報酬と装備更新の提案
朝の拠点には、焼いたパンの匂いと、薄いスープの湯気がゆっくり広がっていた。
昨日の定期討伐を終えた翌朝だからか、卓の空気はどこか静かだった。
疲れが残っているのか、いつもより言葉が少ない。
それでも誰も寝坊はしないし、食うものは食う。
そういう朝だった。
ユウも席について、黙ってパンを千切っていた。
昨日の戦いは終わった。
終わったが、身体の方はまだ完全に抜けていない。
肩も、腕も、少しだけ重い。
けれど不快ではない。
生きて戻った後の疲れとしては、むしろまともな方だった。
卓の上に、小さな電子音が重なる。
タチバナが一人ずつ、各自の端末へクレジットを送っていた。
「昨日の分だ」
言葉はそれだけだった。
銀月経由で落ちた報酬は、順番に各個人のデバイスへ振り込まれていく。
都市からの依頼だった分、今回のクレジットは綺麗だった。
裏を通した金とは、落ち方も扱いも違う。
その差は、ユウにももう分かる。
端末に表示された数字を、ユウは少しの間だけ黙って見た。
報酬そのものが珍しいわけではない。
だが、こうしてまともな仕事として、まともな金が落ちるのを見るのは、やはり少し違う。
野良犬時代に拾っていたものとは、重さが違った。
向かいで、ユイも自分の端末を見ている。
手の中の画面を、どこか感慨深そうに見つめていた。
昨日の戦いと、その結果としての数字が、まだうまくひとつに結びついていないような顔だった。
レンジはそんな空気も構わず、軽い調子で言う。
「いやあ、綺麗な金っていいですねえ」
「そうね」
サエが静かに返す。
「後腐れが少ないもの」
「夢がないなあ」
「現実よ」
短いやり取りだった。
タチバナは相変わらず無駄口を挟まず、最後の送金を終えると端末を伏せた。
それで配布は終わりらしい。
卓に少しだけ静けさが戻る。
ユウはそのままスープへ手を伸ばし、そこでふと昨日のことを思い出した。
右後方。
ユイのハンドガン。
当てることはできる。
だが距離は止めきれない。
昨日の右後方の抜けは、あれでぎりぎりだった。
後ろに立たせるだけならいい。
けれど、こうやって都市防衛の線へ出すなら、それだけでは足りない。
思いついたように、ユウは口を開いた。
「これなら、ユイにSMGを用意してやった方がいいんじゃないか?」
自分でも、かなり軽い言い方だったと思う。
「昨日も押し込まれてたよな」
実務の話だった。
それ以上でもそれ以下でもない。
ただ昨日の反省として口にしただけだ。
だが、言った直後に気づく。
向かいで端末を見ていたユイが、ぴたりと動きを止めていた。
次の瞬間、ぱっと顔を上げる。
そして、はっきり笑った。
しまった、と思った時にはもう遅い。
「ユウが一緒に買いに行ってくれるんですね」
即断だった。
あまりに迷いがなくて、ユウは一瞬だけ言葉を失う。
横でレンジが吹いた。
「っ、はは……!」
耐えきれていない。
肩まで揺れている。
サエはすぐには笑わず、少しだけ困った顔をした。
必要性そのものは否定しづらい。
そこが一番厄介なのだろう。
一方で、タチバナは完全に固まっていた。
パンを持ったまま、顔だけが渋い。
娘のことになると、いつものように一拍遅れる。
しかも今回はユウが自分で火をつけた形だ。
余計に口を挟みにくいらしい。
ユウは一応、抵抗を試みる。
「……ファミリーで使ってる店くらいあるだろ」
意味としては、別に自分が連れて行く必要はない、という話だった。
そういう逃げ道を置いたつもりだった。
だが、ユイは即座に首を振る。
「大丈夫です!」
何が大丈夫なのか分からない勢いだった。
「ユウが買ってる店で選んでください。私、ハンドガン以外使ったことないので」
