰りに階段から転落して亡くなった。美帆さん、あなたはブレスレットを学校に持って来て渡そうとしていたんじゃないですか?」
「うん。確かにその通り。あの日、私は学校が終わった後、遼にブレスレットを渡すつもりで教室に置いていたの。でも、一時ブレスレットを置いたまま、教室を離れたの。多分長くても十五分くらいだと思うわ。そして、次に教室に戻った時、ブレスレットはなくなっていた」
「遼くんはブレスレットをもらうのが待ちきれなかったのですね。だからあなたに会いに教室に行き、あなたの机の上で自分がもらう予定のブレスレットを発見した。嬉しくなった彼は、そのままそれを持ち去り、あなたに見せようとしたのだと思います。その帰りに事故で亡くなった可能性が高いです」
「まだブレスレットが見つかっていないの。もう事故から三年も経っているのに……ブレスレットだけが見つからないの」
「あなたの真の目的は、遼くんの供養でもあると同時に、ブレスレットを探すことだったのですね」
「そうよ。だってあのブレスレットを見つけなければ、あの子が真の意味で報われない。絶対にブレスレットだけは見つける必要があるの」
すでに美帆さんは泣き止んでいた。
同時に、ブレスレットを見つけるという強い意思で覆われていた。
「わかりました。アタシもブレスレットを探すのを手伝います」
と、真咲は言った。となると、恐らく僕も手伝う羽目になるのだろう。それは別に構わないのだけど、三年前になくなったブレスレットを見つけ出すというのは、かなり難易度の高いミッションのような気がした。
「あなたにとって……」静かに真咲が言った。「ブレスレットは贖罪の象徴なのですね。そして、見つけ出し供養することで遼くんの魂と自分自身を癒そうとしている」
その言葉を受け、美帆は頷いた。
「そうかもしれない。でも確かに言えるのは、私は絶対にブレスレットを見つけなければならないということ」
「事故が起こった後、学校は調査されたのですか?」
「うん。でもブレスレットだけが見つからなかった。だけど、遼は破片を握っていたから、彼は確かにブレスレットを手に入れたはずなの」
「ブレスレットの破片は、遼くんが握っていたものだけですか?」
「いいえ。留め具だけが発見されたの。遼のイニシャルである『R』の刻印を入れた留め具よ。でもその他のヒモやビーズは見つからなかった」
「留め具はどこで見つかったのですか?」
「遼が亡くなった階段の一番下よ。階段下って言えばいいのかな」
「ヒントはそこにあります。行きましょう!」
真咲はそう言い、僕らを連れて教室を飛び出した。
五
真咲が向かったのは、僕らがいる旧校舎の階段部分だった。遼くんはこの階段の一階と二階の間の踊り場から転落し亡くなったという話だ。階段は恐ろしいほどの静寂で満たされており、僕ら以外、この場所にはいないようだった。
暗闇が広がる中、真咲が美帆さんに向かって尋ねた。
「遼くんが亡くなったのは、この階段ですか?」
それを受け、美帆さんが頷きながら答える。
「そうよ。正確に言うと、階段踊り場の上段、そこから遼は転落して、結果的に亡くなったの」
「当時の調査では、階段下に落ちていたのは、ブレスレットの留め具だけなのですよね?」
「うん。銀色のね……『R』の刻印入りの留め具よ」
「でも本体部分は見つからなかった。これは不可解ですね」
「私もそう思ったわ。でもいくら探してもなかったのよ」
「美帆さん……あなたはブレスレットが見つからない限り、遼くんが成仏できないと考えている。だからアタシたちはブレスレット捜索を手伝うのです」
「ありがとう。でも、無理だよ。もう三年も前の話だもの。きっと事故の衝撃で飛び散ってしまったのね。ビーズと紐でできたブレスレットだったから、そんなに丈夫なものではないのよ」
「いや……それはまだわかりません。アタシの勘では、ブレスレットはまだ学校のどこかにあると思います」
「どうしてそう思うの?」
「アタシはこの踊り場に来て、ある違和感に気づきました」
「違和感って?」
