32. 発覚
「貴女からの挨拶を断れる人間は、なかなか存在しないでしょうね。―――シルヴァン公爵夫人」
あら、と艶然と微笑む女性。
年齢不詳な美貌と、気品があり洗練された衣装。
銀の髪をさらりと流す彼女こそが、私が現在最も苦手とする人物だ。
「そんな事はありませんよ。殿下は主役でいらっしゃいますし。寧ろ、こちらから声を掛けるなど不敬が過ぎましたね。申し訳ございません」
「構いませんよ。私も貴女と話したいと思っていましたから」
公爵夫人はすっと頭を下げる。
その姿にさえ、完璧な美しさがあった。
彼女が公爵夫人なのだと知らない者ならば、きっと一瞬で心を奪われるだろう。
しかし、特筆すべきはその容姿だけではない。
彼女が持つ最大の武器。
それは、その圧倒的な威厳だった。
女王陛下が持つそれとはまた違う、この世界を生き抜いてきた者にしか出せない、凛とした雰囲気。
場を一瞬で掌握する存在感。
そして何より、相手を自分よりも上に見せる力。
あくまで自分は相手の引き立て役だという立ち振る舞い。
恐らくこれが、この社会で一番求められるものなのだ。
彼女を見て、私はそれを確信していた。
レオナに対して当然のように頭を下げ、許可を貰うまで姿勢を戻さない。
レオナが己よりも遥かに上の立場であると、自然過ぎるほど自然に周囲に知らしめているのだ。
その一方で、彼女は決して従順で扱いやすい人間ではない。
もしもレオナの返答がもう少しでも遅かったなら。
レオナには、“公爵夫人に理不尽なほど礼儀を求める我儘な王女”という烙印が押されていたはずだ。
今回は上手く返したため、代わりに“懐の広い主”という印象を付けられた訳だが。
貴族社会に馴染めない人間には容赦しない。
逆に、確かな能力がある者には、多くの貴族に実力を見せつける絶好の機会を与えていることになる。
まさに貴族界の頂点に立つに相応しい人物だった。
……何故、貴族社会のことをこれっぽっちも知らない私がこんなことを理解しているのか。
理由は一つ。
私もこれを喰らったからだ。
『流石は殿下。素晴らしい慧眼をお持ちです』
思えば、あれから私に対する貴族達の圧が減った気がする。
昨日までは嘲るような目をしていた者でさえ、こちらを慎重に観察しているようだ。
結果的には私にとって有利に働いた訳だが、もう二度と貴族との問答はしたくない。
ユリアに説明してもらってようやく会話の意味を知り、絶叫しかけたのだ。
完全に回避するのは不可能だとしても、避けられる限りは避けよう、と心に誓った。
取り敢えず、実に新しい記憶に蓋をする。
「では、遅ればせながらご挨拶を。殿下、御誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます、シルヴァン公爵夫人」
私が一人で悶々としている間に、目の前では穏やかに会話が進んでいく。
というか、私、悩み過ぎでは?
現実逃避の為か、理屈っぽい性格の為か、どうしても無駄な思考をやめられない。
癖になっているようだ。
「―後ろの彼女。そちらの従者の方、やはり堂々とされていますね。殿下の指導の賜物でしょうか」
ひえっ。
本日何度目か分からない不意打ち。
最早飽きるほど連続した攻撃に、私の心はボロボロだ。
「違いますよ。全て本人の努力です」
彼女に直接指導した侍女達の献身もありますけどね、とレオナは続ける。
頼むから私を持ち上げるのはやめてくれ。
祈る事しかできない私は、視線を会場の端に向ける。
丁度、警備についている騎士と目が合った。
銅色の髪に、灰色の瞳の女性騎士。
クスティナだ。
一縷の望みという名の無茶ぶりで救いを求める目を向ける。
じぃっと見詰めていると、やがてクスティナも私の視線に気づいてくれた。
彼女は戸惑う様にこちらを見ていたが、暫くすると悟ったように頷いてくれる。
まさか、この状況をどうにかできるのか!?と私は目を見開いた。
レオナの近衛騎士の最有力候補になっているだけあって、クスティナは優秀な人間だ。
もしかすると、本当にどうにかしてくれるかもしれない。
果たして、クスティナは己の胸の辺りまで右手を持ち上げると――
イイ笑顔で握りこぶしを作ってくれた。
うん。惜しい。
今欲しいのは、応援じゃないんだ。
がっくりとした私の姿に気が付かず、にこにこと笑い続けるクスティナ。
一周回って嬉しいかもしれない。
溜息を堪えた瞬間―――突如として、ピリッとした空気がレオナから放たれた。
社交用の笑みを張り付けたままのレオナは、つい先程までと変わっていないように見える。
だが、間違いなくその瞳は細く眇められていた。
何事かと咄嗟に周囲に視線を巡らせると、こちらに歩み寄って来る貴族の男が目に入る。
男はそのまま私の横を平然と通り過ぎ、そしてレオナの横を通って去って行く。
その瞬間、男の口が僅かに動いた。
それと同時に、レオナの目が見開かれたのを、私は見逃さなかった。




