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銀月のロスト  作者: taka
第17章 個人指名

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白い関門

 翌日。


 アジトの前に停まっていた車は、いつものそれとは少し違って見えた。


 車体は薄いグレーに塗られている。


 側面には、白い文字で業者名が入っていた。


 アーバン・アーカイブ保全サービス。


 旧邸保全補助/記録媒体回収班。


 その下には、管理番号と一時入場用の識別タグ。


 ぱっと見ただけなら、上層の保全業者が使う作業車に見える。


 もちろん、中身まで完全な業者車両ではない。


 荷室には、記録媒体回収用のケース。


 封印袋。


 工具箱。


 簡易清掃用具。


 測定器に偽装したサエの端末類。


 レンジが使う確認機材。


 余計なものは積んでいない。


 積めない。


 上層バイパス検問所で、全部見られるからだ。


 タチバナは車の横で、全員の格好を一度見た。


 全員、薄いグレーの作業用ツナギを着ている。


 胸元には、アーバン・アーカイブ保全サービスの小さなロゴ。


 腕には、仮登録用の管理番号。


 汚れればすぐ分かる、妙に清潔な作業服だった。


 タチバナは、それを着てもあまり違和感がない。


 現場責任者。


 保全班の管理役。


 そう言われれば、そう見える。


 サエも自然だった。


 端末ケースを肩に掛け、髪を邪魔にならないようにまとめている。


 作業員というより、記録媒体の確認担当としてそのまま通りそうだった。


 レンジは車両側に立ち、外装と荷室の固定を最後に確認している。


 ツナギを着ても、視線は車両と周辺に向いていた。


「偽装としては悪くないですね」


 レンジが車体のロゴを見て言った。


「ただ、綺麗すぎて落ち着かないですけど」


「上層向けだ」


 タチバナが言う。


「汚れてる方が目立つ」


「でしょうね」


 レンジは薄く息を吐いた。


「嫌な合理性です」


 ユイは、袖口を軽く引っ張っていた。


 サイズは合っている。


 だが、着慣れていない服のせいか、少し落ち着かなそうだった。


 それでも、見た目だけなら補助員として一番自然に見える。


 端末を運ぶ。


 封印袋を渡す。


 サエの補助をする。


 そういう役目に見えるからだ。


 ラヘルも同じツナギを着ていた。


 けれど、彼女は少し違った。


 服は作業員のものなのに、立ち方が上層の人間だった。


 背筋。


 手の置き方。


 視線の下ろし方。


 自分でも気づかない部分に、これまでの育ちが残っている。


 ユウは、それを少しだけ見た。


 何も言わない。


 自分もまた、違う意味で浮いていることは分かっていた。


 作業服を着ている。


 工具ケースも持っている。


 だが、目が作業員のそれではない。


 人の位置。


 道の奥。


 車の影。


 建物の切れ目。


 逃げる場所。


 撃たれる場所。


 そういうものを、先に見てしまう。


 腰には、登録予定の拳銃がある。


 それだけだった。


 ARもない。


 SMGもない。


 いつもより、身体の片側が軽い。


 軽いのに、動きやすいとは思えなかった。


 タチバナがユウの視線に気づく。


「足りないか」


「軽い」


「慣れろ。上層で長物は持てない」


「ああ」


「拳銃も、撃てば全部残る。撃つ前に考えろ」


「分かってる」


 タチバナは全員を見回した。


「検問所での返答は基本的に俺がする。聞かれた時だけ答えろ」


 誰も余計な返事はしない。


 タチバナは続けた。


「警告が出たら止まれ。何かを見つけても近づくな。気になっても触るな。機械を覗き込むな」


 ユイが少しだけ顔を上げる。


「覗き込むだけでも駄目なんですか」


「駄目な場合がある」


 タチバナは短く答えた。


「ここから先は、気になったから見る、では済まない。検査範囲、待機位置、通行線。全部向こうが決める」


 サエがユイを見る。


「私の側を離れない。いい?」


「はい」


 ラヘルは静かに頷いた。


 ユウはタチバナへ聞く。


「見つけても動かない」


「そうだ」


「撃たれそうでもか」


「撃たれる前に警告が出る。警告なしで撃たれる時は、たぶんもう間違えている」


 レンジが車両の扉を開ける。


「分かりやすいんだか、分かりにくいんだか」


「上層はそういう場所だ」


 タチバナは運転席へ向かった。


「乗れ」


 車内は、作業車両らしく整えられていた。


 前席にタチバナとレンジ。


