第7話:恋のシーレーンと、迫り来る包囲網
エレノア王女はカークが欲しい
「ミリア様、緊急事態です。大陸全土の『月光』の網から、不穏な報告が届きました」
大夜会から数日後。帝都にあるパルミアン王国の臨時公使館にて、国王直属の魔道士諜報組織『月光』の副首領セリカが、闇から音もなく現れた。
ミリアは机の上の地図を見つめたまま、短い顎を引いた。
「言いなさい」
「アルデバルン帝国が、周辺のカルカン王国、およびその他の諸国に圧力をかけ、我がパルミアン王国に対する【包括的経済制裁(通商停止)】を電撃的に発動しました。現在、我が国へ向かうすべての陸路の通商街道が封鎖されつつあります」
「何ですって!?」
背後で控えていたリアス王子が机を叩いた。
「帝国め、五年前の戦役でも使わなかった汚い手段を! 人口30万の我が国は、物資の輸入が数ヶ月止まりでもすれば、冬を越せずに餓死者が出るぞ!」
ミリアは冷徹に、だが深く溜息をついた。
「これが、リュシアン王子の言っていた『弾丸一発使わない優雅なゲーム』の正体ね。地政学において、経済制裁は武力行使の一歩手前の強力な手段。陸路を完全に包囲し、我が国を自滅させて降伏に追い込むつもりよ」
「ミリア、陸路がダメなら海路は……!」
リアスが叫ぶ。
「我が国が面している海は、キリア王国が支配する『シーレーン(海上交通路)』よ。キリアが帝国に同調すれば、パルミアンは完全に世界から孤立する。……お兄様、少し席を外して。私は、この網を破るための裏交渉を始めるわ」
数時間後、公使館の秘密会談室。
ミリアの前には、豪奢な毛皮をまとったキリア王国の第2王女エレノアが、不敵な笑みを浮かべて座っていた。彼女の側室には、護衛としての任務を言い渡されたカークが直立している。
「話は分かっているわ、ミリア王女。帝国の陸上封鎖を破るために、我がキリアの商船団を使って、海からパルミアンに物資を横流ししてほしいのでしょう?」
エレノアは琥珀色の瞳を悪戯っぽく輝かせ、カークを盗み見た。
「いいわよ、別に。我が国は帝国の南進を阻止したいし、パルミアンを不沈空母(軍事拠点)としてキリアの傘下に置けるなら、物資の援助なんて安いものだわ。でも、ビジネスには対価が必要。……私の条件は1つ。そのカーク・マクタリアン中隊長を、我がキリア王国の『永久専属護衛』として、私に譲り渡しなさい」
会談室の空気が一瞬で凍りついた。
地政学的な資源(海上流通)の取引に、ミリアの「最も大切な存在」を要求してきたのだ。
カークは表情を変えず、ただ真っ直ぐにミリアを見つめた。
(ミリア。お前が国のために俺を売るというなら、俺はそれに従う。お前が描くチェス盤の通りに、俺の人生は動く。だけど……俺を、お前の盤面から消さないでくれ)
ミリアの胸が、激しい嫉妬と恐怖で引き裂かれそうになった。
愛するカークを、他国の、それも自分をライバル視する王女に渡す? そんなこと、耐えられるはずがない。夜、ベッドの中でカークのことを想って涙を流す一人の少女としての私が、頭の中で「絶対に嫌!」と絶叫していた。
だが、ミリアの顔は、完璧な氷の微笑を維持していた。彼女は歴史学の天才だ。感情で動いたプレイヤーがどう滅ぶかを、誰よりも知っている。
「エレノア王女、素晴らしい提案ですわ。ですが、その交渉は成立しません」
「なによ、物資が止まって民が死んでもいいの?」
エレノアが眉をひそめる。
「いいえ。歴史の教訓を教えてあげます。キリア王国はシーレーンの覇者ですが、その商船が通る『狭い海峡』の周囲には、カルカン王国をはじめとする中小国の沿岸砲台が並んでいますわね。もしキリアが我が国に物資を独占供給すれば、帝国はカルカンに圧力をかけ、その海峡を封鎖(チョークポイントの閉鎖)させるでしょう。そうなれば、干上がるのはパルミアンだけでなく、キリア王国の全通商路ですわよ?」
エレノアが息を呑んだ。少女ながらに海洋地政学を学んできた彼女は、ミリアの指摘が完璧な「真実」であることを見抜いた。
さらにミリアは畳みかけるように、エレノアに近づき、耳元で囁いた。
「カークは、我が国の最強の非対称抑止力。彼をキリアに渡した瞬間、帝国は『パルミアンの抑止力が消滅した』と判断し、明日には我が国へ侵攻します。我が国が占領されれば、次に対峙するのは、帝国の刃と直接向き合うキリア王国ですわよ。……それでも、カークが欲しいの?」
エレノアは悔しそうに唇を噛み、立ち上がった。
「……なによ、生意気な魔女! 完全に私の負けね。だけど、帝国はもっとえげつないわよ。リュシアン王子は、あなたの『目』を狙っているわ」
エレノアは捨て台詞を残して去っていった。部屋に残されたのは、ミリアとカークの二人だけ。
「ミリア、俺を売らなかったんだな」
カークが真っ直ぐな瞳でミリアを見つめる。
ミリアは一瞬だけ、張り詰めていた政治家の仮面を外した。彼女の頬は真っ赤に染まり、琥珀色の瞳には涙がたまっていた。
「バカ、カーク! 当たり前でしょう! あなたをあんな赤髪の女に渡すくらいなら、世界中を敵に回して泥水をすすった方がマシよ! ……でも、これはただの政治的判断だからね! 勘違いしないで!」
ぷいっと後ろを向くミリア。
カークはその健気なツンデレな姿に、胸の奥が愛おしさで満たされるのを感じた。
そのとき、天井裏から気配もなくセリカがぶら下がった。
「……ミリア様、カーク中隊長を奪われずに済んで一安心ですね。その独占欲を夜のベッドではなく本人の前で炸裂させれば、この不器用な距離は3秒で縮まるのですが」
「セ、セリカァァ!? またあなたね! 今度こそ死刑よ!」
顔をリンゴのように赤くしたミリアが叫ぶ。
カークは苦笑いしながらも、(あいつの『少女』は死んでいない。なら、俺はどんな泥沼の戦場でも、あいつの手を離さない)と改めて誓うのだった。
だが、エレノアの警告は、その日の深夜に最悪の形で的中することになる。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました! 続けて第8話を読んでいただけたら幸いです。




