第1話 その1
いつからだろう。僕は海を見ていた。ただ何をするでもなく、防波堤の淵に腰掛けて、ただ海を見ていた。
灰色に濁った波がゆらゆらと揺れている。
冬の潮風は肌に冷たく突き刺さる。
僕は身体を震わせ、両の二の腕をさすりながら立ち上がった。
空も海と同じ暗い灰色をしている。もうしばらくしたら雨か雪が降るかもしれない。
どれだけの時間ここでこうしていたのかはわからないけど、少なくとも十分やそこらではなさそうだ。
雲に覆われているだけでなく日も傾いてきているのだろう。仄暗い。
僕は急ぐように近くに停めてあった自転車に乗り、家路を走る。
三十分ほど走ると小さな街が見えてくる。僕の暮らす街。
山と海の間にあるこの街は潮風が吹きさらすのでどこへ行っても潮の匂いがする。
きっと僕も同じ匂いをただよわせているのだろう。
海沿いの歩道を走っていると右手側の山の中腹あたりに緑に混じって白い校舎が見える。僕の通う稲瀬高校だ。
生徒数は一年から三年まで合わせて百人を少し超える程度。
もう直ぐに僕も二年生になる。順当にいけば、の話だが。
つまり、来年度を迎えれば僕も先輩と呼ばれるようになる。
ちなみに稲瀬高校は全寮制をとっている。通う生徒は皆、この街の出身なのになぜか全寮制をとっている。
寮は男女別にそれぞれ三棟ずつある。どの寮もだいたい二十人前後の生徒が住んでいることになる。
僕はその中の一つ、あおかぜ荘に住んでいる。場所は学校から山を降りてすぐのところだ。だから朝は山を少し登るだけで済む。
そのおかげで他の寮とは比べようもないくらい人気なのだがどうしたことかあまり人をいれない。
毎年、新入生があおかぜ荘に入りたいとたくさん申請を出してくる。にもかかわらずほとんど全部断っている。
きっと何かの管理人さんにとっての基準のようなものがあるのだろうと、僕は勝手に予想している。
これについて何も究明しようとしないのは僕がここに入れた数少ない幸運の持ち主だからだ。
他の寮生はかなり調査しているみたいだけども。
おかげでここの寮については稲瀬高校の七不思議の一つに数えられている。
寮に着くと玄関脇の空いたスペースに自転車を停める。鍵をかけてその鍵をポケットに収める。玄関のドアを開け、中に入るとこの寮の管理人、寮生からはトウさんがちょうど公衆電話の受話器を置いたところだった。
トウさんというのはあだ名というか愛称のようなもので、あくまで「父」という意味でなく、彼の本名に「東」という字が入っていることが由来なのだそうだ。
「やあ、寒そうだね、睦月」
トウさんが微笑む。
「もうしばらくで雨か雪か降りそうですよ」
僕は靴を脱いで床に上がる。
「ところでトウさん」
「どうしたんだい?」
「お腹が空きました」
トウさんは笑うと、
「夕飯はいつも通りの時間だから、それまで待っててよ。まだメニューすら考えてないんだ」
「じゃあ、僕の分は少し多めでお願いします」
「特別扱いは特別なときにしかしないよ」
いつも通りのトウさんの反応だ。彼は細かいところでも誰かに対して特別にすることを嫌う。誕生日とかそういった時にしかそういうことは決してしない。
「知ってますよ。じゃあ、何か買ってこようかな」
もう一度外に出るのは億劫でもあるけど空腹は耐え難い。
「それなら、卵買ってきてよ」
トウさんは前掛けの大きなポケットからがま口の財布出すとそこから五百円玉を出して僕に握らせた。
「卵はいつものやつね。多分もうそろそろ値引きされるはずだから」
僕はわかりました、と返事をするともう一度靴を履くとまた外に出た。
この街で一番大きなスーパーでは毎日午後四時になると生鮮食品が半額になる。でも、それらの食材は全てが街の近くの契約農家から直接仕入れているので鮮度は申し分ない。だから良質な食材を安価で手に入れられるこの時間は街の主婦の全員がここに集う。
どうにか苦労して卵と、小腹を満たすためのコロッケを二つ購入できた。
コロッケはこの時間、お客がたくさんくるので揚げたてを買うことができる。ここのコロッケは隠れた名物みたいにかなり美味しい。一つ十五円なのもかなり大きい。
スーパーを出ると僕はまっすぐ寮への道を戻った。
寮に着くと入り口の門の前に人がいた。幼めな容姿から睦月は自分より少し年下な印象を受けた。
少女は退屈そうにつま先で小石を弄んでいる。
「誰か待っているの?」
睦月は好奇心から少女に声をかけた。
「あなたが睦月…………?」
顔を上げた少女は大きく澄んだ瞳をしていた。
その少女が僕の名を呼んだ。すぐに彼女について心当たりを探すが見当はつかなかった。
「君は、誰なんだい……?」
更新は不定期で週に1話くらいのペースでゆっくりやっていけたらな、と思います
展開ものんびり進ませてく予定なので気長にお付き合いください