 中央にサエとユイ。


 後部寄りにユウとラヘル。


 荷室との間には、簡易の仕切りがある。


 だが、完全には塞がれていない。


 ユウは後部座席に座り、腰の拳銃の位置を確認した。


 軽い。


 やはり、軽い。


 ラヘルは隣で、窓の外を見ていた。


 表情は硬い。


 まだ上層ではない。


 それでも、向かっている先がどこなのかは分かっている。


 車が動き出した。


 下層の道は、いつも通りだった。


 狭い道路。


 せり出した看板。


 濡れた路面。


 油と煙草と食べ物と金属の匂い。


 路地の奥から聞こえる声。


 排気音。


 怒鳴り声。


 遠くの銃声か、何かが倒れた音。


 ユウはそれらを無意識に拾っていた。


 分かる音だった。


 分かる匂いだった。


 分かる怖さだった。


 車はやがて、中層側へ繋がるバイパスへ入った。


 道幅が少し広くなる。


 照明が規則的になる。


 道路脇の構造物が、汚れた下層のものから、管理された中層寄りのものへ変わっていく。


 ユイが窓の外を見る。


「少し、静かになりましたね」


「まだ途中だ」


 タチバナが前を見たまま言う。


「上層側に近づくほど、音は減る」


「安全だからですか」


「管理されているからだ」


 その答えに、ユイは少し黙った。


 サエが端末でパス情報を確認している。


「全員分の仮登録は通ってるわ。業務名目は、旧邸跡地保全確認および記録媒体回収補助」


 レンジが前方を見ながら言う。


「ずいぶん丁寧な言い方ですね」


「丁寧な言葉ほど、範囲が狭いのよ」


 サエは画面を見たまま答える。


「許可されてるのは、その名目に必要な行動だけ。余計なことをしたら説明を求められる」


「説明で済めばいいですけどね」


 レンジはそう言って、速度を落とすタチバナの横から前を見た。


 バイパスの先に、白いものが見え始めていた。


 最初は壁に見えた。


 次に、建物だと分かった。


 白い関門。


 上層バイパス検問所。


 ユウは窓越しにそれを見た。


 白い。


 あまりにも白い。


 壁も、床も、天井も、誘導灯の周りまでも、汚れが見えない。


 光は強すぎないのに、影が少ない。


 車両が近づくと、路面の表示が淡く光った。


 誘導線。


 矢印。


 停車位置を示す枠。


 人間はいない。


 警備員もいない。


 誘導員もいない。


 腕を組んで睨む用心棒もいない。


 ただ、壁面モニターに文字が出た。


《アーバン・アーカイブ保全サービス。旧邸保全補助/記録媒体回収班。指定位置へ進んでください》


 車内に、丁寧な音声が流れる。


「指定位置へ停車してください。停車後、エンジンを停止してください。搭乗者は指示があるまで降車しないでください」


 声は穏やかだった。


 だが、選択肢はなかった。


 ユウは、白い壁を見る。


 壁の中に、黒い穴があった。


 銃口だ。


 一つではない。


 下層側入口。


 車両停車区画の左右。


 上層側ゲートへ続く直線の奥。


 白い清潔な構造物の中で、そこだけが黒い。


 タチバナは車を指定枠へ入れる。


 枠の内側で車体が止まると、床下から低い音がした。


 タイヤロック。


 車体がわずかに沈む。


 レンジが小さく息を吐いた。


「固定されましたね」


「動かすなということだ」


 タチバナはエンジンを切る。


 次の音声が流れた。


「車両固定を確認しました。車両検査を開始します。搭乗者は車内で待機してください」


 車両の下から、低く機械音が走る。


 スキャナだろう。


 側面にも光が流れる。


 荷室。


 床下。


 タイヤ周り。


 車体の継ぎ目。


 全部見られている。


 ユイが膝の上で手を握った。


「誰もいないのに、見られている感じがします」


「見られている」


 サエが言う。


「だから、感じじゃないわ」


 ラヘルは窓の外を見ていた。


 白い検問所。


 彼女はおそらく、この種の施設を知っている。


 だが、今ここでの立場は違う。


 住民として通るのではない。


 業者用一時入場者として、車ごと検査されている。


 その横顔は、ほとんど動かなかった。


 けれど、指先だけがわずかにツナギの生地を押さえていた。


 ユウは車両停車区画の奥を見る。


 白い柱の陰。


 最初は設備の一部に見えた。


 空調装置。


 清掃機械。


 壁面補強。


 だが違う。


 折り畳まれた脚。


 丸められた胴体。


 伏せた獣のような形。


 Bulldog系列。


 白か淡いグレーの外装で、壁に溶け込むように置かれている。


 だが、あれは動く。


