第13話 戸丸の海賊退治
ゆらゆらと瀬戸の海に揺られる小舟の上に戸丸の姿はあった。積み荷は酒樽2つ。従者は小太郎のみ。船頭は今はいない。戸丸は初めての海原の旅に勇んで出掛けるも、寄せては返す波の揺らぎに吐き気を覚えていた。
「小太郎よ、舟の旅とはなんとも気持ちの悪い物なのだな。」戸丸は隣でケロリとしている小太郎に言う。戸丸と小太郎が瀬戸内の大海原に放り出されているには理由があった。戸丸は今、ある使命の真っ只中にいたのだ。
時は遡る事、昨日の夕刻。戸丸が関門海峡を渡りたいと壇ノ浦がある下関に駐屯する平家の一軍の陣へ申し立てに行った事に始まる。戸丸は最初、地元の漁師に対岸の地に渡りたいと願った。しかし、断られた。それは素性の知れない戸丸と巨大な山犬を乗せては海を渡るなど出来ないというものであったがさらに大きな理由が他にあった。
この頃、平安時代末期の海は荒れていた。日宋貿易が行われる博多。そこから壇ノ浦を通り都に貿易品を運ぶ航路があった。平清盛が率いた平家はこの貿易で権力を増す一方、頭の痛い者達がいたのだ。それが海賊の存在である。海賊は行き交う船の積み荷を狙い海上を横行していた。そして、彼らの所業は沿岸の漁村にも及び、放ってはおけない問題となっていた。「対岸までお前達を届けてはやれない。」漁師の断りの言葉にはそんな経緯もあった。
「これは難儀だな。」戸丸は弱っていた。すると漁師は「お前達の願いを叶えられるのは海賊討伐中の平家軍くらいだ」と言った。戸丸はその言葉を聞くとハッとした表情で何かを思い付いたようだった。小太郎は暫くしてニヤリと笑う戸丸の口元に嫌な予感を覚えた。
「頼もう、頼もぉーう。」戸丸の大きな声が平家の陣に響いた。彼の声に反応して物々しい甲冑に身を包んだ兵士が現れた。「このような夕刻に何用だ。」門前払いになる寸前の戸丸は見張り役と思える兵士にこう告げた。「拙僧、戸丸と申す者。平家軍が陣におわす将に用があって参りました。」僧の姿をした戸丸を邪険にする事も出来ない平家の兵士は「しばらく待て」と言うと陣に戻って行った。
「して、用とは何事か。」平家軍下関駐屯地を預かる将、小林喜一朗は恰幅の良い武士であった。しかし、戸丸は物怖じする事なく了見を伝えた。「この山犬と、この海を渡りたいと思います。舟をお貸し願いたい。」単刀直入に自らの願いを述べる戸丸に「それはならん」と小林は吐き捨てた。「この海は今、海賊達に荒らされている。それを鎮める為には一艘でも多くの舟がいる。そなたに貸す余裕はないのだ。」平家の将、小林喜一朗もまたあの漁師と同じ事を言った。
戸丸は小林のこの返答を予測済みであった。そして戸丸は驚くべき事を口にしたのだ。「拙僧がその海賊を成敗いたしましょう。」小林は戸丸の言葉に面食らった。彼の周囲に控えていた武者達はゲラゲラと笑い声を上げた。
「どのようにいたす。」小林は戸丸の発言を笑わなかった。気を持ち直すと戸丸に考えた戦略を問う。「小舟を一艘、それから酒を2樽。従者は拙僧が愛犬小太郎のみで結構。この辺りの地理に詳しい体力のある漁師を1人お願いしたい。」戸丸の要望に小林はコクリと首を縦に振った。「酒樽2つか。海賊を酔わせて夜襲をかけるには少し足りはしないか。」小林が問うと戸丸は「充分です」と答えた。そして、戸丸と小太郎による海賊退治の出陣が決まった。
その夜、夕餉を施された戸丸はご満悦であった。満腹の腹をポンポンと叩き平家の陣でくつろいでいると聞き慣れない獣の声が耳に着いた。「なんだ、この生き物は。」獣の声を辿った先に武士達の馬屋があった。戸丸は産まれてこの方、まだ馬を見た事がなかった。「なんだ、これは。鹿、角のない鹿なのか。」戸丸が馬の周りを徘徊するので不審に思った馬の番をする兵士が出てきた。そして戸丸の発言を聞くや「なんだ、馬を鹿と言うたか。この馬鹿め」と笑った。
「馬。これが馬という者か。」戸丸はあざける兵士の言葉をよそに目の前の馬に見入った。大きく、力強い。戸丸はその日知った未知なる者に新鮮な感動を覚えていた。
翌朝、地元の屈強な漁師を船頭に戸丸と小太郎が乗った舟は漕ぎ出された。目指すは海賊達の巣窟と呼ばれる海域であった。巌流島を越え、周防灘に入り瀬戸内海に出る頃、戸丸は漁師に「よく船頭をやってくれたな」と言った。事情を知らされていなかった漁師は戸丸の話を聞くやいなや海に飛び込み逃げ出した。「やはり、知らされていなかったか。」クックと笑う戸丸に小太郎は慌てた。「慌てるな、小太郎。わかっていた事だ。奴ほど屈強な男なら岸まで泳いで辿り着くだろう。」戸丸は船頭を失い広くなった小舟の船上にゴロリと横になった。
「おえぇー。ゲホッ。ゲロゲロゲロ。」戸丸は激しく嘔吐していた。「やれやれ、これでは身が保たんな。」戸丸は口を拭いながらボソリと呟いた。日差しもきつかった。辛い時間が続いていた。しばらくして意識は朦朧として倒れる寸前の戸丸が船上にいた。小太郎は心配そうに戸丸の頬を舐めた。ドーン、バーン、ジャーン。突然、ドラの音が海原に響いた。直後、島影の後ろから海賊船が数艘姿を現した。戸丸は大きく大きく手を振り回しこっちだと合図する。「ハハッ、地獄に仏とはこの事か。天の救いが舞い降りたな。」戸丸はそう言うとそのままバタッと気を失った。
自作小説『Dime†sion』 =第13話=
つづく