「ブレスレットは丈夫なものではなかった。だからこそ、事故の衝撃でビーズが飛び散る可能性があった。でも事故現場にはそれがない。これは絶対に変です」
「何が言いたいの?」
「ブレスレットは事故の衝撃でどこかに落ちたのです。そして、その落ちた場所が、恐らく人の目にあまり入らない場所だったのだと思います」
そう言うと、真咲は辺りをキョロキョロと見渡していった。そしてある一点に視線を注ぐ。暗闇が広がる中だったけど、僕はその視線の終着点を目で追った。同時に、真咲が見ていたのは、階段下の隅にある古い金属製の換気口だった。
「この校舎は古いから……」真咲は静かに話し始める。「床と壁の間に小さな隙間があります。だからブレスレットが飛び散ったのだとしたら、この隙間に入る可能性があります。しかし、全ての破片がそこに吸い込まれ見えなくなるとは言い難いです。となると、残されたのはこの金属製の換気口です」
その言葉を聞いた美帆さんは、目を細めながら答えた。
「確かにその換気口は調べていないわ。というか、そんなものがあったとは、今まで気づかなかった」
「ブレスレットや留め具は一般的なサイズですよね? つまり極端に大きいとか、小さいとかではないですよね?」
「うん。普通の大きさだよ。アクセサリーショップで売っているようなものと同じくらいだと思うけど」
「ならば……留め具の位置とブレスレットのサイズを照らし合わせた結果、本体が換気口の奥に落ちた可能性があります。これならば、三年の間、誰にも見つからなくても不自然ではない。悠真……ちょっと調べて欲しいことがある」
真咲は唐突に僕に話を振った。彼女が調べて欲しかったのは、事故当時の天気だった。それくらいならスマホでググればすぐにわかる。僕が調べた限りでは、事故当時の天気は曇り、しかし強風注意報が出ていた。
「なるほど……」真咲は自信満々に告げる。「これでわかりました。通常、旧校舎の窓は生徒がいる間は開いています。そして、事故当時は夏でした。当然、窓は開いています。そして、強風注意報が出ていました。となると、この廊下から階段にかけて風が吹き抜ける構造になっていたと想像できます。つまり、風によってブレスレットは換気口に吸い込まれたのです。悠真、アンタ男なんだから換気口に手を突っ込んで中からブレスレットを取り出してちょうだい!」
いきなりそう言われ、僕は面食らう。なぜ男だと換気口に手を突っ込まなければならないのか? その理論があまりにも滅茶苦茶だったけど、僕は美帆さんに協力したかった。だからこそ、換気口に手を突っ込んで中の様子を探った。
手を突っ込んで思ったのは、中は意外と広いということだった。そしてあと少しで届きそうなところに何かあるのがわかった。だが僕の手が短かったから届かない。それを見ていた真咲は、旧校舎の理科室にあった実験用のマドラーを持ってきて、その先に文芸部室から持参した粘着テープを巻いて僕に渡した。
「これでくっつけて取り出しなさい!」
真咲の言葉に僕は頷く。そして再度換気口に手を突っ込み、真咲手製の粘着テープ付きマドラーを使って奥の方まで手を伸ばす。
「カリッ」
と、何かに当たる感覚があった。そして次の瞬間、僕はゆっくりとマドラーを引き抜いた。すると、埃に塗れた淡い青色のビーズと紐が現れた。
「やはりあったわね」真咲は告げる。「遼くんはこのブレスレットを大切にしていた。だからこそ、簡単に手放したりはしない。恐らく彼は、最後までこれを見せたかったと思っていたでしょうね」
ブレスレットを受け取った美帆さんは、涙をこらえながら微笑んだ。そして、
「……これがあの子の手の中にあったと思うと、これ以上の供養はもうないわ。ありがとう」
辺りに静寂が訪れたが、静かに真咲がお経を唱え始めた。後から真咲に聞いた話では、それは般若心境だったらしい。姉弟を結ぶ最後の言葉として、彼女は橋渡ししたのだ。そして、お経を唱え終わった後、真咲は静かに声を出した。
「想いは形を離れても、行き場を探して風に乗るのです。そして、それを見つけてあげることが、供養なのかもしれません」