 ユウの視線が、そこに少しだけ止まった。


 その瞬間、車内のスピーカーから音声が流れる。


「護衛登録者ユウ。視線挙動を確認しました。検査対象設備への接近、接触、撮影は禁止されています」


 ユイがびくりと肩を揺らした。


 ユウは動かなかった。


 見ただけだ。


 だが、見たことは拾われている。


 タチバナが前を向いたまま言う。


「動くな」


「ああ」


「ここでは、見つけたものに近づくな」


「分かってる」


 ユウはゆっくりと視線を戻した。


 Bulldogは動かない。


 だが、見られている。


 人間がいない。


 なのに、反応は返ってくる。


 ユウはそれを気持ち悪いと思った。


 敵意があるわけではない。


 怒鳴られてもいない。


 誰も睨んでいない。


 だが、撃つ準備だけは済んでいる。


 下層なら、危険はもっと汚く、もっと近く、もっと分かりやすい形で来る。


 ここでは違う。


 白い壁の中で、丁寧な声が先に警告する。


 その次は、たぶん処理だ。


 車両検査の音が止まった。


 数秒の沈黙。


 次に、モニターへ文字が出る。


《車両検査完了。搭乗者は降車し、人間用検査棟へ移動してください》


 音声が続く。


「携行品を持ち、青色の誘導線に従って移動してください。指定線外への移動はお控えください」


 タチバナが先にドアを開けた。


 外の空気は、下層のものと違った。


 匂いが薄い。


 清掃剤のような匂い。


 乾いた空調。


 金属と樹脂。


 それだけだ。


 血も、油も、煙草も、腐った水もない。


 ユウは降りた。


 ブーツの底が、白い床を踏む。


 汚してはいけない場所に立っているような感覚があった。


 だが、その白さは歓迎ではない。


 汚れがあればすぐ分かるように作られた白さだった。


 サエが端末ケースを持って降りる。


 ユイはその隣に続く。


 レンジは車両の固定状態を一瞬確認しかけて、すぐに視線を戻した。


 見つけても近づかない。


 それを全員が意識している。


 ラヘルは最後に降りた。


 白い床に立った瞬間、ほんの少しだけ目を伏せた。


 その動きに、ユウは気づいた。


 しかし、声はかけなかった。


 モニターに全員の仮登録名が並ぶ。


 責任者。


 記録媒体回収担当。


 車両・保全補助。


 護衛登録者。


 補助員。


 現地確認補助。


 ラヘルの本名は、そこには出ていない。


 仮登録名と役割だけ。


 それがかえって、彼女がここへ戻る意味を削っているように見えた。


「青線」


 タチバナが短く言う。


 床に走る青い誘導線。


 それは人間用検査棟へ続いている。


 通路の左右には、白い壁。


 天井にはカメラ。


 足元には細いセンサー溝。


 壁際には、また別のBulldogが伏せている。


 ユイが小さく息を呑んだ。


「本当に、人がいないんですね」


「いる」


 タチバナは歩きながら言った。


「ただ、ここにはいない」


 ユイは返事をしなかった。


 その意味を、少しずつ理解している顔だった。


 人間がいないから安全なのではない。


 人間が出てこなくても済むように、全てが用意されている。


 白い通路を進む。


 足音が、やけに綺麗に響いた。


 下層の床なら、音はもっと汚く混ざる。


 水音。


 機械音。


 人の声。


 何かを引きずる音。


 だがここでは、足音だけが残る。


 ユウはそれが落ち着かなかった。


 情報が少なすぎる。


 匂いも少ない。


 声も少ない。


 汚れも少ない。


 少ないのに、見られている。


 検査棟の入口が近づく。


 細い白い筒状のゲートが並んでいた。


 透過検査装置。


 その手前で、また音声が流れた。


「一名ずつお進みください。携行品は指定台へ置いてください。検査中は、停止位置から動かないでください」


 タチバナが止まる。


 振り返らずに言った。


「ここから先は、指示通りだ」


 全員が頷く。


 ユウは検査ゲートを見た。


 白い筒。


 その周りには、目立つ銃口はない。


 だが、ないわけがない。


 見えないだけだ。


 上層の怖さは、そこにあった。


 怒鳴る者はいない。


 睨む者もいない。


 ただ、白い関門が開いている。


 通れ、と丁寧に言っている。


 従えば通す。


 外れれば処理する。


 ユウは、腰の拳銃の位置を一度だけ意識した。


 触らない。


 見るだけにする。


 タチバナが一歩前へ出る。


 検査棟の白い光が、ツナギの袖を照らした。

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