第15話 その縁談、王家の台帳にございませんわ
王太子の婚姻には、最後の手続きがある。
「縁談承認の議」。王家縁談係と、有力家門の立会いのもと、婚姻契約を王家縁談台帳へ正式に登録する、公の儀式だ。これを経て初めて、婚姻は王国に認められる。
その議は、王宮の一室で開かれた。
私は、辺境伯アルノルトの随員として、その場に立った。辺境伯は、立会いの権を持つ有力家門。彼が「随員に縁談の専門家を加える」と申し出れば、誰も拒めない。
居並ぶ家門。王家縁談係。そして――末席に、縁談ギルド長ガルニエ夫人の姿もあった。私を見て、扇の陰で、わずかに眉を寄せる。
議が進み、王家縁談係が、婚姻契約を読み上げ始める。アルヴィン殿下と、聖女セレーネの婚姻。台帳への登録の宣言。
「――以上をもって、登録を正式とする。ご異議のある方は」
形式上の問いかけ。誰も異議など唱えるはずがない。そういう、儀式だった。
「異議が、ございますわ」
私は、一歩、前に出た。
部屋中の視線が、一斉に私へ集まる。ざわめき。「あれは、追放された……」という囁き。
王家縁談係が、戸惑った声をあげた。
「な……何者か。この場で、異議とは」
「縁談仲介人、ミルテ館の店主にございます。そして――かつて、八年にわたり、その王家縁談台帳を預かった者ですわ」
ざわめきが、大きくなる。
「異議の趣旨を、申し上げますわ。ただ今、登録されようとしている婚姻契約――その第十九条が、王家縁談台帳の規定に反しておりますの」
私は、契約書の写しを掲げた。
「第十九条。『聖女セレーネの台帳登録は、モントレー公爵の保証をもって正式とする』。――王家縁談係どの。台帳への登録は、何をもって正式とされますの?」
縁談係は、口ごもった。
「それは……王家縁談係の、確認をもって」
「さようですわね。個人の保証では、ございませんわね。では、お尋ねいたしますわ。――聖女セレーネ様の、出自を証する家門の記録は、台帳のどこに、ございますの?」
沈黙。
縁談係が、慌てて台帳を繰る。けれど、いくら探しても、その記録は、存在しない。私が知っているからだ。最初から、ないのだと。
「ございませんわね。出自の記録が、ない。だから、第十九条で、モントレー公爵の“保証”一つを、その空白に充てた。――これは、登録ではございませんわ。台帳の、偽造ですの」
部屋が、凍りついた。
ガルニエ夫人が、扇を握りしめ、立ち上がろうとする。
「無礼な……! 追放された分際で、王家の縁談に――」
「ガルニエ夫人」
私は、静かに彼女を見た。
「縁談ギルドが、各家に“貸して”いる、二重契約の書式。その大本を、たどってまいりますと――ここに、行き着きますの。台帳を私物化し、縁を“配って”きた、お一人の方に」
そのとき。
部屋の奥の扉が、ゆっくりと開いた。
現れたのは、白髪を整え、隙のない礼装に身を包んだ、初老の男。穏やかな微笑。けれど、その目だけは、底が見えなかった。
モントレー公爵。
居並ぶ家門が、一斉に頭を垂れる。彼は、ゆったりとした足取りで、私の前まで歩いてきた。
「――久しいな、シャルロッテ嬢」
その声は、驚くほど、柔らかかった。
「まさか、こんな場所で再会するとは。辺境で、縁談ごっこをしていると聞いていたが……ずいぶんと、騒がしいことだ」
「ごきげんよう、モントレー公爵。お元気そうで、何よりですわ」
「うむ。だが、困ったね」
彼は、私の掲げた契約書を、ちらと見た。
「台帳の規定がどうの、出自の記録がどうの。――そういう細かいことを、いちいち気にする者がいると、物事は、円滑に運ばなくなる。縁とはな、シャルロッテ嬢。結ぶものではない。配るものだ。誰に、何を配るか――それを決められる者だけが、この国を、動かせるのだよ」
彼の言葉に、悪びれた様子は、微塵もなかった。それが、何よりも恐ろしかった。この男は、人の縁を弄ぶことを、悪だとすら思っていない。
「だからこそ」と、私は、まっすぐに彼を見返した。
「わたくしを、追放なさったのですわね。台帳の正しい姿を知る者がいては、縁を勝手に“配る”ことが、できませんもの。――あの婚約破棄は、公爵、あなたの一手でしたのね」
モントレー公爵は、ほんの一瞬、目を細めた。それは、肯定でも否定でもない。ただ、「気づいたか」という――静かな、評価の目だった。
「賢い娘は、嫌いではないよ」
彼は、微笑んだまま、低く囁いた。
「だが、賢すぎる娘は――邪魔だ。一度、消したはずだったのだがね。次は、辺境ごと、消えてもらおうか」
言い残し、彼は背を向け、悠然と去っていった。
残された議は、紛糾した。婚姻の登録は、保留となった。第十九条の不正が、公の場で指摘された以上、もはや、なかったことにはできない。
帰りの馬車の中、アルノルトが、静かに言った。
「敵に、回したな。この国で、最も恐ろしい男を」
「ええ」
私は、窓の外を見つめた。王都の灯が、遠ざかっていく。
「けれど、ようやく――顔を、見せてくれましたわ。最後まで隠れているつもりだった黒幕を、表へ引きずり出せた。それだけで、十分な戦果ですの」
私は、微笑んだ。
「さあ、アルノルト様。本当の戦は、これからですわ。――人の縁を、出世の道具にした方に、きちんと、相場をお教えしてさしあげましょう」
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
第2章クライマックス。ついに黒幕モントレー公爵が、表舞台に姿を現しました。シャルロッテの婚約破棄の真相、台帳の偽造、そして公爵の「縁を配る」という思想――すべてが明らかになり、本当の戦が幕を開けます。
ひとまず、ここまでが大きな区切りです。ここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。続きでは、いよいよモントレー公爵との直接対決、そしてシャルロッテ自身の縁談の行方が描かれます。
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