その理屈だけは、通っている。
通っているから厄介だった。
ユウは一瞬、タチバナの方を見る。
助けろ、とは言わない。
言わないが、視線にはそれに近いものが入っていた。
だがタチバナは渋い顔のまま、ほとんど動かない。
駄目だ。
この男、こういう時は本当に使えない。
レンジが笑いを堪えながら、横から肩へ手を置いた。
「頑張れよ」
その一言が妙に腹立たしい。
ユウは半目でそちらを見る。
「何をだ」
「買い物だろ」
「お前、面白がってるだけじゃねえか」
「ばれました?」
ばれている。
完全にばれている。
ユイはそんなやり取りを聞きながらも、もうだいぶその気だった。
端末を握ったまま、少し身を乗り出してくる。
「昨日の感じだと、やっぱりハンドガンだけじゃ距離が止まりませんでしたし」
そこはちゃんと実感として残っているらしい。
「だから、必要ですよね」
その言い方に、サエが小さく息を吐く。
「必要ではあるわね」
止めるならそこしかない、という顔だった。
「後方でも、抜かれる時は抜かれるもの。今回で分かったでしょう」
「はい」
ユイは素直に頷く。
それからまた、当然みたいにユウを見る。
「なので、一緒にお願いします」
話が綺麗に戻ってきた。
タチバナはまだ黙っている。
黙ったまま、渋い顔だけが少しずつ深くなっていく。
言いたいことは多分ある。
だが、これに反対する理屈を今この場で出すと、昨日の判断まで自分で否定しかねない。
だから余計に固まるしかないのだろう。
ユウは小さく息を吐いた。
自分で言い出した手前、完全に切るのも違う。
必要なのも事実だ。
善意で言ったことが、そのまま自分へ返ってきただけである。
「……後で考える」
とりあえずそう濁す。
だが、ユイにはほとんど断りとして機能していなかった。
「はい」
返事が明るい。
もう半分以上、決まったものとして受け取っている顔だ。
レンジがまた吹きそうになる。
「いやあ……」
「うるせえ」
ユウが先に切ると、レンジは片手を上げた。
「でもさあ、ほら。実際必要なんだろ?」
そこだけは少し真面目な声だった。
「選ぶの付き合うくらい、いい先輩じゃないですか」
「誰が先輩だ」
「経験者に対する敬意だよな、ユイちゃん」
「違います」
ユイは即答した。
それから一拍遅れて、少しだけ真面目に付け加える。
「ちゃんと使えるものを選びたいだけです」
そこに変な照れも計算もない。
本当にそう思っている声だった。
だからユウも、強く切れなくなる。
サエはその空気を見て、最後に小さくまとめるように言った。
「買うなら、隠せることと取り回しを優先しなさい」
完全に止める気はないらしい。
「前線用の重いものはまだ要らないわ」
「はい」
ユイはまた頷く。
サエがそこで、横目でタチバナを見る。
「必要なら、止める理由はないわね」
タチバナは何も返さなかった。
返せない顔だった。
ユウはその様子を見て、小さく鼻で息を吐く。
仕事ではちゃんとしているくせに、こういう時だけ本当に頼りにならない。
だが、そう思いながらも、自分が火種を投げた側なのは分かっている。
そこが余計に癪だった。
卓の上には、朝食の残りと、綺麗なクレジットの表示と、次の面倒事の気配が並んでいた。
討伐の報酬を受け取ったはずなのに、気づけばまた別の話が動き始めている。
ユウは残りのスープを飲みながら、端末の数字をもう一度だけ見た。
綺麗な金だ。
向かいでは、ユイがまだ少し嬉しそうに笑っている。
その顔を見て、ユウはもう一度だけ心の中で思う。
余計なことを言った。
だが、今さらそれを取り消しても遅い。
もうこの流れは、止まらない気がしていた。




